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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ 私見:東京裁判の検証(1) ――――――――――― 2004/01/30
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┃●┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「ミカの赤い服さん」
gosakauさん、こんにちは。
私は、応援しています。
中学生の時に観た映画『二百三高地』がDVDになっていました。
祖先がどんな状態で、何を考え、何をしたか、という事は日本人として正しく
理解しておきたいです。
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┌──────────「gosakuさんから」
ミカの赤い服さん、返事が遅くなってゴメンナサイ!
奇しくも二月十日は日本がロシアに宣戦布告して旅順攻撃を開始してから百年
にあたります。いま、日露戦争の背景を検証し、東京裁判で「明治の開国以来
日本が起こした戦争はすべて侵略戦争だった」とする戦勝国側の見解を再検討
するのも意義あることだと思います。
私見としては、日露戦争は侵略戦争というよりも「祖国防衛戦争」だったとみ
るのが正しい。たしかに、朝鮮半島や支那大陸を主戦場にして、その勢力圏で
争うという行為自体は「侵略」と定義しうるかもしれない。だが、日本が侵略
を行ったというのであれば、当然ながらその相手である清国やロシアの「侵略
行為」をも問題にするのが筋でしょう。
清は朝鮮半島を自分の庭にしてきましたし、またロシアはその清国から領土を
奪い取っているのではないか。
この十九世紀末から二十世紀前半の国際社会は「侵略は是」とされた時代でし
た。この時代の思想を簡潔に表現すると「弱肉強食」あるいは「適者生存」と
いう言葉がふさわしい。
植民地主義や帝国主義を正当化するために「自然淘汰による種の発生」を説明
するダーウィンが提唱した進化論が使われ、元来は動植物学に関するものです
が、それが科学として認知されると、そのアイデアは通俗的な形になり、爆発
的な勢いで社会に広まって行きました。
欧米の植民地政策は、ダーウィニズムによって、お墨付きをもらったようなも
ので「優れた白人が劣った有色人種を征服することは自然の摂理なのだ」とい
う事になっていたのです。
ーーまさに、進化論は人種差別の道具になってしまいました。
このような「弱肉強食」を是とする国際社会の中で、日本がその生存と独立を
維持しようとすれば、同じように弱肉強食の論理に従わざるをを得なかった。
ヨーロッパの植民地帝国はいうまでもなく「すべての人間は平等に作られた」
という独立宣言を持つアメリカも、黒人を奴隷にし、インディアンの土地を奪
い、ハワイ王国を併呑したばかりという時代情勢でした。
「開戦やむなし」とはいっても、日本がロシアと戦って勝てる可能性は、万に
一つもない。これは日本政府の首脳たちもそう考えていたし、他の欧米諸国も
みな、そう思っていました。ところが、日本にとって思わぬ味方が現れた。
―― それは、大英帝国でした。
明治三十五年(1902)に日英同盟が結ばれたことが、日本を開戦に踏み切ら
せたのです。勿論、同盟とはいっても、はるばるヨーロッパからイギリス軍が
援護にきてくれるわけではなく、武器を供与してくれるわけでも、戦費を調達
してわけではありません。
しかし、かの大英帝国がロシアに対して圧力をかけ続けてくれれば、ロシア軍
の動きは大いに妨げられる。ロシアと同盟関係にある国も、イギリスとの関係
上、ロシアを軍事的に助けることはないだろう。
また、イギリスはロシアに対する一切の便宜供与を拒絶するだろう。そうなれ
ば、小国・日本がロシアに勝つチャンンスが生まれるはずだ、、日本にとって
この同盟の持つ意味はまことに大きかったわけですが、英国が日本と同盟を結
んだというニュースを聞いて、当時の国際社会は文字どおり仰天しました。
なぜなら、世界に冠たる海軍を誇る大英帝国が、有色人種の小国・日本と同盟
を結ぶというのは常識では考えられないことでした。そもそも当時の大英帝国
は“栄光ある孤立”(splendid lsolation)を誇りにしていて、ヨーロッパに
おいてすら他国と同盟を結ばなかったのです。
日本がイギリスと同盟を組めるなどと思っていなかったのは日本人も同じで、
伊藤博文ですら「イギリスが本気で同盟を組んでくれるはずはない」と言って
