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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ 私見:憲法改正提起(1) ―――――――――――― 2004/05/21
東京裁判史観による教育に汚染された戦後教育を語るとき、日本国憲法にふれ
ないわけにはいきません。
「国権の発動」としての戦争放棄を謳い、「戦力」の不保持を宣言した憲法第
九条の平和主義が、自衛隊のイラク派兵によって空文化しています。
憲法第九条の文言と、現実が大きく乖離してしまった今、或る人は「平和主義
のためにこそ、第九条を改正して、許される軍事行動の範囲を新に確定すべき
です」と言い、
また或る人は「第九条と現実の乖離を放置すると、立憲主義それ自体の意義が
疑わしくなる」と現実的な考え方を述べています。
「改憲は人類の夢を砕く愚挙」「危機に立つ平和憲法」と護憲派の声がひとき
わ大きくなってきた今、改憲派もまた雑誌などで「だからこそ、軍事大国化に
歯止めをかける改憲が必要だ」と主張しています。
ーーでは、外国では改憲は行われていないのでしょうか。
欧米先進国の憲法事情と比較して日本国憲法を検証し、私見を述べてみたいと
思います。
ご存知のように、戦後六十年近くたった今も、私達は一度も憲法改正を行って
きませんでした。これは世界的に見ても非常に稀有な例です。
例えばアメリカ合衆国の憲法が制定されたのは、1787年9月17日。その
翌年の6月から施行されました。以来、2百年余りの間に26回もの憲法改正
が行われています。1回目の改正は、制定から4年後の1791年。この時、
一条から十条までが挿入されました。これらの条項は、すべて人権に関するも
のだったので、ひっくるめて「権利章典」と呼ばれています。
日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国、ドイツも幾度かの憲法改正を経験してい
る国です。ナチスドイツが降伏して、ドイツは米ソ英仏の四ヵ国によって東西
に分割統治されました。
米英仏3国が統治する西ドイツで、憲法の代わりとして暫定的に定められたの
が「ボン基本法」です。1949年5月8日、議会委員会で草案を可決、バイ
エルン州を除くすべての州議会で採択され、5月24日から施行されました。
ボン基本法は、ドイツ再統一によって本来の憲法が制定されるまでの仮の憲法
でしたが、その後、事実上西ドイツの憲法となります。ボン基本法が文字通り
ドイツの憲法になったのは、あの劇的なドイツの再統一が成った1990年の
10月3日です。
西ドイツの事実上の憲法から、統一ドイツ憲法となる間、ボン基本法は何度も
改正されており、合計35回にものぼります。
原理原則がうるさい社会主義国でさえ、経済や政治が思わしくいかない場合、
躊躇なく憲法改正に踏みきっています。1945年から30年間をみてみても
スゥエーデン37回。スイス33回、ニュージランドとオーストラリア29回
といった具合で、憲法に指一本触れなかったのは、日本を除けばバチカンぐら
いのものです。
このように、世界の大半の国が多かれ少なかれ幾度かの改憲を体験しているの
は、憲法は、その国の基本方針を決めた、国家経営の見取り図だからです。
言い換えれば、国民が幸福に暮らすためにはどのようなルールを定めて、国を
運営していけばいいか、その基本原則を認め(したため)たもので、私達が幸せ
になる為の道具です。
それは単なるツールにしか過ぎないわけです、本来なら、使い勝手が悪くなれ
ば変更すべき性質のものです。憲法は決して不可侵のものではないのです。
私達や国家を取り巻く状況は刻々と変化しています。国際情勢は移り、経済環
境も変わり、国民の望む幸福の形も当然変化していきます。戦後の58年間を
切り取ってみても、米ソの冷戦構造がスタートし、ソ連の終わりとともに終結
し、世界秩序は百八十度転換しました。
国際的にも国内的にも、環境が大きく移り変わっているのに、国の機軸となる
憲法が何十年間も同じのままでいいはずがありません。例えそれが作成された
当時は理想的な出来栄えだったとしても、国の変化とともに適合しなくなって
当然です。――日本の憲法とて例外ではありません。
論議の的になってきた憲法第九条問題のみならず、多くの条項が、戦後58年
を経た今、科学技術の進歩や国際社会の大きな変化、国内の民主主義の成熟に
伴って時代に合わなくなっています。
―― 憲法を改正するに当っては、タブーもありません。
例えば、第二次大戦で同盟を結んでいた西ドイツの基本法には、日本と同様、
占領国の意向により、制定時には軍隊に関する取り決めは一切含まれていませ
