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┃ 中国ひと口話:8 ―――――――――――― by けんさん
┃(けんさんの日中友好コーナー)
★ 新しい題目が上段です。
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☆ 紺屋の明後日 ――――――――――――――――― 2006/10/20
昔の中国語会話の教科書「急就篇」には、こんな会話例も載っていました。
(日本語の漢字が無いので、中国語の発音記号も併せて書きます)
多 得? 「duozan de」(いつ出来ますか?)
后天得。 「houtian de」(明後日出来ます)
怎麼又是后天 ?「zenme youshi houtian ne?」
(何故また明後日ですか?)
ここでは「紺屋の明後日」と題して、中国人の言う約束はあてにならんと揶揄
的に使っていました。
確かに中国人に頼みごとをすると、「明天(明日)」と何回も明日を言います。
これは日本語に訳すときは、「できるだけ早く出来るよう、努力しています」
と訳すべきです。
実際努力しているのです。これを詰ると、努力もしてくれなくなります。
そのうちに 出来てくるべと 腰を据え
= この話おわり =
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☆ 酒煙不分家 ―――――――――――――――――― 2006/10/13
直訳したら、「酒と煙草は家を分かたず」です。酒煙草のやり取りは、一家の
中のやり取りみたいなものだと習いました。人の物は我が物というような意味
です。
何故か大昔に覚えた言葉ですが、別の意味もあることを最近知りました。
中国航空会社はまだ、搭乗48時間前までに最終確認が要ります。あるとき、
ガイドがそれを忘れて座席が無く、キャンセル待ちに回されました。そこで旅
行社に電話をしたら、「今から言う所へ行って下さい。そこにこちらから電話
をしておきますから、そこの人に煙草を上げて下さい」と言う。
「私は煙草を吸いません」と答えたのですが、これは相当にピンボケだったら
しく、この場合の煙草は煙草代でした。さらに突っ込んで念を押すと、20元
ということでした。
中国生活の中で、もし庶民レベルで非定型処理が必要なときの煙草代は、どう
も20元が相場のようです。
酒煙草 庶民の賄賂は 慎ましい
= この話おわり =
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☆ 蝗と流言蜚語 ――――――――――――――――― 2006/10/06
中国の歴代為政者にとって、一番恐ろしかったのは蝗[いなご]と流言蜚語では
なかったでしょうか。流言蜚語は燎原の火の如くと形容されますが、今のラジ
オテレビより猛スピードで広がります。
国共内戦でも、その諜報戦の役割を担ったのは、政治工作員と呼ばれる人達で
す。
1948年夏、国民党の支配地は、錦州、瀋陽、撫順、長春等点に限られ、八
路軍(人民解放軍の前身)の包囲を受けていました。
今にして思えば、あの人かなと思う人達が人目を避け、それとなく政治宣伝の
ようなことをしていました。民衆は、指で「八」の字を作り、「八路」だと声
を潜めて彼の話を聞いていました。
彼等は文字通り命がけです。一度捕まって市中引き回しされているのを見まし
たが、最後まで実に堂々と演説をしていました。
親友を 泣かせても行く 絞首台
= この話おわり =
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☆ 獄中詩人 ――――――――――――――――――― 2006/09/29
日本で中国人の犯罪があると、通訳でお手伝いすることがあります。
彼は密入国で来て、工場で働いていたのですが、腰を痛めて転落の道を歩みま
す。取調べは、のべつまくなしに尋問しているわけではありません。被疑者の
心を開く雑談も重要な部分になります。ーーその日はおりしも中秋節でした。
異国の獄舎月光かすかなり
共に月餅を食らいしはいつの日ぞ
娘よ許せ
晴着一枚買い与えざる父を
ーー即興の拙句に彼も即興で七言絶句を返しました。
牢中望月
夜獄遥望異国月
夜獄 遥かに異国の月を望む
玉輪共照故郷円
玉輪 共に故郷を円かに照らす
年年月円人不円
年々月は円べど 人は円ばず
更為老少増心傷
更に為す老少 心傷を増す
ーーー月明かり 獄舎の窓辺に 子の笑顔
= この話おわり =
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☆ 蛇頭 ――――――――――――――――――――― 2006/09/22
不正出国、受け入れ側(?)から見れば、不正入国の仲介を業とする人達の総称
です。役割機能的にみると、勧誘蛇頭、引率蛇頭、受入蛇頭に分けられます。
勧誘蛇頭は不正出国までを受け持ちます。私も実際にこの人が蛇頭だという人
に会ったことはないのですが、この人達は第七次産業に属するとみています。
実は、心ならずも不正入国の片棒を担いだことがあります。その時の相手の肩
書きは、相当な機関の幹部Xでした。さらに、YがXを批難しながら別の仕事
を持ってきたのですが、彼のくれた名刺のFAX番号はXと同じでした。
全ての産業の最上層で、専制的権力を持つ人。彼が蛇頭というのが言い過ぎな
ら、少なくとも勧誘蛇頭は彼等を利用していると言い替えましょう。一党独裁
を国是としている国で、その権力の外の人が、大きな権力を動かすのは考えら
れないからですーーー。
蛇の道と 知って分け入る 法の裏
= この話おわり =
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☆ 朝貢外交 ――――――――――――――――――― 2006/09/15
「日出処天子到書日没処天子」日出る処の天子、書を日没する処の天子に贈る
聖徳太子が、遣隋使に持たせ隋の煬帝に贈った書の書き出しです。
朝貢外交は、君主国と属国に分れ、属国は君主国を崇める代償として、貢物に
数倍する代価を得て国を富ませました。
