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┃ :中国への熱い思線: ――――――――――― by けんさん
┃ (けんさんの日中友好コーナー)
☆ 「瀋陽―北京」銀輪旅行記:いざ!北京へ! ――― 2004/10/18
「出発!」王隊長の右腕がサッと上がる。
2004年9月6日、午前7時。気温22度。気圧1027。快晴。
「日中友好(瀋陽〜北京)」と白で染め抜かれた真紅のお揃いの運動着に身を包
んだ「日中友好銀輪部隊」の一行13名が、瀋陽市鉄西区瀋陽工業大学正門か
ら、750キロ先の北京を目指してゆっくりと動きだした。
王隊長の荷台には、これも真紅の布地に黄色で「日中友好」と染め抜かれた旗
(80センチ×40センチ)が掲げられている。
私達の自転車は現地調達で、台湾製「捷安特」26吋・3段変速・461元。
ーーいわゆる「ママチャリ」。婦人乗りだが年寄りにも乗りやすい。お揃いの
運動着は、文字の染め抜きまで入れて、約40元。ヘルメット28元。自転車
の荷台に積む振り分けの鞄が、誂えで約20元。
携帯電話は中国だけしか使えず勿体ないが、安全の為、皆さんに中古を買って
もらう。これが一番高くて、約700元。
―― 支度に要した費用をもう一度整理すると
・携帯電話 700元
・自転車 461元
・運動着 40元
・ヘルメット 28元
・鞄 20元
・小旗等 10元
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合計 1259元(日本円約1万8千円)
運動着から鞄・ヘルメット・小旗と。全てが赤尽くめなのは、安全を考え目立
つ色にした。途中で別行動になったときも、お互い探し易い。
―― 次に13名のメンバーを簡単に紹介させて頂く。隊列の順番である。
王隊長 66才 遼寧省老年健身自転車隊の隊長。
――続いて婦人部隊。
劉さん 64才 北京、山東省と自転車旅行の経験がある。
奚さん 63才 瀋陽市皇姑区の自転車隊長。
周さん 61才 腰が悪い福田さんの介護役を務めてくれた。
張さん 61才 歌姫役。歌が上手い。
――続いて日本人のお爺ちゃん連。
高坂さん 60才 帯広市。市役所を今年定年で退職された。
福田さん 60才 大阪市。不動産業。自転車は経験豊富。
川本さん 65才 宇和島市。元朝日新聞記者。今は定年で退職された。
私 山崎 70才 松山市。元NTT。13年前定年退職。
――続いて中国人男子。
李さん 77才 元大学教授離休幹部。最初にこの企画に賛同してくれた。
趙さん 75才 元遼寧省老年健身自転車隊の隊長。
張さん 57才 歌姫さんの弟。自転車の修理担当。
徐さん 65才 撫順の自転車隊長。脚力抜群。殿役を務めてくれる。
年齢は全て、数え年である。還暦、古稀、最高は喜寿と揃っている。
市内から102号国道に沿って郊外に出るのだが、丁度出勤のラッシュアワー
で自転車の洪水だった。前夜の壮行会で安全第一を誓い合った私達だが、ここ
では郷に入らば郷に従い、中国流で信号無視。
中国の道路は、青だからといって安全な訳ではない。信号無視の車が突っ込ん
でくることがある。赤でも、車の流れによってはどんどん無視して前へ行く。
まさに、みんなで渡れば怖くない。流れを壊して、なまじ律儀に赤で止まると
却って後ろからぶつけられる。
私の自転車に付けたスピードメータによると、瞬間最大速度26キロと出た。
平均で約18キロ出ている。私は、日本では巡航速度13キロだから、これは
軽四に例えると110キロに相当する猛スピード。初日の朝だからいいけれど
これから750キロの長丁場を目指すスピードではない。早速王隊長に申し出
てスピードを落としてもらった。
―― 8時、第一回目の休憩。
運動着は厚手のウールで暑いので、着替える。
民家の横の空き地で休憩しているときだった。近所の人達が珍しそうに集まっ
てくる。日中友好の旗指物を見て、一人の70半ば年配の男性が私に「日本人
か?」と尋ねる。
そうだと答えると、なんと昔覚えた歌だといって「海行かば」を歌い始めた。
私と川本さんが合唱する。歌詞を訳してくれと言うから、「戦死者を弔う歌で
戦死を怖れない意味がある」と返事したら、「意味は始めて知った」と頷いて
いた。
当時は、ラジオで大本営発表の玉砕報道が流れると、その後にこのメロディー
が哀調を帯びて流れた。
最後は「さようなら」と奇麗な日本語で、別れの挨拶をしてくれた。日中友好
の出だしは好調である。
遼河を越え、3時頃最初の宿泊地遼中に入る。ここは、日露戦争奉天大会戦の
激戦地、遼陽からも50キロぐらいの距離で、それ程遠くない。初日の行程は
70キロ。宿探しも順調で、教育局の招待所が9元で泊まれることになった。
3人又は4人で一部屋。ーー心配した便所も、共同だが扉もついている。
夜は、林さんが残してくれたお金で宴会をする。実は日本人はこの4人の他に
大阪の林さんという方がいたのだが、急用が出来て出発間際に帰国した。林さ
んは装備も全て整え、壮行会にも参加して、ご婦人方にも人気があっただけに
残念だったが、急用では仕方がない。
福田さんが、前日自転車を持ち上げたとき腰を痛め、大事をとり按摩に行く。
私と川本さんが付き合う。初日がこれぐらいでは物足りないが....先は長い。
= この稿おわり =
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┃★┃ お便りで頂きました感想。
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┏━━━━━━━━━━「Zassoさん」
