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┃ 満州回顧録続編 ――――――――――――― by gosakuさん
☆ あるシベリア抑留者の回顧談(3) ―――――――― 2003/10/10

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┃そ┃れから四日程経った早朝、急に戸外整列の命令が出た。出発らしい。
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先ず各人の装具の一切を展げ、持ち物検査をされる。日章旗、剃刀、小刀など
刃物類の一切、鋏、針に至るまでことごとく没収された。時計や万年筆などの
貴重品が見つかるとソ連兵が我先に取り上げポケットにしまいこんでしまう。

先に装具点検を受けた中隊から収容所を出て、林口の駅の方向に行進を開始し
た。

林口から列車でまた移動か?と囁きあっていたが、案に相違してそれから二ヶ
月に及ぶ死の行軍の始まりだった。食糧も殆どなく、ボロボロに破れた服をま
とい、夜は野宿し、寝る毛布もなく蓆一枚で、一日およそ7、8里(約30キ
ロ)多いときは十里余の行軍となった。

一日の行程を終えて露営地に着くと、今度は行軍中よりも忙しい大変な騒ぎと
なる。薪を集める者、食糧を探す者、炊事の支度をする者、一夜の仮宿を準備
する者、素早く行動しないと、なにしろ三千名の群れが一気に動き始めるので
あるから5分も経たぬうちに取り尽くされて何も無くなってしまう。

食糧探しと薪取りが最も難しく、一番頑健な者が選ばれて走り回っていた。

雨の日も風の日も、日本に帰れるかもしれないという一縷の望みを頼りに、方
角も解らぬまま数百キロを歩き続けた。林口を出る時は真夏の炎天下ジリジリ
と焼きつくように暑かったのに、何時の間にか十月となり、シベリアはもう冬
になっていた。

途中、力尽きて倒れて落伍してゆく者、逃亡をする者もかなりあったが、彼等
はソ連兵に容赦なく銃殺された。
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┃小┃高い丘から町の全貌をうかがうことができた。
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緑は殆どなく、目の前に広がる光景は干からびたように殺伐として荒涼として
いた。

乱暴に削りとられた石炭の地肌が一帯の印象をどす黒く染め、とげとげしくす
さんだ空気がその上を覆っているようだった。西に傾きかけた日差しが露天掘
りでできた炭鉱の深い渓谷をか細く照らしていた。

歩き疲れた我々は重い足を引きずって、目もくらむような谷沿いの道を一列に
長い列をつくって渡って行った。はるか下に無煙炭が闇の底をのぞかせ、おも
ちゃのように小さく見える機関車がのろのろ動いていた。

間もなく道は右に折れ、緩やかな坂道にさしかかった。その坂を登り切ったと
き、突然左手に頑丈そうな板塀が現れ、それが延々と続いていた。高さは3メ
ートル以上はあるだろう。塀の上には有刺鉄線が張りめぐらされているのが見
てとれた。

とてつもなく高く大きいライチーハの第16収容所だった。目に見えない異様
な雰囲気に圧倒されたように、皆うなだれて営門をくぐり広場に入った。

「収容所だ!」
「もう終わりだ」

うめくような囁きが、あちこちで漏れていた。

「大休止!」

分隊長の号令に、心身とも疲れ果てていた我々は崩れるように地面にあぐらを
かいた。
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┃板┃塀のところどころに裸電球が取り付けてあった。
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四隅には望楼があり、中には哨兵がいるらしくその影が時々揺れていました。
不思議なことに板塀の中には建物が何も見当たらず、、かまぼこ形の盛り土が
見えるだけです。

それが、なんとびっくり仰天でした。

日本の防空壕のような、巨大なその土小屋が我々の居住棟でした。それは冬季
の野菜貯蔵庫か豚小屋だったのでは? 狭い入り口を2、3段降りると、中に
ペーチカが燃えたいてむせるような土の臭いが立ち込めていた。
ちょっと触れただけで空気の中の水分が滴り落ちそうな100%の湿気が感じ
られた。

真ん中を1.5メートルほどの通路があり、その左右に上下二段に仕切られた
板の間の寝台があった。その上に一枚の毛布を敷いて座ったが、その姿は街の
片隅で物を乞う乞食の姿のようあった。

この日から3年間、思いもよらない虜囚として苦難の日々を送る事になった。
この半地下の小屋は、ロシア語で我々は「ゼムリヤンカ」と言っていました。

                  = この稿つづく:次の記事へ =
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