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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:台湾論(2) ――――――――――――――― 2004/04/23

「台湾も中国も同じ中華文明なのだから統一すべきだ」と思い込んでいる日本
人は多いようです。しかし文化が同じだから国家として合邦するのかというと
歴史は必ずしもそうは証明していない。例えば韓国と北朝鮮の場合、この半世
紀近く、ずっと『統一」を提唱してきたがほとんど前進していません。

むろん体制の違いがあるからです。公式には「統一」を提唱しながら、台湾が
中国と統一しないのは体制が異なるというだけではない、ちょうど印度とパキ
スタンが一つにならないのと同じように文化も異なるからです。

台湾の文化と中国の文化には勿論共通するものはあります。しかし、共通する
部分を以って「統一」の根拠になるとするのなら、沖縄も日本も、ベトナムや
北朝鮮、韓国まで、みな中国にならなければならないでしょう。

―― 台湾の文化と中国の文化が激突して、

流血の惨事となったのが1947年に起こった2・28事件です。

その2年前の1945年、敗戦した日本は台湾から去り、そこへアメリカ製の
武器で武装した国民党軍が、大陸で共産党軍に敗れて入ってきました。
国民党の兵士のほとんどは、田舎の前近代的な生活をしていた貧しい人々でし
た。
教育水準が高く、文化的生活を営んでいた台湾人との教育レベル差は、あまり
にも大きかったのです。

国民党軍兵士の多くは文字の読み書きもままならず、電気や水道すら知らない
兵士さえ少なくありませんでした。近代社会の都会のルールを知らず、何処へ
でもおかまいなしにゴミを捨て、他人の敷地にバラックを建て、人の店の前に
露店を広げ、物を盗み人を騙し、しかも当然の「生存権」だといわんばかりに
法の意識などさらさらなかった。
客観的にみれば、その時、台湾島全体が難民収容所になったようなものです。

―― 台湾はそれまで、あまりにも幸福な生活をしていたのかもしれません。

日本文化を受け入れて、人を信用し、見知らぬ他人にも礼儀と思いやりを持つ
ことが社会のルールになっていた。そんな台湾に上がりこんで来た中国人(=
国民党軍)はあまりにも無知で貧しかったのです。ーーそして2・28事件。

国民党は、台湾住民を自分の政権に従わせるために、強権ファッショ政治を行
いました。統治者側の外省人である彼らからみれば、それが短期間で台湾住民
を制覇する唯一の方法だったのかもしれません。

しかし、被統治者側の本省人にとっては、彼らのやり方は納得できないもので
あり、人々は彼らの政策に大いなる不満を抱きました。なぜなら、彼らは台湾
を建設発展させようとするよりも、中国大陸へ戻るための単なる基地、足場と
して利用するだけだったたからです。

そんな国民党にたいする不満は日に日に増していきます。

そしてちょうどそのころ(1947年2月27日)、あるヤミタバコ売りの本省
人女性が、外省人の取締官から銃床で殴られ、血を流して倒れるという事件が
起きました。

タバコは専売品として大きな利益の上がる商品でしたが、政府関係の役人やそ
の家族が特権を利用して大量に密輸し、闇売りで荒稼ぎをしていました。とこ
ろが、汚職役人は取締りの対象にならず、末端の小売り人ばかりが検挙された
のです。

この一件で周囲の台湾人たちの怒りが爆発、群集に追いかけられ取締官が発砲
し、翌28日には、専売局に押しかけた群衆に向かって憲兵が発砲、数十人が
死傷しました。ここにきて騒ぎはたちまち台北全市へと拡大し、翌日には全島
にまで波及したのです。

そのころ、蒋介石はまだ大陸で毛沢東との内戦を展開していましたが、南京で
「台湾民変」の電報を受けるや、すぐに軍隊を台湾へ派遣し、ほとんど武器を
持たない本省人に対し、重武装した国民党軍は惨烈な台湾住民虐殺を開始しま
した。――3月9日でした。

そしてホンの数日間に、数多くの死傷者・失踪者が生まれました。

李登輝総統時代になってからの調査では、事件の犠牲者は約2万8千人と報告
されましたが、その他になんらかの形で処刑された人の数は調べ切れないほど
あるそうです。
ーーこれが台湾中を震撼させた、先に申した「2・28事件」です。

