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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ 私見:軍(戦場)慰安婦問題(1) ――――――――― 2004/03/05
――「日本軍性奴隷は存在しない」は暴論なのか?
軍慰安婦問題が出現したのは1992年初頭のことです。
朝日新聞が一面トップで突然、
「慰安所、軍関与示す資料、防衛庁図書館に旧日本軍に通達・日誌」
とブチ上げました。
この以前に、90年の国会答弁で労働省の局長が「民間の業者がそうした方々
を軍と共に連れ歩いて・・・・」とやや舌足らずな答弁をしたのを、
「嘘をついていた!」
とばかり、それこそアジ・プロ張りの大キャンペーンを展開したのです。
ーー戦中派にとってはキツネにつままれたような気分だったことでしょう。
軍が慰安所に関与していたことは当たり前の常識だったからです。労働省局長
答弁の真意も、それを否定する意味ではなく、慰安所を運営していた業者に軍
が便宜供与をしていた、と述べたに過ぎないのです。
ところがこの頃の世代には珍しく、軍隊経験のない宮沢首相は、訪韓を目前に
控えていたために滑稽なほどに慌てふためいて、呆気なく屈服、謝罪と反省で
通してしまいました。
そうなると後は止めどない退却戦です。日韓両国政府の調査でも、官憲による
強制連行の事例は一件も確認できなかったにも関らず、当時の河野官房長官は
93年8月に「甘言、強圧による強制等、総じて本人たちの意思に反して行わ
れていた」と主語の抜けた玉虫色の発言をしてしまいました。
96年2月には、スリランカのNGO運動家クラスワミ女史が、具体的証拠は
見つかっていないけれど、河野談話を読むと日本政府が強制連行の事実を認め
たものと解釈して、謝罪と補償と責任者の処罰を勧告する報告書を国連人権委
員会に提出しました。
600万ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)と同様に“時効抜きの事後立法で処罰
せよ!”という人権無視のこの暴論に、法律専門家の日弁連会長や少なからぬ
マスコミの社説や、カトリックの日本人枢機卿までがモロ手を挙げて賛成!と
やったものでした。
しかしこの頃には、自分は実際に慰安婦狩りをやっていたという体験を語って
いた唯一の証人である「吉田清治」氏が、作り話だったということを自ら認め
たりしたので、少なくとも朝鮮半島では強制連行はなかったらしい、と誰もが
考えるようになりました。
けれど、燃え盛る火の手を鎮めるにはこれしかないと考えたのか..日本政府は
国家補償はしないが、代わりにアジア女性基金という民間組織を作り、国民か
ら集まる浄財を名乗り出た慰安婦たちに配る、という構想を立てました。
アジア女性基金設立から1年後の96年8月に、フィリピンの元慰安婦3名が
2百万円(実質はその2倍)ずつを受け取ったのですが、日本、韓国、台湾など
の支援団体は、スジの通らぬカネは受け取るな、あくまで国家補償でとキャン
ペーンを続けています。
―― 軍慰安婦は強制連行で集められたのか??
聞くところによると、慰安婦は満州(中国東北部)ではロシア系白人もいました
が、ほとんどは東洋系で、日本人を始めとして、中国人や東南アジア系もおり
ましたが、なんといっても一番多かったのは朝鮮族日本人でした。
勿論年齢や美醜にもよりましたが、人種によって値段に差があり、白人と日本
人が最も高く、次が朝鮮族日本人と中国人で、東南アジア系は安かったといわ
れています。
現在の韓国におけるその呼称は非常に多様で、そこにひとつの誤解を生む素地
が存するようです。
日本では「従軍慰安婦」で統一されていますが、韓国ではまだ「挺身隊」とい
う名称を使用する団体のほうが遥かに多く、最近、国連機構がこの問題に関与
し始めてからは「日本軍性奴隷」という名称も流行しています。
しかし挺身隊というのは、大東亜戦争末期の労働奉仕団体を指すものであり、
勤労挺身隊、農村挺身隊など何種類かあり、しかも男女の区別なく付けられた
名称です。これをもって従軍慰安婦を代替するのは無茶苦茶です。
にも関らず韓国で未だに挺身隊という用語を使用しているのは、これが売春婦
という職業のニュアンスを薄めてくれるからだとも考えられます。
韓国の関係者たちも、挺身隊と慰安婦は全く異なることは良く知っています。
しかし韓国社会には、純潔イデオロギーが非常に強く残っているため、証言者
たちを「慰安婦ハルモニ」と呼ぶのは、当事者にとっては大変な侮辱だと考え