日英同盟の話を本気にしていなかった節(ふし)があります。
ちなみに伊藤は「この苦境を打開するためには、日露協商を結ぶ道を探すほう
が現実的である」と考えていました。つまり、満州におけるロシアの権益をす
べて認める代わりに、朝鮮から手を引いてもらうという苦肉の妥協策です。
実際、伊藤は自らロシアに行って、その交渉を行っているほどでした。
―― では、なぜ世界を驚かせた日英同盟は生まれたのか。
そのきっかけとなったのは、明治三十三年(1900)に起こった北清事変でし
た。
当時の清国は、日清戦争で日本に割譲した遼東半島を回復する目的で「以夷制
夷」政策を採って日本に圧力をかけることを白人諸国に依頼してしまった為、
その「落とし前」として諸外国からいいように食い荒らされる状態になってい
ました。
明治三十年、ドイツが膠州湾を武力占領してからは、ロシア、フランス、イギ
リスなどが相次いで領土を奪い、まさに清国は“切り取り解体”のような状態
でした。
このような西洋列強の動きに反撥して、支那人たちが白人排斥の感情を抱くよ
うになったのは無理のない話で、そうした反西洋感情の旗頭が“義和団”とい
う宗教集団でした。
義和団は扶清滅洋=清朝を扶け(たすけ)西洋を逐う(おう))をスローガンに、
山東省で起こった叛乱を皮切りに、瞬く間に清国全土へと広がり、各地でキリ
スト教の教会が焼かれたり、西洋人が殺される事態となりました。
ところがこのような事態になっても、清国政府は傍観するのみで義和団を排除
しようとはしないどころか、清国皇帝は義和団の行動を是として、これをきっ
かけに諸外国と戦うという詔勅まで出しました。
義和団はますます勢いを増し北京を包囲して北京の外国公使館や天津の租界を
攻撃し始め、これを見た列国は驚愕し、このままでは公使館員や居留民が皆殺
しになるのは目に見えている。しかし、援軍を送ろうと思っても、ヨーロッパ
から派遣するのでは間に合うべくもない。そこで、欧米列国はみな日本に救援
軍を派遣することを望みました。
―― ところが日本政府はすぐには動きませんでした。
すぐに日本軍が北京や天津を平定すれば、日本を敵視している国々が「義和団
の乱を口実にして、日本は清国を侵略した」と言い出すに違いない、と見て、
あくまでも他国から正式要請がなければ出兵しない、と動こうとしませんでし
た。
欧州各国を代表する形で、イギリス政府から正式な申し入れが来て、はじめて
出兵を承諾したのです。
このことを見てもわかるように、当時の日本政府はあくまでも欧米との協調を
旨とし、文明国として節度ある行動を採ろうとしていたのです。当時白人中心
の世界で、日本が受け入れられるためには、模範生になるしかない、いま顧み
ると、当時の日本がそのためにした努力には涙ぐましいものがありました。
日本から派遣されたのは、山口基臣中将率いる第五師団でしたが、彼らは欧米
との連合軍において、つねに先頭に立ち、猛暑の中を力戦奮闘しました。その
結果、ついに天津も北京も落城するわけですが、この様子を見て、欧米列国は
日本軍の規律の正しさに感嘆したのです。
とりわけ彼らを驚かせたのは、日本軍だけが占領地域において略奪行為を行わ
なかったという事実です。この当時の欧米兵の間では略奪や強姦が常識とされ
ていました。実際に、北京でも上海でも、大規模な略奪が行われていました。
なかでも最も悪質だったのがロシア軍で、彼らは日本軍が警備している頤和園
に勝手に侵入し、財物を根こそぎ持ち去った、イギリス「タイムズ」紙の記者
は「ロシアは夏宮園=頤和園)の組織的剥奪を完了した。価値ある物はすべて
包装し、ラベルを貼った」と報告しています。
つまりロシアは、兵士個人が略奪をするのではなく、軍隊そのものが略奪集団
となっていました。
しかし略奪を行ったのはロシアだけではなく、イギリス軍兵士でさえ略奪行為
を行い、手に入れた骨とう品類や宝石は公使館の中でオークションにかけたと
いう。――村上兵衛「守城の人」中村粲「大東亜戦争への道]参照。
ところが日本軍だけはこうした略奪行為をしなかったし、また、任務終了後は
直ちに帰国したので、欧米列国の日本に対する評価は大変よくなったのです。
大英帝国が日本と同盟を結ぶ事に至ったのは、この北清事変で日本軍が文明国
の模範生として行動したことが大きな要因となりました。
当時の北京にいた世界中の先進国の人々を前にして、日本の軍人は飛び切りの
ファイン・プレーを示したのです。アジアの小さい有色人種国家にすぎないと
思われていた日本が、かくも規律正しく、勇敢に動いたことが、彼らの印象を
一変させ「同盟相手として信ずるに足る国である」という評価をもたらしたの
です。
