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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ 自虐史観の枷を解く(1) ―――――――――――― 2003/12/05
私見満州国論(4)に対して、読者の NOGU さんという方から反論を頂きました
ので、これにお応えしながら私見を綴ってみたいと思います。
┌──────────「 NOGU さんの反論(1)」
│
│・ポツダム宣言第6項には「日本国国民を欺瞞し、これによって世界征服を
│しようとした過誤を犯した者の権力及び勢力は、永久に除去されなければな
│らない。」とありますから連合国が行った占領政策は当然でしょう。
│
│いいですか、「権力」だけでなく「勢力」を「永久に除去」することを日本
│が受諾しているのです。
│
│・ポツダム宣言からみれば、連合国が行ったことはあまりに不十分でした。
│天皇制や神道の廃止が不可欠であり、また処刑された戦犯もあまりに少な過
│ぎましたが、米国は「日本を反ソの城塞とする」という意図を持っていた為
│軍国主義勢力を温存したのです。
│
│そのために、あなたのような妄言を吐く連中がいまだに残っているのです。
│
└──────────
―――― いまだに東京裁判史観に呪縛されている人たちに贈ります。
「不正なる東京裁判の害悪は、原子爆弾の被害より甚だしい」
△△ 東京裁判におけるパル判事の言葉 △△
最初に述べておきたいのは、"戦争責任は日本にはない"という事実です。
――日本が世界征服をしようとした?
ご冗談でしょう。 ナチス・ドイツと日本は違います。
何故日本が大東亜戦争に突入せざるを得なかったのかご存知でしょうか?
日本は自衛のための戦争だったと証明してくれたのは、皮肉なことに東京裁判
の開廷を命令したマッカーサー(元帥)自身でした。
朝鮮戦争が始まってから、アメリカは自分たちがやっていることが、明治以来
日本がやってきたことと同じだと気がつきました。
――朝鮮半島に一方的に入ってきたのが清国で、それが日清戦争。
――朝鮮半島に軍港をロシアが作り始めて、それが日露戦争。
朝鮮半島まで大国が迫ってきたら日本は黙っていられない非常事態だというこ
とが、アメリカにもマッカーサーにも分かったのです。
そこで日本に対するアメリカの態度がガラッと変りました。
「いや、日本は悪くないんだな。日本は悪いと思ったけれど、戦争が終わると
ゲリラひとつやらないし、軍隊は粛々と武装解除をしたし、いま朝鮮戦争が起
こってみたら日本の立場も良く分かった」というわけで、アメリカは賠償をと
らないことにしました。
最初に賠償要求を放棄したのはセイロンですが、それはアメリカがNOと言っ
たら駄目です。NOと言わないどころか、日本は悪くなかったというところか
ら講和会議が始まったわけですから、交戦国は全部賠償を放棄したわけです。
イギリスもシナもオランダも取らない。
日本が賠償したのは、独立していないのに戦場になって迷惑を被った国、当時
国家として成立していなかった、フィリピン・インドネシアといった国だけで
した。ーーアメリカの意思が明確に働いたのです。
―――― そして、
----東京裁判は、残念ながら朝鮮戦争の一年半前には終わっていましたが----
マッカーサーがさらに理解し得たのは以下のようなことでした。
東京裁判で、日本はしきりに満州のことをあそこは防共の砦と言っておったな
と彼は思い当たったはずです。
マッカーサーは満州爆撃を主張しました。
満州にまで手を伸ばさなければ、そこにドンドン武器弾薬が集積され、鴨緑江
で守っているだけでは朝鮮の争いは終結しない。補給線を断たない限り北から
の敵はけっして降伏しない。だから補給基地を爆撃しなければならない。
という事で満州爆撃を主張するに至ったのです。
それから東シナ海に面した中国の全てを封鎖しなければならないとも考えた。
要するに、かつて日本が考えたことと同じことを考えた。だから勿論、日本に
とっての満州国の意味も理解できたのです。戦前の日本が危惧していた“北の
脅威”の意味も“共産主義の脅威”の意味も理解できた。
だから賠償なんか取れなくなったのでしょう。満州まで爆撃を主張してやまな
いマッカーサーに対して、トルーマンがそれはちょっとヤバイよ、とその進言
を拒否、二人の意見が対立します。
ソ連は原爆も開発しているし、全面戦争になったらえらいことだ、ということ
もあってトルーマンはマッカーサーを罷免してしまった。
結果はマッカーサーの予言の通り負けてしまってズルズルッと北緯三十八度線
まで押し返されてしまった。その後再びソウルが占領されそうになったので、
今度は脅しで、ソウルをとられるようなら原爆も辞さず、というような経過で
あそこが境界線となったわけです。
―――― そして、
東京裁判が結審し、東条英機ら7人が絞首刑になっ約3年後の昭和26年5月
