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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:南京大虐殺の真相(2) ―――――――――― 2004/01/16

―――― 第二の理由としては

仮に南京大虐殺があったとしたら、なぜ当時の国際社会で問題にならなかった
のか..ということです。

百歩譲って、いかなる理由からか日本人が戦前に大虐殺のことを知らずにいた
としても、外国人のクチに戸は立てられない。しかも当時の国際社会は日本軍
のシナでの行動に批判的であった。既に国際連盟からも脱退していたのです。

そのような時期に南京で民間人を虐殺していれば、これは非難の的になってい
たはずです。

当時の南京には多くの欧米人がいました。中国政府の首都に住んでいるぐらい
ですから大半は反日的な立場の人々です。
またシナ大陸にはロイター、AP、UPIといった国際通信社や新聞社の特派
員たちも多数駐在していました。

ところが実際には、当時の国際社会で"南京の暴虐"ということを正式のルート
で非難する声は上がっていません。

「ニューヨーク・タイムズ」やアメリカの地方紙の中には「Massacre(虐殺)が
あった」と伝えた記事もありまが、その内容は逆立ちしても何十万という数に
なるようなものではありません。便衣隊(或いは気の毒にも間違われた市民)の
処刑を見て誤解したものと推定されます。
┌──────────
│便衣兵:中国兵が農民や市民の服装になって攻撃を行うゲリラ戦法。
│
│国際法では正規兵はそれと分かる軍服を着用しなければならない。一般市民
│を戦闘の巻き添えにさせないためのルールである。便衣兵とは、このルール
│を守らず、市民に紛れ込んで攻撃するという無法なる交戦法。
└──────────

被害者(?)である中華民国政府の代表でさえ、国際連盟の議場で「南京虐殺」
のことを取り上げてはいませんでした。

日本軍による南京空爆の際、民家に落ちた爆弾があるといって国際連盟に訴え
た中国政府が、南京大虐殺なるものついて抗議していないのはなぜか?
また中共軍にしても、負けた南京の中国軍(国民政府軍)を非難したことはあっ
ても、日本軍を非難したことはない。

さらに、米英仏などの国から公式に日本政府に抗議が寄せられたという事実も
ない。
―― ただ、ここで公平を期すために「マンチェスター・ガーディアン」紙の
特派員ハロルド・ティンパリーという人物が、南京陥落の半年後に「外国人の
見た日本軍の暴行」なる本を書いたことを記さねばなりません。

この本は、事実上唯一の「南京虐殺」の記録ということになっています。

ところが問題は、この著者が一度も南京に行かずにこの本を書いているという
ことです。つまりこの本に書かれている話はすべて伝聞であって信頼性に欠け
るものです。----戦場での話は、えてして尾鰭が付きやすいものです。
しかも、シナは昔から「白髪三千丈」の国です。そのような伝聞を集めた本し
か「南京虐殺」の証拠がないというのは如何なものでしょうか。

―――― 第三の理由としては

仮に南京大虐殺があったとしたら、そのような大量虐殺は誰が命じ、いかにし
て実行されたのか..ということです。
南京では20万人から30万人が殺されたとされているワケですが、これだけ
の人間を殺すには、その場の思いつきや激情で為し得るものではありません。

昭和20年3月10日の東京大空襲では、300機のB29爆撃機が1665
トンの焼夷弾を投下したわけですが、このときの死者ですら8万人強です。
また広島の原爆による死亡者は、おおよそ25万人とされています。

この数字を見れば分かるように、もし鎌倉市ほどの広さの地域で20万人以上
の人間を殺そうとすれば、これは事前に入念な準備をし、そのための機材設備
も揃えなければならないはずでしょう。

ーーところが現実はどうであったか。

南京攻略を前にして、松井将軍は全軍に軍規の徹底を命じています。
┌──────────
│松井石根(いわね)大将:愛知県名古屋市出身 陸軍大将
│
│1878(明治11)年生 1948(昭和23)年12月23日没
│1937年10月、中支方面軍司令官兼上海派遣軍司令官として南京攻略の
│指揮をとり、戦後極東国際軍事裁判で「南京大虐殺」の責任を問われ、A級
│戦犯として死刑判決を受ける。
└──────────

――その訓令はまことに具体的なものでした。

1.外国の外交機関に接近してはいけない。
2.たとえ不注意でも失火したものは厳罰に処す。

といったことから

3.南京城外にある孫文の墓や革命志士の墓に立ち入る事を禁ずる。

という事細かな部分にまで及んでいます。敵側の人間の墓にまで近づくなとい
う命令まで出して国際社会から後ろ指を指されまいと配慮した司令官が、同時
に大虐殺の計画まで準備していたとは....常識では考えられない事です。

それに当時の日本軍には、住民を20万も殺せるほどの弾丸の余裕などあるは
ずがない。いや、日本軍に限らず鉄砲の弾というのは高価なもので、その管理
も厳しい。
それを、既に占領している都市の住民を殺すために使用するというのは..経済
効果という側面から考えてみても不合理に尽きるとは思われませんか。

