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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ 自虐史観の枷を解く(3) ―――――――――――― 2003/12/05
┌──────────「 NOGU さんの反論(3)」
│┌--------
│前日までは「必ず勝つ!」「鬼畜米英は不倶戴天の敵」と戦争を扇動してい
│たジャーナリズムは占領軍の徹底した報道管制のもと「悪いのは一部の指導
│者と軍人にある」、国民は「無罪」いやそれ以上に「被害者」であるとする
│論調に転向しました。
│└--------
│
│これはきわめて大きな問題です。日本人自身が反省せず、責任を軍部に押し
│付けてしまったために、あなたのような軍国主義者がいまだに温存されてい
│るのです。
└──────────
以前満州回顧録でお話したと思いますが、敗戦を知った時は僕は16歳です。
あの当時のことはよく覚えていますが、当時の日本人は誰一人として戦争責任
なる言葉を言ってはいません。それまでそんな言葉を使ったことがなかったし
ケンカというものはもともと両成敗というぐらいですから、善悪を判定するの
は無理で、強いて言えば負けたほうの分が悪い。
元来戦争責任などという概念は、無理にデッチアゲられたものです。
しかしあの時点を通過した一人として証言しますが、日本では国を挙げて、例
えばルーマニアのチャウシェスクを処刑したような、そんな殺伐な形での敗戦
責任を要求したり、追求するという気配は全くありませんでした。
のちに東京裁判で絞首刑とされる東条英機にしても、その当時の日本人は誰も
が彼を裁けなどと言っていません。新聞でもそんな議論は見たことがありませ
ん。東条自身も安穏とした日々を過ごしていました。
或いは近衛文麿を裁判にかけろという世論もなかった。
敗戦の直後は、まだGHQの検閲は始まっていなかったので、新聞が書こうと
思えば何でも書けた時代ですがそんな気配は何処にもなかったようです。
そうした、どこか突き抜けたような日本人の精神構造の根にあるのは、すべて
を水に流すという神道的なものにあったと思います。ヨーロッパ流の責任概念
でもの申すと、日本社会はいちばん上層から下まで無責任体制であるというこ
とになります。
―― しかしそれは合議体制であるからそうなるのであって、こっちのほうこ
そ社会を円滑に動かす妙なる術であるという日本的な解釈になるわけです。
―――― 政治のシステムでも、
明治憲法の制定によって、以来ますます無責任体制、合議体制に入ってまいり
ました。
ある決断も、ときに誰かが責任を持つということが絶対明確でないように事を
運ぶやり方が内閣制度始まって以来なお強化されたのです。
誰かひとりの閣僚が異議を唱えれば内閣が総辞職せねばならないという、これ
は同時にかならず全員が同じ意見でなければまずいことになるシステムです。
さらに、明治の元老たちによって天皇へは絶対に責任が及ばない仕組みがつく
られることによって、いわば日本的な、あまりにも日本的なシステムが完成し
たのです。
このシステムのせいで、日本の進路の舵取りに齟齬が生じた部分も多々ありま
したけれど、一方で全員の責任なのだから、敗戦の責任も全員でとって、無念
の思いで死んでいった戦友の為にも、生き残った者の全員で一致協力し、日本
という国を再興するぞと暗から明への切り替えも一瞬のうちにやってしまえた
のだと思います。
ーーこれはやはり凄いことです。
しかし、いわゆる戦後の民主主義者は、こうした日本人のシステムと日本人の
心性を徹底して攻撃しました。
―――― さて、"戦後"です。
戦後を主語にした述語となると民主主義、、二つ合わせて"戦後民主主義"とな
りますが、これほど何の事か要領を得ない、いやらしい響きの言葉はない。
いったい、民主主義に戦前も戦後もあるわけがなく、民主主義はいつの時代で
も民主主義であり、地域がどこであれ民主主義は民主主義であるはずです。
民主主義をことさら戦後と限定したのは、戦後というものを神格化し別格化し
