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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:韓国・朝鮮論(1)創氏改名(前編) ――――― 2004/06/11

先に「台湾は植民統治」「朝鮮は併合」と述べました。台湾の場合は明らかに
清国から割譲され、日本の属領として統治したのですが、朝鮮は属領ではなく
日本国の一部として迎え入れたものです。企業で例えるならば、台湾は株式を
譲り受けて子会社にしたものですが、朝鮮は、本社に合併して迎え入れたもの
と理解して戴ければいいと思います。

その結果というべきか「創氏改名」という問題が起こりました。韓国では、未
だに「創氏改名」が「反日史観」の象徴として学校教育で強調されています。

▽▽ 韓国の近現代史教育の内容は

「韓国は日本統治によって皇民化された。日本の神を崇拝させられた。言語を
奪われた、氏を奪われた、文化を奪われた、伝統を奪われた、土地を奪われた
民族を蹂躙された、奴隷のように扱われた、人間の尊厳も誇りも持てない状態
に陥れられた。
・・・これらの言葉から、日本統治が世界に類例を見ない過酷なものであった
というイメージが広がり、抵抗すれば命に関わる状況だったからこそ、ほとん
ど民族抹殺ともいえる、それらの過酷な政策を受け入れるしかなかった」

幼稚園児から一貫して大学まで、このような教育の下で成長してきた韓国人が
どのような対日観を持つに至っているかは想像できます。

ーーしかし、これらのすべては事実だったのでしょうか?

今から、それを一つ一つ、右側からでもなく左側でもなく、歴史書をひもとき
検証して、正しい日本と朝鮮の近代史を明らかにしていきたいと思います。

と大見得を切りましたが、さてどうなりますやら?例によって、私見、独断、
偏見、の連続です。脱線したときは恥も外聞もなく軌道修正しますので、遠慮
なく批判して下さい。

―― 先ず冒頭の「創氏改名」問題から私見を述べさせて戴きます。

自民党の麻生太郎氏が、昨年5月31日に東京大学で講演し、創氏改名は当時
の朝鮮の人たちが求めたという趣旨の話をしたところ、これが日本の新聞を通
じて韓国に伝わり、韓国のマスコミなどで激しい批判を受けました。

私は当時、新聞を見て、ああ、また同じような事が始まったという気持ちでし
た。いままでも、朝鮮半島の問題で日本の政治家がいろいろ発言しては、韓国
側から文句をいわれ、発言を取り消したり、謝ったりするパターンがいやとい
うほど繰り返されてきました。またそれが繰り返されるのは困ったものだと思
いました。

麻生氏発言の要旨は
『当時、朝鮮の人たちが日本人のパスポートをもらうと、名前に「金」などと
いう(朝鮮名が)書かれ、それを見た満州の人たちが「朝鮮人だな」と分かって
しまい仕事がしにくかった。それで、朝鮮の人たちが「日本式の名字をくれ」
と希望した。これが創氏改名の始まりだ。』

△△ 大体このようなものでした。

確かに麻生さんが言うように、満州に進出した朝鮮人の中には、日本式の名字
がほしいと願った人が多数いたことは否定できない事実で、日本の一部新聞は
韓国マスコミに同調して、その事実は認めながらも、

「自分に都合のよい事実だけを取り出して、それが歴史の全体像であるかのよ
うに言いくるめようとしている」

と決めつけ、麻生氏の発言を強く非難していました。
しかし、このような一部マスコミの論調には賛成できません。

―― 1940年2月11日、朝鮮で創氏改名の届け出が始まりました。

当時の新聞は「神武天皇が即位して2600年にあたる輝かしい日に、天皇の
あたたかい思し召しによって、朝鮮人も日本式の氏を名のることが許された」
と、こぞって一面に大きく報道し、紀元節の休日を返上して、全朝鮮の役所が
受付ましたが、この日の届けはたった48件しかなかったと記録にあります。

ではどんな名前に変えられたのでしょうか。

2月12日、一人の男が創氏改名の届け出をしました。名前を李光洙といい、
彼は1919年の独立運動の時、東京キリスト教青年会館での独立宣言を起草
し、のちには「朝鮮近代文学の父」といわれた文学者です。その人が「香山光
郎」と名乗ることになったのです。どんな気持ちで今までの李光洙という姓名
を捨てたのでしょうか。彼は、新聞でこう言っています。

「私は自分の子孫と朝鮮民族の将来を考えた末に、天皇の臣民として生きるこ
とを決めた。そしてそれに相応しい名前にした。思えば朝鮮人の姓名は、6〜
700年前に中国から受け入れたものである。だからこの際は日本人の姓名を
もつのが当然であろう」
と。そして
「朝鮮人が日本人と差別がなくなる以外に、何を望むことがあろうか」
とも述べています。

ここに彼らの内面が表れています。朝鮮が独立する見通しを失った彼にとって
は、残された道は日本の支配下で民族差別を無くしていくしかありませんでし
た。ーー創氏改名はその一つの手段だったのです。

元々「氏」がなかった朝鮮では、姓名は死ぬまで変わりません。結婚によって
氏が変わる明治以来の日本の制度とは、かなり違っていました、例えば李光洙
のように、名前を日本式に変えた場合もありますが、日本風の名前に変えて届
け出ない場合でも、夫の姓が氏となるので、妻も夫の氏を名乗ることになりま
すから、結果として創氏改名は、全朝鮮人に適用されたことになります。

創始改名が始まったのは昭和15年ですが、もう少し長い歴史を見なければな
りません。朝鮮(族)人は、随分昔から満州地域に住んでいましたが、朝鮮人が
シナ人に劣等感を持っていたことは間違いないと思います。

いろんな面で我慢したり、癪にさわったりしていたと思いますが、朝鮮が日本
に併合され、日本国籍を持つようになってからは、自分は日本人だという立場
でシナ人に接しようとしました。

ーーですが、そのことをシナ人にはなかなか理解してもらえませんでした。

                          =この稿つづく=
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