この事件によって、本省人の、国民党と軍人に対する怒りと不満は、一般外省
人の市民へと拡大しました。そして、本省人と外省人との「敵」のような対立
関係が始まりました。特に、被害者側である本省人の外省人に対する「恨み」
は、事件から半世紀たった今日でも依然として解決されていません。

そしてこの事件後、国民党は直ちに台湾全土に「戒厳令」を発布、この戒厳令
によって、台湾住民は、完全に言論の自由と参政権を奪われました。
国民党に反発する考えや動きがチョットでもあれば、すぐ政治犯扱いにされた
り、拘置所に入れられたりしました。

その後、38年にも及ぶ恐怖の、いわゆる「白色テロ」と称される強権政治が
続けられました。こんな恐怖社会から脱出する本省人は数え切れない程で、こ
の時期、日本にも多くの台湾人が移住しています。
台湾が民主化された現在でも、本省人の国民党に対する憎悪感・不信感は解消
されるどころか雪ダルマのようにふくらむ一方です。

―― 台湾の史実をなぞって、その史実を知れば知るほど、

常に外来権力に統治されてきた彼らの悲しみが伝わってきます。
台湾を支配した外来政権は百年や二百年ではなく、三世紀半以上にも及びまし
た。
――オランダ統治時代(1624〜61年)
――鄭氏統治時代  (1661〜83年)
――清朝統治時代  (1683〜1895年)
――日本統治時代  (1895〜1945年)
――蒋介石政権統治期(1945〜88年)

台湾の歴史は、外来政権の歴史でもあると共に、移民の歴史でもあります。

ちょうど新大陸アメリカに希望を求めて移民したヨーロッパ人のように、中国
の福建や広東の余剰人口が新天地を求めて台湾へと移民しました。台湾先住民
を除くこうした人々は、オランダが行った台湾開発のために中国大陸から集め
てきた肉体労働者であったり、日明貿易に関係する人々であったり、或いは又
海賊であったりと様々でした。

どのぐらい人種が複雑かというと、このたった3万6千平方キロ(九州とほぼ
同面積)の島に、すでに歴史的名詞となった数々の平埔族以外に、9種の山地
民族、さらには大陸からの移民グループとして客家系、泉州系、[シ章]州系な
どの人々がいます。
┌──────────
│編集部注:平埔族(へいほぞく)
│
│「台湾の歴史:先史〜古代」
│ http://homepage2.nifty.com/HATAI/history/his1.html
│
│「高雄だより:原住民に関する話題から」
 http://www.town.kurodasho.hyogo.jp/kusugaoka_syo/tayori/takao/323.htm
└──────────

日常言語で分類すれば、先住民の言語、各地方移民グループの漢語方言の他、
日本語、英語、北京語など外来語が混在しています。それは原語文化の異なる
人種が、時の流れとともに集まってきたことを意味しています。

清朝支配下の台湾では、満州、モンゴル、新疆(ウイグル)、チベットと同じく
漢民族の移住は禁止され、中国大陸とは歩みを異にしたことで独自の台湾文化
というべきものが醸成されていきました。それはちょうど、大陸の文化と島の
文化との違いに相当するものです。

―― そして日本の統治下になり、台湾は日本文化の強い影響を受けました。

日本文化は西欧近代文明を伴っていました。台湾文化の多様性と多層性はこう
して出来上がっていったのです。たしかに台湾の文化には中華文明と共通する
要素はあります。漢字や年中行事などにそれが見られます。

しかし、文明を構成する仕組みが違います。日本が漢字を用いていても中国と
の共通性より相違性のほうが遥かに大きいように、韓国の文化と日本の文化も
また大きく違うように、中国と台湾は異質なのです。

今世紀に入って大陸中国は、内戦と共産主義革命による洗礼を受けましたが、
幸いにも台湾にはそれはなく、また大陸が、文化大革命の嵐の中で民衆に莫大
な犠牲者を生みながら貧苦にあえいでいる頃には、台湾は経済的に大きく発展
して近代国家の仲間入りし、そして蒋家独裁政権が終わりを告げ民主進歩党の
政権下、民主国家、自由な国に変貌しました。
ーー民族的アイデンティティーは、最早かつてとは明確に異なっています。