3日、GHQの最高司令官を解任されたマッカーサーはアメリカに戻って上院
軍事外交合同委員会で大演説をぶちます。
その証言で極東の情勢を縷縷分析してみせるのですが、なかにこういう趣旨の
発言があります。
┌--------
│戦前の日本が、近代産業を支えるために持っていた天然資源はたった一つ。
│それはシルクワームズ。蚕だけ。そのほかの近代産業に必要な石油、ゴム、
│タングステン・・・これらはすべて東南アジアにあった。日本になかった。
│
│しかし我々は日本にこれを売る事を禁じたのである。したがって日本がこの
│前の戦争に突入したのは、主としてセキュリティーのためであった。
└--------
少し長くなりますが、極めて重要な証言ですから「東京裁判:日本の弁明」=
小堀桂一郎編)から引用してみます。
┌──────────
│問:
│では5番目の質問です。中共(原語は赤化支那)に対し、海と空とから封鎖し
│てしまえという貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利
│を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか?
│
│答:
│その通りです、太平洋において我々は彼等を迂回しました。我々は包囲した
│のです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島にひしめい
│ているのだといふことを理解して頂かなくてはなりません。
│
│その半分近くは農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
│潜在的に、日本の擁する労働力は、量的にも質的にも、私がこれまで接した
│いづれにも劣らぬ優秀なものです。
│
│歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けているよりも、
│働き、生産している時のほうが幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と
│呼んでも良いようなものを発見していたのです。
│
│これほど巨大な労働力をもっているということは、彼らには何か働くための
│材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有し
│ました。
│しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることが出来ませんでした。
│
│日本は、絹産業以外には固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿が
│無い、羊毛も無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い、その他実に
│多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域に存在
│していたのです。
│
│もし、これらの原料の供給を断ち切られたならば、1千万から1千2百万の
│失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。従って彼らが戦争
│に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られたことだった
│のです。
└──────────
最後のセッキュリティーをどう訳すかが問題ですが、安全保障の必要、つまり
自衛と訳してもいいのですが、むしろこれは生存と訳すべきであろうと思いま
す。生物の場合、セキュリティーは生存と訳されますから。
マッカーサーがこのことにもっと早く気がついていれば、東京裁判は勿論パア
になっていたことでしょう。日本の戦争は生存のため、安全保障のためであっ
たと、マッカーサー自身が大演説の中で明言しているのです。
重要な点は、日本の戦争の目的が侵略ではなかったと言っている事です。
東京裁判をやらせたご本尊が、日本の戦争は生存のための戦争だった、と証言
したのです。日本は侵略国家であったという東京裁判の命題は、ご本尊のこの
言葉で破綻しているのです。
「日本への列強の経済封鎖は、すでに戦争行為である。そこに軍事的包囲網の
脅威が加わって日本は生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた。純然たる必要に
迫られて開戦したのである。真珠湾攻撃が戦争の発火点ではない。」
こう主張してクビになったローガンというアメリカ人の弁護人もいました。
=この稿つづく=
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┃●┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「たろおじさん」