南通の大学で英語を教えているZassoといいます。
授業では政治的な話をして生徒を煽るな!と言われていたのですが、
ついつい、、、
昨日の異文化コミュニケーションのクラスで、かなり熱くなってしまった。
中国人は日本人を赦せるか?というテーマで、一人の女の子が大演説をぶった
ために、、、その内容は親日的でした。
これはウェブ上のフォーラムにあったテーマで、宿題として、いくつかを読ん
で自分の意見を準備しておくようにと言ってありました。
http://chinese-forums.com/viewtopic.php?t=1846
彼女は、最後まで私の味方でした。彼女は、もう過去のことは水に流して日本
とよい関係を築いていこう、と提唱しました。その「水に流す」という言葉が
何人かの生徒の反感をかったようです。 首相が公式に謝罪しない、靖国参拝
を繰り返す、歴史教科書では日本軍の卑劣さを削除している。そして、謝罪し
ない限り赦すことはできない、という反論には私も納得してしまいました。
最後に手を上げて発言した一人の女生徒は、「私は日本人を嫌っているわけで
はない、しかし日本政府は憎んでいる」と締めくくりました。その発言にクラ
スの多くが拍手をしたのです。私も気づいたら拍手をしていました。
情けなかった、、、、日本人なのに、これだけ叩かれても自国の政府の弁護が
できない。早く話題を切り替えて、さりげなくかわすはずだったのに、、、
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┏━━━━━━━━━━「けんさんから」
私は中国と中国人が大好きです。
しかし、中国の一部指導者の、自国の内政矛盾を外へ向けるような発言は問題
だと思っています。靖国も教科書も、本当に中国の庶民が問題にしているよう
には到底感じられません。
私は自虐派です。いまでも謝罪の気持を強く持っています。
しかし、国としての公式謝罪は終わっていると思っています。だから友好的な
条約が締結されているのではないでしょうか。貴方が、庶民同士本音の語り合
いをされていることに敬意を表します。
ーー語り合いは言いくるめることではありません。
「私は日本人を嫌っているわけではない」
この部分を大事にすればいいのではないでしょうか。
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┏━━━━━━━━━━「おいかわ@横浜さん」
まだ退職まで4年余りありますが、本当に羨ましい限りです。
人は変わっても、変わらないでも良いですが、5年後に皆様と一緒に銀輪がで
きればと思います。
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┏━━━━━━━━━━「けんさんから」
中国での自転車交流は、出来れば長く定着させたいと願っています。
私自身は来年、寧波から西安まで、空海の通った道を自転車で辿りたいと思っ
ています。夢です。
思えば、瀋陽〜北京も長年の夢でした。叶えばいいな〜。
5年後は、もし私が元気だったら、例えご一緒できなくてもお手伝いしましょ
う。
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┏━━━━━━━━━━「気分は情報無限さん」――――――― 2004/11/11
ママチャリに日中友好の旗を立ててとは、何ともホッとするお話だと思いま
す。中国の方は高齢者でも足腰が強くて健康な方が多い様子ですね。
先日、大阪府日中友好協会の上海市と大阪市の友好三十周年記念の行事に参加
して、四泊五日の上海観光を楽しんできましたが、やはり百聞は一見に如かず
で全てに圧倒されました。
マイクロバスに監禁されての大名旅行だったので、中国の本当の姿を見る事は
出来なかっただろうとは思います。が、それでも貴重な体験でした。
街中何処へ行っても監視カメラと鉄格子があり、制服の守衛や警備員が大勢居
たのは驚きました。上海住民との交流会なる企画もあったのですが、行った先
は「ゲートタウン」なんです。
一元も渡しませんでしたが、妙な物売りや浮浪者も多かったですね。
これでは確かに反日教育でもしない限り、内乱状態になってしまうでしょう。
何とか無事に「北京オリンピック」まで漕ぎ着けて欲しいと強く願いました。
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┏━━━━━━━━━━「けんさんから」
4泊5日の旅、よかったですね。
反日教育は、観念的です。少なくとも、私が一年教壇に立った学校ではありま
せんでした。中国の近代史の教科書は、確かに日本に関する記述は多いです。
この国の建国と、その後の60年を語る場合、日本の存在が大きいのは、客観
的事実です。
残念ながら、「反日」になるような反面教師をしている日本人が、少しですが
いるのも事実です。
所謂「反日」を口にする人ほど、実際に反日に会ったことはないのではないで
しょうか。
サッカーの事件は非常に遺憾なことでした。しかし、ほとんどの庶民にとって
は無関心なことです。
群集心理は恐ろしい。
「反日に名を借りた反体制運動」
「反体制運動を口実にした弾圧」
どちらもなかったようで、良かったと思っています。
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。

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