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┃ 満州回顧録 ――――――――――――――― by gosakuさん
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☆ 棄民、‥見棄てられし民草 ――――――――――― 2003/06/13
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┃真┃っ先にやらせられたのが、駐屯するソ連軍の食事の下ごしらえです。
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先輩達は、関東軍の兵器廠からシベリ方面向け列車に物資を積み込む作業で、
かなりの重労働ですが、栄養失調でガリガリ、チビで顔色の悪い我々はよほど
子供に見えたのか、ジャガイモの皮むき作業、勿論ただ働きですが、食事だけ
は腹いっぱい食べることができました。黒パンとスープで1日2食。
カチカチの黒パンが美味かった!牛乳とジャガイモのスープが熱っくて腹に沁
みました。この時ばかりは皆自然に笑顔が戻りました。1日2食、朝作業の前
に食べて、帰る間際の5時近くに満腹でやっと立ち上がれるぐらい詰め込むと
更にジャガイモと黒パンを上着の下に隠して持ち帰ります。
寮には、病気で寝ている者やら使役に狩り出されない年配の先輩が腹を空かせ
て待っていました。
2月下旬、関東軍の兵器廠から根こそぎ略奪?の終わったソ連兵の姿が消えて
しまい、我々の仕事も“the end ”またハラペコの日々が続くようになりまし
た。職場を失って収入の道を絶たれた身には、なにしろ腹を満たすのが最大の
課題でした。
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┃1┃ヶ月ほど前の9月末の朝に、ぼろぼろヘロヘロになって新京駅に着いた
┗━┛我々は、駅舎の屋上に青天白日旗と並んでソ連の赤旗が翻っているのを
眺め、改めて「やっぱあー負けたんだアー」鹿児島出身のひょうきん者の大樅
さんが、暗い顔で吐き出すように言うと、やっと目的地に着いた安心感とこの
先の不安から誰もが無言で柱に寄りかかり、そしてペタンと座ってしまいまし
た。
「新京に着いたんだ。何とかなるさ」愛媛県宇和島出身の徳田君が耳元で独り
言のように呟いています。駅舎内はグリーン軍服のソ連兵が闊歩している他は
各開拓地から避難してきたとみられる日本人家族が、どす黒い顔をして集団で
あちこちの筵の上に座っていました。
「どちらからですか?」おばあさんに聞いてみたら、ポツンと「九台」。男か
と思っていたが、声を聞いて女性だったと気がつきました。「二十日間歩いて
ようやくね〜」「えッ!歩いて来られたんですか!」「行く所がなくて....」
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│九台市は新京(長春)の北北東約40キロ。長春―吉林―延吉鉄路の、長春―
│吉林間の中程に位置します。
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かって、旅行者や通勤客で活気に溢れていたたであろう新京駅は、行き場のな
い浮浪者のような日本人避難民で埋まっていました。
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┃そ┃の、あまりの悲惨さには言葉もありませんでした。日本軍にも政府にも
┗━┛見棄てられ、保護者を失った正に棄民です。しかし我々にも同情してい
る余裕はありません。引率者は大忙しでした。秋という季節が殆どないような
新京は、もう冬に入りかけていました。陽はすぐに落ち寒さが襲ってきます。
幸い、駅の電話が使えるようで、庶務の池之上さんが直ぐ本社に電話をしてい
るようでした。池之上さんは確か宮崎県出身で九州なまり28歳独身でした。
肺結核のため徴兵されず、たびたび出張で新京に来ている彼が世話係りなので
頼りになる先輩でした。(後日、引揚船上で病状が悪化し、日本を目の前にし
て無念の病死..合掌..)幸い本社にはまだ日本人職員が働いていました。
三時間ほど待たされましたが、本社から来た係員の奥田さん(--痩せて顔色の
よくない--温厚そうな50年配の本社総務課員)の案内でとりあえずそれぞれ
独身者と家族連れに別れて宿舎に向かって歩き始めました。9月末だというの
に、鉛色の空からはいまにも雪でも降るのではないかと思われるような寒さで
した。
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┃新┃京には市電がありましたが、電力不足で動いていないとの事でした。
┗━┛ソ連軍のジープが走っている以外は、旧日本軍のトラックが荷物満載で
行き来していました。治安は良いのでしょうが女性の姿は、一見老女以外見か
けません。まだソ連兵の暴行を恐れているのでしょうか?