現在の日本人の多くは、台湾人は中国人の一部だと認識しているはずです。
日本人とアメリカ人・中国人とは際立った差異があると考えられていますが、
中国人と台湾人とは対立する範疇にはない、という考え方が一般的な日本人の
認識でした。

―― 台湾人も、漠然と自らを中国人だと考えていた時期がありました。

第2次大戦の後期、日本の統治が終わろうとしている事を漠然と感じながら、
台湾人が次の時代を考えていなかったことは確かです。朝鮮でも、3・1独立
運動などはあったものの、日本が去った後の政権については、なんら具体的な
準備がなされませんでした。

しかし、台湾人は1947年に起きた2・28事件とそれに続く国民党政府の
白色テロの経験によって、中国人がいかに自分たちと似ていないか、どれほど
異質な民族であるかを実感しました。「異質」の程度は、ほとんど同じ地球人
とも思えないほど隔絶したものでした。

戦後50年間、台湾では、国民党政府によって学校で「中国人」としての教育
が台湾人に施されました。かくして、戦前の日本時代や2・28事件を知らな
い若い世代が登場し、「中国大陸が故郷」だと思い込み、大陸に漠然とした憧
れを抱くようになりました。しかし、いったん中国へ渡った台湾人は、改めて
そこが自らの祖国ではないことを実感して帰ってくる結果になります。

ーーなかでも商人たちは、中国でビジネスを展開した結果、手酷い目にあわさ
れ「中国人は異星人」という実感をますます強めています。

彼ら台湾人が、最も悲しく感じ、最も許しがたく思っているのは蒋介石政権で
しょう。実際、第2次世界大戦の日本の敗戦時、あまりにも長かった外来政権
の統治で身も心も疲れ切った台湾住民は、同じ民族、祖国と称している中国に
期待していました。が、その期待とは裏腹に、台湾住民が目にしたのは、汚職
ばかりする国民党、そして貧困で道徳感のない中国の軍人たちでした。

更に、国民党独裁を押し通すため、2万数千に及ぶ台湾住民の命が彼らの手に
よって犠牲になりました。台湾住民の裏切られた気持ち、国民党の独裁政治に
対する不満は、後に中国大陸の共産党政権に対する不信、そして台湾独立への
原動力となっていきます。また同時に、植民地として統治されてきたにも関ら
ず、日本を批判しようとしない台湾住民の、日本に対する切ない気持ちへと繋
がっていきます。

「走了犬来了豚=犬が去ってブタが来た」は、台湾で云われてきた言葉です。
台湾人は、皇民化政策で台湾人に吠えていた日本人を「犬」と呼び、蒋介石政
権の貪欲強権政治にガッカリして、彼らを「豚」と呼びました。

台湾住民は、この言葉に託してその独裁政治に対する不満、憎しみを表してい
ます。そして国民党政権を嫌い、逆に日本統治時代を懐かしむようになってい
ます。ーーこの他にも「嫁豚不如嫁犬」という言い方がありました。お嫁にい
くなら外省人よりも日本人、という意味になります。どうも、本省人の外省人
に対する憎しみは、政治面だけではなく一般の人々の間にも浸透していったよ
うです。

                          =この稿つづく=
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
↓
│「私見:台湾論」を著すにあたり、以下の文献を参考にさせて頂きました。
│
│・台湾 朝鮮 満州日本の植民地の真実(黄 文雄)
│・「NO」と言える台湾 ――――――(黄 文雄)
│・台湾をもっと知ってほしい日本の友へ(張 超英)
│・一つの台湾一つの中国 ――――――(楊 中美)
│・台湾人と日本人 ―――――――――(謝 雅梅)
│・台湾は今日も日本晴れ ――――――(謝 雅梅)
│・日本論と台湾論 ―――――――――(謝 雅梅)
│・諸君2003年7月:台湾統治と朝鮮統治はどう違ったか(金 美麗)
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┃┃ 読後感アンケート結果。
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◇ このとおりだと思う --------------------------------- 39人  (85%)
◇ そうではないと思う ---------------------------------  4人  ( 9%)
◇ どちらともいえない ---------------------------------  3人  ( 7%)
◇ よく分からない -------------------------------------  0人  ( 0%)

