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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:韓国・朝鮮論(2)創氏改名(後編) ――――― 2004/06/18

やがて満州事変(昭和6年)が起こり、満州国が建国されて「五族協和」という
スローガンが叫ばれるようになります。五族=日・漢・満・鮮・蒙)の協和と
いうけれども、日本人が完全にイニシアチブを握っていました。その時に朝鮮
人は、日本人であることをさらに強く要望するようになったのだと思います。

満州国の朝鮮人は、できるだけ日本語を使って話そうとしますが、名刺などを
見ると、朝鮮人の名前で日本人ではないから、字の数からしても分かります。
いくら日本人の格好をしても、名前で朝鮮人だと分かってしまうわけです。

その頃、朝鮮では「内鮮一体」というスローガンが叫ばれていましたが、そう
した歴史的背景の下で、
「内鮮一体であるならば、我々も日本人なんだから日本人の名前を与えてほし
い」という主張が生まれてきたのだと思います。

社会的な趨勢として、そうした要望は満州だけでなく朝鮮の中でも生じ、日本
に渡ってきた朝鮮人も、日本に溶け込み、日本人と同じ扱いを受けたいという
願いを持ったものと思われます。

現在、韓国政府が強調している「創氏改名は強制だった」というのが、若しも
真実であったとすれば、邑面長=町長、村長)が自分の成績を上げるために競
い合ったのではないか?ーー例えば、郡守が邑面長を集めて邑面長会議を開き
「○○地区は何%だ」「こちらの地区は何%だ」と聞かされたときに「私のと
ころは10%しかありません」ということになると、忠誠心を疑われるような
気持ちになったんじゃないか。

ーー強制ではないが、競い合う雰囲気はあったのじゃないかと思います。

終戦時、朝鮮人の道知事は5人いましたが、そのうち2人は朝鮮式の姓のまま
でした。これは創氏改名をしなかった人が不利益を受けたかどうかという議論
の時の参考になる資料です。=道の長である知事でさえ創氏しなかった)

逆に「名前を替えることことを禁ずる」とか「絶対に許さない」という政策を
実施したとすればどうだったでしょうか。「内鮮一体といっているのに何だ」
「差別をいつまで続けるのか」と非難されたと思います。物事の片方だけから
見て「創氏改名はけしからん」というのではなく、両方から考えてみると、も
う少し正確に理解できるのではないでしょうか。

―― 韓国の学校教育では、

日本の統治時代についてはそれなりに詳しく教えているが「歴史的事実」につ
いては、先ず「反日史観」ありきで、その前提の下に「日本の統治は一貫した
強圧支配だった」と価値付けられているため、歴史的事実はその「強圧」とい
う価値付けと矛盾することのないように調整して教えています。

あるいはその価値付けを、更に強化するような教え方をする。従って逆にいえ
ば、生徒たちに教えられる一つ一つの「歴史的事実」は、「反日史観」の“正
しさ”を矛盾なく証明するものとなっています。

生徒たちは、そういった一つ一つの「歴史的事実」を学んでいくことによって
自ずとその背景にある一つの観点、つまり「反日史観」を、「自ら学んだ客観
的に正しい歴史の見方」として、疑いなく身につけていくようになるのです。

創氏改名もその一つで、創氏改名とは、韓国に住む人間にとっては、「日本が
朝鮮人の姓名を強制的に日本名に改めさせた」こと以外の何者でもなく、彼ら
は疑問を持つことなく「強圧日本の象徴」として日本の言い分など聞く耳を持
とうとはしません。

しかし、日本に残っている総督府関係の資料を調べれば一目瞭然で、「法的な
強制はなかったこと、朝鮮人の側からの要望がかなりあった事、が間違いない
事実として分かります」しかし、日本人の中にも、こういった真実を、意図的
に語らず歴史を論ずる人が少なくないというのが実情です。

強制ではなかったばかりか、要望すらあってたくさんの人々が創氏改名をした
という事実に対する反論としては、「法律上は強制ではなかったが、事実上の
圧力があって改名するよりしかなかった、そうしないと「危険人物」とみなさ
れた、というものがあります。

日本統治時代の体験をもつ幾人かの韓国人に聞いてみると、ほぼ、そういう言
い方をする。それならば、なぜ学校教育では「強制」だと教えたのかと聞くと
「事実上の強制だからだ」という。創氏改名の要望があったことをどう考える
かと聞くと、それは一部の者に過ぎないという。

だが、いずれにしても、「武断的な強圧支配下で、改名しなければ弾圧される
ので、みんな仕方なく改名した」という韓国の歴史教育は正確ではないことは
日本統治時代の体験をもつ韓国人自身の語り口からも間違いのないことです。

―― 無学な者ほど反日意識が薄い?

呉 善花さん著「生活者の日本統治時代ーーなぜ「よき関係を語らないのか」
(三交社・2000年)によれば、韓国人10人の日本統治体験者からのインタ
ビューで、「過酷な日本統治」を実体験から語ったのは1人だけだった。

その1人は、一貫して「過酷だった」と表現していましたが、その内容は特に
過酷な話ではない、、私がそう指摘すると、その方は「当時は全く過酷とは思
わなかったけれど、戦後になって、そう思わなかった自分の思想性のなさを恥
じた」という意味のことを言っていた。

体験を通して許しがたい思いを持ったのではなく、戦後の「反日教育」によっ
て得た一つの観点によって、許しがたく思うようになっていったことが、よく
わかる話であった。日本人の中にもいろいろな人がいるから、個人的に嫌がら
せをする人がいたかも知れない。自分の立場を利用して改名をさせたがる人も
いたかも知れない。

でも、インタビューをした韓国人も、そういう問題で騒ぎになった話は聞いた
ことはなく、反対運動の展開もまったくなかった。結果、おかしな現象として
「過酷」な日本統治を体験したといわれる戦前世代の大人たちより、全く日本
統治を経験した事がない、戦後生まれの若者のほうが反日感情は強烈だという
事実です。

―― では、なぜたくさんの人々が改名したのか?

一つの理由として、実際的な自己の生活領域を侵されない限り、時代の支配的
な趨勢にいちいち目くじらをたてて反抗しない、という「被支配者の知恵」を
もって生きてきた、朝鮮半島庶民たちの長い伝統にあることが考えられます。

これを逆にいえば、支配者側が生活領域に足を踏み入れてくれば猛烈な抵抗を
示したという事です。日本は、統治後しばらくして、初期の武断統治的な姿勢
を根本的に改めました。そして事実、生活の蹂躙にいたるような統治をしない
ことを一貫させ、法治主義に徹していくようになりました。

法治主義を逸脱して人々の生活を蹂躙し、過酷な統治を布いたのは日本ではな
く、日本統治以前の李王朝であり、戦後の金日成政権や李承晩政権なのです。

                          =この稿つづく=
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