gosakuさんの、12月5日号は、資料的にも大変興味深いものがありました。
こうした積み重ねが大事なのだと思います。先輩に感謝申し上げます。
私の兄は高校時代、左翼の教師に革命の尖兵になれという教育を受けて真っ赤
な時期がありました。私も影響されて小さな紅衛兵でした。
シベリア帰りの父と大激論をしたものでした。
こっちの論旨は言っても、父の論旨は耳に入りませんでした。
「バカの壁」=養老孟司著)の言うとおりです。
異なる立場の意見は頭の中でブロックされて、聞こえていても自分の意味体系
の中に入ってこない。ーー自分にとって意見の異なる相手はバカでしかない。
今はよく判るんですがね・・・
――既に亡くなったシベリア抑留者の息子より。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
当時、生活物資すべてが不足していました。一部の“闇屋”を除いては皆貧し
く、配給食糧だけで餓死(栄養失調死)した裁判官(判事)が話題になった時代で
した。ーー貧困がアカへと追いやった一面もあったのではないでしょうか。
当時の文献を読むと、麦混じりの七分づき米が一日二合、その配給も欠配した
りで、芋や雑穀で代用して飢えを凌いだ時代で、教職員組組合では雨具と地下
足袋と自転車を要求しています。砂糖や油どころではない。
味噌やマッチ、石鹸さえ途絶えがちな耐乏生活のなかにあったのです。
こうした貧しい日本においては、労働者のストライキが頻発しました。
最近、ある教員養成大学での講義中のこと、文献を声を出して読んでいた学生
が「日教組(にっきょうそ)」を「にっきょうぐみ」と読みました。教員を目指
す学生が大半を占める大学の学生でも知らない者がでるようになった日教組。
かつて日教組の方針や行動が大きなニュースになり、日教組の大会が開かれる
都市には全国から右翼団体が押しかけることが恒例となっていました。
ーーそんな事象も今は昔の出来事となりました。
ベルリンの壁が崩れ、ソ連は崩壊し、東欧は自由を取り戻し、社会党は消え果
て、日教組もガタガタになっています。親分のソ連がなくなって指導者を失っ
て、護憲だけを念仏のように唱える日本共産党は、今回の選挙でも大幅に議席
を減らして、もはや見る影もありません。
ーー国民大衆がなぜ社会主義政党から離れていったのか、自省する必要がある
でしょう。
「たろおじさん」の仰る通り、自分の意見を言い募るばかりで、相手の意見に
まったく耳をかさなかった人々の末路なのでしょうか?
└──────────
┌──────────「無骸居士さん」
NOGUさんのような、戦勝国側の言い分を鵜呑みにして歴史を語る人が一部にい
ることには驚きませんが、日本は戦争回避のための努力をした事実は否定でき
ません。
極東軍事裁判のようなことができる権限など、どんな国家にもないでしょう。
ポッダム宣言は、憎しみと戦勝国側の立場で書かれたもので、敗戦国の国民の
ことなど顧みられてはおりません。
国家は国民の利益を守らねばならないのです。戦争前に、政府が国民の困難を
軽減すべく努力するのは当然でしょう。
戦争に至った過程をもっと精査すべきです。
戦争が謀略によって惹起される事実は、今回のイラク戦争でも明らかです。
日本は戦争の回避に努力しました。しかしある米国諜報機関の謀略と、暴走し
た一部の軍人のために止むなく戦争に踏み込んでいった事実が明らかになりつ
つあると思います。
いつもお世話になっております。よろしくお願いいたします。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
今日のマスコミは、アメリカなど連合国との戦争を「太平洋戦争」と呼んでい
ますが、当時、日本人はそれを「大東亜戦争」といっていました。
日本はなにも太平洋だけで戦ったのではなく、シナ大陸や東南アジアにおいて
も戦ったわけですから、太平洋戦争という呼称は事実を表していません。
そもそもこの太平洋戦争という呼称は、戦後、GHQがプレス・コードを作り
言論統制を行った結果使われるようになったもので、素性のいいものではあり
ません。
日本で何故「大東亜戦争」という呼称が用いられたのか? これは国際経済の
ブロック化やABCD包囲網によって日本の存続が危機にさらされた事に由来
するものです。なにせ当時は石油まで止められたのですから、そのまま座して
いれば艦艇の一隻も動かせなくなるのは目に見えていました。
そんな状態では"国を護る"という最低限のことも不可能です。 どの国からの
輸入も不可能なのであれば、日本は日本なりの生き残り策を行うしかありませ
ん。
そこで「大東亜共栄圏」というアイデアが生まれました。これは東南アジアを
欧米の支配から切り離してもやっていける経済圏にしようという意味でした。
こうした事情から前次の戦争は、侵略というよりはむしろ、自衛のための戦い
といったほうが事実に則しているのです。
―― この事は、米国議会においてマッカサーも証言しています。