たい、それ以前を全部否定したいというイデオロギーによって捏造された。
ーーそういう意図をもった別格主義です。
その別格主義イデオロギーの中心にあるのは天皇制反対を訴えることと、日本
の戦争だけが悪い戦争であった、それを認識している自分たちは一般国民より
偉い、人権意識の高い市民であるという、やはり別格の選民意識です。
ーーいやらしい感覚です。
戦後民主主義思想を謳う人達がよく使用する言葉が「市民」と「人権」です。
―― さて「市民」という言葉ですが、
この言葉が盛んに使われだしたのは、大正時代の関東大震災あたりからです。
それまで農民とか知識人しかでてこなかった小説にも市民が登場するようにな
りました。
ですから、戦前から一般語としての市民はありました。横浜市民、大阪市民と
いう、何々市の住民という使われ方です。
ただ、戦後民主主義論者がそれにイロツヤをつけヤスリで擦って、戦後、市民
なるものを唱えだした。なぜそう言いだしたかといいますと、国民という言葉
を消すためです。極右的な国家主義に対比させるための"国民"という言葉の代
わりに、しきりと市民、市民と言うようになったのです。
―― もう一つ、人権派文化人(戦後民主主義)が云う「人権」について
戦後民主主義が[市民」と同様に金科玉条の言葉としている「人権」がありま
す。人権には、いい意味での人権と悪い意味での人権の二通りの意味があると
思います。
良い意味での人間の生得の権利。
つまり人間には互いに、むやみに侵してはならぬものがあるということです。
日本は積み木社会です。農民、商人、役人、それぞれが役目を侵さず、力量努
力に応じて勢力を振るうことを認めてきました。
悪しき意味での人権というのは、いっさいの人間の努力とか、さまざまな人間
の営みの成果というものを全部否定することです。
戦後民主主義がいう人権というのは、悪しき平等主義です。
みんなが努力して、この水準まで達して平等になりましょうという、上をみた
平等主義なら人間のロマンとしてまだ分からないでもないのですが、いわゆる
人権はそうではありません。
いちばん努力しない、いちばん末端のところに揃える平等主義を人権の基準点
測定点にしているのです。これがルソーの平等主義です。
生まれたままのスッポンポンの丸裸の平等主義というのは、ひと言でいうと、
人間の努力をあざ笑う思想なわけです。
人間は悲しいかな、努力する者も或いはしない者もあり、運のいい者もあり、
悪い者もあって、いろんな人間関係が入り組んだ結果、結果に大きく差がでま
す。それを認めるというにが本来の平等主義です。
ところが、それを一切否認して、何をしても全部努力の結果を剥奪する、元の
木阿弥に返すというのは悪しき意味の平等主義です。
さらに戦後民主主義でいう平等主義というのはアンチ皇室でもあります。
悪しき平等主義を敷衍(ふえん)すると、皇室のような特別な存在はなくさない
と世の中は平等にならないということになってしまうのです。
時代錯誤のイデオロギーが戦後民主主義の人権思想の芯部に巣食っているので
す。こんなものは放っておいてもやがて芯から腐ってゆくでしょうが、腐臭が
迷惑なので、朽ちるものはできるだけ早く風化してしまえと願います。
「戦後民主主義」というキーワードに頼ったイデオロギーから早く卒業するた
めにも、自称他称のいわゆる戦後の人権屋文化人の人たちは、過去への認識を
改めた上で、現在とそれに続く未来にどう生きるかを考えてみるべきだと思い
ます。
―――― 戦争責任については勿論全国民がその責を負うべきでしょう。
しかしそれよりも、
戦前・戦中を通じて軍部に迎合し、戦争熱を煽ったメディアの責任もハッキリ
させなければなりません。
なんというか、、日本人は誰かが"ガー!"というと一斉にそちらへ動き、また
違う人が何か"ワー!"というとそちらへと動くような、非常に扇動に乗せられ
やすい人種ではないか?と感じます。
-- OJIN の挟嘴--
"日本人は"というより"インド亜大陸以西以外のアジア"各地域全般にそうした
傾向が顕著なのではないでしょうか....??