ているようです。
また従軍慰安婦を挺身隊と称するのには、証言者たちに配慮する以外にも概念
を混同させることにより真実への接近を遮断しようという邪悪な意図が含まれ
ているようにも感じます。
1944年8月、朝鮮において朝鮮総督府が女子挺身勤労隊として強制動員し
たことは周知の事実であり、韓国の団体は"挺身隊"と"慰安婦"を(故意に)混同
して使用することにより、無知な大衆に対し、慰安婦も強制動員されたのだろ
うという推定を印象付けようとしているのです。
―― いっぽう、同じように極端なのが、
日本には「従軍慰安婦などまったく存在さえしなかった」という人たちであり
ます。慰安婦たちが自発的に軍隊に随いて廻って売春をしていただけであり、
軍部はまったく関与していなかったというものです。
けれど、いくつかの証拠資料や情況を考察してみると、そこまで否認するのも
事実とかけ離れているのではないかと感じます。軍の部隊が直接、慰安婦募集
には関与しなかったとしても、自治団体や抱主(女郎屋の主人)たちに慰安婦を
送るよう要請したり、部隊によっては宿舎を建てて担当者を置き、制度的に管
理したりするなどの証拠を完全否定するのは難しいようです。
―― ならば従軍慰安婦を“日本軍性奴隷”と呼ぶのはどうなのか。
つまり慰安婦の募集過程で、軍隊や政府が関与し強制的に女性たちを引っ張っ
ていたのならば、この「日本軍性奴隷」という呼称は的を得ているといえるで
しょう。
不幸にもというべきか、愚かにもというべきか、日本政府は1993年、河野
洋平官房長官談話で、軍の関与と強制的な徴集をすべて認めてしまったため、
その後、国連機構が「性奴隷」と非難しても、反論ができなくなってしまいま
した。
この河野談話というものは、当時、慰安婦強制連行を裏付ける証拠など全く無
かったのにも拘わらず、韓国内の反発を和らげるために政治的配慮で認めたと
いう事実が明らかになってきています。
これが真相であるというのならば、日本政府は今からでも、従軍慰安婦に対す
る軍の強制連行などは無かったと公式に否定しなければならない責任があるは
ずです。
―― しかし、証拠の有無などを問わずとも、
常識的に類推してみるならば、日本軍による慰安婦強制連行というのは、全く
お話にもならない程度の与太話であることは明白です。
なぜならば、軍部隊が多くの予算をかけて特殊慰安所を設置し、軍人は高額の
料金を支払ってそこを利用したということ自体、駐屯地域における強姦などの
性犯罪を防止しようとする配慮があったという証拠に他ならないからです。
女性たちを強制的に集めて性奴隷にするような軍隊であるならば、なにもわざ
わざ遠い朝鮮などから連行してくる必要はなく、駐屯地周辺から狩り集めれば
済むことです。そして、そうして強制的に捕らえてきた女性たちであるならば
料金など支払う必要もなかったことでしょう。
日本軍は1894年の日清戦争と1899年の義和団事件による北京出兵では
「外部に被害を与えない史上初の軍隊」として世界各国の賞賛をあびました。
それが、その50年後になって、より秩序整然と水準も高まったであろう軍隊
が、その昔にさえしなかった野蛮な行為をしでかしたという話はどう考えても
信じ難い。
したがって、"日本軍性奴隷"などは存在しなかったと考えるのが妥当な結論で
はないでしょうか。
―― 軍慰安婦は、
大東亜戦争の頃、海外に派兵された日本軍の強姦事件を防止し、性病の蔓延を
防ぎ、軍の士気を高めるために設けられた制度です。制度という言い方をする
と軍隊が直接募集や運営に関与したような印象を受けられるのではないかと思
いますが、それは、運営の部分に関しては、部隊によっては直接関与していた
痕跡も認められるからです。
例えば第一次世界大戦が進行していた時期、シベリアに出兵した日本の遠征軍
に性病による死亡者が続出しました。そのため1932年の上海事変の際には
上海派遣軍参謀副長・岡村寧次少将が長崎県知事に軍慰安婦を送るよう要請し
たという記録が残っています。
ーーこれがたぶん、日本軍慰安婦制度の始まりであったと考えられます。
岡村少将は、慰安婦が到着した後は日本軍による強姦事件がなくなり、非常に
満足できると記録しています。
―― 軍隊というものは20代の男性を中心に編成されています。
この時期は、男性の体力や精神力が最高潮に達する時期であり、また訓練する
のにも最も適した年齢だからです。国は、こうした男性を盾にしてその繁栄と
存立を維持するのですが、その代価として性欲も最高潮の時期にある軍人たち
