┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ :中国への熱い思線: ――――――――――― by けんさん                    (けんさんの日中友好コーナー)

☆ 黒龍江省一人旅 ―――――――――――――――――― 2003/10/08

黒龍江省を鶏西、牡丹江と一人旅をした。鶏西は父の最後の勤務地を訪ねて、
牡丹江は関東軍最後の激戦地を訪ねてである。
そのことは先に「最後の満州」「最後の関東軍」と題して書かせて頂いた。

これはその旅の途中のこぼれ話である。

ハルピンまでは連れがあったのだが、そこから先は全くの行き当たりばったり
の一人旅。年寄りの不安は重い荷物の上げ下ろし。

荷物だけは極端に減らして、ショルダーバック一つにした。
地図も必要なページだけコピーしてひたすら軽くしている。
他の荷物はハルピンへ来る途中瀋陽に寄って、友人の家に預けた。

実は荷物を預けるとき、トランクに分散した金を入れたまま置いて来て、財布
の余裕もない。身も軽いが懐も軽い旅になった。

チェックアウトをしようとしたらフロントのお嬢さんが
「先生は、いつも髪型が違いますね」と言う。何事ならん?!

と鏡を見たら、寝癖でベッカー選手も顔負けの流行髪型になっていた。水で癖
をとる。無精髯は剃るのが惜しかったのでそのままにした。このお嬢さんは、
きのう日本語を教えて上げた娘さんだ。

中国のホテルは「押金」といって、チェックインのとき抵当金を預ける。これ
を日本語でなんと言うかと尋ねるから、「ほしょうきん」と教えて上げた。
続いて、歓迎光臨は日本語で「いらっしゃいませ」
「なんにち おとまりですか?」も実用的な会話である。
フロントはときならぬ日本語教室となった。

「どうぞこれで、お好きな物を召し上がって下さい。」
ホテルバーのサービス券50元券を4枚もくれた。以前瀋陽で日本語教師をし
ていたときの月給が1000元だったから、三言で200元は破格の稼ぎだっ
た。(^O^)

さてハルピン駅。

私はまだ少し緊張したまま牡丹江行きの改札口に並んでいたら、一人の若者が
緊張を解いて呉れた。
「牡丹江行きはこの改札口ですか?」と逆に私に尋ねる。

私は中国人にしょっちゅう道を尋ねられる。どうもここでも退職して孫の顔を
見に行く中国人のおじいちゃんに見られたようだ。私の名誉のために付け加え
るなら、日本ではこれでも背広にネクタイが似合う紳士である。

この若者、人懐こい好青年で問わず語りに自己紹介をしてくれる。14才から
解放軍に入隊して今年除隊したそうである。大学生にも見える二十才である。

列車に乗ったら、8人程の日本人の団体旅行客と一緒になった。
「どちらからですか?」と流暢な日本語で尋ねたら、またしても日本語の上手
な中国人と間違われた。

この人達は、黒河、満州里、チチハル、と周り、これから、東寧の要塞を見に
行く国境の旅の途中だそうだ。皆さんが、開拓団または軍隊で、終戦を国境で
迎えられた人達。

一行の中のお一人が、孫呉(黒河市の南)で21日まで戦闘をして武装解除を受
けたと言う。21日まで武装解除に応じなかったのは、伝令が終戦の報を持っ
て来たのだが、部隊長が伝令を殺してしまったからだ。
二人目も殺し三人目でやっと武装解除に応じたという。

その間、旅団で400名の戦死者を出している。
面白いと言っては悪いが、こんな戦場もあったという。

部隊駐屯地の真ん中に道路があった。大隊編成を解いていないのだが、そこを
ソ連機動部隊は、無視して往来した。皮肉にも、小銃がわずかしかないという
貧弱な戦力が却って幸いした。敗残兵は相手にして貰えなかったのだ。

黒河事件についても初めて知った。国民党と中共軍の内乱に巻き込まれ、脱走
を図った日本軍捕虜が200人(一説によると600人)殺された。針金で数珠
繋ぎのまま黒龍江に放り込まれたという。
今回の旅行では、この話題はタブーだったそうだ。 
 
