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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:東京裁判の検証(2) ――――――――――― 2004/02/06

東京裁判は、昭和23年11月3日に判決が下され、東条、広田ら7名が絞首
刑、木戸ら17名が終身禁固刑とされました。が、注目すべきは、それを遡る
こと3年前の1945年12月7日(新聞の日付は9日)、フィリピンのマニラ
軍事法廷で下された最初の裁判の判決です。

裁かれたのは山下奉文陸軍大将。

山下は大東亜戦争緒戦のシンガポール陥落(1942年2月15日)の際、イギ
リスのパーシバル将軍に「イエスかノーか」で降伏を迫り、連合軍に「マレー
の虎」としてその名を恐れられていた将軍でした。
┌──────────
│編集部注:山下 奉文(やましたともゆき)陸軍大将
│高知県香美郡大杉村(現、大宮町)出身
│1885(明治18)年11月8日生―1946(昭和21)年2月23日マニラで没(法務死)。
│
│陸大卒業後、参謀本部付、1919(T8)から3年間スイス・ドイツに駐在。
│27(S2)オーストリア大使館兼ハンガリー公使館付武官。その後、軍事課長、
│北支那方面軍参謀長、航空総監等を歴任。2.26事件のとき帰順勧告書を
│作成。40ドイツ派遣航空視察団長となり、ドイツ機甲部隊を調査、41以降関
│東防衛軍司令官、第1・2方面軍司令官。
│42シンガポール占領時パーシバル将軍に降伏を迫ったが、フィリピンへ転戦
│後その逆の立場となり、敗戦後46マニラ大虐殺等の責任を問われ、マニラで
│処刑された。
│
│△ コンサイス日本人名事典 △
└──────────

山下裁判は、1945年10月8日、日本降伏直後に慌しく始められます。

ところが、連合国軍最高司令官のマッカーサーによって任命された裁判官5人
は、全員がマッカーサーの部下の職業軍人で、裁判に関してはズブの素人でし
た。そしてそれだけではありません。
マッカーサーは、軍事裁判所の訴訟手続きも自らが全部定めてしまいました。

山下大将は、日本軍が行ったとされるマニラでの虐殺行為に指揮官として責任
があるという理由で起訴されていましたが、山下大将にとっては全く身に覚え
がないことでした。

事実、検察側がいくら多くの証人をくりだしても、山下が残虐行為に関係して
いたという証拠は出てきませんでした。それどころか、法廷での真摯な山下の
態度に多くの人々が感銘を受けました。

裁判を最初から傍聴していた各国の新聞記者12人に、あるべき判決を事前に
アンケートしたところ12対0で全員が無罪としました。しかし裁判官によっ
て下された判決は有罪、しかも絞首刑でした。
┌──────────
│当時の新聞に寄せられている山下将軍の声明文
│
│余は今日、告訴第一日と同様安らかな気持ちである。余は余に対して加へら
│れた非難がすべて事実無根であることを神かけて誓ふ。また裁判そのものに
│関しては、敵国将官たる余に対して良心的にして高潔なる錚々たる米軍士官
│及び名士方が弁護人として協力してくださったことについて、米国に潔甚の
│謝意を表したいと考えてゐる。
└──────────

続いて同じ年の12月18日、今度は本間雅晴中将の裁判が始まりました。

本間中将は「バターン死の行進」の責任者として起訴されました。この事件は
1942年(昭和17年)4月の、フィリピン・バターン要塞陥落後、移送中の
7千人の捕虜が飢えとマラリアで死んだ事件です。
┌──────────
│編集部注:本間 雅晴(ほんままさはる)中将
│新潟県佐渡島(畑野町宮川)出身
│1887(明治20)年11月27日生―1946(昭和21)年4月3日没
│
│1907(明治40)年05月 陸軍士官学校(19期)卒。
│1915(大正4)年12月 陸軍大学校優等卒。
│1918(大正7)年04月 イギリスに派遣。
│1922(大正11)年8月 少佐に昇進→インド駐剳武官→秩父宮付武官→
│イギリス大使館付武官。
│1930(昭和5)年8月 大佐に昇進。1932(昭和7)年7月 陸軍省新聞班長。
│1933(昭和8)年8月 歩兵第1聯隊長。1935(昭和10)年8月 少将に昇進。
│歩兵第32旅団長。1938(昭和13)年7月 中将に昇進 第27師団長。
│1940(昭和15)年12月 台湾軍司令官。1941(昭和16)年11月 第14軍司令官。
│フィリピン攻略戦を指揮。
│1942(昭和17)年8月 予備役編入。
│
│1946(昭和21)年02月 マニラ軍事法廷で「バターン死の行進」の責任者とし
│て死刑判決を受ける。04月 マニラで銃殺刑。 
│
│△ 人名辞典 △
 http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ho/_index.html
└──────────

