┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ :中国への熱い思線: ――――――――――― by けんさん                    (けんさんの日中友好コーナー)

☆ 「瀋陽―北京」銀輪旅行記:天下第一関 ――――― 2004/11/29

―― 2004年9月12日。綏中〜山海関。64キロ。晴れ。

山海関を越えると、河北省である。私達の旅もここで半分を少し超える。

今回の行動計画は、22日の昼北京で打ち上げの宴会。22日の夜行列車に乗
る。これだけは絶対に守って欲しい。他は全て任せると伝えてある。

打ち上げ会には、中国棋院の院長、王汝南さんにご出席をお願いしてあるのだ
が、非常に多忙な方でこの日のこの時間しか空いていない。

24日はFさんが瀋陽から帰国する。
25日、26日は、私は中国人の友人の結婚式に出席する。25日は、仲人の
大役を仰せつかっているので、準備を含めると一日も余裕がない。

だから王隊長は、山海関までは観光を削ってでも早めに着くように予定してい
る。それにより、第二段階の計画を立てる。ここまでは天候にも恵まれ順調で
ある。山海関、北戴河でゆっくり観光しても、なお北京で観光の余裕がありそ
うだ。

山海関が「万里の長城の終点」になったのは六世紀半ば。山海関の名前の由来
になる山海衛が置かれたのは十四世紀というから、中国の歴史の中では意外に
浅い。万里の長城といえば秦の始皇帝の名が浮かぶが、その時代はここに関所
はない。

それ以後、幾多の王朝の存亡があったが、その全ての王朝の軍隊がなんらかの
形でこの関をくぐっているはずだ。
有名なところでは、1644年、清のドルゴンがここから侵入した。
そのときの明の守将が呉三桂。――李自成の反乱により明が滅亡したのを知り
清に降って一緒に李自成を破る。

満州族を含め、北方の、痩せた厳しい自然条件の土地で暮らす民にとっては、
黄河流域の豊かな沃土と文明は羨望そのものだっただろう。武力でそれを得よ
うとする脅威の前に、この長城は必要だった。

日本は周囲を海に囲まれ、自然の長城を持っていて、その点は幸せだった。
しかし、中国を理解しようとするとき、この国が歴史上常に民族間相互の緊張
に晒されていた一面を見ないとなにも語れない。

4000年といわれる中国の歴史の中で、正史に残っているだけでも1500
回以上の内戦内乱を繰り返している。

ーー宿に着く前に、孟姜女廟を見学する。

孟姜女は、秦の時代の山東省の人。長城の使役に従事していた夫が人柱にされ
る。冬の寒さに布団を届けようと訪れて、それを知った孟姜女が三日三晩泣き
明かすと、長城が崩れ夫の亡骸が出てきたという伝説に基づいて作られた廟。

秦の始皇帝が彼女を面接しようとしたら、海に身を投じ岩になったというその
岩も近くにある。貞女の鑑として、また封建時代の農民の苦労を偲ぶよすがと
して、新中国の名所になっている。

最近少し不思議に思うことがある。

ーー万里の長城とは、一体何だったのだろうか・・・。

本当に国防に機能したのだろうか。

これを作った人は、本当にこれで国を守れると信じたのだろうか・・・。

灌漑、治水、築城は当時の公共事業だったはずだ。陵墓の建設も、見方によれ
ば公共事業として、その費用は庶民への還元と見られなくないこともない。

しかし、皮肉なことに、最初に万里の長城を作った秦の始皇帝を倒したのは、
築城に従事した孟姜女の夫のような農民である。
後にこれを引き継ぎ、現在の長城を大成した明を倒したのも、李自成が率いる
農民である。
そのドサクサに紛れて建てた清朝を倒したのも、毛沢東が率いた農民である。

山海関は呉三桂の寝返りであっけなく開城した。まさに「人は石垣、人は城」
長城は結局、人に勝てなかった。

「歴史は、常に今の矛盾を解消する方向に流れる」

仮にこの定義を認めて頂けるならば、中国の歴史を動かしてきたのはひとつの
矛盾、それは農民が食えるか食えないかに懸かっている。
「民以食為天」(民は食を以って天と為す)。
民は食わしてくれる者に力を与え、それが出来ない者を革命で倒した。

新中国を作ったのがこの矛盾なら、新中国の体制を揺さぶっているのも、この
矛盾である。13億の8割を占める農民。彼らは食えているのか。

改革開放は、沿海部を豊かにした。しかし深?も上海も、計画経済という「見
える手」によって作られた人為的な繁栄である。遼寧省の大連も、葫蘆島も、
表面の建設ラッシュを見る限り繁栄は急である。

沿線に、レンガ作りの農家に混じり、タイル張りの近代化した建物が見える。
張さんが「不錯!(素晴らしい!)」と自慢げに指差す。私は、この人達が私達
が中国の貧しさに、過度の好奇心と蔑みを抱くことに不安を持っていることに
気付いている。

私は、この人達に遠慮して中国の貧しさをありのままに書かないのではない。
真の貧しさを知らないのである。私達が通っている農村は、貧しいといっても
都市郊外である。大多数の極貧層はその外側にいる。

今回、私達は基本的に宿泊食事を含め一日20元≒300円)以下の生活をし
ている。これを貧しいと見るかどうか・・・。
瀋陽は、沿岸発展部と違い経済は厳しい。多くの人が月収600元ぐらいで暮
らしている。リストラで職を追われた人は、月300元で暮らしている。

ーーそれから比べると、今回の旅行費用は決して安くはない。

今、多くの中国人は食えている。有史以来、戦乱の中で餓死者が絶えなかった
この広い中国で、曲りなりにも餓死者がいないのは凄いことなのだ。

・貧困:年収2000元以下の生活困窮層。

・温飽:なんとか食べれる層。

・小康:中流、目標は日本。当面は韓国台湾のレベル。

・富裕:

中国政府が、貧困を脱却したと宣言してから8年ぐらいになろうか。実態はま
だ2000万人近くいることは中国政府も認めている。

ともあれ、私達は優雅に天下第一関を越えた。

かつて日本の軍隊も通ったであろうこの関門を、私達は日中友好の旗とともに
通った。

                        = この稿おわり =
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┃┃ お便りで頂きました感想。
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┌──────────「気分は情報無限さん」

☆「瀋陽-北京」銀輪旅行記:天下第一関2004/11/29を読んで

万里の長城の「孟美女」にまつわる悲しい話は、世界史の資料集か何かで読ん
だ記憶があります。中国の歴史は飢餓と戦乱の繰り返しだったのでしょうね。

既に絶版になっている筈ですが、ハヤカワNF文庫の「ヒトはなぜヒトを食べ
たか」--生態人類学から見た文化の起源--マーヴィン・ハリス著 鈴木洋一訳
という本で、中国の皇帝独裁システムに関して学びました。

それによると、皇帝が真面目に灌漑などの公共事業をしている時は政権が安定
するものの、享楽に耽って公共事業の整備を怠ると途端に内乱が頻発し、最後
に民衆が喰えなくなるとその王朝は倒れるそうです。

結局、中国の歴史はこの繰り返しなんだとか・・・。

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┌──────────「けんさんから」

今あるのが56の民族。滅亡した民族はもっと多いでしょう。
そのそれぞれの民族がそれぞれに興亡の歴史を持っています。
しかし、まさに「あらゆる権力は腐敗する」ですね。

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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

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