私と年齢も同じ、父親の年齢も同じという人がおられた。お父上は警察官。
黒竜江を筏で渡るとき脱走したそうだ。
なんと定年前の職場も同じNTT。彼は黒河から北安までの逃避行を経験して
いる。集落を避けながら1000キロ近い道のりを歩いて避難した。

ご苦労は文章にされているそうだから、今度是非拝見させて貰うことをお願い
した。

牡丹江で一行とお別れする。

ここから先は「最後の満州」「最後の関東軍」と重複するので、省略する。

鶏西で最後の晩だった。
夢心地の中で誰かがドアを叩く。そして今度は電話が鳴った。

「按摩をしませんか?」
「疲れたからもういいよ。」

「だったらなお按摩しませんか。」
「眠たいよ。」

「眠りのお伴をしましょう。」
「幾らだ。」

「300元です。」
「やっぱり一人で寝るよ。」

「ドアを開けて下さい。お話だけでもしませんか。」
「明日またおいで。」

実は明日はいない。閻魔さんもこれぐらいの嘘は許してくれるだろう。
黒龍江省のこの田舎町も、改革開放の風は吹いている。
 
牡丹江から、三人の親子連れが向かいに座った。

男の子が、早速「党生活」という雑誌を取り出して、その中の思想問題を勉強
している。 新学期で(中国は9月が新学期)ハルピンの警察学校に入学するそ
うだ。母親が、
「黒龍江省第3位の成績で、国の方針により公安に配属された。」
と、息子の自慢をする。

18才のこの子、なかなか向学心旺盛で、
「日本語を教えて下さい。」とノートを取り出した。

ご両親が、飲み物食べ物を気遣って呉れる。先ほど述べた事情で懐が寂しかっ
たから、遠慮なく頂く。

母親が、「お爺さんにお願いして、日本の娘さんを世話してもらったら。」と
言う。
「そんなことを言うものではありません。」と彼、母親の言葉を押しとどめた
が、それでも関心があるのか
「日本の警察は外国人と結婚できますか?」と意外な質問がきた。

「私もよくは知らないけど、憲法では結婚は両者の合意に基づいて行われると
 なっているから、問題ないでしょう。」
「私達は、国の機密保持の立場から許されないと思います。」

「機密保持は、警察だけではない。公務員、医者、ホテルの従業員だってそれ
 ぞれ守らなくてはならない秘密があります。」

日本の風俗習慣など話したあとだった。
「少し敏感な話題を構いませんか?」
と彼が控えめに切り出したのは靖国問題だった。
「あの人達は私達にとっては烈士です。庶民としての感情が根底にあります」
母親は100パーセント同意してくれた。

彼は戦犯合祀をとりあげる。
「それが、本当に問題点でしょうか?」
と私が逆に問いかけたら、今度は教科書問題になった。
「この問題は基本的に、私達の内政問題です。」
「しかし侵略を認めないのは問題です。」

教科書検定そのものに対する日本国民の真剣な取り組み、(家永裁判)について
説明するのは私の言語能力を超える。
それは侵略を進出と書き改めさせられたことに対する抗議でもあったのだが。
 
「あなたは、あの教科書がどれだけ採択されているか知っていますか?」
もちろん彼は知らない。私の知る限り全国で採択を許しているのは、東京都と
愛媛県だけである。そして実際に採択されているのは、愛媛の盲学校一校だけ
のはずだ。

彼は日本からのODAについて知らない。
しかし私達日本人の多くは、日清戦争のとき下関条約で、当時の(日本の)国庫
収入の三倍の賠償金を清国から取り上げたことも、中国が日中平和友好条約で
賠償権を放棄したことも知らない。
お互いが都合のいいところだけを見てはいないだろうか。

彼には言わないが、私はこの教科書はやはり問題があると思っている。
この教科書によると、日本人の歴史観はGHQに押し付けられたとあるが、少
なくとも私は違う。そして多くの違うと思う人達がこの教科書に反対している
のである。

もう一つ。

「満州」の記述について9ページも割きながら、満蒙開拓団についてひと言も
述べられていない。書かないことが検定には触れないとしても、これでは自ら
客観性を放棄し、なんらかの意図を持って編纂したと思わざるを得ない。