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米・英・中国の挑発をまったく度外視して、戦争責任は全て日本にあるとした
東京裁判史観を、占領中のGHQの言論弾圧に屈し、或いは自ら積極的に迎合
して容認し、講和の成立後も己(おのれ)のメンツと権威保持のために東京裁判
史観の鼓吹を続けたのが大方の日本のマスコミです。
そしてそれは、戦前・戦中を通じ、軍部に迎合して戦争熱を煽った自らの戦争
責任を隠蔽するためでもあったのです。
日本が米英との勝ち目のない戦争に突入しなければならなかった淵源は、19
40年9月の日独伊三国同盟の締結に始まったといえるでしょう。
シナ事変勃発以後、中国市場の覇権を日本に握られることを怖れ反日的姿勢を
強めていた米国は、三国の共同防衛を謳った三国同盟締結で、既に英仏と戦端
を開き欧州を席捲していたナチス・ドイツ打倒のため、欧州での戦争に巻き込
まれることに反対する米国世論を納得させて対独戦争に参戦する口実にしよう
と、日本を対米戦に引きずり込むという戦略を立てたのです。
その戦略に沿い、日本軍の南部佛印進駐に対して石油の全面禁輸で締め上げ、
宣戦布告に等しいハル・ノートを突きつけて日本を開戦へと追い込みました。
―――― それまでナチス政権に対して批判的だった日本のマスコミも、
三国同盟締結を切望するドイツの宣伝部隊として、1938年8月、ヒトラー
ユーゲント(青少年団)が来日した際は、連日トップ扱いで最大限の歓迎報道を
するように変化しました。
満州事変勃発の直後、在郷軍人会の不買運動などにオソレをなして、それまで
の反軍リベラルの姿勢をかなぐり捨てて軍部にすりよった朝日も「姿(すがた)
頼もし、湧く歓声/親愛溢るる駅頭/彼我胸震う交歓会」という感情移入たっ
ぷりの大見出しを掲げています。
シナ事変が泥沼化すると、マスコミはその原因を米英の援蒋活動に求め、中国
国内の策源地と目された天津の英仏租界を1939年6月、日本軍が封鎖した
際はこぞって激烈な反英キャンペーンを展開し、全国主要紙が7月15日付け
で英国非難の共同宣言を発表、更に排英国民運動を組織「排英時局大講演会」
を開催していやが上にも反英ムードを煽りました。
各紙ともに強硬な論調で足並みをそろえました。
それは、軍部の強硬論をも上回る激烈さでした。
当時のマスメディアは、政府に弾圧されてというより積極的に迎合し戦争熱を
煽っていたのです。
その責任は重大で、敗戦となるや周章狼狽したマスコミは、自分たちの責任を
軍部に転嫁するのに躍起となりました。
―――― その責任転嫁の無二の拠りどころとなったのが東京裁判です。
これは、軍部を中心とした当時の指導部が、共同謀議して侵略戦争を起こした
とする大前提に立脚したもので、米・英・中国の側の責任は勿論、一般国民も
指導部に騙されて戦争に駆り立てられたとして免罪としましたから、マスコミ
にとってはこれほど好都合な歴史観はありません。
マスコミもまた国民と同様に、政府の弾圧と誘導で心ならずも軍部に迎合する
報道をしたという言い訳が成り立つからです。
敗戦直後の45年10月2日に出されたGHQの一般命令第4号第2項
「各層の日本人に彼らの敗北と戦争に関する罪、現在及び将来の日本の窮乏に
対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を周知徹底せしむ
ること」
GHQ民間情報・教育局(CIE)の第一弾として、12月?日から各紙に一斉
に連載させたのが「太平洋戦争史」で、その第1回は、
「恥ずべし南京の悪虐暴行沙汰/今こそ明らかに暴露/知れ軍国主義者の罪」
との見出し付きで掲載された、いわゆる20万人南京大虐殺の報道です。
(中国側発表では30万人)
この南京大虐殺については、またの機会に詳しく述べたいと思いますが、現在
まで、言論人や左翼マスコミによって喧伝され、教科書にも大手をふってまか
り通るようになり、日本国民の精神の背骨を折って二度と連合国に敵対しない
ようにしようとしたウォー・ギルト・インフォメーションに、日本のマスコミ
は積極的に加担、協力したのです。
それは、占領政策に対する批判を圧殺する厳しい検閲と、違反した場合の発行
停止などを恐れたからでもありましょう。GHQの検閲は戦前戦中の日本政府
