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中国ひと口話:14 ――――――――― by けんさん
 新しい題目が上段です。 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 友好基本用語 ――――――――――――――――― 2007/12/21 2004年9月、瀋陽から北京まで、日本人四人、中国人九人の計十三人で、 16日間自転車旅行をしました。 二十四時間、走っているときも、食事をするときも、寝ている間も一緒です。 私は、中国語で寝言を言っていたそうですから、夢の中も一緒でした。私達の 中国語能力は「ニーハオ」+α。私が我流でなんとか他人より少し喋る。 中国人の皆さん好意でしょうが、「メシ、メシ」と妖しい日本語を使われるの には、些かげんなりしました。そこで覚えて貰った日本語が、「これは何です か?」と「どうぞ」 「これは何ですか?」 「葡萄です」 「葡萄どうぞ」 「これは何ですか?」 「椅子です」 「椅子どうぞ」=「お座り下さい」 私達が中国語を知りたいときは日本語で「これは何ですか?」と問えば、中国 語で教えてくれる。 「ニーハオ」「謝謝」「これは何ですか」「どうぞ」 以上、友好基本用語四つで、16日間十分楽しく交流できました。 友好の 決め手は「どうぞ」 一語だけ                         = この話おわり = ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 米西、米西 ―――――――――――――――――― 2007/12/14 初めて中国人の家庭によばれたとき、「メシ、メシ」と言われて戸惑ったこと はありませんか。 中国語には無い言葉なので、敢て中国語にするなら「米西米西」となります。 ーーー直訳したら「飯、飯」。 そのこころは、「どうぞお食べ下さい」という意味です。 これも、例の抗日映画で普及した、妖しき日本語。 昔、私達悪餓鬼は、「メシメシ シンジョウ(飯飯、進上)」と両手を前に重ね 乞食の真似をして中国人をからかいました。 日本人社宅に、纏足の女の人が子供の手を引いて、ゴミ箱に食べ物をあさりに 来る。 その人達に、「メシメシ シンジョウ!」と囃し立てながら、ヨチヨチ逃げる のが面白くて、石を投げたこともあります。ーーーー苦い思い出です。 悪餓鬼の 遠い思い出 胸の澱                         = この話おわり = ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 赤脚医生 ――――――――――――――――――― 2007/12/07 日本語では「裸足の医者」です。 農村などで、他の仕事に従事しながら医療にも携わる人達です。 正規の医師の資格を持っている訳ではありませんが、注射、投薬、酸素吸入、 点滴、血圧測定、緊急措置など、救急医療も行います。 「問診所」と赤十字の看板が掛かっている場所が、その人達の職場です。 中国では、どんな小さな「鎮」(日本の村または、大きな部落に相当する最小 の行政単位)にも一つはあります。何かのおり、知っていると便利かもしれま せん。 ある日、友人が旅行中、心臓発作を起こしたときも、ここでベッドに横になり 酸素吸入とブドウ糖の点滴を受けて急場をしのぎました。 中国で 赤脚[はだし]の医者は 赤髭さん                         = この話おわり = ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 大学囲碁選手権大会 ―――――――――――――― 2007/11/30 1994年、北京語言学院に短期留学しているとき、大学囲碁選手権大会に参 加させてもらいました。当時59才でしたが、一応大学生の身分ということで 温かい配慮を頂きました。 試合は、予選が二日。4局中二局勝ったら予選通過。 予選通過者50人程で変則リーグを戦い、上位10名が入賞というものです。 粗末なビニールの布で作った盤。ガラスの石。冬でしたが暖房の無い大部屋。 それでも熱気に満ちた大会でした。 参加者約300名。私は残念ながら11位で、本来入賞はないのですが、特別 賞を頂きました。優勝者はプロ棋士でしたから、かなりレベルの高い大会だっ たのです。 日本人の珍しさでしょう。試合の合間に次々と番外対局を申し込まれ、全て受 けました。 中国の若者は熱いです。 白黒の 手談は言葉の 壁を越え                         = この話おわり = ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 離休幹部 ――――――――――――――――――― 2007/11/23 1949年、即ち、建国当時なんらかの形で革命に直接参加していた人達は、 離休幹部といって、退職後も現役と同じ待遇を受ける特権を受けることができ ます。 また、解放軍に従事していて退役した人達には、「光栄」という称号が与えら れています。 抗美援朝=朝鮮動乱)に一番若い年齢で参加した光栄の人達は、当時14才の 少年兵ですから、その人達も70代に入ることになりました。 昨年(2004年)、所用でその人達が暮らす瀋陽の養老院を見学しました。 日本のビジネスホテルを少し広めにした一般のツインの部屋が、一ヶ月400 元≒日本円6000円)他に食費等が約200元とのことでした。 光栄の人達には、更に優遇措置があるそうですから、この人達の老後は恵まれ ているようです。 建国の 少年兵も 古稀迎え                         = この話おわり = ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 物は大切に ―――――――――――――――――― 2007/11/16 1995年、中国は抗日戦争勝利50周年ということで、連日キャンペーンが あり、日本人には居心地が悪いことこの上なかった――――。 