日英同盟の場合、イギリスはアジアの植民地を守るためのパートナーとして、
イギリスの国益のために日本を選んだわけですが、「日本は信頼できる国であ
る」という人たちがイギリス政府部内にいてくれなければ、別の相手と同盟を
組んでいたでしょう。
日英同盟が成立したことで、日本はついにロシアとの開戦を決意しました。
―― すでに満州全土はロシアのものになっていました。
彼らは、北清事変を口実に満州に兵を進め、いっこうに撤兵する様子もなく、
このままでは、朝鮮半島が完全にロシアの支配下になる日も、いずれ遠からず
やってくるであろう。そうなれば、日本は完全に窮地に陥ってしまいます。
ーーかくして日露戦争となるわけです。
とはいっても日本政府首脳も、ロシア相手に完勝できるなどと考えてはいませ
んでした。ロシアと日本の国力差は歴然としていました。緒戦においては日本
は勝てるかもしれないが、長期戦となれば国力に優るロシアのほうが絶対有利
です。ならば、「少しでも日本が優勢」になれば、直ちにロシアと講和を結び
少しでも有利な条件で戦争を終えるしかない、という方針が、伊藤博文をはじ
めとする日本の指導者たちの結論でありました。
ーーだが、誰を講和条約の仲介者にすべきか。
・イギリスは日本の同盟国であるから講和の仲介者たりえない。
・フランスはロシアと軍事同盟を結んでいるから問題外です。
・また、ドイツ外交は権謀を好むから信用できない。
・そこで浮上したのがアメリカでした。
そこまで考えて日本は開戦を決意すると同時に、特使として金子堅太郎をアメ
リカに送ることにしました。金子は、ルーズベルト大統領とはハーバート大学
の同窓でしたから、特使として最適だという考えからです。
それにしても、戦争が始まる前から和平のため特使を友好的な中立国に送り、
さらにアメリカの世論を日本に有利なように導こうとした明治政府の外交セン
スの高さは、いくら評価してもしきれるものではありません。
「いつ、どのようにして戦争を終わらせるか」ということを全く考えずに支那
やアメリカ相手に戦争に突入した昭和の軍部を考えると、天と地ほどの開きが
あります。
―― そして奇跡的な勝利。
なぜ奇跡がおきたのか。日露戦争で日本に勝利をもたらした大きな要因は二つ
ありますが、それは又次回、機会をみてお話したいと思います。
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┌──────────「気分は情報無限さん」
色々な名作がDVDで復活し、インターネットを通じて戦争世代の方々(亡く
なった方も含めて)に接する事が出来るようになったのは嬉しい限りです。
今までテレビに出演していた、自称「戦争世代」の胡散臭さにウンザリしてい
ました。
恐らくこれからも、理不尽な批判が多発すると思いますが頑張って下さい!!
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┌──────────「gosakuさんから」
僕も「戦争世代」の一人として、「戦中戦後の歴史を正しく後世に残し、その
教訓を活かして再び過ちを繰り返さないようにしなければなりません」と偉そ
うにいいますが、実は“もう戦争は真っ平だ”というのが本音です。
気分は情報無限さんのような方の励ましを得ながら、今まで自分を叱咤激励し
て、多くの批判の中、自虐史観を除くため私見を書いてきました。
昭和二桁世代以後の人たちは、基本的には東京裁判史観しか教えられていない
わけです。それ以前の世代は、戦前の教育を受けていますし、戦争中のことな
ども記憶にあるでしょう。それに、昨日まで学校で「鬼畜米英」と教えていた
先生が、終戦になるや否や、アッというまに「民主主義」に衣替えしたことを
見ています。これは決定的ではないでしょうか。
そのような体験をすれば「学校ほど当てにならないものはない。学校で教えて
いることはすべてインチキではないか」と思うようになるのはごく自然のなり
ゆきでしょう。
ところが、昭和二桁となりますと、それ以前の段階が希薄で、物心ついたとき
からデモクラシーであるわけですから、学校教育に対する不信感などそれほど
育っていません。そこに、東京裁判史観だけを教えられるわけですから、とて
も素直に聞き入れてしまう。かくして、日本が侵略したということを、あたか
も自明のごとく思い込んでいる日本人が大量発生してしまったのです。
だからといって、僕は決して大東亜戦争を肯定しているのではありません。
総理大臣----細川首相1993年・村山富市首相----すらが自虐的となり、こ
と戦争に関係する事になると「お詫び外交」一辺倒なってしまう必要はないと
申し上げているのです。
