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┃ 満州回顧録 ――――――――――――――― by gosakuさん
☆ 日本人の子供買います ――――――――――――― 2003/06/27
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┃米┃は、終戦の直後は、関東軍や各役所などの倉庫から持ち出されて、豊富
┗━┛に放出されたため安かったそうですが、次第に高くなり、10月に入る
と一斤が30−50円になり、安い高粱しか買えなくなりました。
けれど、そのパサパサの赤い高粱米さえ制限されて、いつも腹が空いていて、
食べ盛りの17歳の少年にはこたえました。

そんなある日、先のソ連軍のジャガイモの皮むき使役が始まり、少しは腹の足
しになる黒パンにありつくことができたので、仲間数人と足取りも軽くある朝
ソ連軍が駐屯している国務院跡へ向かう途中、今は日本人の難民収容所になっ
ている、元の国民学校の煉瓦塀に「日本人の子供買います」と書かれた張り紙
が貼られているのを見かけました。

どうやら男子500円、女子800円というのが相場らしく、「売る者がある
のかなあ〜」と、暗い気持ちで張り紙を横目にしながら通り過ぎました。
それから数日たったある日、使役が早く終わって帰る途中、市電の停留所の前
に、秋のやわらかな日差しを受けて、首からボール紙をぶら下げた二人の子供
が立っていました。

注意して見てみると、6歳ぐらいの女の子には1000円、4歳ぐらいの男の
子が下げているボール紙には700円と書かれていました。ダブダブの服を着
せられた女の子は骨と皮。泣いた後なのか、はれぼったい目をし、小さな包み
をにぎりしめ、男の子は不安そうにキョロキョロとあたりを見まわしていたが
やがてしゃがみこんでしまいました。

女の子は、きっとよく言い聞かされて大体の事情を知っているのでしょうが、
男の子は多分何も知らないらしく、心細げにあたりを見回していました。断腸
の思いで物陰から見ていであろう親の気持ちを察すると、やりきれなさで胸が
痛みました。けれど、どうすることも出来ません。私達ももう売る物がなく、
どうしようかと相談している最中でしたから。
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┃1┃0月も半ばになると、日本人難民(主に満蒙開拓団の方々)の新京流入は
┗━┛少なくなりましたが、それまでに避難してきた難民の数は、一説による
とおおよそ10万人余りにのぼり(正確な数字ではありません)新京の曾っての
公共施設で、ソ連軍に接収されていない施設は例外なく開拓団と思われる難民
で溢れていました。

彼等は、長い逃避行(ほとんどが徒歩)の途中、ソ連軍の攻撃と度重なる暴徒の
略奪に遭い、着の身着のまま、筵(ムシロ)を背に、鍋釜を手に、夏のことでし
たから薄着のままという人がほとんどでした。そんな状態では売るものなどあ
るハズもなく、新京日本人会が毛布を配ったようでしたが、ひとり一枚がやっ
とで、果たして新京の厳しい冬を越す事が可能だったでしょうか。

後日談になりますが、大陸の寒さが頂点に達する1月になると、避難民を収容
している施設にいる日本人の数は、おおよそ半減していました。大人も子供も
栄養失調、発疹チフス、赤痢、そして凍死などで次々死んでしまったのです。

ソ連軍、中国市政府共に、日本人救済はすでに投げ出してしまっており、日本
人会のもと、各地区に難民救済本部ができ、僅かばかりのコウリャン、アワの
支給があったようですが、そんな程度では長い逃避行で弱った身体を回復させ
ることはできませんでした。

あまりの死亡率の高さに驚いた一般市民による善意の炊き出しなどもありまし
たが、彼等の持っている食料にも限度があり、また我々も職を失い、自分たち
が食べていくことだけで精一杯で、避難民を可哀想だとは思いながら、他人事
だと割り切るしか術がありませんでした。

10月中旬、戦時中の10倍になった物価を参考までに書き出してみます。

(新京調べ)
米=1斤=160匁)50円、高粱=20円、精白高粱=30円、玉蜀黍粉=
30円、コーヒー一杯=1円、ぜんざい=5円、カルピス=3円、豚肉1斤=
15円、たばこ10本=5円。

