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┃ 満州回顧録続編 ――――――――――――― by gosakuさん
☆ 私見満州国論(4) ――――――――――――――― 2003/11/21

―――― 満州国は日本の傀儡国家?

東京裁判では、満州事変以後の日本の行動はすべて侵略ときめつけられたが、
この当時の日本軍の行動は、当時の先進国と呼ばれた国ならどこでもやってい
ることである。

それなのに、同じ事を日本がやれば侵略で欧米がやれば侵略でないという理屈
がどうして出来るのであろう。

昭和6年(1931年)当時の満州で日本が軍事行動したことについては、国際
法上何の問題もないのである。というのも、第一に日露戦争のポーツマス条約
において、日本はロシアから南満州における権益を譲られている。

これは、当時のシナ政権も承認したことであって、なにも不法に満州に入って
いったわけではない。しかも満州にいた日本人が満州事変当時、シナ人によっ
て危険な状況にあったのも動かしがたい事実である。

このころのシナ大陸は、軍閥が割拠し、また中国共産軍もいて、乱れに乱れて
いた。しかもアメリカの排日政策に勢いを得て、シナ人には排日・侮日の気運
が強まっており、事あるごとに日本人に危害を加えていたのである。

昭和6年6月、視察中の現役陸軍将校がシナ兵に殺される。続いて満州万宝山
でコリア人=即ち当時は日本人)の農民とシナ人農民が衝突し、コリア人農民
たちが中国官憲の弾圧に遭う。

――話は横道に逸れるが、中国人による朝鮮人迫害にも触れておきたい。

いま韓国・北朝鮮で「日帝」と呼ばれ復讐の対象となっている日本帝国主義は
在満朝鮮人に資金まで与え、中国人の土地を買収させたのである。それを中韓
の歴史学者は、朝鮮人が日本の満州侵略に利用されたと主張する。

しかし、少し考えてみて欲しい。年間数万もの朝鮮人が日帝に利用され、日本
の満州侵略の先兵となったとはどういうことであろうか???
韓国の歴史教科書などをみると、この時代、韓国人がいかに反日抗日を勇敢に
闘ってきたかが記されている。

しかし、これだけ多くの人々が日帝の走狗になるとは情けなくはないか。
あるいは、現在の歴史叙述と矛盾してはいないか。

中国人による在満朝鮮人の圧害は、伝統的にして文化的なものだ。それを日帝
のせいにする学者が多いのであるが、歴史に対する不勉強である。

中国人はいまでも、韓国人を狡猾にして臆病、そのうえ弱者いじめをするとし
て嫌がっている。中国人はかつての韃靼人であるモンゴル人や満州人に対して
伝統的な恐怖感を抱いているが、それとは全く異なる民族的感情である。

ことに日韓併合後の朝鮮人は、創氏改名後は、日本人として中国人に仕返しし
いじめた。日本人が「日本鬼子」とよばれたのに対し、朝鮮人は「二鬼子」と
して日本人以上に在満中国人から恐れられていた。

朝鮮農民は勤勉である。満州に流入した中国人移民は彼等を脅威としてとらえ
張作霖時代から在満朝鮮人への排斥と迫害は極めて陰湿にして過激であった。
朝鮮青年を殺害してその屍を砕き、腹を割いて大通りの真ん中にさらす事さえ
あった。

あるいは朝鮮人の首を切った者に、その首を提出すれば靴二足と賞金四十元、
捕らえてきた者に賞金二十元を与えるなどの事もあった。朝鮮農民の子供を捕
らえると指を切り取ったりもした。農作業が出来ないようにしたのである。

1928年から三年間だけでも、朝鮮人と中国人の紛争は百件を超えた。

その最たるものが万宝山事件で、とく日韓併合後は日本は自国民である朝鮮人
を保護するために中国人と衝突した。日本政府は、自国の国民の生活権を保護
するために、満州の官憲に対して断固たる行動をとらざるをえなかったのであ
る。

―― 満州事変を起こした目的は、このような危機的状況を解決するために、
   軍閥や匪賊を満州から排除するということにあった。

現地の居留民に危害が及んだ場合、本国政府が彼等の安全を守ろうとするのは
今日の世界でもあたりまえに行われていることである。

そしてそのために軍隊が出動するというのは、当時の国際社会で広く認められ
ていたことであった。パナマにいるアメリカ人の生命や財産に危険が及べば、
アメリカ政府は相当強硬なことを行うであろうし、またアメリカの世論は沸騰
するはずである。

それと同じように、関東軍はコリア族日本人を含む日本人居留民の安全を守る
ために実力行使をしたのであって、これは外交上、特に非道なことをやったと
はいえないのである。

しかも、関東軍は満州を制圧したまま居座ったわけではない、満州地方の安全
を維持するため、溥儀を迎えて満州国を作った。これも当時の国際常識からい
えば非常に穏健な方法である。

もし居留民保護を口実にして関東軍がそのまま満州占領を続けていれば、それ
は外交上、多くの問題を引き起こしたであろう。そうした場合は火事場泥棒の
ようなもので弁解の余地はない。侵略といわれても仕方がないことである。

