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┃ 中国ひと口話:9 ―――――――――――― by けんさん
┃(けんさんの日中友好コーナー)
★ 新しい題目が上段です。
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☆ 街の音楽家 ―――――――――――――――――― 2006/12/29
瀋陽市鉄西区は、瀋陽市西の郊外工業地帯、私が子供の頃は飛行場がありまし
た。滑翔路とか、騰飛街とかの名前が残っている所がそうです。
今の第31中学校は昔の日本人小学校で、日本人もかなり住んでいました。
あまり文化の香りはしない、雑然とした新興住宅地でもあります。
ある日、夜店の一角から、妙なる笛の響きが流れてくる。音色に釣られて入る
と、一人の30代の男性が無心に横笛を吹いていました。
誰も聞いていません。座り込んだたった一人の聴衆、私のために彼は30分近
く非常に高いテクニックと、素晴らしい音楽性を披露してくれました。
あくる日、お礼の煙草を一カートン持って行ったのですが、彼の姿はありませ
んでした。広い宇宙空間に妙音を放ち、何処からか来て何処へともなく去る。
かつての吟遊詩人もこうだったのでしょうか。
うつろいと 幻想の中で 時が過ぎ
= この話おわり =
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│ │ この話にお便りを頂きました。
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┌──────────「正保富三さん」
けんさんの「中国ひと口話」に私の母校がでてきましたので、お便りします。
> 今の第31中学校は昔の日本人小学校で、日本人もかなり住んでいました。
昔は、奉天鉄西在満国民学校といいました。日本人街でしたので日本人ばかり
でした。今は毎年、日本で同窓会をやっています。
今の第31中学校は進学の名門校らしいですね。
その門の中で笛を吹いている人がいたのでしょうか。風流ですね。
良いお年をお迎えください。
正保 富三 <syobo@mx.biwa.ne.jp>
http://air.ap.teacup.com/ariso/
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☆ 盲目の易者 ―――――――――――――――――― 2006/12/22
瀋陽の労働公園前で、一人の五十年配の男性が椅子に座り、何人かの人に囲ま
れていました。どうも彼は目が不自由のようです。そして筮竹[ぜいちく]など
はありませんでしたが、易者のようでもありました。
私も見て貰うことにしました。ただ私の手をとって、叙事詩のように私の過去
から将来を語ってくれます。
開口一番「労働をしてない手ですね!」と感嘆の声を上げる。
ーーーこれは易者でなくても、触れば分かります。
続いて、私が少年期に母を亡くしたことから語り始めたとき、私の心は完全に
捕らわれました。目が見えないからこそ、何か鋭い直感があるのですね。
広い中国には、凄い人がいるものです。
小柄で平凡な男性が、高僧のように見えました。
中国の ノストラダムは 只の人
= この話おわり =
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☆ 豊年踊り ――――――――――――――――――― 2006/12/15
中国人の朝は早い。季節によっては五時、東の空が白むのと同時に公園や学校
の校庭には人が溢れます。
ジョギングをしている若い人もいますが、圧倒的に年寄りが多い。
太極拳をする人、後ろ向きに歩く最近流行の健康法をしている人。そしてこれ
も最近流行は、豊年踊りの一団です。中国語では「秧歌」。少しふざけて「老
人ディスコ」ともいいます。
鉦に銅鑼、チャルメラのような笛。原色の合繊繊維の派手な服装で、化粧をし
た人も多く、20人から、多いときは100人近いグループで踊っています。
踊りは阿波踊りと同じといっていいほどよく似ています。囃子に合わせ、思い
思いに手を上げて足を運んでいるだけ。
1992年は見ない風景でした。1997年は珍しかった。今は毎日至る所で
やっています。私が飛び入りで踊っても、仲間に入れてくれます。
年寄りの ディスコは 手を挙げ歩くだけ
= この話おわり =
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☆ 大東亜共栄圏 ――――――――――――――――― 2006/12/08
中国で仕事をしている人と、酒の席で忌憚ない話をすると、必ず出てくるのが
「中国人は信用出来ない」です。言うことがコロコロ変わる。
例えば共同開発の話が軌道に乗りかかると、条件変更を申し出てくる。甚だし
いときは、その話が元々無かったような態度をとる。
幾つか原因は考えられますが、
1.こちらの足許を見ている。
2.上司が替わった。
「2」が日本人には分かり難いようです。中国はトップダウンの国、それに加
えて「一家人」の国。人事異動があると、その一家は全て方針が変わります。
そこで新たな関係構築が要ります。その方法ですが、まず一緒に食事をする。
それができたら、まずOK。この関係をブラックユーモアで「大東亜共栄圏」
という人がいます。
EUを アジアでやれば 大東亜
= この話おわり =
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☆ 管鮑の交わり ――――――――――――――――― 2006/12/01
