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┃ 満州回顧録 ――――――――――――――― by gosakuさん
☆ 自転車屋の小僧 ―――――――――――――――― 2003/08/01
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┃そ┃の背の高い満人の後ろについて城内に入り、着いた処は大馬路に面した
┗━┛商店街の一角で、間口7、8メートルほどの自転車屋でした。
新品や中古のリヤカーや自転車が、表に十台くらい並べられている、まあまあ
の店構えでした。
右隣は薬屋で間口の広い大きい店で、左隣は雑貨屋で小さな店舗でした。

自転車店には、私より2、3歳年上と思われる満人従業員がいて、ジロジロと
私を眺め何やら言っています。言葉は殆どわかりませんでしたが何とかなるも
のです。それからの1ヶ月余り住み込み店員として、お互いにジェスチャーと
僅かに知っている満語と日本語で、なんでも通じ合えて不自由は感じませんで
した。

私を連れてきたのは老板(オーナー)で、彼は午前中は店で帳簿の整理をしたり
客と雑談などして、午後は殆ど店には顔を見せません。店の業務は40年配の
ガッシリした番頭がやっていました。

私の仕事は、朝飯の前に先輩従業員と二人で、四キロほど離れたところにある
リヤカーの車体製造所(パイプを曲げ溶接して作っていました)から、半製品
をリヤカーに積んで運び、店で組み立てる事でした。

リヤカー二台に、それぞれ5、6台分の半製品を積むとかなりの重量になり、
途中に坂道がないのが救いでしたが、デコボコ道を休み休みしながら運ぶのに
往復3時間ほどかかりました。それから米粥を炊き、豆腐を炒めたりスープを
作ったりして朝飯になりました。

なにしろ腹一杯食べられるのが嬉しかったのを覚えています。リヤカーの製造
が間に合わず、組み立てる片端から売れて、リヤカーはいつも品切れ状態でし
た。組み立ての仕事がない時は自転車のパンク修理をやりました。

物を作ったり修理したりするのは嫌いではなかったし、またそれほど重労働で
もなく、食事も一日二食でしたが、先輩店員と同じ物を食べられたので不満は
ありませんでした。
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┃店┃は40平米ぐらいで雑然としていましたが、繁盛していて、日が落ちて
┗━┛暗くなるまで客の絶えることがなく、私が何か言うと、その中国語が可
笑しと言って皆が腹を抱えて笑い、私がキョトンとしていると又それが可笑し
いと笑われました。

当時は、それが恥ずかしくてあまり中国語を話しませんでしたが、一ヶ月余り
を周囲が皆中国人ばかりという環境で住み込み店員をしたお陰で、大体の中国
語は聞き取ることができるようになりました。

夜になると、隣の薬屋へ行ってラジオを聞かせてもらいましたが、自転車屋と
違って、従業員6人のうちにはある程度の教養のある人もいて、トランプをし
ながら「最新情報?」を得ることもできました。

薬屋の店員達は「自転車屋の老板は小気鬼=ケチンボ)」と言っていました。
よく理解できませんでしたが、そういえば給金らしいものは、いちども貰って
いません。休みも不定期に半月に一度ぐらいで、その都度小遣い程度を(幾ら
だったかは忘れました)渡されるだけでした。

休みにはその僅かの金で土産に糖果などを買い、寮へ帰って仲間と情報交換を
し、風呂に入り、肌着の洗濯をしました。無給でも格別苦にはならなかったけ
れど、彼らの不潔さには辟易させられました。
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┃風┃呂などはもちろんある筈もなく、体を洗う施設が全く見当たりません。
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彼らの話によると、農村では「生まれた時、結婚した時、死んだ時」と一生に
三度しか風呂に入らない人もいるらしい。此処には大衆浴場もあり、一ヶ月に
一度ぐらいは行くそうですが、いくら空気が乾燥しているとはいってもねー。

店の奥に四畳半ぐらいの部屋があり、半分が土間で、あと半分が腰高の板張り
になっていて、そこを寝台にしていました。年中薄暗く、明るい店から入ると
目が慣れるまでしばらく何も見えないほどでした。

土間には流し台と水道、水がめがあり、そこが厨房です。その厨房の戸を開け
て出ると、すぐ外に細い道を隔てて共同トイレがありました。トイレといって
も、穴を掘って板が二枚ならべてあるだけ。男女一つずつで、板で境はしてあ
りましたが入口に扉はなし、20人ぐらいで使うので、朝などはいつも使用中
で、道から汚物も使用中の人も丸見えでした。