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┃┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「bighiroさん」

台湾に住んで通年で10年ぐらいになります。
今は台湾人の経営する中国東莞工場におりますが。。。
3ヶ月に1回は台北に戻る生活をしています。

義父母が本省人で、我々家族によくしてくれています。実体験から仰る通りと
感じますね。義父はまた、日本海軍の軍属でもありました(基隆港)。

もう高齢なので、貿易会社経営の実務からは離れていますが、昔はこの会社の
従業員の採用の際に、書類選考の時点から外省人(IDカードでは中国本土の
省名が書かれていますので判別できるのです。台湾で出生していてもです)で
あれば対象からはじいていましたね。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

台湾に住んで十年の「bighiroさん」からの賛意は、私にとって大変励ましに
なります。
若い世代は「本省人」「外省人」の省籍対立感覚はあまりない、といっている
ようですが、それはやはり台湾生まれの「外省人」が半分以上を占めているの
と、若い台湾人の中には「二・二八事件」を知らない人が多くいる現実がある
と思います。

しかし日本人が去って以来、国民党政権38年間に及ぶ戒厳令という恐怖政治
を実感している世代は、おいそれと「外省人」を容認できないものがあると思
います。僕の知っている限りでは、台湾人は植民地の民として何百年もの間、
自分が主役だったことがないせいでしょうか、大人し過ぎるというか、お人好
しの人が多く、戦後入ってきた戦闘的な中国人「外省人」に押されっ放しの感
がありますね。
その点では温和で従順な今の日本人と共通するところあります。

この「省籍対立問題」は「bighiroさん」が十年間の台湾生活の実感としてい
かがでしょか?
単一民族で、そういう民族間の確執や対立といった経験がないところで育った
日本人には、マスメディアや出版物を通じてなんとなく解ったような気がする
程度で、実はよく解らないというのが実体でしょう。

若しお閑がありましたら、このメルマガを通してお知らせくださると大変有り
難いのですが。

└──────────
┌──────────「気分は情報無限さん」

日本人で、中国と台湾が統一すべきだと考えている人が多いとは到底信じられ
ません。そもそも南北朝鮮なら、非常に困難で現状では殆ど不可能に近いです
が「統一」はあり得ます。
が、中台で同じ事をすれば「統一」ではなくて「併合」でしょう。

しかも、台湾が併合されたら次は沖縄なのは、尖閣諸島問題を通じて周知の事
です。
要するに「北京支局」を閉鎖されたくない日本のマスコミが、大陸の中国共産
党に媚び諂った報道をしているだけだと私には思えます。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

日本人は、ほんの一握りの人を除いて、台湾のことは何も知らないというのが
実情です。グルメとか、観光、それから経済の統計といった情報はあっても、
歴史と価値観の共有といった肝心のことは知らない。若い人はまあ仕方ないに
しても、年配者でも正確なことを知っているということは殆どない。

私が述べた私見台湾論も、内容的には目新しいことはないのですが、「初めて
知りました」という声が多くて、こちらがビックリしています。
マスコミにしても、まともな台湾のニュースを扱うことはなかった。

李登輝さんが総統になってから、やっと香港発のニュースとして報じるように
なりましたが、台北に支局を置いているメディアがないからです。北京に支局
を置きたければ台北に支局を置く事はまかりならん、という中国政府の突きつ
けた条件を、産経新聞以外が受け入れた結果です。

しかし1996年の総統選挙の時に、各メディアがこぞって報じた大ニュース
がありました。中国が李登輝総統の当選を阻止するために、台湾海峡に向けて
ミサイルを打ち込んだ時です。台湾人総統として、したたかに台湾をリードす
る李登輝総統をなんとしても落したかった。

確かにその内の何発かは、日本の沖縄諸島のごくごく近くに着弾したはずです
が、日本政府が中国に抗議したという話は聞いていません。とにかく民主的に
選挙を行っている国に対して、ミサイルを発射して武力威嚇するという行為に
世界中の非難が集まった。