国会議事堂を横目に見ながら、奥田さんの話を聞きながら一時間あまり皆重い
足を引きずりました。
2ケ月間の逃避行中はまったく情報なしのツンボ桟敷、新聞はおろかラジオも
なくニュースに飢えていた我々は、奥田さんに矢継ぎ早に質問を浴びせ、道々
いろいろな新京の実情を教えてもらいました。
┌────────── 奥田さんの話。
★11日にソ連軍による初の空襲があった事。★政府中枢と軍司令部は戦局
の不利を予測し、溥儀皇帝を擁して13日、豪雨雷鳴とどろく中、通化へ移動
した事。★15日のポッダム宣言受諾の後、いつの間にか警察と憲兵隊幹部が
姿を消した事。
★17日にソ連軍の進駐が始まり、戦車隊をを先頭にして乗り込んできた事。
ソ連軍の前線部隊は、腕に囚人番号の入れ墨をした、ボロボロ軍服をきた兵隊
で、中には軍服を着用していない兵隊もいた。肉の落ちた顔つきであったが、
軍歌を高唱しながら、お祭り騒ぎであった事。
戦車隊に続いては、ジープやトラックに乗車した部隊が、陸続と続いていた。
車両の多いことと、武器がよく磨かれていることに目をみはらされた。しかも
車両は、ジープはもとよりトラックなどの全てが米国製で、米軍の星のマーク
がそのままつけられていた事。
彼等は無造作に裸になると用水槽で身体を洗い、傍若無人そのもので、口笛を
吹きながら武器の手入れしていた事。
ーーそして、新京第一の公園である児玉公園で、まず最初の事件が起こった。
児玉公園の入口には、愛馬に跨り、右手で挙手の礼、左手で手綱をひいた児玉
源太郎大将の銅像があった。大将は日露戦争を勝利に導いた名参謀長でした。
その大将の銅像の首が、ものの見事にはねられてどこかへ持ち去られ、跡かた
も無く無残によじれ裂けていた。それが後に続く悲劇の前触れのように、市内
の治安はその日を境として混乱し、乱れに乱れていった。
ソ連兵の暴虐狼藉は目を覆うばかりで、彼等は争うように日本人を襲た。そし
てそれに倣うように、赤旗や青天白日旗をかざした一部の中国人の反日行動も
露になっていった。殺人、婦女強姦、略奪、暴行は頻々とし行われ、軟禁同然
の関東軍は、もうまったく無力な存在と化して、軍人であろうと民間人である
とを問わず、日本人は丸裸の無防備状態の中に放り出されたとの事でした。
溥儀皇帝が、奉天飛行場で逮捕されたというニュースや、大杉栄殺しで有名な
満映理事長の甘粕正彦氏が自殺したというニュースが日本人の間を駆け巡り、
また、「ソ連兵は腕時計と万年筆を強奪するから、外出のときに持ち歩くな」
という注意もいち早く伝わったけれど、まだ知らずに白昼の路上で拳銃を片手
のソ連兵に呼び止められ、「チャスイ、チャスイ(時計)」と腕時計をひったく
られる日本人も後を絶たなかったそうです。
ーーソ連兵の腕には十数個の腕時計が..これ見よがしにはめられていた!と..
= この稿つづく:次の記事へ =
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┃●┃ コメントボードに頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「しんさん」
いつも貴重な体験談ありがとうございます。
日本人のいい点のひとつとして、悪いことはすぐ忘れ?前向きであること、と
いうのがあります。しかし、現実をしっかり見つめ 確かに捉えていくという
ことは大切なことです。
歴史認識というのは 人によって、国によって違うのでしょうし、歴史は作ら
れていくのかもしれません。それだけに 教科書問題も非常に大切だと思いま
す。当事者がだんだん少なくなっていく昨今、戦勝者の理屈ではなく、本当の
ところを後世に伝えて欲しいと思います。
最近のパレスチナ、イスラエル問題にも心が痛みますね。。。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
有難うと言われますと恐縮します。老人の独り言と思って聞いてください。
よく、辛かった事は忘れ、楽しかった事だけが思い出されると言われますが、
私なんか典型的な日本人なんでしょうね!嫌なことはすぐ忘れ、(無理に忘れ
ようとつとめているのかも?)夢中で駆け抜けて参りました五十数年でした。
が、”アジアの街角から”のお誘いで回顧録を書くようになって、なまなまし
い当時の状況が噴出すように思い出されて参りました、、これも皆さんのお陰
です。多謝です。
ーー”勝てば官軍”ーー現在蔓延している歴史認識は、戦勝国によって編集さ
れたものでしょう。満州国の建国が、すべて日本の侵略の結果とされるだけで
は、多民族楽土の建設を夢みて彼の地で土となった十数万の同胞は浮かばれま
せん。パレスチナ、イスラエルを見ていても思います。
民族協和は人類の見果て夢なんでしょうか?