彼らの感覚では生理現象だから「なにも恥ずかしいことはない」のでしょう。
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┃寝┃てからの南京虫にもビックリです。
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やられると、すごい痛みと、そのあと猛烈な痒みがきます。夜行性で昼は壁の
隙間などに潜んでいて、真夜中に活動をはじめます。数が多いとザワザワと歩
きまわる不気味な音がします。見つけて潰すとすごい臭気がし、慣れるまでは
夜がくるのが恐怖でした。

そんな生活をしている6月半ば、寮に帰ると皆明るい顔で、「おい、どうやら
帰れるらしいぞ!」と大変な喜びように湧いていました。

私は急いで店にとって返し、老板に事情を話しました。老板は「日本に帰って
も食べるものなんかないぞ。残って此処で働いていたほうがいい」と言ってく
れましたが、心はもう故郷に飛んでいたので「そんな、とんでもない!!」と
いう心境でした。

                  = この稿つづく:次の記事へ =
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┃┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「Sao さん」女性@三十代@北海道

読ませていただいて、とても心が痛みました。

私たち日本人が、こういう事が実際にあったんだと知って
これからを生きていかなければいけないことだと思います。

政治がらみの難しい、どこまでが事実なのかと不信感を持ってしまうような文
と違って、とても実情が想像出来る、読み、理解しやすい文章だと思います。

これからも続き読ませていただきます。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

読みやすい文章と言われると恐縮します、

当時は周囲皆貧乏でした。私一人が腹をすかして”シラミ”にたかられて居た
わけでは有りませんのでそれが当たり前、特に惨めとは思いませんでした。
食べるのに精一杯で「満腹できれば」と何でも口にした時代です。

グルメ番組でタレントが「うまあーい」を連発するたび、ふと水を飲んで飢え
を我慢した当時を思い出します。

理不尽に逝った人たちの多くは老人と子供たちでした。
その犠牲の上に今の日本の繁栄と平和があることは事実でしょう。

8月の終戦記念日がくる度に繰り返される追憶のイベントが一過性に終わらな
いよう、繰り返し繰り返し声をあげる必要があると思います。

回顧録も終盤に差し掛かっています。
もう暫くお付き合い下さるようお願いします。

└──────────
┌──────────「星の王子さまさん」

二か月前から購読を始めた読者です。たくさんの人達が声も上げられぬままに
亡くなった事を考えると、何度も何度も涙が出ました。

僕の世代は、学校で全く戦後史を教わりません。
今の若者も戦後史を殆ど習っていないようです。
1000年前の歴史を教えるよりも、近世の歴史教育の方が重要ですよね!

まずは、近世の日本の良い点と悪い点、
そして、何が原因で日本が戦争に突入したのかを教えないと
進歩も反省もないはず。

特攻隊や南方守備隊で戦死された人たちが
今の日本や教育を見たら、なんと言うか・・。
日本人の国際性が乏しいのは、歴史教育が乏しい結果ですよ(断言!)。

無反省な人間はバカだし、必要以上に反省する者も愚か者です。
最小限でいいから、戦後史を学校で教えなければダメですよね!
最低限の知識がなきゃ、判断なんかできないもん。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

ご購読有難うございます
 
そうですか?
戦後の学校では50数年前の戦前、戦後史、は教科にありませんか!
何故でしょうか?
満州事変に始まり大東亜戦争(太平洋戦争)で終結した十数年は、日本人にとっ
て欠かすことが出来ない日本の一大転換期でしたのに。

日本の勝利を信じて自爆を敢行した17、8歳の特攻隊員、、無能な指導者と
非情な共産主義者のもと、無念の死をとげたシベリアの兵士たちの事実を教え
て、これからの反省材料にしたいですね!

└──────────
┌──────────「ヘイワアトムさん」男性@六十代@福井

ソ連が満州に侵入したとの情報で、新京市民は南へ疎開していました。私たち
一団は無蓋列者(石炭を積む貨車)に乗り南下しました。乗客は女子供が大半で
す。走り出してから世話役の人が全員に線路上にある石(こぶし大)をタオルに
包むように指示がありました。列者が走っているときに馬賊が貨車に登ってき
たら、そのタオルで殴るようにと教えられました。

途中幾度となく匪賊・馬賊に列車を止められ、5日かかって朝鮮の国境にある
「安東」に辿り着きました。
此処で1ヶ月ほど各家庭の厄介になり、9月、新京に戻ってきました。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

今は吉林省ですが、当時の朝鮮国境付近は間島省と三江省に分かれていた、と
記憶していますが「安東」は憶えていません。「安図」ではないでしょうね?
いずれにしても疎開していたのですね。
混乱の中よく無事で新京に帰ってこられたものです。世話役の人はさぞ大変で
したでしょう!

その後いつ日本に引き揚げられたのですか?
私の記憶も断片的で新京市の町名なども思い出せないものが多く、当時の地図
など無いまま四苦八苦しています。その後の話も又お知らせ下さい。

└──────────
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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