┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃
┃ 満州回顧録 ――――――――――――――― by gosakuさん
☆ 新京の留置場 ――――――――――――――――― 2003/07/04
┏━┓
┃暮┃れも押し迫った12月のある日、暖房のない部屋は零下7、8度ぐらい
┗━┛まで下がっていたと思います。北国の朝は夜明けが遅く、せんべい布団
を何枚重ねても寒くて眠れず、何度もトイレに起きて、朝方になってやっと、
うとうとしかけた矢先、「ガタ、ガタ、バタン!」と乱暴にドアが開けられて
誰か大声で喚きだしました。

盗られる物など何もないので、部屋のドアに施錠などせずフリーに出入りでき
ました。ネボケまなこをコスリながら見ると、拳銃を肩から吊るした、灰色の
制服の満人警官がドアのところに立っているのが見えました。

その部屋だけでなく、そこの建物中が騒然とした雰囲気になっていました。

「早く部屋の外へ出ろ!」と言っているようでしたから、皆は急いで廊下にで
ました。寒さに震えながら様子を窺がっていると、どうやら家宅捜索をしてい
るようでした。押入れから、召集されていった先輩の荷物を全部出して部屋中
にぶちまけて調べていましたが、そのうち、中の一人が「有了!有了!=あっ
た!あった!」と頭上で何かを振りだしました。

とたんに警官たちの目の色が変わり、我々に「部屋に入れ!」と指示し「今か
ら警察に連行するから、衣服を着用しろ!」ワケが解らないまま、我々同室の
6人は、応援にかけつけた警官に手錠をかけられ、繋がれてゾロゾロと警察署
まで歩かされました。

その20数分の道中、物見高い野次馬が集まってきて、軽蔑するように睨みつ
けられ、なかには「日本人の面汚しだ!」と面罵するおばさんまでいて「なん
にも悪い事なんかしちゃおらん!」と大声で言い返した徳田君は、警官におも
いっきり叩かれて半ベソをかいていました。

なんの取調べもないまま、一人ずつに分けられて留置場に放り込まれました。
┏━┓
┃留┃置場は円形の2階建ての建物で、その中心が監視所になっていて机が置
┗━┛かれ、それを取り囲むようにして、一階と二階に八畳ぐらいの留置房が
それぞれ十部屋ぐらいありました。部屋の隅に便器がひとつあるだけの、何も
ない板敷の房には、顔色の悪い先住者が5、6人おりました。

--正確な人数は覚えていませんが、日本人が4人、あとの満人と思われる2人
は最後まで一言も喋りませんでした。--

手錠をはずされ、小さい格子をくぐって、異様な匂いが充満する中へ入れられ
ると、すぐに別の看守が野球のバットのような棍棒をもって回ってきました。

各房の新入りに威厳を示すつもりなんでしょうか、、「手のひらを上に向けて
両手を格子の間から出せ!」と命令して、出すといきなり棍棒で思い切り叩く
のです。

しかも、一回だけでは済みません。二回三回と叩かれて、それを避けようもの
ならさらに回数がふえます。私語を交わしたり、気に入らない態度をとったり
するとすぐそれをやるそうで、“大袈裟に泣き喚いて許しを請う”のが、早く
止めさせるコツだとか、、ということを後で教えられました。

「我慢して手を出していると、面白半分に際限なく殴り続ける」先住者が小声
で教えてくれました。私は子供と見られたのか、二度やられただけでしたが、
痛いというより全身がしびれて声も出ませんでした。

留置場に、善行をして入れられるわけはないのですから、皆それぞれ良くない
理由があるようで、聞いてみると、チョットしたカッパライ、満人と喧嘩して
殴った、寒さに耐えられず駅の石炭貯蔵所から石炭を盗んだ(SL用に石炭が
野積みにされていて、我々も幾度か南京袋を担いで、暗闇に紛れ失敬しに行き
ました)などなどでした。

「お前は何をした」と聞かれましたが、私には思い当たることがありません。
日中はなにもする事がなく、そうかといって横になる事も許されず只板敷きに
座ってじっとしていなければならないというのも辛いものです。身体を拭くこ
ともできなかったので“虱”(しらみ)が大発生して、しらみ潰しが仕事みたい
なものでした。
┏━┓
┃戦┃後生まれでは“虱”をご存知ない方もいらっしゃるでしょう。
┗━┛
頭虱ではありません。現代の日本ではお眼にかかれない動物(?)(昆虫)です。
下着の縫い目などに一夜でビッシリと卵を産み付け、それが数夜で孵化して、
と、物凄い繁殖力なんです。1ミリ弱の透明紡錘形で扁平、意外に素早く動き
回りますが、血を吸うと黒色に変わり動きも緩慢になるので容易につぶす事が
できます。けれど、潰しても潰しても繁殖力に追いつかず、格好の暇つぶしで
した。----洒落ではありません。----

食事は十糎四方深さ三糎ぐらいの木の箱に赤い高粱米の上に塩がパラ パラ、
それと薬缶(ヤカン)に水が一杯。それが一日二度。

時々新入りがあって、例によって手叩きの洗礼を受ける絶叫が聞こえます。
また、中央の監視所のところで、、自白を強要されているのか?看守に不都合
な事でもしたのか?他への見せしめか? 棍棒で滅多打ちにされて、大の男が
「ひいーひいー」泣いて哀れみを請うている様子は、人間切羽詰ると恥も外聞
もない本性が現れるものだと、なにか情けない気がしたものでした。
┏━┓
┃次┃こそは私の番か?何も白状する事など無い時はどうしたらいいのか、と
┗━┛不安に慄いていました。ところが!?取り調べのないまま、一週間後に
突然釈放になりました?!

警察署の前で一週間ぶりに顔を合わせた仲間たちも、まるで狐につままれたよ
うな要領を得ない顔をしていました。そのうち、一番年長の者が出てきて説明
してくれたところによると、なんと!出征した先輩が残していった荷物の中か
ら拳銃が発見されたということでした。

あの前日の晩、寮から30mぐらい離れた路上で満人の射殺体が見つかり、そ
の為に付近一帯の家宅捜索をして、拳銃を発見したためにてっきり犯人と思わ
れていたのです。

銃や刀剣類の供出命令はかなり以前にあったそうですが、私達は知りませんで
した。拳銃の不法所持は厳重処罰の対象だそうですが、他人の荷物の中までは
知る由もなく、誤解と解り、更に調べてみればその拳銃は発射した痕跡もなく
弾痕の種類も違っていて、結局誤認逮捕と分かったようでした。

「それにしては一週間は長かったですねーー」

ただでさえ痩せていたのがまったくの骨皮になってしまい、皆、青黒い顔に目
ばかりギョロギョロして、栄養失調の寸前でした。

--日本人警官は、10月初旬「再教育をする」という名目でソ連軍に集められ
シベリヤへ送られてしまったようでした。その後、国府軍とソ連軍に任命され
た満人警官が治安維持にあたっていました。

                  = この稿つづく:次の記事へ =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
┗━┛
┌──────────「大さん」男性@七十代@無職@北海道

北海道で生まれ現に生活している者として、gosakuさんのお話の、スターリン
が北海道をよこせと要求し、その代償として満州国在の日本人をシベリア送り
した。ーーーショッキングでした。本当に驚きました。

└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
満州回顧録の目次に戻ります







SEO [PR] お金 ギフト  冷え対策 わけあり商品 動画無料レンタルサーバー ブログ SEO