この「シベリア抑留者は何人だったのか?」に関連して、あるご意見を
伺いました。
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│関東軍の総兵力は、満州では78万人、朝鮮では26万人となってい
│た。合計104万人である。そのうちソ連との交戦での死亡者はソ連
│側発表8万3737人、日本側発表2万数千となっている。
│このソ連側のいう人数を引いても95万人。
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│これらの人々をソ連はすべて強制的に連行したのであるから、57万
│人というのはどうみても少ない。
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このあとの「満州青春録」や、爺さんから頂いた記事の中にも出てきま
すが、ーーー終戦の報が現地各部隊に伝えられた段階で、部隊によって
は一部の兵が終戦を肯んぜず尚抗戦を主張して部隊を脱走したり、また
部隊によっては、指揮官が、このまま部隊と行動を共にするのもよし、
部隊を離れて自由に行動するもよし、という決定をしたところも多く、
また或いは「満州青春録」の松本さん達のように、ソ連軍に拘束されて
シベリアへ送られることもなく現地解散となった部隊などもあったよう
で、相当の人数が難を逃れていたようです。ーー部隊指揮官了承の離脱
では、半数以上が部隊を離れたようにも聞きました。
ですから、スターリンの命令が「50万人の日本人捕虜連行」であるこ
とからも、それ以上の人数は、収容施設、食糧の供給などの能力面から
も無理であり、多少の相違はあるでしょうが、公表されている人数でほ
ぼ間違いないのではないか?ーーーと考えられます。
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