┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃
┃ 満州回顧録続編 ――――――――――――― by gosakuさん
☆ 私見満州国論(5) ――――――――――――――― 2003/11/28

┌―――― 竹森一男著「満鉄興亡史」88ページよりの抜粋。(秋田書店)
│
│中国は、いつも内乱を起こしていて主権確立が難しい、日本の力で治安維持
│を行い、各民族共栄でやって行けば発展することは目に見えている。なにも
│日本だけの権益を考えているわけではなかった。
│
│日本が満州、モンゴルを占領し、統治方法は総督府とする。
│
│日本人は、軍事と大規模な企業、中国人は商業と農業、朝鮮人は水田、蒙古
│人は牧畜といった具合に、各々の特性を活かすことにあるのだ。
│
│したがって、満州、モンゴル領有の構想は在満3千万民衆の共同の敵、東北
│軍閥を倒すことで各民族の幸福と発展を促すことが目的とならなければなら
│ん。満州の現住民は、漢民族より大和民族に近い。
│
└――――
これは、関東軍参謀だった石原莞爾が提唱した満蒙領有計画である。

石原参謀が構想していた「満蒙問題の一挙解決」は軍事占領であり、最終的に
は日米戦争をも覚悟しなければならない危険な賭けであった。
石原は主張する、

「英雄が現れて、徹底的武力をもって職業軍権者、職業政治家を一掃する以外
 においては、治安維持を適当なる外国に託する外に道はない!」と。

彼は中国人自身の幸福という観点から
「満州3千万民衆の共同の敵たる軍閥官僚の打倒こそは、わが日本国民に与え
られたる使命なり」と唱えたのだ。

私は、石原の満州に対する歴史認識、そして満蒙新国家構想は、じつに歴史の
本質を捉えたものだと考える。東アジアの将来を見据えた、雄大にして素晴ら
しい構想である。それ以外には当時の満州が歩むべき道は無かったからだ。

戦後の歴史学者は日中韓を問わず、"日本帝国主義"批判を繰り返しているが、
中国史への歴史認識が少しでもあれば、「満蒙領有こそ正義」という主張がど
れほど正しいかわかろうというものだ。

満州国の舞台裏の主役が日本人であったことは否定しない。しかし、日本人を
主役とする満州国経営は、台湾、朝鮮半島経営経験の反省から、諸民族の共存
共栄を目指しており、列強諸国の如何なる植民地経営とも異なっていた事を知
るべきである。

アジアにとって満州こそが、初めての多民族複合社会としての近代国民国家の
大実験場であった。民族共和という夢は、こんにちに至っても、いかなる国家
であろうと成功していない。諸民族の溶炉と思われるアメリカでさえ、黒人、
ヒスパニック・オリエンタル(東洋系)など様々な民族(エスニック)問題の克服
に苦しんでいる。

ソ連は、社会主義というイデオロギーを掲げながら、宗教と民族問題について
まったく克服することが出来なかった。
「諸民族の牢獄」と囁かれた社会主義諸国は官僚制の腐朽から解体した。こん
にちのエスニック問題は、東欧に限らずどの国でも民族紛争の火種としてくす
ぶっている。

満州国は民族協和の理想を掲げながらも、一等は日本人、二等は朝鮮人、三等
は漢満人という目に見える民族差別があったと指摘されている。だが民族差別
といえば、中国人の華夷意識以上のものはない。中華の民以外、すべて禽獣か
半人半獣としか見えないのが中華思想の伝統、華夷意識なのである。

満州の地は、一部の満州人やモンゴル人、あるいはモンゴル系とツングース系
少数民族を除くと、日本人も朝鮮人も漢人も、ほとんどが外来移民である。
どちらかというと、アメリカあるいは中南米の国々と、ほとんど変りがない。

満州国の政府諸機構をはじめ、技術者の大多数は日本人であった。人口の絶対
多数が漢民族であっても、それはやむを得ないことだ。中国人が農や商の民で
あるといわれるように、そもそも日本人は匠の民である。