による検閲とは異なり、伏字や、記事を削除したまま発行することを禁じ、必
ず差し替え記事を掲載させるなど、検閲があることさえ一般国民に分からせま
いとする巧妙なやり方でした。
ポツダム宣言には、「言論・宗教及び思想の自由、並びに基本的人権の尊重は
確立せらるべし」と明記されていたため、おおかたの国民は占領軍こそ自由の
配給者であると錯覚してしまい、言論の自由を謳いながらGHQに都合の悪い
言論・報道は封殺するという偽善に気づくことができませんでした。
┌──────────
│編集部注:ポツダム宣言
│(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
│
│ポツダム宣言は、1945年にドイツのポツダムにおいて、ポツダム会談の
│最中、アメリカ(トルーマン)、イギリス(チャーチル)、中国(蒋介石)の三国
│の首脳が共同で7月26日に日本に対して発した降伏勧告の宣言である。
│宣言を発した各国の名をとって「米、英、華三国宣言」ともいう。
│
│会談に加わっていたソ連は、日本に対して中立の立場をとっていたため宣言
│に加えられなかった。ソ連が内容を知ったのは公表後であったためスターリ
│ンは激怒したという。8月8日に対日宣戦布告してからソ連も宣言に加わっ
│た。
│
│宣言の骨子は下記のとおりである。
│
│日本国軍(注:政府ではない)の無条件降伏、及び日本国政府によるその保障
│占領地の放棄(日本国領土の限定)
│平和的傾向をもつ政府であることを前提とした独立維持の確約
│
│ポツダム宣言を受けて、日本政府の内部で激しい議論が起こった。
│争点になったのは、天皇制維持(国体護持)について言及されていなかったこ
│とであった。結局、日本はポツダム宣言の黙殺を決めた。
│
│天皇制に関し、(アメリカ)国務次官グルーと陸軍長官スティムソンによる起
│草段階では天皇制維持の条項が含まれていたが、当時はアメリカ政府内でも
│その是非について見解が定まっておらず、最終案では削除されていた。
│
│当然ながら、当時の両陣営ともこうした相手側の内部事情を察することはな
│かった。
│
│日ソ中立条約を結んでいたソ連が参戦したことに衝撃を受けた日本は、8月
│9日の御前会議で「国体の護持」を条件に受諾を決定し、10日に連合国に
│伝達した。返答したアメリカは、日本政府の政体は日本国民が自由に表明す
│る意思のもとに決定されると、宣言の内容を繰り返した。
│
│国体がどうなるか曖昧なまま、日本は14日の御前会議で改めて宣言受諾を
│決定した。15日正午、玉音放送(天皇の声を"玉音"と言った)により、日本
│国民と陸海軍に降伏が伝えられた。
└──────────
マスコミは、こうした国民の錯覚を最大限に利用し、あたかも自分たちが自由
な言論・報道を展開しているかの如くに装い続けたのです。
=この稿つづく=
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┃●┃ 読後感アンケート結果。
┗━┛
◇ このとおりだと思う --------------------------------- 28人 (65%)
◇ そうではないと思う --------------------------------- 8人 (19%)
◇ どちらともいえない --------------------------------- 4人 ( 9%)
◇ よく分からない ------------------------------------- 3人 ( 7%)
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┃●┃ コメントボードに頂きました感想。
┗━┛
┌──────────「一読者さん」
江藤淳氏の著作が世に出てから既に15年。
貴兄がいまだ繰り言を呈せねばならぬほど我が国の人士は不勉強、ということ
なのでしょうか。
無教養、思考停止、自己無謬性信仰は、自称「進歩派」の属性なのでしょう。
Nなる輩の「反論」とやらが哀れでなりません。
自ら情報を収集し、判断し、決断する能力を放棄した者の行く末ですから。
まあ、どこかの「進歩派」サイトでクダをまいてるのでありましょうが、、
・・自慰に過ぎませんな。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