                  = この稿つづく:次の記事へ =
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┃┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「たろおじさん」

いつもありがとうございます。小生の親父も、満州出征兵士だったので、興味
深く読ませていただいております。
満州国や、関東軍や、本国政府に断り無く勝手に戦争を進めた参謀連中の責任
や、彼らを放置した日本のトップの責任というものもあるわけですが、いずれ
にせよ、ほったらかしにされた国民(棄民)の悲惨さは、目に余るものがあり
ます。

ただ、米英憎し論には小生は組しません。
歴史的にも、米英と戦って勝ったところはありません。

gosakuさんは、今回のイラク戦争などでも石油資本の影を見てるようですが、
世界第2の石油資源をフセインみたいな危険な独裁者に預けるわけにはいかな
い・・・というのがスタート点で、それに乗った連中がいたかもしれないが、
それは末節だと・・・。
米国の石油戦略は、中東依存度を下げるのが基本になり、イラクの石油をどう
こういうのは国策の方向ではないというのが、開戦前に専門家の分析でした。
やっぱり9.11で米国民の世界認識が変わったのが、スタート点であったの
では?

米英は基本的にお人よしで、正義感にあふれた部分が国の中に存在している。
その比率が、従来のほかの国々と比較するとずっと高く、その分信頼できる。
正義を高く掲げたソ連・北朝鮮の、言行不一致と比較すれば、米国のほうがは
るかに信頼できるというのが、歴史の真実ではありませんか?

権力者があれだけマスコミや議会などから痛めつけられる、ということで権力
の勝手を防止している国のほうが、一旦決めたら誰も批判できない国々より、
よっぽど公平で信頼できる。

ところで、知人が読んでいて面白そうだったので、今日買ってきました。読み
始めたら面白くて、皆様にもご推薦をいたします。
書評は、下記。買って読んでも、立ち読みでも損はしないように思いました。

   「バカの壁 だから、戦争やテロが起きるのだ」養老孟司著
┌──────────
│本紙掲載2003年05月25日
│
│題名の勝利である。著者は「話せばわかる」なんて大嘘(おおうそ)だとい
│う。現にみんな「バカの壁」を築いて、知りたくないことに耳を貸そうとし
│ないではないか。その結果、戦争やテロや紛争がやまない。 
│
│著者は脳の専門家だがその原因は脳だという。本書はいわば反脳論である。
│
│生物はつねに変化する。しかし人間の脳だけは「私は私」と、自分を不変の
│情報システムだと思い込んだ。だから「個性の重視」が教育のテーマになる
│。だが、人間の意識は個性ではなく、共通了解を求めて進歩した。脳が支配
│する社会はその矛盾を見ない。これが「バカの壁」だ。 
│
│自分は正しくて、相手は正しくない。そんな主張が出るのは、現実があやふ
│やで、人間は何か確かなものを求めるからだ。そして、人間には分からない
│現実をすべて把握している者がいる、というフィクションを考えだした。
│「神」である。唯一絶対の存在があるから「正解」もある。こうしてどんな
│場合でも「正解」を徹底的に追求する。それが一神教だ。キリスト教、ユダ
│ヤ教、イスラム教。みんな、そんなフィクションを信じている。 
│
│経済、つまり金も同様のフィクションである。金は脳とそっくりだ。脳はす
│べての感覚的刺激を単一の電気信号に変換する。金も同じ。見るもの、聴く
│もの、食べるもの、すべてを「〜円」という単一の信号に変換する。従って
│金のフローとは、脳内で「円」という神経細胞の刺激が流れている状態にす
│ぎない。それなのに、お金は動いていますよといわれて、騙(だま)されて
│いるうちにエネルギーはどんどん消費され、地球環境は破壊される。 
│
│即効薬はない。だが、重大なのは、人生の意味が自分の脳のなかにではなく
│「外部」にあるということだ。つまり、人生は自分だけで完結するものでは
│なく、つねに周囲の人との関係から生まれる。だから、自分を育ててくれた
│社会に恩義を返すという無償の行為が必要になる。 
│
│目からウロコ、の連続である。この小さな面白い本が提起する問題はかぎり
│なく大きく、人類の未来を左右する。 
│
│世界で最も独創的で説得的な、わずか六行のカフカ論も読めるオマケつきだ
│。 
│評者・中条省平(学習院大教授) 
│
│  * 
│
│新潮新書・204ページ・680円/ようろう・たけし 37年生まれ。
│北里大教授(解剖学)。著書に『唯脳論』など
└──────────
└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

たろおじさん、コメント有難うございます!