その抗日戦争映画を作る「八一電影院」という解放軍の撮影所へ行ったときの ことです。 なんと、1945年の撮影器具がまだ使われていました。当時は、ソ連の最新 機器だったのでしょうが、いまだに手入れして使っていた。 日本人が昔働いていた工場を訪ねたら、自分が使っていた旋盤がまだ現役だっ たの見て感動した、との記事を読んだことがあります。 ーーー中国人は、物を大切にします。 耐久消費財に対する感覚は、単に貧しいというだけでは説明がつかない程徹底 しています。 日本で粗大ゴミの山を見る度に、何かが狂っていると思うのです――――。 モッタイナイ 世界に通じる 日本語                         = この話おわり = ┌─┬───────────────────────────────┘ ││ この話にお便りを頂きました。 └─┘ ┌──────────「十八子松戸さん」 こんにちは、 一つ鍋は何十年も使い続けるほど物を大切するのは良いことですが、 しかし、 これで消費が鈍くなり供給過剰?どうやって生産を促進させるかな? サイクルがないと停滞。‥‥‥矛盾‥‥‥ └────────── ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 八個Y路 ――――――――――――――――――― 2007/11/09 中国語の発音記号で書いたら(ba ge ya lu)。日本語の「バカヤロ」です。 中国のテレビでは、いまだに低俗な抗日戦争映画を厭きもせずやっている。 その中で普及した日本語がこれです。中国人ならみんな知っている。 日本人が皆「ニーハオ」を知っているのとは大違い。 日本で仕事をしている私の友人は、バリバリの中国共産党員です。ある日彼と 歩いていたとき、「中国語で“こんにちは”は何と言いますか?」と、 通りすがりの人に協力してもらって実験したら、皆知っていました。 「どうだ、日本人は友好的だろう」と私が自慢したら、彼も負けていない。 「結局日本が残してくれたのは“バカヤロ”だけだね」 思わず苦笑しながら「バカヤロ!」と怒鳴ってしまいました。 バカヤロは 歴史が残した 友好語                         = この話おわり = ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 沢庵[たくあん] ―――――――――――――――― 2007/11/02 1998年に帰国後、日本のある医療関係の篤志家が瀋陽看護婦学校の元教え 子を日本に招待して下さいました。 王校長も一緒でした。親友ですので実名で悪口を言わせて貰います。 この田舎者校長、言うことが可愛くない。「日本料理は、見かけだけで美味し くない」。私も面白くなかったので、ある日沢庵を丼に山盛り出して貰いまし た。果たして彼ご満悦。 「田舎者には、塩辛いものさえ食わしておけば満足する」と私。 東北は寒冷地で、気候条件も厳しい。一般に労働も激しい。必然的に塩分を多 量に摂取します。 沢庵を出したのは、織田信長が京都の料理の名人が作った料理を不味いと怒っ たとき、塩を多目に入れて満足させたという故智に習ったものです。 最後に、王校長の名誉の為にもう一つ大事なことを付け加えます。味に率直な 感想を述べるのは親しい者同士の感謝の表現なのです。日本人と国際結婚した ご夫人の不満に「何を作っても美味しいというだけで、甘いとも辛いとも言っ てくれない」というのがありました。 労働の 汗の味覚が 塩求め                         = この話おわり = ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 特急アジア ―――――――――――――――――― 2007/10/26 1934年、新京(現在の長春)〜大連の間を、最高時速130キロで走った、 当時の日本の技術の粋を集めた満鉄の特急列車です。 私も子供の頃何度か乗ったことがあります。 1997年には、瀋陽の南、蘇家屯というところに、長い間雨晒しに近い形で 放置されていました。鶯色の車体は色褪せ、かつて「貴婦人」と呼ばれた面影 は無く、私もボロボロの運転台に座り、感無量でした。 それが、数年前「関西遼寧」という団体の肝いりで、瀋陽の棋盤山というとこ ろに立派に保存されるようになりました。 ここは、往年のドイツの機関車も数台あり、SLファンには是非お勧めの場所 です。 貴婦人の 気品も歴史に 色褪せて                         = この話おわり = ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▼ ☆ 砂漠の恋歌 ―――――――――――――――――― 2007/10/19 内蒙古通遼市の西北約70キロ程の所に、「科尓沁」という遊牧民が年に一度 交易市を開き、競馬や射的などお祭りをする場所があります。 そこのホテルのロビーに、岩国の錦帯橋の写真が飾られているのを見て驚きま した。砂漠に生きる人達にとって、豊かで清涼な水と美しい桜は、夢の景色な のですね。 もっと驚いたのは、そのとき聞かせて貰った出会いの恋歌が、馬子唄そのもの なのです。 日本の馬子唄のルーツは砂漠の恋歌だったのだ! そう思って聴くと、江差追分も箱根馬子唄も一段と情緒があります。 馬子歌も 砂漠で聞けば 恋の歌                         = この話おわり = ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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