先に紹介した聖徳太子の国書は、煬帝の逆鱗に触れました。酷い返書があった
らしいのですが、その返書は使者が紛失したということで残っていません。
遣唐使は、国書を持たせていません。形式的には民間外交です。我が国が朝貢
という形で属国となることを拒絶したからです。しかし実質的に朝貢でした。
その見返りの一部は、奈良の正倉院に残っているだけでも膨大なもので、遣唐
使が有形無形、我が国の文化向上に寄与したのはいうまでもありません。
日出る大和の国は、又シルクロード朝貢外交が没する終着駅でもありました。
日本で シルクロードは 旅を終え
= この話おわり =
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☆ 徐福伝説 ――――――――――――――――――― 2006/09/08
秦の始皇帝が、不老不死の薬を徐福という人に命じてそれを求めた。徐福は、
大きな船を建造して、善男善女500名を乗せ、蓬莱の国(日本)へ来たという
話です。
だから、「日本人は中国人の子孫だ」という意味です。
ここで、日本人のルーツについて専門的意見を述べる見識を持っていません。
しかし、人類は300万年前アフリカのサバンナに発生して以来、常に西から
東へ移動してきました。コロンブスが始めて逆に回るまでは。
子孫ならご先祖を敬うべきです。まして中国の伝統観念ではそれは絶対です。
徐福伝説は、中国人の自尊心をくすぐる伝説として、中国人なら皆知っている
し、日本人に向かって必ずこの話をします。
霊薬を 求めて徐福 蓬莱へ
= この話おわり =
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│ │ この話にお便りを頂きました。
└─┘
┌───────「中国一人長期出張人さん」男性@四十代@会社員@中国
京都府の日本海側、丹後半島の伊根町に徐福の墓がありますよ。
中国の人からよく言われるのは、徐福は選りすぐりの優秀な技術者をたくさん
連れて行った。だから今の日本人は皆アタマが良いし、技術も発達する。
中国が先祖だから尊敬しろと言われた事はありません。もともと一家人だから
仲良くしようとはよく言われます。
└──────────
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☆ 大地の妻 ――――――――――――――――――― 2006/09/01
満洲には、電話交換手、看護婦などの仕事に従事している女性もたくさん居ま
した。
その人達が終戦後、身の保全の為に男装をするのですが、女性はどんなにして
も女性です。子供の私が見ても、却って色っぽかったと思います。
彼女達が、中国人男性と縁が生まれるのも極自然です。ある年齢以上の中国残
留者を残留邦人と呼ぶのですが、残留邦人の中に女性が多いのは、支配者の地
位が逆転した象徴でしょう。
国民党の兵士と一緒になり、南方に行った人も少なくありません。
子供のとき、外で遊んでいたら「日本人の子だろう。餅つきが出来るか。遊び
においで」と、当番兵みたいな兵士に誘われたことがあります。
餅つきの手伝いは口実で、将校の日本人奥さんの話相手でした。たっぷりご馳
走になった楽しい思い出です。
国破れ 撫子異国の 土地に咲き
= この話おわり =
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☆ 避難所 ―――――――――――――――――――― 2006/08/25
撫順、瀋陽は終戦後も比較的治安が良い都市でした。
そこへ、満蒙の辺地での開拓住民、北朝鮮一帯の政情不安の地から多くの避難
民が流れ込んで来ました。女子供と僅かの老人。老人の多くは「大地の子」の
お爺ちゃんのように途中で棄てられたのでしょうか。
その人達は学校へ収容され、そこを「避難所」と言いました。
飢えと寒さの中で、発疹チブスが流行し、多くの人が死にました。
その人達の殆どは、校庭の隅に掘られた防空壕に棄てられました。
その数約2千。春の雪融け前に馬車に積まれ、付近の川渾河に流されました。
ムシロの陰から、凍った足だけ出した遺体の山の行列が、家の前の道を通った
のを覚えています。
日常の 営みの中に 死が宿り
= この話おわり =
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☆ 悲しい伝説 ―――――――――――――――――― 2006/08/18
1945年8月9日、日ソ不可侵条約を破ったソ連軍は、まさに怒涛の勢いで
東北平野に侵入してきました。スターリン戦車が道幅いっぱいに車道を走ると
沿道の民家は屋根まで揺れました。
満蒙開拓民として国境の辺地に取り残された老人子供婦人の中には、集団自決
した人々もいました。
ソ連の戦車に向かって、婦人が「爆弾テロ」のように飛び込み自決をしたとい
う伝説があります。当時、最後の関東軍としてこの地で戦った私の友人Nさん
は、これを静かに、しかしはっきり「フィクションです」と否定します。
30キロ爆弾は、屈強の兵士でも腰にしたら容易に動きがとれません。それに
敗軍は指揮命令系統が混乱して何も出来ません。事実、終戦さえしらず(混乱
の中で、終戦を伝える伝令を殺したり)武装解除に応ぜず、21日まで戦った
部隊もあるのです。
戦争が 庶民に残すは 涙だけ
= この話おわり =
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▽ 原稿募集 ▽
去る6月25日、中国遼寧省葫芦島市(旧満州からの日本人引揚港)で、引揚げ
60周年記念式典がありました。その葫芦島市の新聞が、日本人の引揚げにま
つわる想い出の原稿を募集しています。
詳細は下記URLに要領を掲示しています。
http://home.e-catv.ne.jp/aica/kikoubosyu.html
奮ってのご寄稿をお待ちいたしております。
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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