ましてや識字率が二割に達しなかった中国と異なり、江戸時代から教育水準が
高く、明治維新以来、六十年以上も近代人として近代産業社会の洗礼を受けて
きていたのであるから決して不公平などではなかった。

満州国の主役は日本人であった、これは事実である。人口比率からいけば日本
人は三十分の一前後しかなかったものの、日本人がいなければこの国は成り立
たなかったであろう。

それにはいくつかの理由がある。まず強力な関東軍がなければ、ロシアと中国
の軍閥政府から国家の安全を守れなかったであろうし、その上、満州国民であ
る諸民族の中では、当時、人的資源は教育水準の高い日本人以外にはいなかっ
た。

また産業投資はほとんどが日本からだった。
満州国国債は日本国民からの資金を充てたものであった。

かつて満州国総務長官であり、帰国後に国務大臣企画院総務を務めた星野直樹
氏は、「見果てぬ夢」の後書きにこう感想を書いている。
┌──────────
│その間、満州の状態は一変した。治安は完全に確保され、国内にはひとりの
│兵匪もいなくなった。農業国から立派な工業国となり総生産額は倍増した。
│国民生活も目覚しく向上した。
│
│東亜各地から集まってくる人は数多く、三千万人であった人口は五千万人を
│超えるに至った。
│治外法権は撤廃され、満鉄付属地は廃止された。日本人も満州在来の人々と
│同じように税を納め、法規に従うこととなった」
│
│生まれ出た満州国を、ひとり主導的地位に至った日本人のみならず、ひろく
│東亜諸民族が力を合わせて開発、発展せしめ、その恩福を広く等しく各民族
│の間に分かち、ここに新たなる楽天地をつくりあげようと、日本の若き人々
│は進んで満州国に集まってきた。
│
│新しい天地を開き、新しい国造りに参加せんとする純粋な心持であった。
│オーエン・ラチモアは、満州を東亜闘争の揺籃と呼んだ。満州国の出来るま
│での満州はまさにその通りであった。これを一転して東亜和平の揺籃としよ
│うというのが、満州国の建設にはせ参じた者の偽らざる心持であった。
│
│満州国の歴史には、外地、植民地にありがちなスキャンダルは全くなく、官
│場は終始清潔を保ち続けたのもこのためであろう。生命僅か十三年、満州国
│の建設はついに見果てぬ夢に終わった。
│
│しかしこの間、日本の若き人々の費やした努力と苦心とは永久に日本民族の
│誇りとするに足るものであると確信する。満州国建設の仕事に参画する事が
│できたことを、いまも幸福と考えているのは決して私一人ではないと思う」
└──────────

長く引用したが、満州国は「傀儡国家」であり、日本帝国主義の「侵略」「搾
取」の結果で、満州国史(東北史)は虚構である、としか認識できない進歩的と
称せられる学者と異なり、満州国建設に携わった関係者のひとりであることを
誇りにしている日本人もいるということを知っておかなければならないであろ
う。