しかも東南アジアにおいて日本は、そこの国々を侵略したわけではなく、白人
に支配されている状況から解放しようとしました。そうした意味では白人支配
からの解放戦争でもあったわけです。
実際に前次大戦中に独立まで到達できたのはフィリピンとビルマだけだけでし
たが、その他の地域についても民族自決の国家を作ろうとしたのは明瞭な事実
です。
それは軍事力を用いた解放ではありましたが、しかしその当時、東南アジアの
植民地を解放しようと思うならばそれ以外に方法はなかったのです。
ーーそして日本が負けたとき、連合国はいったい東南アジアに何をやったか。
イギリスもオランダもフランスも、日本が解放した地域を再び軍事力を用いて
植民地にしようとしました。白人たちが、東南アジアを利権の対象としか見て
いなかったことはこの一事からしても明白です。
ーーけれど白人の支配はその後長くは続きませんでした。
戦後再び戻ってきた白人たちに対して、民族主義者たちが頑強な抵抗を示した
からです。一度、民族自決を経験した人たちが「もう二度と昔の姿に戻りたく
ない」と思ったのは当然の帰結です。
そして東南アジアは続々と独立を実現し、植民地はまったく消えうせ、日本の
念願がついに叶うことになったのです。しかも、戦後急速に復興した日本から
進出した企業が活躍した事によって、東南アジア全域が富み栄え、日本にとっ
て東南アジアとの貿易量がアメリカとの貿易量とほぼ同じにまでなるようにな
りました。
今後は、アメリカよりも東南アジアのほうが、日本にとって重要な貿易相手と
なるでしょう。ーーこれは戦前の状態から考えると夢のような状況です。
戦前の日本は、アメリカやイギリスからは貿易を止められ、東南アジアからの
輸入も支配者の白人によって止められ、窒息寸前の状態になっていたのです。
しかし今やそんなことは再び起こり得ない。東南アジア諸国と我々は自由貿易
をしており、こうした流れを妨害するような勢力はどこにも存在しません。
もし戦前において現在のような状態があったならば、日本はあの大戦争をしな
くともよかったのです。
└──────────
┌──────────「mitsukoさん」
初めてお便りします。≪WEB 熱線≫は興味深い記事が盛り沢山で、楽しく勉強
させてもらっています。私は戦後生まれの海外へ行ったことのない主婦です。
ずいぶん昔に聞いた話なのでうろ覚えの部分もありますが、母方の叔父(既に
亡くなっています)の話を思い出しました。
叔父は第2次大戦のビルマ=現ミャンマー)戦線からの生還者でした。
「突撃!と命令された時、ふと振り返ると指揮官が敵に背を向けて逃げていた
ので、自分もその後を追って助かった」と言っていました。命令に従って突撃
した戦友達はみんな死んでしまったとのことです。
叔父は毎年、戦友の骨を拾いにビルマへ通っていました。
英軍は赤外線(?)で日本軍の来ることを感知していたそうです。さらに、
「あちらさん(=英軍)は自分等と違って、将校が先頭に立って攻撃してきた」
とも言っていました。
また、逃げる時だか捕虜になってからのことかは判りませんが、非常食として
出されたチーズを、日本兵達は「こんな石鹸みたいなものが食えるか」と言っ
て捨てたのだそうです。そしてほとんどの人が栄養失調で亡くなったとか。
叔父は生家が食堂だったのでチーズを知っており、戦友の捨てたチーズを拾っ
て食べて生き残ったそうです。それでも帰ってきたときはガリガリに痩せてい
たとのこと。私の知っている時期の叔父はふっくらと太めでしたが。
この話を聞いた時、私はまだ学齢前の子供でしたので、ハッキリと意識してで
はありませんが、次のようなことを感じました。
つまり「お金持ちは生き残るんだなあ」ということです。
英軍の圧倒的な火力や科学技術、叔父の食経験ともに、経済的な豊かさを感じ
たのです。
それと、拒否できない命令で、殺されるとわかっている突撃をした人たちは、
どう思ったのでしょうか。
無能な指揮官に従うことも愛国心の証明だと思ったのでしょうか?
家族と国を守るべき貴重な命を無駄遣いするような作戦で、異国のジャングル
で傷つき死んで行った人たちはさぞや無念だったことでしょう。
部下を死地に追いやって逃げ出した指揮官はどうなのでしょうか?
余計なことかも知れませんが、戦後どのように生きているのか、生きて帰った
のか、知りたいものだと思います。
戦場では、平和な今に生きる私には理解しきれない(理解できる立場になりた
くない)何かがあったこととは思いますけれど。
また、十分な武器・弾薬・機器・食料そして有効な作戦や有能な指揮官もなし
に、人々に「殺せ」「死ね」と命じて遠いジャングルへ送り出した当時の指導
者達は何を考えていたのでしょうか。
今の日本の権力者たちの顔がダブります。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
Mitsokoさん、コメントありがとうございます。
面白いですねー、「突撃!」と叫んで自分は後ろ向きに突撃ですか!?