んでした。しかしその後、東西の冷戦が進展する中、1951年10月のパリ
協定で西ドイツのNATO加盟が決定されたことなどにより、再軍備の必要性
が出てきました。
そこで56年の改正で、18歳以上の男子の兵役義務、軍隊の設置が明記され
ました。
ましてや日本国憲法は、国民の意思を反映した憲法とはいえないのですから、
改憲の声が高まって然るべきです。ところが日本は後生大事に、この58年間
占領軍憲法を守り続けてきました。
ついこの間までは、日本国憲法に関しては議論さえご法度で、国会で改憲発言
しただけで騒動に発展してしまい審議がストップしていました。
占領軍憲法を維持し続け、なおかつ聖域扱いし、金科玉条として一言たりとも
変えるのはまかりならぬでは、とても民主主義とはいえません。占領軍憲法を
後生大事に保持していることが、そもそも国の繁栄、国民の幸せを全く無視し
た愚挙なのです。
現在の憲法は一度破棄して、新たに自分たちの手で自分たちの憲法を創造すべ
き時にきています。
―――― では、
現行憲法がどのような経緯で草案され、どんな問題をはらんでいるかといった
点について少し調べてみましょう。
1945年8月14日、日本はポッダム宣言を受け入れ、翌15日には「終戦
の詔勅」が出されて大東亜戦争は終わりました。その直後に成立した東久邇宮
稔彦内閣は、明治憲法を改正しなくても、それを健全に運用することでポッダ
ム宣言の要請に十分応えることができると認識していました。
例えば、宣言の第10項に「日本国政府は、日本国国民の間における民主主義
的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし」とあるのだから、連合国
は当然、明治憲法下の我が国に「民主主義的傾向」が存在していたことを認め
ていることになる。――従って憲法を改正する必要はないと考えました。
つまり、一時的な軍国主義政治を改めれば、宣言が求める民主化の達成に十分
対応できると判断したのです。10月に東久邇宮首相の後を継いだ幣原喜重郎
内閣も「改正の必要は認めない」と述べたといいます。やはり、選挙法などい
くつかの法律を改正すれば、自由主義、民主化は十分に達成できるという意見
でした。
幣原内閣のときに設置された憲法問題調査委員会は、将来、改正の必要がある
場合に備え、学問的な立場から問題を調査していく機関であり、改正を前提と
したものではありませんでした。委員会の名称に「改正」の文字が入っていな
い事がそれを如実に示しています。
調査委員会の顧問であった美濃部達吉(元東京帝大教授)や、その弟子で委員の
宮沢俊義も、憲法改正に消極的でした。このように、国内では新憲法はおろか
明治憲法の改正さえ消極的な意見が大勢を占めていました。
―― では、なぜ新憲法は作られたのでしょう。
それは、アメリカを中心とする連合国軍総司令部(GHQ)の意向によるもので
した。GHQは、ポッダム宣言に反し、当初から占領政策の大きな柱として新
憲法の制定を決定していたのです。
しかも「日本の統治体制の改革」という占領政策の基本方針となった文書の中
には、わが国があたかも自らの意思で「憲法の改正または憲法の起草をなし、
採択」したかのように仕向けること、と明示されていました。
ーーこうしてわが国は、新憲法の制定を余儀なくされたのです。
1945年10月、天皇陛下の玉音放送があった2日後に誕生した東久邇内閣
の近衛国務省が10月3日、マッカサー司令官と会見し、憲法改正の示唆を受
けています。そして、まもなく誕生した幣原内閣のもと、松本国務大臣を長と
する憲法問題調査委員会によって起草された憲法改正案が、昭和21年2月8
日、正式にGHQに提出されました。
しかしこの草案は、大日本帝国憲法の条文を若干手直ししたものに過ぎなかっ
たため、GHQに提出した途端、GHQのホイットニー民政局長から拒絶され
てしましいました。その代案としてGHQが委員会に渡したのが、GHQのス
タッフがあらかじめ作成してあった英文の草案です。
その内容は簡単にいえば、
1.天皇を元首とするが、その義務、権能などは憲法に基づく。
2.戦争の放棄。
3.封建制度の廃止。
などで、この、マッカサーの指示によって民生局のスタッフが創作したものが
GHQ案といわれるものです。
=この稿つづく=
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│「私見憲法改正提起」を著すに当り以下の文献を参考にさせて頂きました。
│
│・憲法改革 ――――――――――――(芹川洋一)
│・日本国憲法 ―――――――――――(瀧澤 中)
│・おじいちゃんの、日本のことを教えて(中条高徳)