                  = この稿おわり:次の記事へ =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「YAMAKINさん」 貴重な御説を読ませていただきました。 私は「戦争を知らない子供たち」の団塊世代なんですが、これを読んでいて、 ふと、昔父と話したときのことを思い出しました。ーーー私は当時大学生で、 その「進歩的文化人」達に毒されていました。 父は私より24歳上です。現在も元気です。 20歳で学徒出陣で、いきなり60人の兵隊の隊長になったわけです。その父 と戦争の話をしたときに、トーンは違いますが当時の日本の正当性について父 も GOSAKU さんと同じようなことを話していたと憶えています。 私はそのとき反撥しました。 だって戦争当時の日本を知らなかったわけですから。 その後私も歳をとり、それなりに当時の父の心境を推し量ることができるよう になりました。父の希望で2人一緒に満州旅行のツアーに行も行きました。 そして分かりました。 確かにこの時代の青少年にとってはそれが青春だったのですよね。 だから戦乱でたくさんの命が奪われたのだけれど、何か明るさというか前向き なものが一人一人にあったと思います。その心情で書いている人と時代背景の 違う日本人とでは多少温度差が存在するのだと思います。 私も GOSAKU さんの満州論に、たまにですが「ちょっとそこまで言っていいの かな」と感じるときもあります。まして中国人では違うでしょう。 ----中国人でも世代によって温度差があるのでしょうね。 ですから、歴史を語るときは事実は1つであっても、みんながそれぞれ温度差 の違いを持っていることを、わきまえて書いたり読んだりするべきでしょう。
└────────── ┌──────────「gosakuさんから」
YAMAKINさん ご愛読ありがとう御座います 私見満州国論は度々申し上げているように、私見です。しかし、僕と同年代の 方々は、たぶん多くの部分で共通の認識をもっているのではないでしょうか。 東京裁判史観で汚染された歴史教育を受けて成長なさった団塊の世代以後の人 たちが、突然、大東亜戦争の正当性を聞かされても反発がでてくるのは当然で しょう。 ┌-------- │先の大戦で、日本はアジアの各地で大虐殺を行った。それはちょうど │ナチス党支配時期のドイツが欧州で犯した犯罪と同じようなものだった。 └-------- △△ こう思い込んでいる日本人はたくさんいると思います。    しかしこれはとんでもない間違いです。 ナチス党を率いるヒトラーは行政命令を発し、ドイツ国内の病人7〜8万人と 障害者1〜2万人など約10万人を「劣等者」であるとして殺害しました。 日本でそんなことがあったでしょうか? さらにナチスは、ユダヤ人を絶滅させるためにアウシュビッツなどの強制収容 所に送り込んで500万人のユダヤ人を虐殺しました。日本はどこかの民族を 絶滅させようなどと考えたことは一度もありません。 △△ 西尾幹二「異なる悲劇・日本とドイツ」文芸春秋)△△ ーーまだまだ多くを語らなければ納得できない方々もいらしゃるでしょうが、 今日はこれぐらいにしておきます。 あとは「私見東京裁判論」で述べさせていただきます。 └────────── ┌──────────「気分は情報無限さん」男性@三十代@大阪 恐らく日本人がまったく悪い事をしなかった訳ではないでしょう。食い詰めた 人間が流れ込める場所を近場に造ったのですから、ヤクザやゴロツキまがいの 輩も大勢渡っていった筈です。 最近、住専管理機構の弁護士中坊公平さん(個人的に敬愛しています)が詐欺罪 で刑事告発されるところを、自主的に弁護士免許を返上することで起訴猶予だ か不起訴処分だかにされたという記事を新聞で読みました。 だから、当時の満州国政府でも汚職官僚はいたでしょうし、関東軍がアヘンの 密売をしていたのも有名な話です。 それでも軍閥割拠の民国よりは「理想郷」だったのも否定できない事実だと思 います。少なくとも餓えさせたりはしなかったし、満族語も禁止にはしなかっ たのですからね。 私は戦後生まれの人間として戦前の日本、とりわけ軍部を全面肯定は出来ませ ん。同時に否定するのは罪悪だとも思います。 そもそも民主主義をとやかく言う人に限って「大正デモクラシー」を軽視ない し無視するのは何故なんでしょうか? 恐らく「東京裁判史観」を崩壊させる歴史的事実が数多く眠っているからに違 いありません。 なにはともあれ高度情報化社会になればなるほど「自分が何を知らないかを知 る」ことが大事なんだと実感させてくれる良いお話でした。
└────────── ┌──────────「gosakuさんから」
