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┃ :中国への熱い思線: ――――――――――― by けんさん                    (けんさんの日中友好コーナー)

☆ 「瀋陽―北京」銀輪旅行記:友好の石ころ ―――― 2005/01/17

―― 2004年9月18日。薊県〜通州。50キロ。晴れ。

今日9月18日は、9.18記念日である。1931年9月18日午後10時
20分。瀋陽市郊外柳条湖において、関東軍は侵略を開始した。日本で言うと
ころの「満州事変」である。

中国ではこの日を国の恥の日として、「勿忘国恥(国の恥を忘れるな)」と大事
な記念日の一つにしている。

昨日公衆電話探しに付き合って呉れた張さんと、二人だけになった時だった。
オートバイに二人乗りした若者が、私達の掲げる「中日友好」の小旗を指差し
ながら、「9.18!9.18!」と叫びながら通り過ぎた。目元は笑ってい
たが、それでもハッキリと「9.18を忘れるな!」とアッピールしている。
ーー張さんに尋ねる。

「明日は、この中日友好の旗は掲げてもいいのかな?」

「絶対に駄目だ!」

防衛隊の張さんは、結構愛国坊やである。56才の彼に対して坊やは適当でな
いかもしれないが、周りが皆60才以上だから、小柄で陽気で酒好きでお喋り
な彼は坊やみたいに見える。私が彼に捧げた愛称は「白酒領導(酒飲み大臣)」

事々に、中国の素晴らしさを私達に誇らしげに語る彼は、中日友好と染め抜い
たユニホームを着用するのを好まない。中日友好の三角小旗も「遼寧老年健身
自転車隊」のものに変わっている。

そんな彼だが、こんな一面も持っている。

豊潤の旅館の入り口でだった。荷物を解いている私達に、中年の婦人が「何が
中日友好だ」と吐き捨てるように言う。対して、張さんが「俺達は民間の友好
運動だ。政府は政府で関係ない」と頑張っていた。

あくる日出発しようとしたら、私の「中日友好」の三角小旗が根元から折れて
いた。そう思いたくないが、これは明らかに折られたものである。

李さんに尋ねる。

「明日は、中日友好の旗は掲げないようにしようと思うのだけど」

「貴方の判断でそうするなら、私は何も言いません。しかし私達はいつもと同
じようにします」

私はわざわざ、9月18日を選って9.18記念館にいき、靖国問題を中国人
と話し合ったこともある。しかし今回、中国人が国の恥の日として、いわば喪
に服して半旗を掲げている中を、中日友好の旗をことさらに靡かせて、挑発と
誤解を受けるようなことは慎むことにした。

「靖国問題は基本的に内政問題です」と私の持論を述べる。

李さん何か言いたそうにしていたが「今日は政治の話は止めましょう」と私の
ほうからかわすと、彼ホッとしたように無言で人の良さそうな笑顔を見せた。

今回は、日中問題を正面から議論するのが目的でない。同じ世代を生きた者同
士が、同じ釜の飯を食い、共に行動することそのことが目的である。私は庶民
同士の本音の交わりが友好の基本だと思っている。また、目の前の一人と仲良
くすることが友好だと思っている。

私が好きな言葉は、周恩来の「日中は不幸な歴史もあったが、友好の歴史のほ
うが永い」である。
しかし「ニーハオ」だけでは友好は出来ない。中国人と喧嘩をすることも一度
や二度ではない。不愉快になることはもっと多い。そうして前が見えなくなっ
たとき、私はいつも周恩来の言葉を思い起こすことにしている。

今回、(社)日本中国友好協会の後援を頂いた。私の道楽が、多少でも日中友好
に寄与できたらと思ったからである。

北京で打ち上げの宴を開き、それに中日友好協会の関係者の方に出席願いたい
と思うのだが、なにさま自転車旅行のこと、具体的な予定が確定しない。
やっと見通しがたったので、中日友好協会に直接電話する。しかし、いきなり
私のような馬の骨が電話しても埒はあかない。

中日協会「何処の機関に属した運動ですか」

私   「一民間の運動です」

中日協会「すみません。いま忙しくて出席できません」

9月19日から中国共産党第16期中央委員会第4回総会が開かれる。
多忙なのだ。

4年前、私は愛媛日中友好協会に入り、理事の末席を汚している。

いま協会が直面している課題は会員の高齢化。それ以上に会員の激減である。
日本国民の、日中友好に対する気持が冷却したのか。

・日本における、中国人犯罪の激増。

・歴史認識に端を発する、政治的摩擦。

マイナスの要因は確かにある。しかし、一方で人の交流も貿易も確実に増えて
いる。
日中友好協会に期待されているのは、実際に交流と友好を進めている人達への
後押しである。庶民同士の友好。それは権威とも政治とも無関係。

中国大陸を流れ、中華文明を育んだ黄河も、元は黄土高原から転がった一つの
石ころである。それが、溝を作り、沢となり、奔流となり、大河を作った。

愛国坊やの「白酒領導」張さんも、翌日は日中友好のユニホームを纏い、日中
友好の小旗を掲げ北京城へ入場した。

ーー石ころは一つ転がった。

                        = この稿おわり =
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