しかし、中国がこれにとやかく言うのはもっと筋違いだと思うから、私はこの
教科書をというより、我が国の文部行政そのものを支持しているのである。

ーー率直に、静かに、本音を語りたい。

この話題はここまでだった。
「私達は、意見が違っても仲良くできます」
という私の主張に彼も笑顔で同意してくれた。

彼は名前がいい。姓は白、名は雲。合わせて白雲。
私は絶対にこの好青年を忘れないだろう。

旅は道連れ。黒龍江省一人旅では、またいい友達が出来た。

                        = この稿おわり =
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┃┃ 読後感アンケート結果。
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◇ 面白かった  (^○^) -------------------------------- 36人  (90%)
◇ まあまあかな(゜.゜) --------------------------------  3人  ( 8%)
◇ ツマラナかった(-_-) --------------------------------  1人  ( 3%)

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┃┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌--------「ミカの赤い服さん」

けんさん、こんにちは。
歴史教科書問題や靖国問題は難しい問題ですね。
最近、小林よしのり氏の『戦争論』を読んだところです。
朝日新聞の見解とは正反対ですが、納得できる点が多かったです。

中国の青年、白雲氏との会話は、興味深く拝読しました。
"烈士"とは、なかなか素晴らしい表現と思います。

わたしはまだ若輩者ですが、今の日本は、けんさんも含めたご先達方のおかげ
であるのだと感謝しています。

└--------
 
┌--------「けんさんから」

「戦争論」納得できましたか?

"烈士"は中国語です。
各地にある烈士博物館、烈士記念碑は、いわば中国版靖国神社です。

└--------
┌--------「爺さん」

いつも読ませてもらっています。
今回のも良識あるオトナのお話、感銘深く拝見しました。

└--------
 
┌--------「けんさんから」

「良識あるオトナのお話」恐縮です。
天邪鬼、へそ曲がり、アプレゲール等々色々言われましたが、
私もようやくオトナの仲間入りしました。

└--------
┌--------「気分は情報無限さん」

今年の八月十五日に靖国神社へ参拝して来ました。
小林よしのり氏の「戦争論」は1〜3巻まで持っております。

自分は一人の人間として中国人の白雲氏の足元にも及ばないと思いました。
それから何かの本で読んだ知識ですが、

日本人は目を合わすと必ず視線を逸らす!
韓国人なら睨み返して来る!?
しかし中国人はニッコリ微笑むそうです。

だから貴方は中国人と勘違いされるのだと思いますね。

└--------
 
┌--------「けんさんから」

私も視線は意識して合わしません。
しかし白雲君、素晴らしい瞳をしていました。思わず見とれました。

└--------
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┃┃ お便りで頂きました感想。
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┏━━━━━━━━━━「気分は情報無限さん」男性@三十代@大阪

けんさんが書かれた「2003/10/08☆黒龍江省一人旅」を読ませて頂いて、一つ
強く感動した事があります。それは

「私の名誉のために付け加えるなら、日本ではこれでも背広にネクタイが似合
う紳士である」という発言です。

私はいま、平成十五年十月現在三十才の失業者ですが、自分自身に一番似合う
服装は背広にネクタイだと自負しています。しかし残念ながら、その姿を鏡で
見ると貧相で格好悪いです。
それとは逆にコンバット・ゲームをする時に着用する迷彩服だと貧相には見え
ませんが、私には似合っておりません。

大阪府在住の私は、時々日本橋の電気街を散歩しますが、明らかに変な格好の
人が多いです。みんな似合っていても格好の悪い服装か、服装は格好良くても
似合っていないかです。

もちろん外見だけで人を判断するのは間違いですが、マナーやTPOはどうし
ても表面に現れてくると思いますし、それは人徳にも繋がる筈です。
ですから最近の日本では自らを「背広とネクタイが似合う紳士である!」と誰
憚る事なく自慢できる人は本当に貴重だと思います。

どうか御身体に気を付けて、これからもウワベだけでない真の日中友好の為に
活躍なさって下さい。

┗━━━━━━━━━━
 
┏━━━━━━━━━━「けんさんから」

40年の月給取り生活で、殆ど背広しか着たことがない。
ボックス型のスーツは、体型を隠します。
だから今でも、背広を着ると落ち着きます。

一度でいいからジーパンを穿いてみたいのですが、穿いたことがありません。
迷彩服なんて、夢のまた夢です。
娘も
「お父ちゃん何を着せても似合わない」
と、私の着る物は買ってくれません。

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┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

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