1.ソ連参戦(1945年8月9日)後だけに限定していえば、参謀たちが関東
軍や本国の意向を無視して戦争を進めた記録は見当たりません。日本はソ連に
宣戦布告をしていません。一方的にソ連が宣戦布告して侵攻し、関東軍は応戦
しただけです。

情報伝達の不備から8月20日頃まで戦闘を続け地区はありましたが、精鋭を
誇った関東軍の中枢は本土決戦と南方戦線にまわされ、兵器も軍人も員数を揃
えるのが精一杯のは案山子でした。

1945年になってからのガリ版刷りの召集令状には「各自、必ず出刃包丁類
およびビール瓶を二本携帯すべし」とあり、今では笑い話ですが、出刃包丁は
竹の先に縛って槍にし、ビール瓶はノモンハン事件での戦訓もあり戦車体当た
り用火炎瓶であるという、全くマンガのような事が真剣に検討されていた時代
でした。
 
2.もしソ連軍が北海道に進駐いたら?
誤解なさいませんよう!gosakuはアメリカさんには感謝していこそすれ、決し
て憎しでは御座いません。当時アメリカは圧倒的戦力で日本近海まで迫りなが
ら、一億総玉砕を叫ぶ日本の頑強な抵抗にあい、少しでも早く戦争終結を望ん
でソ連の参戦を促したのです。

ソ連はもとより「日ソ不可侵条約」を履行するつもりなどさらさらなかったも
のの、日本軍の反撃よる被害を最小限に抑えるためその機会を窺っていたので
す。1945年8月11日のヤルタ秘密協定で、アメリカに公然と要求したの
が「北海道の半分をよこせ」でした。

これにはさすがのアメリカもびっくりして、トルーマンは厳然と拒否したとあ
ります。しかし其れによってスターリンは方針を変え、関東軍将兵56万28
00人、その他警察、官吏、技術者1万1730人の合計57万4530人を
極寒のシベリアで苦難の重労働に就かせ10万人以上の犠牲者を出させたので
す。

9月2日、スターリンは勝利演説で「対日戦争の勝利は日露戦争敗北の報復、
雪辱である」と強調している。冒頭の北海道の半分がソ連領になっていたら、
朝鮮半島を見ればお解りになる通りです。

「ロシアの国旗が一旦掲げられた所では、決して降ろしてはならない」
一度領有した領土は、寸土といえども手放してはならない。北方領土をめぐり
日本が「法理は我にあり」と主張すればするほど、ロシアが頑なになるのは、
帝政ロシア時代からの領土に対する国家方針です。

長くなりますので結論を申し上げますと、確かにアメリカは開かれ国でありま
すが、現実問題として、核兵器を持つ超大国が世界の意思がどうであれ、力で
支配する構図が見え始めています。こうした構図は十年や二十年は続くでしょ
うが、そう長くは続かない、そのとき世界は大変動期になるのでしょうか?

└──────────
┌──────────「TAKAさん」

いつもお世話になっております。TAKAです。

gosakuさんの満州回顧録、いつも拝読させて頂いております。 

「爺さん」の感想のお便りの
┌--------
│広島の市民の中には「広島に原爆を落されたのは日本が悪いからだ」と言っ
│てはばからない人がいて、小学校でも、国旗を揚げるのに反対する先生が多
│いとか。今、日本を背負っている青年や子供たちにも考えて欲しいですね。
└--------
このご意見に対して一言。

「日本を背負っている青年や子供たち」に考えさせる前に、戦中「お子様」で
あった為に、「戦争体験」と「戦後の貧しい暮し」の区別がつかなくなってし
まっている人々、つまり戦後のGHQの洗脳教育の影響を最も強く受けた人々
にまず考えてもらう必要があるのではないでしょうか?