気分は情報無限さん、いつも貴重なご意見ありがとうございます。 おっしゃるとおり、いずこの国にも多かれ少なかれ悪いやつはおるものでござ います。 満州には大陸浪人といわれるゴロツキどもが日本人の優位性を誇示し威張りち らし、暴力をふるって満人ばかりか同胞からも顰蹙を買っていたことも事実で す。 しかし、大部分の日本人は五族協和の理想郷、新生満州国建設の希望に燃えて 懸命の努力を惜しまなかったのは紛れもない事実です。 明治以後の日本は、一方的に侵略し、荒らしまわり、悪い事ばかりした国だ、 という勝者の言いたい放題を世界に広めた東京裁判の帰結が尾をひいて、いま だに被虐史観から抜け出ることが出来ない方々も多くいる現在、 数少なくなってきた僕たちの世代は、大きな声で  目を覚ませ日本人!自信を持て!  先人は止むに止まれず負け戦をしなければならなかったけれど、  悪い事をしてきたわけではない! ―― 叫び続けます。 └────────── ┌──────────「覚吾人さん」50代@男性@フリーランス@関東 「満州回顧録」「私見満州国論」を拝読いたしました。満州の位置づけ、あり がとうございます。支那や半島の民族は、いずれも征服されることに慣れ、真 の独立を知らないと感じました。 ソ連の参戦。その後の満州論での悲惨な状況。どんなにしても報われなかった 日本人。ソ連軍の暴虐ぶり。同じ国民でも奴隷とされて動物のようにしか生き られないソ連軍囚人部隊――――。 恐ろしい白人の奴隷文化。ましてや白人以外なら、人間以下として扱って自ら の繁栄を築く。その身勝手なルールはいまだに続いていて、自らが行なってい る奴隷文化には触れずに、中東やアジアでの人権侵害を非難する。 鯨の保護は叫んでも、飢えた有色人種は見殺しにし、潤沢な資金を使って日本 人を非難する。これは、何かしら理由をつけて日本人を叩いておくという戦略 でしょう。叩きに叩く、国連にも味方などいない――――。 ーーー有色人種は、白人の論理の前に奴隷であることをみせつけられる。 中国など、どうにでも操れる白人の奴隷でしょう。同じアジア人にどれだけの 手を差し伸べたのか。白人から一生懸命武器を買い、同じ有色人種に向け続け ている。日本が永遠の敵であるように中国人に洗脳し儲けている連中がいる。 その武器で頑丈な小学校が幾つ建つのか。白人にとっては笑いが止まらないで しょう。アヘン戦争では、捨てたアヘンの賠償までさせられたのに、日本が敵 だといわれると、白人から武器まで買って日本に備える。 白人に侮られるわけだ。ーーー白人は奴隷根性の扱い方を知っている。 有色人種は、白人の論理の前に奴隷となっている。これからも有色人種の間に は、国家緊張と民族緊張が、白人の隠れた勢力や表立った国家から捏造され続 けるのでしょう。 長くは続かないとのご達見もありましたが、そこのところをもう少し詳しくお 話しいただけないでしょうか。もっともっと、後世の日本人のために書き残し てください。 われわれは日本人です。唯一、非白人の植民化民族です。これを衿持として、 いまだに白人の眼を窺いながら暮らさなければならない有色人種同胞に、報わ れないかも知れないが、堂々と生きる道を、情報操作に惑わされることのない よう示していただきたい。 ーーー極東の緊張は、利を得る者によって作られたものである。
└────────── ┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
人間の姿形はしていても人間に非ざる生物=奴隷。 ーーーこの考え方が絶対に理解できない日本人のDNA・・・「犬と中国人は 入るべからず」=犬と中国人は同じ)これが白人の基本的認識ーーーだという ことが分かっていない日本人――――。 こんなことを書くと、日本人からはまた反発されるだけと分かってはいても、 「鯨の保護は叫んでも飢えた有色人種は見殺し」・・・こんなあからさまな事 例を見せ付けられながら、それでも盲いたままでいる日本人の感覚のほうが、 わたしには理解できません。ーーー即ち有色人種は鯨以下という意味でしょ? 人種差別峻厳な頃の南アで、名誉白人とかおだてられて、その真[まこと]の意 味も理解できず、ホイホイ浮かれていた日本人――――。日本以外の場所では 日本の常識がはたらいているわけではない..んですよね〜〜〜 (-ε- ) └────────── ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
満州回顧録の目次に戻ります







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送