の性欲求を解消してあげなければなりません。
特に戦時に海外へ派兵された軍人は、ありていに申せば消耗品とされる運命で
あり、常に死や負傷の恐怖を背負っているため、普段は温厚温柔な性格であっ
たとしても、戦場においては残忍・攻撃的となり、強姦や略奪など暴発するこ
とも起こり得ます。
旺盛な時期の若者たちを戦場へと送り出すからには、その性欲望を最低限でも
解消してあげるのが、送り出す国家と社会の当然の義務であるはずです。
―― 昭和23年4月、
売春防止法が施行されて以来日本には公娼制度はなくなりましたが、それ以前
には、公(おおやけ)に娼婦=売春婦)が許されていた時代で、売春は経済行為
であり、数多くあるサービス業のひとつとして誰もが認めていた正業でした。
農村、特に東北地方や耕地の少ない山村、また朝鮮の小作農家は極端に貧しく
「口減らし」と称して娘を生糸の紡績業者に年季奉公に出し、娘が働く何年分
かの給金を親が前借りしたものです。しかしこんなのははまだマシなほうで、
借金などがありもっと大金が入用な親は、女衒(ぜげん)に娘を売り渡すケース
が最も多かったそうです。
また、女性本人がブローカーや友達から「楽で稼ぎの良い仕事がある」と誘わ
れて行ってみたら慰安婦だったというケースがその次に多かった。
さらに、親が承知で娘を売った場合にはその娘は「私は客をとるのはイヤだ」
とは言えません。
―― 軍慰安婦というのは、紛れもない戦場における公娼制度です。
―― 実際に彼女たちを集めて回ったのは、
全て女衒(ぜげん)といわれた"売春婦周旋業者"でした。
CHINACHIPS編集局からの推薦参考資料:
雑誌「正論」(2005年)1月号 小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」
=この稿つづく=
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▽
僕が今まで書いてきました“私見・・云々・・”は、満州回顧録以外はすべて
直接見たり体験したものではありません。多くの文献をもとに“独断の私見?
偏見?を申し述べてきたものです。また文献から引用した文もあります。
これによって利益を得るものではありませんので、著作権の問題などは出ない
とは思いますが、一応、いま手元にある参考文献を記しておきます。
・靖国公式参拝の総括(板垣正)
・教科書が教えない歴史1〜〜5巻(藤岡信勝)
・捏造された日本史(黄文雄)
・ぼくらの侵略戦争(宮崎哲弥)
・封印の昭和史(小室直樹、渡部昇一)
・目からうろこの太平洋戦争(河合敦)
・かくて昭和史は蘇る(渡部昇一)
・現代史の争点(秦郁彦)
・日本の失敗(松本健一)
・おじいさん戦争のこと教えて(中条高徳)
・「諸君」2003年5月〜〜12月号
他にも図書館で借りてきたものが多くありますが、もう返しましたので手元に
はありません。
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┃●┃ 読後感アンケート結果。
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◇ このとおりだと思う --------------------------------- 44人 (79%)
◇ そうではないと思う --------------------------------- 7人 (13%)
◇ どちらともいえない --------------------------------- 2人 ( 4%)
◇ よく分からない ------------------------------------- 3人 ( 5%)
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┃●┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「lonsome car-boyさん」
南京虐殺もそうですが、
日本人でありながら自らを貶めようとする勢力(朝日、毎日、社民党、日教組
等)による捏造・偏向話は深刻な害毒を撒き散らしています。
本人たちは、市井の善良な人々、無垢の若者、子々孫々に至まで不本意な汚名
が着せられる事をどのように思っているのでしょうかね。
日本の勇気ある政治家は臆せずに国際舞台での汚名挽回に努めてほしいです。
不名誉が既成事実化してしまうまえに。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