侵略の恰好の例は満州事変の16年前の1915年にアメリカがやったハイチ
侵攻である。このときアメリカは「米国人居留民を守る」という口実でハイチ
を武力制圧し、そのまま19年にわたって占領し続けた。これはどんなに言い
繕ったところで侵略であろう。

だが、関東軍は19年も居座らなかった。

満州事変からわずか一年半後に、満州国の建国宣言が行われたのである。これ
は事後処理としては決して悪くないし、民族自決の観点からいえばむしろ筋の
通った話である。

―― 先に述べたように、満州という土地は本来シナの領土とはいえない。

この地方は元々、清国を作った満州族(女真族)の故郷であり、シナの本流であ
る漢族が所有権を主張できるようなところではない。
しかも当時の満州は、極端に人口密度が少なかった。

英語で言うところの"ノーマンズ・ランド"で、日本人のみならずシナ人やモン
ゴル人が急速に流入していた。キチンとした政権が存在しないまま、このよう
な大量流入が続けば、地域の所有権などを巡って必ず国際紛争に発展してしま
ったであろう。

満州に、満州族の本来の皇帝である溥儀が来て統治者となるアイデアは、民族
自決のみならず、国際紛争を未然に防ぐという上でも優れたものであった。

それは例えば、アメリカを征服した白人が「元々この土地はインディアンのも
のだから」ということで、インディアンの酋長が治める国を作ったか?という
ことを考えてみればいい。アメリカは今日に至るまで、そんな事を一度たりと
もやってはいない。――僅少な自治地域は比較にならないので論外とする――

これに対して日本(軍)は満州に自治国家を作ろうとした。どちらのほうが文明
的であろうか?

しかも溥儀は無理矢理に皇帝に祭り上げられたのではない。彼は自分の意思で
満州国皇帝になったのであり、それを傀儡国家呼ばわりするのは、溥儀の意思
を全く無視したものである。

かつて溥儀は宣統帝として清国を治めていたが、革命のために退位を余儀なく
される。その代わり、退位の条件として紫禁城内に暮らすことが許され、また
生活も保証されていた。

ところが1924年(大正13年)、国民政府内部でクーデターが起こったのを
きっかけに、彼は紫禁城から追い出されてしまったのである。彼が逃げ込んだ
のは北京の日本公使館であった。

日本の吉沢謙吉公使は、危険を冒して公邸に転がり込んできた溥儀を保護する
ことにしたが、溥儀に対しては、

「日本を訪問するとか、満州の日本租借地に行くようなことは絶対困る」
と告げた。

日本としては溥儀を国民政府との駆け引きの道具に使う事も可能だったのだが
それを徹底的に避け、あくまで中国との協調の基本精神を堅持したのである。

―― 極東軍事裁判で、溥儀は「満州国建国の意思は自分にはなく、日本軍に
   命じられて否応なく皇帝になった」と証言した。

あれは真っ赤な嘘である。

そのように証言しないと殺すと脅されていたと推測される。
――彼は敗戦後、ソ連に囚われていた。――

溥儀が父祖の地である満州に戻り、そこの皇帝になりたがっていたことは一点
の疑いもない。ジョンストン卿の「紫禁城の黄昏」なども、動かしがたい証拠
であるのに、東京裁判では採用されなかった。却下しなければ日本の軍人を裁
くことができなかったからだ。

溥儀を皇帝にしようという清朝系の人たちの運動を、当時は「復辟(フクヘキ)
運動」と称していた。このような日本で馴染みの薄い表現であったことも当時
の状況を示す一つの証拠だが、復辟運動の存在を認めることは、満州国の正当
性を認めることであるが故に、現在刊行されている岩波文庫のジョンストン卿
著「紫禁城の黄昏」では、この運動に関係のあった人名を削除している。

ーーなんたる歴史の歪曲であろうか。

――ジョンストン卿は溥儀の個人教師を務めた英国人で「紫禁城の黄昏」とい
う手記を著した。 当時の溥儀の赤裸な姿を知り得る第一級の資料である――

当時日本に友好的な国家が満州に存在することは、ソ連および共産主義イデオ
ロギーの南進圧力に対抗するうえでも非常に助かることであった。

満州に親ソ的な政権が存在すれば、日本もコリアも風前の灯となることは誰の
眼から見ても明らかであった。満州国建国についてアメリカは、国務長官スチ
ムソンの名で「九ヶ国条約(1922年調印)の違反である」と抗議したがイギ
リスは「九ヶ国条約は満州に対してその独立宣言を禁ずるものではい」という
見解を示したうえで、

「九カ国条約は調印国に、そのようなこと(満州国独立)を奨励するようなこと
はしない義務を課した」と指摘して、日本政府の慎重な動きを求めた。

また蒋介石の国民政府は、国際連盟など外交の舞台では日本を非難したけれど
も、実際には兵隊を一人として動かさなかった。これは「元々満州はシナ固有
の領土ではない」という認識から、日本軍がそこから出てこない限りは満州国
を黙認してもよいと判断したからだ、と伝えられている。

したがってその後の日本政府と軍部の連携がよければ、歴史の流れは別になっ
ていたことでしょう。

                  = この稿つづく:次の記事へ =
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