春秋戦国時代、斉の国の宰相管仲と、彼に宰相の地位を譲った鮑叔の交わりで
す。
二人は、若いころからお互いの才能を認め合って無二の親友でした。
しかし実際の交友においては、管仲は鮑叔から借りたお金も返していませんし
鮑叔が宰相の地位を譲ったのにも見られるように、友情は一方通行です。
管仲が最後に残した言葉が、二人の友情を後の世の人に永遠に語り継がせてい
ます。「私を生んでくれたのは両親だが、理解してくれたのは、鮑叔だ」
鮑叔は ひたすら貢いで 名を残し
= この話おわり =
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☆ 皆が被害者 ―――――――――――――――――― 2006/11/24
1966年から1976年までの10年間、中国全土で城郭をも消し去るよう
な徹底的な破壊を行った文革。これは一体なんだったのでしょうか。
明が元の遺跡を破壊したように、文化の継承を拒否した破壊か、大躍進の失敗
に揺らいだ社会主義体制に梃入れする荒療治だったのか。
この時代を過ごした人達は、私と同世代の友人です。しかし私が外国人として
好奇心だけで語るには重たい話題です。彼等は「酷い時代だった」と異口同音
に言いますが、皆が被害者で加害者がいません。
「四人組」といわれる、四人だけが加害者なのか。
これも歴史評価にはもう少し時間が必要なようです。
法廷は 検事ばかりで 被告なし
= この話おわり =
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☆ 城郭の街 ――――――――――――――――――― 2006/11/17
興城(遼寧省興城市)には、明の時代に寧遠衛城と呼ばれた城郭が、全国重点文
物保護単位として保存されています。800メートル四方を青レンガと巨石で
囲まれた城郭は、最も昔の面影を残しています。
このような城郭が、私の子供の頃は撫順城をはじめ到る所に見られました。
その多くが文革で壊されたというのですが、文革の破壊力の凄まじさが想像で
きます。
雲南省麗江市には、世界遺産に指定された古城があります。上海近郊の水郷の
町「周荘」の規模を数倍拡大したように趣があります。
城郭に 人も歴史も 閉じこもり
= この話おわり =
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☆ 流浪の民 ――――――――――――――――――― 2006/11/10
渤海湾にある興城海水浴場の海岸には、「打撃密渡」の密航取締りの立て札が
見えます。付近には、コールタールで塗られた、モータボートに毛が生えた程
度の漁船しか見えない。
こんな小船で、日本海の荒波を越えるのは信じられないのですが、外航船が着
くような埠頭は付近に有りません。
春秋戦国時代(紀元前770年〜221年)、地球は今と違ってもっと気温が
低かったのではないかと言われています。
そこへ戦乱が重なり、流浪の民が出来た。その人達が朝鮮半島へ伝わって日本
へ、あるいは朝鮮半島の人達が、押し出されるようにして小船に乗り日本に来
たということは十分に考えられます。
弥生文化の担い手が、大陸の戦乱が生んだ流浪の民なら、徐福伝説も首肯され
ます。
大陸を 追われてご先祖 日本へ
= この話おわり =
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☆ 同居する英霊 ――――――――――――――――― 2006/11/03
満鉄(南満洲鉄道の略称)の駅周辺には、鉄道付属地というのがありました。
名前からいっても、本来的には鉄道従業員宿舎とか、操車場とかの鉄道関係付
属設備のための用地だと思うのですが、直接関係しない多くの日本人もここに
住んでいました。治安が良かったからです。というより、こういう、点に近い
狭い範囲しか治安が確保できなかったのかもしれません。
旧日本人居住地を探すときの、もう一つの手掛かりは、解放記念碑を探すこと
です。日本人が作った忠霊塔が、これに転用されているからです。少なくとも
撫順と承徳はそうです。その近くに旧日本人居住地があります。
日中戦争を戦った互いの無名戦士が同居しているのは、ある意味では意義深い
ことだと思います。
恩讐を 越えて眠るか 一つ屋根
= この話おわり =
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☆ 明天は希望の象徴 ――――――――――――――― 2006/10/27
瀋陽で日本語教師をしていたときのこと。
ある日暖房が壊れました。瀋陽の冬は零下20度以下、暖房が壊れたら氷地獄
です。所長に催促しても三日続けて「明天」を聞かされただけで一向に直らな
い。つい痺れを切らして「中国語の明天は今日の次の日と違うの?」と皮肉を
言ったら即座に直りました。
といっても実は直ったのは返事の仕方だけ。「明天」と言う代わり「不知道」
になり、肝心のボイラー修理はなお先がみえなくなりましたーーー。
「明天」は直訳したら「天を明ける」という動詞。希望を持って下さいと言っ
ているのです。
催促は、こちらが希望を棄てていない意思表示ですから大事ですが、皮肉は逆
効果でした。
明天と 希望を託し 明日を待つ
= この話おわり =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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