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┃ 満州回顧録 ――――――――――――――― by gosakuさん
☆ 集団縊死 ――――――――――――――――――― 2003/07/11
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┃年┃が変わり、樹氷の美しい大陸の厳冬がやってきました。
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その頃になると、新京の工場や関東軍の倉庫から根こそぎの収奪をし終わり、
シベリアへ送る男狩りも一段落したのか、ソ連軍はほとんど撤退してしまいま
した。そうなると、我々のジャガイモの皮むき使役も、毎日一人か二人に減ら
されてしまい、燃料と共に、食料をどう確保するかが最大の課題となってきま
した。

留置場を出てから、背に腹は代えられず、とうとう禁断の、先輩が残していっ
た荷物を売って食糧に換えることに衆議一決。「ボロ買いまーす!」の満人で
は買いタタカれ幾らにもならないので、歩いて十分ぐらいのところにある小公
園に、毎日露天の市がたっていることからそこで売ることにしました。

背広を一着売れば、6人がほぼ十日間食いつなげる高粱米を手に入れることが
できます。毎日、二人ずつ交代で売りにでる事になりました。

そんなある日、場所取りの為に朝早く駆け込んだ公園で、なにやら大きな声で
騒いでいる一団がありました。喧嘩でもはじめたのかな?と覗きに行ってみる
と、みんなが無言で上を見上げていたのでつられて上を見ると、一番太い木に
揺れているものがありました。よく見ると首吊りした死体でした。

母親と子供が、向かいあうようにして大きく揺れていました。身なりから察し
て難民の母子なんでしょう。粗末な履物がキチンと揃えられて地面に置かれて
いたのがよけい哀れをさそいました。

それからは毎日連続して、あちこちの空き地や公園で集団縊死が発見される話
が聞かれるようになりました。

私が見たものでは、その同じ公園で数日後、日本軍の脱走兵と、北満開拓団の
少年達と思われる5人の集団縊死がありました。やっと死地を脱して新京まで
たどり着きながら、生きることに疲れきって死を選んだのでしょう。

まだあどけなさの残る、私達と同年輩の少年達は、同じ様にやせ衰えて体中に
は湿疹が広がっていました。

「哀れというか、あー、たまらんなあー」

我々だって、いつ彼等と同じ運命をたどることになるかも知れないという怖れ
に、一同は言葉もなく沈み込むばかりでした。

                  = この稿つづく:次の記事へ =
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┃┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「大谷@博多さん」男性@五十代@自営業@福岡

貴重な歴史の証言、毎回こころの引き締まる思いで拝見しています。子供の頃
に親や近所のおじさん達から聞かされた話を思い出します。今の子供達はこん
な歴史を学ぶことが出来るのでしょうか?

どう感じるかは別にして、高校2年生と中学3年生の息子達には読ませようと
思っています。今後の執筆を楽しみにしています。加油!

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┌──────────「gosakuさんから」

「大谷@博多さん」コメント有難う御座います

確かに余り報道されなかった内容ですが、真実です。微かな記憶を頼りにダラ
ダラ書き綴った幽黙(ユーモア)のない駄文で読みにくいでしょうが、老人の
愚痴話と思って読んでください。

「可愛い子には旅させろ」現代では通じないでしょうね。

たった五十数年前にはこういう事があって今の幸せな生活がある(本人は特に
幸せとは思ってないかな?)と、自覚してもらえれば冥利ですけれど....。

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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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