日本でも、このときからかなりキチンと台湾のニュースが報じられるなったと
思います。――その意味では、いろいろ理不尽なことをして世界の耳目を集め
てくれた中国に感謝しなければいけないでしょう。

└──────────
┌──────────「大原敬一さん」

80歳の私でさえ初めての知識です。私は早稲田大学卒で、知識には相当な自
信が有りましたが・・・。終戦後の混乱時は、台湾の情報など全く入ってきま
せんでした。ーーーこの記事を見て大変勉強になりました。

1948年に卒業、すぐに化学工業会社にエンジニアとして就職しました。
その当時、台湾からの引揚者の方が数人おりましたが、この様な事実は全く口
に出す人がおりませんでした。その人達は台北帝大や官立高等工業の卒業者で
した。そして台湾の生活は良かったと何時も言ってました。

大変勉強になりました。gosakuさん有難う御座いました。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

「大原敬一さん」初めまして!コメント有り難うございます。

私も今回、 OJIN さんのご好意により「熱線」に台湾論を起稿させていただく
ようになるまでは、台湾の実情には格別な興味はありませんでした。図書館通
いをして多くの台湾に関する文献を調べ、最近やっと少し台湾の内情がわかっ
てきたものです。しかし、あくまで文献による知識に過ぎません。
ーー偉そうなことはいえませんよ。

大変残念なことですが七十年代までの台湾のニュースは、観光情報や経済情報
以外、ほとんど日本に伝えられていません。一般人は知らないのが当然です。
その当時の日本では、「台湾」とは端的にいって「蒋介石総統の中華民国」で
した。日本人が台湾を知らない背景としては、肝腎の在日台湾人が「黙して語
らなかった」という事実があります。

なぜ大多数の台湾人が台湾の実情を発言しなかったのでしょうか?

それは「国民党政府」の政治的迫害によるものでした。在日朝鮮人は「民団」
や「総聯」に結集して、活発な自己主張を繰り広げてきたのと対照的に、台湾
人は、台湾の真実について敢えて発言した人は、蒋介石政権と結託した日本の
入管当局によって台湾に強制送還された、というのが実情です。

71年、台湾は国連の議席を失い、そしてそこから脱退し、翌72年、日本は
中国を外交承認して台湾と断交しました。さらに79年、こんどはアメリカが
中国を承認し、台湾と断交したのです。
「中華民国」の威信がこうして矢継ぎ早に失墜していくにつれて、国民党政権
は従来のような弾圧的絶対専制を維持することが次第に困難になってきたので
す。
台湾人の間で自由民主化への要求と、人権を主張する声がどんどん高まってき
たのです。

88年に李登輝総統の出現に続いて今年陳水偏総統の再選によって台湾の民主
化は大胆に進んでいくものと思われます。

└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」

gosakuさん、こんにちは。

私の知っている範囲ではこの通りだと思います。
〜〜〜〜
私が勤務していた会社に、台湾から研修生が来ていました。
彼らはすごく「本省人」か「外省人」かにこだわっていました。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

台湾人は中国人か?

先日私達が開いている日本語教室に、台湾から来たばかりという27歳の女性
が入ってきました。
「どちらから来られましたか」
「はい台湾から」
「貴女は中国人ですか」
「台湾人です」
こんな会話が交わされました。

以前は、殆どの台湾からきた人は「中国人です」と言っていたのに、北京語を
流暢に話す彼女ですら、ハッキリと「中華人民共和国人」ではなく「台湾人で
す」と言い切っていました。
ーー台湾人意識が強まりつつあるのを感じるひとこまでした。

その裏には、台湾で進んでいる民主化の実績、飛躍的な経済発展、そして一時
的に日本と1位、2位を争った外貨準備高といった、国際社会における台湾の
地位向上が大いに関係しているのでしょう。

└──────────
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┃┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
┗━┛
┌──────────「HAJIMEさん」

当メルマガで一番無学なライターのHAJIMEでございます。

ずっと、GOSAKUさんの記事を読む時間がなかったんですが(ご存知の通り激務
生活でしたので…)現在再就職前の待機期間で、毎日が日曜日なのでこの機会
こそ、と徹夜でイッキ読みさせていただきました。