「一読者」さんコメント有難うざいます、
硬骨の徒、江藤淳さんが逝ってからはや4年半ですね。
僕のようなカスが残って、惜しい人は早く逝きます。
「一読者さん」のように自虐史観を卒業した方々ばかりならば、僕がいまさら
の繰り言を述べなくても良いのですけれど..。
「一読者さん」はなかなか手厳しいですね!自己無謬性信仰者の「バカの壁」
はかなり厚いと思います。早くそれを取っ払って論議をつくし、日本人として
の誇りを取り戻して欲しいと願うばかりです。
└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」
gosakuさん、こんにちは。
よくこんなたいへんな原稿を引き受けられていらっしゃると感服しています。
正反対の発言をされる方もいらしゃるようですね。
でも、「自虐史観だ」と主張されているほうが、証拠の検証もなされており、
論拠も明確なので正しいだろうと思っています。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
僕らの「自虐史観論」を愚論だと主張されるのなら、感情的にならずそれ相応
な論拠を示して反論してほしいものです。
ある進歩的文化人といわれるお方が、「戦争責任論」と題して
「日本は口に自衛を説きながら侵略戦争を行った。この"不正なる戦争"という
痛恨から日本は再出発しなければならない」
といっていました。
我々はそれを全面的に否定はしません。それは良く知っています。
----ただし僕個人としては、アジアを占領したら諸民族を日本の奴隷化するな
どという意識はなかった。解放を純粋に信じていました。----
ーーただ、聞きたい。では白人はどうであったのか。
果たして彼らが自国の利益の増大を目的とした戦争を行わなかったのか。
領土の拡大と資源の獲得、勢力の増大を計画しなかったのか。
進歩的文化人の多くが、
戦争中は敵の邪悪のみを挙げ日本の美点のみ説き、敗戦後は敵の美点のみを説
き日本の邪悪のみを挙げる。それを戦争中の生きる道、敗戦後の生きる道とい
えばそれまでですが、それでは「人間の実相」に強いて目を瞑った一種の愚論
とはいえまいか。
戦後五十数年を経ていまでも「日本の邪悪のみを挙げる」ことが「生きる道」
であるという状況は変わっていないようです。
└──────────
┌──────────「気分は情報無限さん」
「戦後民主主義」や「市民」という言葉の裏に隠された卑しい意図!!
それらに関するgosakuさんの主張には、全くもって感服いたしました。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
僕としては反論を期待してチョット辛口の私見として掲載させて戴きました。
論議を尽くし互いに、また読者にも納得する結論を探しだしたいと思います。
└──────────
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃●┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
┗━┛
┌──────────「爺さん」
gosakuさんの反論、大筋に大賛成です。
私(達?)の言いたくて言えなかったことを 明快に論拠をあげて説明して頂い
て勉強もさせて頂いています。
ただ"大筋に"とは、gosakuさんがあくまで私見と一歩引いておられるところに
私にも咀嚼出来ない部分が重なっているような気がします。
よくは説明できませんが....。
これに対するNOGUさんたちの反論が聞きたいですね。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
爺さんのご賛同を得て心強い限りです。ーーー胸の奥がボーット暖かくなって
参りました。
「あくまで私見」に固執するつもりはありませんが、いろいろなご意見がある
中でのひとつの考えとしてみて頂いた上で、また多くの異論を期待しての事で
す。ーーー感情論でない、ある程度の裏づけのある論証をお待ちしています。
└──────────
┌──────────「PACKMANさん」男性@六十代@会社員@神奈川
gosakuさん、いつも興味深く読ませてもらっています。
本当はなんだったのか?