ーーたくさんの中にはそういう指揮官もいたんでしょう。
よほど命が惜しかったのか?またこの戦は絶対負け戦だと解っていたのか。
それにしても、これは実戦経験がない人にはなかなか信用してもらえない話で
す。僕も軍隊経験がないので偉そうなことは言えませんが、そんな隊長は多く
はなかったと思いますよ!
僕の同期には、特攻で敵に体当たりして、またその途中で武運つたなく散って
いった戦友がたくさんいました。彼らは皆純粋に祖国の勝利を信じ、自分が護
らなければならない人々をを護る礎になって散っていったのです....。
彼らは戦後の一時期、犬死のように言われたことがありました。しかしそんな
事はありません。あの人たちの念願通りに、日本は大丈夫な国になりました。
――勇敢に戦い、戦死された方々のお陰です。
「靖国の英霊たちよ!!御身たちの死はけっして犬死ではなかったぞ!!」
└──────────
┌──────────「Jan さん」男性@六十代@自営業@神奈川
「私見満州国論」楽しみに読んでいます。
当時の日本のおかれた立場をよく分析されておられるので、この文章はもっと
いろんな人に読んでいただきたいと思いました。
歴史は繰り返すと言いますが、米国は、当時日本に対してやった経済封鎖など
を、また現在もそっくりイラクや北朝鮮にやっているではありませんか。
昔の日本と同じように挑発に乗ったフセインは滅びましたが、彼は歴史に学ん
でいないと思います。
ただ、圧倒的な火力を持ち、石油利権を手に入れるために、反米の現政権を倒
すと決めていた米国に抵抗のしようがなかったのでしょうね。
米国の他国侵略の手口は昔から同じなのに、残念です。
ところで日本の多くの人々が、敗戦後の米国の宣伝の洗脳の呪縛から抜け出せ
ないでいるのは残念ですね。gosakuさんの言葉に、
>目を覚ませ日本人!自信を持て!
>先人は止むに止まれず負け戦をしなければならなかったけれど、
>悪い事をしてきたわけではない!
というのがありますけど本当だと思います。しかし、YAMAKINさんのおっしゃ
る「進歩的文化人」と称する人々は、いまだに毒を撒き散らしているのです。
σ(^^);(←わたし)はボーイスカウトのリーダーをしていますが、キャンプ地
で、日曜日には朝の集い(朝礼)に「スカウツオウン」という宗教行事をやりま
す。ーー事件はその時起こりました。
「スカウツオウン」を行うために招いた神父さんが「私は日の丸には忸怩たる
思いがある」と言って、朝礼時の「旗揚げ」にそっぽを向いていました。
ボーイスカウトでは、全員がポールに揚がる国旗に注目し、敬礼をするのです
が、この神父さんの態度を見て「お前は日本人ではないのか」と言いたい気持
ちでした。
そして、それまで神父さまを尊敬の目でみていた少年たちにも、態度に微妙な
変化が現れたのは仕方がないことでした。
σ(^^);は仕事で海外に出かけることが多く、いろいろ行った先々の国の事情
に合わせる必要がありますが、どこの国に行っても国旗に背を向ける人は見た
ことがありません。
σ(^^);は少年たちに「諸君はどこに行っても日本人だ。行動に日本人の誇り
を持とう。」といつもカッコいいことを言いますが、大人の指導的な立場にい
る人の中に、まだこのような人がおられるのは残念です。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
Jan さんはボースカウトの指導者ですか。尊敬しちゃいますねー。
ボーイスカウトの発祥は、うろ覚えですがたしか英国でしたね。
趣旨は言うまでもありませんが
「少年の心身を練磨し国家・社会の善良有為な公民にすること」
でした。
お話の神父さんはよほど国旗にまつわるいやな思い出があるのでは?
しかし国家あっての宗教です。国旗は国家の象徴です。
国家を愛さないで宗教だけ愛する人が育っていけば国は滅びます。
どこの国に国旗を尊重しないところがありますか。昨今の日本人の多くは経済
だけに重点を置いて祭日に国旗を掲揚しない家庭が増えています。
全く情けない!!
σ(^^);も、少しばかり義務活動(Volnteer)していますが(残留孤児関係の
中国帰国者に日本語と生活指導)彼らは日本人とはいえ、もうすっかり中国文
化にassimilated されていて、言葉より生活習慣の違いを克服するのが大変で
す。
Jan さんのお話しの国旗問題を彼らとよく話し合ってみたいと思っています。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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