「 lonsome car-boyさん」のおっしゃる通り、情けないのは慰安婦問題を仕掛
けた人々、即ち人権派集団といわれている人たちです。
以前は戦記物風のエピソードに過ぎなかった慰安婦問題が、急に華々しい「戦
場犯罪」へ昇格して巨大な国際政治問題に膨れ上がってしまい、仕掛けた人た
ちにとっても意外な展開かもしれません。
フェミニズム派や反体制派は、慰安婦を7年間やった女性のサービス回数に、
レイプ裁判の一回3百万円という解決金を掛けて一人当たり7百数十億円とい
う補償額を算出しています。
インドネシアでは、日本軍による「性暴力被害者」が2万2千人も名乗りを上
げているそうです。同じように掛けてみると一千兆円をこえます。
―― どうせ五百兆円余という世界最高の国家債務をかかえているのだから、
多少増えてもびっくりする必要はないのかも知れません。
とにかく、日本に談じ込めばお金が出そうだというイメージが世界中に広がっ
ているらしい困った現象です。
国際常識に照らして払うものは払わねばなりませんが、フェミニズム派や反体
制派の甘言や強圧に乗らないよう、日本人の知恵を結集し、毅然として立ち向
かいたいものです。
└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」
gosakuさん、こんにちは。
私が知っている限りでは、gosakuさんのおっしゃる通りです。
軍は、慰安婦の方たちを大切に守るように、関与していたらしいですね。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
――ある元兵士は呟いています。
慰安してもらった感謝の気持ちは忘れません。
敗戦で、彼女たちが手にしていた軍票収入が紙屑になったしまい気の毒だと
思っています。もし老後に困っているのなら、相応の見舞金を出したい。
└──────────
┌──────────「おじさん」
日本軍の「従軍慰安婦」を言い立てる人たち(おかしなことに日本人が多い)は
ぜひとも当時のソ連軍・中共軍・国民党軍等はどうしていたのかを調べてほし
い。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
私からもお願いしたいですね、慰安婦問題を聖域化する「人権派集団」の皆さ
ん!‥‥罪深きは「男」か「戦争」か?
「売春は世界最古の職業」とは言い古された金言ですが、軍隊用慰安婦も同様
です。古代ギリシヤ(638―BC556)では立法者ソロンが創設したといわ
れていますが、中国でも紀元前685年に公娼制度が生まれています。
第一次大戦のフランス軍遠征部隊には随行の娘子軍が陣地戦では地元の売春宿
というパターンだったようです。
そんな昔のことはさておいて、東京へ進駐してきた米軍兵士には至れりつくせ
りの好遇が待っていた。――敗戦国日本の内務省が設置したRAAは、大森や
吉原に慰安所を開き、高給と米兵のプレゼントに惹かれた日本女性が殺到しま
した。
それでも
"背の高い大男"によるレイプ事件は絶えなかったが、RAAが「良家の子女」
の防波堤になった実情は多くの出版物などに詳しく記されています。
これらは「自由恋愛型」といわれているものです。
次が慰安所型です。
日本とドイツが代表されていますが、面白いことに、慰安所の数まで1942
年現在の調査で日本が約400個所。ドイツも約500個所と、似た規模で、
両者を比べてみると、開設の理由から管理運営の仕組みまで瓜二つです。
同じ本能を持った人間が類似の機能を考案すれば、似たり寄ったりになるのは
当然といえるでしょう。日本もドイツも平時から本国で同じような公娼(管理
売春制)が定着していたので、戦地だと監督役が警察から軍に肩代わりするだ
けで済みました。
またレイプ型があります。
戦争にはレイプの話はつきものですが、国や軍の幹部が半ば公然とレイプによ
る「復讐」を奨励したのはソ連軍ぐらいでしょう。第二次大戦末期のドイツと
満州で大規模なレイプを繰り広げた話は、あまりにも有名です。
中共軍はその点、軍律が厳しくてレイプの話はほとんど聞かれません。食糧な
どと交換条件で情交を迫った話は聞いていますが、これは自由恋愛と見なされ
て問題にはならなかったようです。
国民党軍は私の不勉強でハッキリしません。
ご存知のお方がおられましたら教えて下さい。
└──────────
┌──────────「気分は情報無限さん」
個人的に「従軍慰安婦問題」に関しては日本の弱体化と東アジアの分割統治を
図ったアメリカ政府の関与を疑っています。