ーー「自虐史観の枷を解く」の方だけですが…「満州」の方はおいおいと…。

長いわ難しいわで、無学の脳みそが耳から流れて出そうでしたが、大変勉強に
なりました。ありがとうございました。

4月アタマに北京の友人を訪ねたおりに、一応観光もしないと、ということで
「軍事博物館」にいっしょに行きました。2階がイキナリ「抗日戦争記念館」
です。たくさんの見学者の中、日本人はわれわれ二人だけ。

で、見学するはしたんですが、ショックだったのは自分が全然祖国の「この間
の戦争」について、なにも知らないことでした。友人は元高校の歴史教師で、
歴史オタクで、軍艦マニアなのでやたら詳しく、展示されてる内容が共産党的
に傾いているところを指摘したりできるのですが、私の方は、、
「ほー、そんなことが昔あったんですか」というレベルです。
ーー大変にナサケナク思いました。

わたくし一応小学校から高校まで優等生で通し、地元の有名高校に学んだんで
すが、いくら考えても日本の近代史について勉強した覚えが無いことに気づき
ました。自分を基準にして申し訳ございませんが、大学で専門に歴史を勉強し
た人たち以外の、普通の日本人は、たぶん私とおんなじぐらいなんではないで
しょうか。

つまり、歴史の授業は古代から始めて、明治時代にたどり着く頃には3学期が
終わってしまって、先生が「じゃ、ここから先は春休みに自習しとけ」で次の
学年。これを小学校、中学校、高校で3回繰り返します。

受験で必要な人名、年代、条約名だけ暗記。大人になったけど明治から後のこ
とはそーいやーなんにも知らないなあ....というパターンです。

さて皆さんご存知の通り、わたくし中国にもう9年もいます。

どうも私が推測するに、中国では歴史は近代史ばっかり徹底的に勉強している
ようですよ。ーー当たり前ですね、共産党の歴史ですね。
VCD屋さんには必ず、共産党の歴代のヒーローの伝記映画のコーナーがあっ
て、すごい種類が並んでます。小学校からそういう映画を何回も何回も見せら
れるようです。
国慶節に時期には、テレビでそういう映画やドラマがいっぱい放送されます。

…この、あまりに対象的なふたつのお隣同士の国。

中国の小学校や中学校には、共産党の英雄人物の写真や肖像画がたくさん飾ら
れています。さて、われわれ、戦争後かなり経って生れた世代の普通の、あん
まり勉強してないヒトビトは近代日本の英雄的人物を挙げよ、と言われて果た
して5人以上思い出せるでしょうか?

では明治以降、戦争前の日本には「この人を見よ!!この人を見習え!!」と
いう立派な人はいなかったんでしょうか?
ーーなんでいないみたいに思っちゃってるんでしょうか?

というわけで、北京からシンセンに入って以来、毎日明治維新から終戦までの
時代に関するいろいろな本をがんばって読みました。そして大変に腹が立ちま
した。…明治から戦争前まで、そして戦後占領時代の近代史の中にすばらしい
立派な人物がたくさんたくさん居たこと、またこの時代は勉強するに大変価値
のある、日本人が、自分が日本人であることを大変に誇りに思える事実が沢山
つまっていることが今更ながら発見されたからです。

―― 私はもう36歳ですよ・・・。

こういう大事なことは、小学生とか中学生とか人格形成過程でくぐらなくちゃ
あいけないことです。誰を恨んだらいいのやら。ああ、なんで学生時代に発見
できなかったのか。ーー先生方は何をしていたのか。
縄文文化もそら大事やろけど、まず近代史をやって、それから古代をやるべき
ですよ。

中国で、毎日中国人とつきあっていかなきゃならない我々のような人間には、
正しい、そして豊富な近代史の知識と、それに立脚した民族の誇りというもの
が不可欠なんですよ。もし学校の歴史の先生がこのメルマガ読んでたら、その
へんよーく考えてください。

現在の社会では外国とつきあって、外国人とつきあっていくことなしに暮らせ
ない状態でしょ。で、根っこがついてない我々がどうやって外国人とぎっちり
つきあっていけるか?ーーそういうことなんです。

私は日本を離れて外国に来て、やっと日本にうずまく妙な「サブリミナル」か
ら醒めた幸せな大和魂の継承者です。えっへん。君らいつまでそんな妄想の中
に居続ける気だい?――(長い!!きっとカットされるな)

GOSAKUさん、これからも日本の覚醒の為がんばってください。加油!!