本間中将の裁判は何もかもが山下裁判の引き写しでした。

本間中将の場合も、残虐行為のどれか一つでも命じたか知っていたことを示す
証拠を検察側はなにひとつ提出できませんでした。それどころか、本間中将は
捕虜移送については国際法を遵守して友好的に扱うよう部下に厳命していたの
です。

実はマッカーサーは、本間中将に対して激しい復讐心を抱いていました。

というのは、彼は本間中将によって、3年前にフィリピンから追い落とされ、
それが彼の軍歴の唯一のキズとなっていたからです。
翌年2月11日、本間中将は銃殺刑と判決されました。

山下、本間裁判は、裁判という名を借りたマッカーサーの私怨を晴らす復讐劇
に過ぎなかったといえます。

軍事裁判で山下の弁護人であった米国人のフランク、リールはこう書いていま
す。「祖国を愛するいかなるアメリカ人も、消しがたく苦痛に満ちた恥ずかし
さなしにはこの裁判記録をよむことは出来ない。我々は不正であり、偽善であ
り..復讐したのであった」

この二つの裁判こそ東京裁判の前哨戦だったのです。

―――― 東京裁判では、

検察団はもちろん、11人の判事も戦勝国である連合国からのみ選ばれ、弁護
団は敗戦国である日本と連合国の双方から選ばれました。では、その東京裁判
では、法曹常識に基づいた公正な審理が行はれたのでしょうか。

――否、裁判は公正ではありませんでした。

裁判に名を借りた、勝者の敗者に対する一方的な復讐、つまり「勝者の裁き」
だったのです。

裁判の審理は、おおむね証拠調べが中心となります。数々の証言や文献資料等
の中で、何を取りあげ法廷証拠として採用するかどうかが審理を左右する重要
問題です。

弁護側は審理の過程で、日本に有利な証拠の数々を法廷に提出しました。

しかし、検察官の主張や裁判長の裁量によって、それらの多くは却下されまし
た。弁護側がせっかく作成したにも関らず、却下になることを予想して提出前
に諦めた未提出の証拠と合わせるとそれは3千3百6件に及びます。

提出した資料のうち、弁護側のものは実に32%が却下されたのです。

弁護側の証拠が却下された理由は「証拠価値なし」「関連性なし」「重要性な
し」というものでした。
―― では、どういう証拠資料が却下されたのかを挙げてみましょう。

1−当時の日本政府、外務省、軍部の公的声明はすべて却下。

2−共産主義の脅威及び中国共産党に関する証拠は大部分が却下、とりわけ、
  日本の正式な権益を脅かした組織的な排日運動があった事実は、まったく
  無視されました。

3−満州事変以前、満州人の自発的な民族運動が独立運動であったとする資料
  はすべて却下。――これは満州国が日本の傀儡国家であることを強調する
  ためでした。

4−この法廷は日本を裁くためのものであって、連合国を裁くものではない、
  という理由から連合国側の違法行為の証拠資料は大量に却下。アメリカの
  対日戦争準備や原子爆弾投下の問題はすべて不問とされたのです。

戦争には、その当事者が両方に存在しています。
一方的に日本の行為の非のみを見て公正な判断など出来るはずがありません。

それにくらべて検察側の証拠は、たとえ、伝聞であっても殆どが法廷証拠とし
て採用されました。却下されたのは僅か3%です。更にそれらに偽証罪は適用
されませんでした。

ということは、検察側は何でも言いたい放題だったのです。弁護側はとても悔
しかったことでしょう。却下及び未提出の証拠資料は法廷外では公表できませ
ん。――そして世に出ることもなく、長く埋もれたままになっていました。

しかし1995年
「東京裁判却下未提出弁護団資料・全8巻」「東京裁判・日本の弁明」
が出版されました。
これらは、戦後半世紀が過ぎ、封印されていた日本の立場を公に明らかにした
ものです。

                          =この稿つづく=
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僕が今まで書いてきました“私見・・云々・・”は、満州回顧録以外はすべて
直接見たり体験したものではありません。多くの文献をもとに“独断の私見?
偏見?を申し述べてきたものです。また文献から引用した文もあります。

これによって利益を得るものではありませんので、著作権の問題などは出ない
とは思いますが、一応、いま手元にある参考文献を記しておきます。

・靖国公式参拝の総括(板垣正)
・教科書が教えない歴史1〜〜5巻(藤岡信勝)
・捏造された日本史(黄文雄)
・ぼくらの侵略戦争(宮崎哲弥)
・封印の昭和史(小室直樹、渡部昇一)
・目からうろこの太平洋戦争(河合敦)
・かくて昭和史は蘇る(渡部昇一)
・現代史の争点(秦郁彦)
・日本の失敗(松本健一)
・おじいさん戦争のこと教えて(中条高徳)
・「諸君」2003年5月〜〜12月号

他にも図書館で借りてきたものが多くありますが、もう返しましたので手元に
はありません。
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