そういう人達が、現在のマスコミや教育機関などのトップとなっていて、いま
の教育や世論を作り上げてきたのではないでしょうか?

そして、こういう人達の教育や世論の影響を受けて育ったのが、現在の「子供
たち」の親世代です。彼ら「親世代」が、実体験がないだけにさらなる極端な
「教育」「世論」を作っています。

これは「日本人」として「全世代」で一緒になって考えるべき問題です。

そうしなければ、また同じことの繰り返しで、例え気が付いている人がいたと
しても、「次の世代が・・」「その次の世代が・・」と「何の実行力ももたな
いファンタジー」で終わるではないでしょうか?

僕的にはむしろ先輩達(70、80代ぐらいの人達)が、今の日教組やNHK
朝日新聞なんかに「ガツン!」と意見してもらって、青年や子供たちが「自分
の頭で考られる」ように風穴を開けて欲しい、と思ってます。

考えてもみてくださいよ。

若者が、そうした風潮の地域社会の中で、例えば「国旗を揚げてもいいんじゃ
ない?」と思ったとしても、「お前は若いから何も分ってない!! いいか!
人生とは・・」なんて言われれば、よっぽど根性あって背負うものがない人間
以外は、「はぁ・・・ そんなもんですかね・・」「その通りですね。」とし
か言いようがないんです。

だからこそ、 「全世代」で考えましょう。

などと、戦争(大東亜戦争)を知らない世代の僕は考えます。

・・って、全然ひと言じゃねぇじゃん!? ちゃんちゃん。

└──────────「九州男児的北京
┌──────────「爺さんから」

強烈な一発を頂きましたね。TAKAさんの日ごろのお便りから見て、全く私と同
年輩と思っていましたが 「今、日本を背負っている青年、、」だったとは。
この様によく理解して居られるあなた方が頑張って居られるのであれば「戦中
の子」は何も言う事はありません。

政治家を批判し自治体議員を批判しても、考えてみれば自分たちが択んだ政治
家であって自分たちの責任。つまり国民全体の責任になるのでしょうね。最も
最近は町長や知事までリコール出来る様になりました。ただ すぐ元通りにな
る事が多いようですが。

ついでに政治家の世界で先日、90歳になる、それなりに影響力を発揮し続け
た?といわれる国会議員さんが勇退されました。総理大臣経験者が多数国会で
頑張っておられるようです。恐らくわが国に相当な影響力を持っておられる筈
ですが、どの程度院政をしておられるのでしょうね?

残念ながらただ消え行く道を歩いている私にはNHKや日教組にモノ言う力は
持ち合わせていません。出来る事は朝日新聞の購読を拒絶し続けている事だけ
です。

私は16歳で学業を捨てましたので、所謂浅学非才、難しい言葉や理屈はわか
りませんが、私なりの言葉でいえば、それぞれの世代は、前の世代が造った時
代を踏まえて自分たちの新しい時代を造っていくものだと思います。

「今頃の若い者は、、、」という愚痴は、洋の東西を問わず、神代?の昔から
言われているようです。我々も言われる度にこの年寄りが何を、、と腹を立て
ながらも苦笑とともに聞き流しました。悲しいかな次世代、次次世代の造った
時代にはモノは言えても其の人たちの時代を変える事は出来ないでしょう。

ーーできたという話は聞いた事がありません。

「今頃の若い者は・・・」と言わない時代がきた時は、世も末の時でしょう。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

TAKAさん ”九州男児的北京”創刊から毎号拝見しています。現代若者の想法
を軽快な筆致で告訴我們楽しいですねー。

決して決して説教なんぞする気は毛頭御座いませんが、子供達もその親もほと
んどが戦争を知らない世代。モノが溢れる飽食の時代、恵まれ過ぎて平和ボケ
!「可愛い子には旅させろ」「苦労は買ってでも」と言うと、「一生苦労をし
なくて済めばその方がいいじゃ〜ん!」

父や母、そして美しい故郷を守る為「お父さん、お母さん、国の礎になる為行
きます」と遺書を書いて出撃し、散って逝った特攻機の友は18歳でした。今
の18歳と比べちゃいけないかなあー。パレスチナの自爆テロとダブります。

└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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