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

「HAJIMEさん」のユーモア溢れる軽快な記事、いつも楽しく拝見しています。

18日の女体盛、これが日本の伝統的風俗習慣とはビックリしました!
今、日本では“にょたいもり”なんていう言葉は殆ど聞かれませんね。どこか
の地方都市の場末のバーか料理屋が客寄せか?話題づくりにやることはあって
もほとんどニュースにはなりません。
しっかり充電して、これからもシンセン(新鮮)な、シンセン(深)情報を期待
しています。

さて、「当メルマガで一番無学なライターのHAJIMEでございます。」なんと!
別に無学を争うつもりはありませんが、HAJIMEさんにそんなことを言われると
僕なんかライターなんていわれる資格はまったくありませんよ!

学の無い奴ほど難解な言葉を使いたがるものです。その例に洩れず、GOSAKUは
こんな長ったらしい難しそうな文しか書けない無学の徒ですよ。まあー無学論
はそのくらいにして本題に入りましょう。

―― 先日ある雑誌(SAPIO)で

世界10カ国11都市で行った「国のために死ねるか」「戦争になったら国の
ために戦うか」などのアンケート調査結果が載っていました。

驚いたことに、日本では30人中「死ねる」と答えた人はたった1人しかいま
せんでした。疑問のあまり、友人や知人に聞いてみると、、どうも愛国心には
あまり関心がないようです。そればかりか、若い人の中には「自分は日本人と
して愛国心がない」とハッキリ言っている人もいました。

それを聞いて僕は驚くよりも、いささか悲しい気持ちになりました。

右翼だとか危険人物だとか思われたくないから、愛国心を口にしたくないとい
う心理は理解できないでもありませんが、愛国心とは、僕にいわせれば、例え
ばオリンピックなんかで自国の選手が出ると、冷静であろうとしても無意識に
応援してしまう気持....ではないかと思います。

こんなところにも戦後の歴史教育の歪みが表れていると思います。
今からでも決して遅くはありません。明治以降の日本近現代史を再点検して、
正しい歴史教育を小学生からしっかり教えるべきでしょう。

反日的歴史教育を進める教職員組合も正しい歴史教育の障害になっています。

ちょっと古い話ですが、岩手教職員組合が96年7月20日付けの岩手日報に
「岩手教職員組合平和教育を進める委員会」名で、次のような意見広告を出し
ました。▽▽

「小中学生の皆さん、いよいよ夏休みです。「平和」について考えてみません
か」

この意見広告には、複数の兵士が民間人を処刑しようとする場面の写真が掲載
され
「日本の軍隊は、韓国をはじめアジアの各地の人々を数多く苦しめ虐殺した」
という説明文が添えられていました。

ところが掲載後、読者から「兵士の服装が旧日本軍と違う」という複数の指摘
がありました。――そこで教職員組合内部でその写真を検討したところ、やは
り疑わしい、日本軍兵士であるとは断定できないという事で、同月20日付け
で「お詫び広告」を出しました。

これはいったい、なんということですか!

まったく滑稽というしかない話ですが、そのような神経と世界観の持ち主が、
いま、日本の子供を教えているのかと思うと、ゾッとします。しかも、韓国の
教科書が日本のことをどう書いているのか(もちろん悪口ばかり)を新聞に大き
な字で引用していたのです。
この教職員組合は、中国やコリアの工作員に操られているのか、それとも工作
員そのものの組織なのか?....と疑いたくなります。

その他、まだ数多くの自虐史観に基づいた誤りに満ちた歴史教育の実体があり
ますが、例を挙げるとまた長たらしくなります。
脳みそが耳から流れでないうちに、今日はこのぐらいにしておきましょう。

└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
自虐史観の枷を解くの目次に戻ります







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