そもそもこの問題は日本に深刻な影響を及ぼすだけでなく、韓国にとって致命
的な結果を招きます。
何故なら朝鮮人女性が強制連行されるのを同じ朝鮮人男性は黙って見て居た事
になるからです。
それが分からぬ程、今の朝鮮半島の人々がバカだとは考えたくないですね。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
強制連行はなかったが、騙されて連れてこられた女性はかなりいたようです。
信頼性の高い証言によれば。
―― 某憲兵軍曹の証言。
1945年7月、(旧満州)チャムスの軍特殊慰安所で、接客を拒否して殴られ
ていた朝鮮人女性から聞かされた話。
「私の父は北朝鮮、清津の資産家で町の有力者でした。ある晩、大の親日家の
父から、関東軍が軍属のような立場で、歌や踊りなどの慰問を募集している。
男子がいたら軍隊に志願させるところだが、その代わり関東軍に応募してくれ
ないか、と言われた。私は女学校で音楽が得意だったので、私にピッタリだと
思って応募したら、実は慰安所だった」
―― 日本大使館デモに参加している元慰安婦の金ハルモニの証言。
1937年、17歳の時に、金儲けが出来るという朝鮮人募集人の言葉に誘わ
れて故郷の村をでた。どんな仕事をするかは入ってみれば分かる、働いて返し
た後、たんまり儲かる。そう言うので親の反対を押し切って行った。どんなと
こでもここよりましだと思って朝鮮人が経営する上海の慰安所へ行った。・・
日本人のずずき少尉に助けられ、1940年に帰郷した。日本人を憎いとは思
わない。手先になった韓国人が憎いので、デモには来たが、韓国政府に対して
怒ってやったつもり。
└──────────
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┃●┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
┗━┛
┌──────────「爺さん」
勉強家のgosakuさんのご意見、いつも関心を持って拝読しています。
この従軍慰安婦の問題 南京大虐殺事件と共に何時も疑問に思っています。
河野さんや宮沢さんの弁解、今始めて知りまことに残念です。
終戦直後、私が駐屯していた青島で、精神不安定ともいえる日本軍兵士たちが
そういう店に列を作っているのを見ました。朝鮮女性だったと聞いています。
今考えると、終戦後なのに日本軍の強制で??....不思議です。
終戦時アメリカ進駐軍の要請(命令?)で、また一般日本市民女性の身を護るた
めに、当時の日本政府が彼らのために慰安所を特設、それでも尚米軍婦人士官
が日本政府に対し、米兵に性病罹患率が増えたと文句を言っている映画があり
ましたが、“春”は古今東西の問題で日本の専売特許では無い筈なんですが、
何故日本人は自虐するのでしょうか。
gosakuさんの明快な確証確言を期待しています。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
gosakuでございます。「爺さん」のいつも適確なご意見、敬服しております。
“還是姜老的辛”ーー失礼!!
私は、終戦時徴兵年齢に達していませんでしたので軍隊経験はありません。
従って「慰安婦さん」に慰安された経験はございません。
一年先輩(当時17歳〜18歳)の中には、兵隊さんではなかったのですが軍慰
安所のご厄介になった者も居て、帰ってくると“微に入り細に渡って”話をし
始め、また私達も..興味深深と聞き入ったものでした。
公娼制度があった日本やドイツ・イギリス・フランスに対して、アメリカは、
植民地時代、魔女裁判と並んで売春婦を公開ムチ打ち刑を科したピューリタン
の伝統が残り、女性の社会的発言権が強かった為戦場の性問題では英連邦軍の
ようなリアリズムに徹し切れなかったようです。
米陸軍軍医部の「道徳と健康に有害な売春を根絶する政策を採用した」と格調
高く宣言した建前が実態とはかけ離れていたのは確かです。
米軍は
「兵士の売春婦との接触はいかなる地域においても禁止」という「5月布告」
を打ち出した「1941年陸軍サーキュラー170号規定」を終戦まで押し通
しましたが、「実際にはこれ"買春"を黙認し、軍内から批判があった場合には
一応形だけの調査をし、適切な処置をとることにしていた」とされています。
しかし、実際には「5月布告」が守られるあてはなく、かといって検診つきの
慰安所を公然と作るわけにもいかず、前線の司令官や配属担当医は右往左往し