しかし、だからといって「全く略奪や強姦などなかった」というつもりはあり
ません。ーーどんな人間集団にあっても不心得者は必ずいるものです。

南京入城の10日後の通達文に「南京で日本軍の不法行為があるとの噂だが、
入城式のときにも注意した如く、日本軍の面目のためにも断じて左様なことが
あってはならぬ。ことに朝香宮が司令官であられるから、いっそう軍規風紀を
厳格にし、もし不心得者があったなら厳重に処断し、また被害者にたいしては
賠償、または現物返還の処置を講ぜられよ」というのがある。

これはたしかに日本軍にも不法行為があったことを示す文書であるのは間違い
ないと思います。だがよくよく読んでみれば、大虐殺などなかったのだという
ことも分かるはずです。

なぜなら「不心得者があったら処罰せよ」というノンビリした言い方は、そう
いう兵士が1000人も2000人もいたら、まず使われない表現でしょう。
もし、組織的に虐殺を行っている者がいたり、あるいは多くの日本兵が強姦や
殺人を犯していたのであれば「見つけたら処罰せよ」どころの騒ぎではありま
せん。

これはごく一部の兵士が不法行為をしていたからこその表現であり、また現物
返還とか賠償という言葉から察せられるように、問題にしているのは主に略奪
行為のことだと窺えます。

―――― 第四の理由として、

これが最も不審なところですが、「仮に南京大虐殺があったしたら、殺された
2、30万の人々は、いったいドコにいたのか?」という点です。
陥落当時、南京にいた一般市民の数についてはいろいろな記録があるが、最も
信頼できる数は安全区を管理していた南京安全区国際委員会の発表でしょう。
┌──────────
│南京安全区:
│
│中国軍が上海の戦いに敗れ、南京も同じ運命をたどっていた時、アメリカ人
│イギリス人、ドイツ人、オランダ人の外国人グループが南京に留まり、ドイ
│ツ人ラーベを委員長とする南京安全区国際委員会を組織した。
│
│南京市長は日本軍に占領される前に安全区の管理を国際委員会に任せ、45
│0人の警官、2000トンの米、小麦粉10000袋、80000ポンドの
│現金を渡した。
│
│安全区は上海派遣日本軍司令部も認めていた。日本軍は「安全区が中国兵を
│入れて軍事活動をしない限り攻撃することはない」と保証した。
└──────────

この委員会の調査によれば、南京陥落直後の非戦闘員の総数は推定で20万人
です。この委員会は実際に市民の保護に当たっていて、住民に“食料を配給し
ていた”のですから、これはまず間違いの無い正確な数字でしょう。

一方、当時南京を守備していた国民党政府軍の数は公文書によると5万人とい
うことです。つまり、南京に日本軍が迫る前にいた南京の総人口は多くみても
25万人というわけで、東京裁判の検事団が言っている虐殺の数字は、南京に
いた全ての人間を殺したといっているのに等しいことになります。

この記録からだけでも、10万単位の虐殺などがありえないことは直ちに理解
できるわけですが、さらにもうひとつ重要な事実は、

陥落から日が経つにつれて、南京の人口が増えていったという事実です。

陥落から1ヶ月後に安全委員会が発表した南京市の人口は25万人。

即ち、ひと月で5万人近くも増えたわけです。これは南京の治安が回復したの
を見て、それまで郊外に避難していた市民が帰って来たためです。

当時の新聞報道を見ると、陥落後の復興は急ピッチであり、陥落から3週間が
経った正月には電気や水道も回復したという。それどころか、南京落城の数日
後には銭荘=両替屋)までが開店したとあります。

東京裁判によると、虐殺は数週間にわたって続いたとされていますが(20万
人以上の人を殺そうとすればそのぐらいの時間が必要です。)それならなぜ、
南京に市民が戻ってきているのでしょうか?....理解に苦しむところです。

―――― 以上の四点だけを見ても、

東京裁判のいうような虐殺は、実際に存在しなかったと結論すべきではないで
しょうか。

ーーたしかに軍規の乱れもあったことでしょう。

戦争中ですから戦死者もでたし、巻き添えになった市民も少なからずあったで
しょう。但し、決して喧伝されているような多数ではないし、一般市民を集団
殺害した不法行為があったわけではない。
虐殺というからには、やはり集団的かつ連続的に行われた大量殺人のことを指
すのが普通の言語感覚です。

しかし一方で、世の中には「火の無いところに煙は立たず」という言葉がある
のも確かです。

――東京裁判では、虐殺という“煙”がたなびいた。

それは実態のないものではあったけれども、そのような話がつくられるように
なった“種火”のごときものとは、いったい何であったのでしょうか。

それは次回に申し上げます。――反論大歓迎です、お待ちしています。

                          =この稿つづく
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