│・有事法制か平和憲法か ――――――(梅田正巳)
│・二十一世紀日本の見取り図 ――――(芹川洋一)
│・痛快!憲法学 ――――――――――(小室直樹)
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┃●┃ 読後感アンケート結果。
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◇ このとおりだと思う --------------------------------- 23人 (66%)
◇ そうではないと思う --------------------------------- 9人 (26%)
◇ どちらともいえない --------------------------------- 1人 ( 3%)
◇ よく分からない ------------------------------------- 2人 ( 6%)
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┃●┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「ミカの赤い服さん」
gosakuさん、こんにちは。
諸外国の事情までは不勉強のため、私には分かりません。
でも、現憲法が出来た経緯については、私の知識の範囲内ではこの通りと思い
ます。また、実情に合わないのならば、改憲も必要だと考えています。
……なんだか私のコメントは、ワンパターンですね。(^_^;)
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┌──────────「gosakuさんから」
毎年、憲法記念日が近づくと、決まって改憲派と護憲派がマスコミを賑わしま
す。しかし、5月3日が過ぎると、いつの間にか両派ともなりを潜めて静かに
なり時は過ぎてゆきます。
総じてマスコミは改憲論には批判的で、護憲派の学者たちの意見を優先して掲
載していますが、憲法第九条を含めて、早急に検討する時期に来ていると思い
ます。
└──────────
┌──────────「気分は情報無限さん」
確かに仰る通りです。一言半句の反論の余地も御座いません。
一刻も早く、国民全体の開かれた議論の中で自主憲法を制定すべきだと思いま
す。当然、徴兵制も復活させなければならないでしょう。しかし・・・・・・
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
5年を目途とする「論憲」の最終年を迎えた衆参両院の憲法調査会は、いよい
よ来年5月に示す最終報告に向けて大詰めの段階に入りました。
今年7月には参院の改選が行われます。改憲派が優位に立つか!護憲派が多く
の当選者を得るか!
来年自民党が提出を予定している、憲法改正案の行方が判明するでしょう。
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┃●┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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▽▽「満州回顧録」「自虐史観の枷を解く」を読まれての感想です。
┌──────────「tanneiさん」男性@六十代@東京
私は昭和13年12月、旧満州の大連で生まれ、昭和18年に、牡丹江から母
の実家、福岡県に引き揚げてきました。
父が満鉄に勤務していましたが、生前に、満州時代のことは何一つ話してくれ
ませんでした。
gosakuさんの満州、および台湾のことは、大変、興味があり、丁寧に読んでい
ます。
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
ーーイラクの惨状を見るにつけ、かつての満州での地獄を思い出します。
国家は、窮地に陥った国民を守る義務がある、とはいっても、その国家が消滅
してしまえば、数百年も世界を流浪したユダヤの民のような希望のない生活が
待っています。
「tanneiさん」は、地獄を見ないで帰って来る事ができたのですから幸せでし
た。一足遅かったらどうなっていたでしょうか?
憲法論議以後、また朝鮮問題を検証していきたいと思っています。
引き続きご愛読をお願いいたします。
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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