ていました。売春宿の利用を前提として、軍の介入で衛生管理や検診を強化し
た英連邦軍に比し、建前を固執した米軍は性病感染率がはるかに高く、司令官
も手を焼いていました。
兵士の性病感染率が6%を越えると、指揮官の解任もあったようです。
朝日新聞の木更津支局長だった明石清三氏によると、
45年9月12日、市長室に武装した米軍将校3人が押しかけ「女を提供して
もらいたい。すぐ血液検査をする。30人以上」と迫ったとあります。業者を
呼んでも仲々承知するところがなく、戦時中に海軍の飛行機搭乗員を得意客に
していた「海軍慰安所」の女たちが引き受けることになった。
話が決まると、警察署長が女たちを集めて「この町の治安維持のため唐人お吉
と同じ働きをされるのです。お願いします。」と挨拶したそうです。
1945年8月27日、東京大森の小町園に「特殊慰安婦施設協会=RAA」
が日本政府の肝いりで結成され、「急告!特別女子従業員募集 衣食住及高給
支給、前借にも応ず」の大看板が掲げられ、食うや食わずの世相でしたから、
芸妓、公私娼妓、女給、酌婦等いわゆる玄人以外にも戦争未亡人や恋人に戦死
されたシロウト女性もドッと押し寄せ、開業直後の小町園の混乱振りはかなり
のものだったらしい。
女性一人につき、1日最低15人から最高60人までの米兵を相手にしなけれ
ばならない有様でした。九月末からは、東京各地の旧遊郭を動員したので混雑
は緩和されたとあります。
ーー実際に米兵たちによる強姦犯罪は予想より少なかった。
RAA方式のお陰でしょう。
韓国では、日本と同じように米軍占領下の1947年11月、公娼制度=管理
売春)を禁止する法令が出たが、やはり有名無実に終わったようです。
朝鮮戦争(1950年〜53年)は、多くの未亡人と孤児を生み出し、1956
年の韓国政府統計によると全国で59万もの戦争未亡人がいて、こうした母子
家庭などの女性たちが、生活難のため米兵相手に売春婦となった。
ーー57年の統計では「淪落行為等防止法」が成立したが、これまた形だけの
ものに終ったようです。
朝鮮戦争後も、引き続き米軍は韓国に駐留した。売春婦たちはドルを目当てに
米軍基地周辺の「特定地域」に群がった。「ヤンコンジュ=洋公主」と呼ばれ
る米兵相手の売春婦は、見下される存在でしたが最近でも2万7千を数えてい
ます。
なかでも有名なのは38度線に近い東豆川基地で、ピーク時の6500人から
は減ったが、最近でも60数店に1500人の米兵用売春婦が犇めいている。
強制検診があり、女たちは安全カードが必携だというから、往年の日本軍慰安
所と瓜二つです。
―― 参考資料:
キム ワン ソブ(韓国人)著「慰安婦制度は必要悪だったか」
秦 郁彦著 ―――――――「慰安婦と戦場の性」
└──────────
┌──────────「故国千里さん」
「旺盛な時期の若者たちを戦場へと送り出すからには、その性欲望を最低限で
も解消してあげるのが、送り出す国家と社会の当然の義務であるはずです。」
⇒ とんでもないヤツのとんでもない「理論」です。そうでしたら、早く「Mi
ss Japan」とかイラクに派遣してくださいよ!!小泉さんに言って!
加害者のことを完全に意識しなくて、他国の土地に行って侵略を行った殺人者
たちに、「性欲権」を提供しないといけないと吠えるヤツがいるから、立派な
日本人も相当多いのに、その全体が「小日本」としてとられ、軽蔑(敵視)され
ているわけで、「日中友好」を信じてた一人としては悲しくてたまらないので
す。
本当に戦争の真実を解明しようとしたら、加害者が書いた「文献」だけでは何
の意味があるのでしょうか?中国の被害者、遺族たちに訪問して相手の話も聞
いてくださいよ!
我々自分の国の中に、千万の家が破れ、万千の命が犠牲にさせられたあの戦争
は、一体なぜでしょうか?
「君たちを解放するために来たよ」
自分の家で侵略者を抵抗しただけで「ゲリラ兵で、戦争ルール違反・人権侵害
だよ」とか、いまだにまだこんなに言われているのは、正に我々中国人の運命
なのでしょうか?「国破山河在」その悲しみ、お前らは永遠に分からない…
そんなこと、もう絶対再びありません。幸いに!
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
中国人として一理ある感想ですね。よく検討して返事を書かせて頂きます。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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