└──────────
┌──────────「大原敬一さん」
私は下のホームページを見て感無量でした。
http://www.asahi-net.or.jp/~ID1M-SSK/
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
大原敬一様、ホームページの紹介有難うございます。
シベリアに抑留された佐々木芳勝さまの記録を拝見して、私の苦労なんかとは
比べものにならないと実感しました。
当時は能天気でしたから、「苦労なさったですね」よく言われますが、あまり
その実感はありません、見るに耐えないイヤな思い出は数多くありますが!
└──────────
┌──────────「大竹さん」
棄民、拝見しました。
私たち家族も同じ新京市の興安大路に住んでいました。ソ連兵たちが自慢げに
腕時計を沢山して、ねじを巻くことがわからないので止まると捨てていたのを
思い出します。
昨年この地に行ってきました。55年前を思い出し感無量でした。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
ソ連兵の暴虐と開拓団難民の惨状は、今思い出しても寒気がします。私も十年
ほど前に長春に、去年は琿春と図們に行ってきました。長春はほとんど十年前
と同じ街並でしたが、去年のコンシュンは、目を見張るばかりの変わりようで
以前の面影はまるでありませんでした。
└──────────
┌──────────「同喜同歓さん」
是非とも最後まで続けて下さい。私は戦争を知らない世代であり、両親とも、
戦争の事に触れることはあまりありません。しかしながら、過去の史実を正し
く知ったうえで、初めて現在・未来が正しく認識できるのだと思いますし、本
物の日本人として他国の人間と交流できる気がします。
ご先祖様方の生き様をろくに知らないような事では、己が後進もまたしかり。
他国に馬鹿にされてしまいます。これではいやですね。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
今の日本人の大多数は台湾、朝鮮と、満州国は大日本帝国の三大植民地と認識
していると思います。中国では「傀儡国家」偽満州国と言い、当時の建造物に
もすべて“偽”をつけて区別しているようです。
時代離れしているかもしれませんが、私は反対に、僅か十三年半という短期間
で、満州軍閥の支配から満州の人民を救って近代国家建設を成し遂げた日本を
評価しないわけにはいきません。軍閥支配の時代は「苛斂誅求」で、厳しい税
の徴収や貨幣制度の乱れから、満州経済は大混乱に陥ってどん底の貧窮状態で
した。
そこに、莫大な資本を投下して鉄道を敷設し(満鉄)近代的資本主義に改造し、
当時の中国本土と比べても格段に豊かな産業国家としたのには「欧米列国も目
を見張った」とあります。ゆえに、中国各地から500万ともいわれる人々が
新天地に集まり、豊かな楽園となったのです。(ソ連軍の大略奪までいっぽう)
独断はありますが、偏見ではありません。多くの文献を調べた結果です。
長くなりますので、歴史の講義(?)は又にします。
└──────────
┌──────────「マキガミさん」
是非、続けてください。実際の中国の体験談はもっと伝えるべきです。そうし
ないと中国人で日本ばかりが一方的に侵略しただのの主張に反論できなくなり
ます。本当に今の中国人学生は都合のいい戦争教育を詰め込まれてますし‥。
ここでの意見ですが、私自身、日本の公立学校の先生の中で、戦争を体験して
ないのにやたら主張を押し付ける話し方に疑問を持ちました。でも、このよう
な話ひとつで平和の有り難さはたちどころに解ると思います。
最近の戦争でも、一番の被害者は政治だの、利益だのに関係無い一般人なのを
痛感します。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
マキガミさんのおっしゃる通りだと思います。僕は右翼でも左翼でもありませ
んが、満州国を日本の傀儡国家とみなすのは、建国の背景を無視した結果で、
歴史の歪曲です。日本人が満州国の建国に最大の情熱を傾けたことは事実で、
ただ単に関東軍の陰謀というような、簡単な史観で語り尽くせるものではあり
ません。
清王朝崩壊後の満州は匪賊が跋扈し、軍閥は民衆から厳しく税金を取り立て、
満州の民衆にとって{保境安民}こそ心から望むもので、満州合衆国の建国は
民意と時代の潮流でした。建国後わずか十三年半で夭逝し「王道楽土」を実現
できなかったとしても、戦乱と飢餓の繰り返しで絶望の淵にあったた中国流民
にとっては、当時の満州国こそ駆け込み寺であり、年間100万あまりが長城
を乗り越えて満州に流入したという事実が、雄弁にその事を裏付けています。
北東アジアの重工業の中心地として、自動車から飛行機まで作ることができる
一大近代産業国家にまで成長し、日本人の開国維新以来のすべての情熱と技術
の粋をそそぎ込んだ結晶です。
日本人は誇りに思わなければならないでしょう。
└──────────
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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