すべて部分的には夫々の論理があってのことと思いますが、マスコミが方向付
や扇動をするので真実が隠れてしまい、都合のよい論理だけが見えるようにな
る仕組みが出来てしまうのでしょうか。
イラクについても本当のことは見えていないと思います。
gosakuさんの"私見"の中に、感ずるところがたくさんあります。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
PACKMANさんご愛読ありがとう御座います。
真実を受け入れることが自分にとって苦痛の場合、それが解っていても真実を
横目に..自分に心地よい論理のほうに目が行きやすいものですね。
マスコミは常に大衆に迎合した論理を展開し、結果として扇動と変らない結末
に導きがちです。ーー付和雷同せずに真実を見極める目を養いたいものです。
----これは自戒でもあります----
私見についてのご意見をお伺いしたいものです。
イラクについては言いたい事が多々ありますが、長くなりますのでまたの機会
にします。
└──────────
┌──────────「たろおじさん」
gosakuさんの連載は右翼とかなんとかいうのではなく、もっと単純に、歴史の
真実なのだと感じます。
戦前の戦争への熱狂と、敗北の事態と、敗戦の屈辱..の前に新しくそして豊か
な経済力に裏打ちされたアメリカの実力と公平さに日本民族が戦後民主主義と
いう新しい言葉を与えられ、これこそが正義....と錯覚していたのが戦後50
年の歴史なのではないでしょうか?
時間が経つにつれてだんだんと冷静になってきて、正確な事態が飲み込めるよ
うになってきただけのこと....ではないのでしょうか?
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
東京裁判以後の自虐史観から抜け出せない人々は、たろおじさんのように僕の
戦前戦後史観を歴史の真実だとは感じず、歴史の歪曲、妄言に過ぎないという
でしょう。
戦時中の大本営発表がいかに出鱈目であったかを、終戦後の新聞で知った国民
は、国家と軍部に裏切られた思いに打ちのめされいました。長年愛し頼りにし
ていた人に急にソッポをむかれたような、国の仕打ちに途方にくれていた。
軍や指導者の発言は全部嘘だったのか..そうなりゃ政府と反対の立場にあった
相手方の言い分に頼るより仕方がないじゃないか。裏切られた思いが募った、
背けた顔は反対のほうへ向く。
アメリカ主導の戦後民主主義を唱和する、自称進歩的文化人の言に飛びつき、
「これこそ正義だ」と「錯覚」してきたのでしょう。
----これはたろおじさんの言われるとおり----
しかし当然のことながらアメリカも、あくまで自国利益優先です。
自国に不利益になる政策は実行しません。
「閑話休題」
それは今回のイラク問題で実証された通りです。地球上にある大量破壊兵器の
過半数をもつアメリカが、
「イラクにも大量破壊兵器がある」と無根拠に断言し、その撲滅を大儀として
始めた対イラク戦争。
捕虜となったアメリカ軍兵士の姿が映像で流されたとき、米政府はジュネーブ
条約違反であると強い口調で抗議していました。
捕虜となった男がイラク人であれば、無抵抗な姿を全世界に流しても許される
とアメリカは考えているのでしょうか。
彼らの、アジア人に対する根源的な民族蔑視感を抜きにしては、到底理解し得
ない事です。
いったい誰が大嘘つきの好戦家なのか、そろそろ私たちは気づくべき時期にき
ていると思います。
└──────────
┌──────────「mugaikojiさん」―――――――― 2004/02/06
―― 押し付けられた市民という言葉。
戦前の“市民”は、江戸幕府ができる前もできた後も諸藩・諸国から来た武士
の家族、主として経済を拠りどころにした町民たちが、生きていく知恵として
生まれた助け合いの精神、それが向う三軒両隣的感覚を醸成し、それにより市
民が構成されたのでしょう。
明治政府はその形成過程を尊重・利用して市民という言葉を使って市民の権利
と義務を与えていたと思います。周辺地域との対立により派生した欧米的民主
主義の“市民”とは成り立ちが違うのですが、戦後GHQは、最も重要な政策
にその基盤を無視し続けたわけです。
かっての日本人の社会基盤が破壊されたため、今日の身勝手な履き違えた民主
主義が横行し、愛国心どころか隣人愛さえ失ったのだと思います。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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