詫びなければならないものは、率直に詫びなければならない。しかし、日本は
すべて悪かったという捉えかたをして、ただペコペコと頭を下げるばかりなの
は、歴史を正しく認識しているとはいえない。むしろ歴史に対する冒涜です。
自分が生まれ育った国に唾をするものでしょう。いうべきことはきちんと主張
しなければならない。そうでなければ、国益を損なってしまいます。
日米開戦にいたる経緯については「大東亜戦争の真相」瀬島龍三著などしっか
りした資料もあります。
正しく近代史を学び、歴史の教訓を生かすことが肝要でしょう。
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┃●┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「yuriさん」女性@五十代@主婦@東京
「日ソ間には1941年4月に結んだ中立条約があり、スターリンはヤルタ協
定から二ヶ月後の4月5日、日本に中立条約の不延長を通告して来ました。
5月8日ドイツ無条件降伏、ソ連は兵力をソ満国境へ移し、米英との約束通り
日本に宣戦布告して満州に攻め入った。」
これはgosakuさんの2003/09/26付けの記事ですが、不延長の通告があったとい
うのに驚きました。するとソ連は条約を破って攻め入ってきたということでは
ないのですね。
「国際スパイ、ゾルゲの真実」角川文庫を読んでいたら、
1941年ドイツがソ連に攻め入ったあと、中立条約を結んだあとにも関らず
日本はドイツの強い要請を受けてソ連に攻め入ることを検討していた。ドイツ
は三国同盟があるので、背後からソ連を攻撃することを要請したのです。
日本はソ連に対して有利とみたら攻め入っていたかもしれません。
時の外務大臣松岡洋右は強くこれを主張しました。もしそうしていたら、日本
は中立条約を破ったことになりますね。
ソ連にとってはこれは非常な脅威なので神経を尖らせていました。ゾルゲはそ
の情報を正確にソ連に伝えていたのです。
もしかしたら、終戦の頃、この恨みもあったのかもしれないと思いました。
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┌──────────「mugaikojiさん」男性@七十代@大阪
ご存知のように、戦後の荒涼とした日本と日本人を立ち直らせた人々が、今日
経済大国を作る基礎を齎せました。残念なことにその頃の政治を握る首相とし
て、私見として吉田茂以外に明治維新の愛国的気概を持った政治家が少ないよ
うです。
彼以後の政治家や教育者は戦勝国に阿り、誤った個人主義を植え付け日本人の
伝統的精神文化である愛国心を忘れてしまったかのようです。
それが現在の混沌とした政治・経済・社会を現出させた種だと思います。
気楽にして理想論平和主義者で、如何にも世論の味方のような文化人やジャー
ナリストの人々に言いたい。
貴方の住む地域社会に、向う三軒両隣のような相互扶助・助け合い精神はあり
ますか。
例えば世界の飢餓に喘ぐ国が無くなる様な精神的努力をしていますか。
そんなことが出来ないようなら戦争に巻き込まれる民衆は救えないでしょう。
世界中の空気・水・資源の多くを我が物顔に使う日本だけの平和などありえま
せん。平和の代償は高くつくのです。
満洲青春録やシベリア抑留記等を読んで何を感じますか?ーーと言いたい。
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┌──────────「気分は情報無限さん」
東京裁判の話は何回聞いても気が重くなります。
実は私の地元に、国連親善大使を務めている女優の紺野美沙子女史が来た時、
講演会のフリー・トーク場面で東条英機大将の悪口を笑顔で話す女性の高齢者
がいました。
私は東条英機の孫娘である人が書いた「一切、語る事なかれ」という本を読ん
だ事があるので非常に嫌な思いをしました。
確かにリンチ裁判をしたのは白人達ですが、我々日本人が疑いもせずに受け入
れたのも事実です。本当のA級戦犯は当時のマスコミでしょう。
今回の自衛隊のイラク派遣に関して、既に関係各国から苦情が出ているそうで
す。以前に OJIN さんが書かれておられましたが、連中も飯を食っていかなけ
ればならないのだから、スクープの為なら綺麗事はいってられないんでしょう
ね。ーー案外、戦時中の日本もこんな感じだったのでしょうか?
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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