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┃ :中国への熱い思線: ――――――――――― by けんさん
┃ (けんさんの日中友好コーナー)
☆ 甘い承徳 ――――――――――――――――――――― 2003/06/25
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│北京発07:17。承徳着11:51。
│旅遊11号は、青い目のお客さんで満員だった。
│
│承徳ってどのへん? → 地図です。
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承徳は河北省北東部の都市。古くは熱河と呼ばれた。温泉が出る熱い河という
意味である。ヨーロッパでは熱河、中国語の発音(rehe)が訛ってジョホール
として知られている景勝地である。
日本人にはあまり知られていないのだろうか、好まれないのだろうか。何故か
日本人の客は少ない。見渡したところ私一人のようだった。
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│承徳は三つの顔を持っている。
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│一、観光地
│ (避暑山荘、外八廟、山岳風景)
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│二、恵まれた鉱山資源
│ (金、銀、石炭、鉄、鉛、亜鉛、マンガン、雲母、水銀、ウラン)
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│三、阿片栽培
│ (現在は知らない、昔は承徳といえば阿片だった)
│
│ 今は、紡績も盛んだそうである。
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避暑山荘は紀元1703年、清の時代造営された現存する最大の古代皇家の園
林である。面積56万平米。周囲10キロメートルを石垣で囲っている。避暑
山荘の名前のとおり、避暑地として離宮であったが、外国公使の謁見など重大
な政務の中心でもあった。また周辺の草原で狩、即ち軍事演習を行う場所でも
あった。
古来ここには多くの民族の興亡があり歴史上烏桓,鮮卑,契丹等の民族が活躍
した。別の言い方をすれば、政情不穏の地でもあったのである。
外八廟は、清朝がこれら北京北部の治安を脅かす異民族を、懐柔するために作
った宗教施設大寺院である。漢族、満族、回族、蔵族等多くの民族の建築様式
が取り入れられ、独特の風格を持った巨大建造物が山荘の周囲を取り巻く壮大
な風景は、圧巻である。一つの廟は10万の軍隊に匹敵すると言われた。懐柔
の効果を数量的に言ったものだが、その建設費用もまた膨大だっただろう。
市の周囲は燕山山脈。棒槌山と呼ばれる山の頂上には巨大な男根に似た岩がそ
そりたち、奇観である。蝦蟇に似た岩山などもある。
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┃子┃供の頃、13年の中国生活の中で、ここだけが甘い思い出に満たされた
┗━┛土地だった。長春から父の転勤とともにこの地に来て、撫順へ行く小学
校入学前の一年をここで過ごした。母をはじめ家族全員が健康で、短い期間だ
が周りの自然にも思い出が多い。
さて、今回発見したのだが中国東北地方を旧地訪問するときのこつがある。そ
れはまず解放記念碑の所在地を尋ねること。なぜならば、日本人は行く先々で
忠霊塔をつくった。
解放後、忠霊塔は全部解放記念碑になった。忠霊塔は大体日本人の生活圏の中
にあったから、解放記念碑に行くとかつて住んでいたところの見当がつくので
ある。
現地ガイドの曲さんによると、いま承徳が抱えている問題は、解放前10万足
らずだった人口が35万になったこと。それによる交通、住宅、就職が大変ら
しい。従って完全に変わってしまった承徳だが、解放記念碑から以前の見当が
ついた。
この辺に「放送アンテナがあったはずだが」と、私が言うと早速曲さんが近く
の年寄りに尋ねてくれる。間違いない。
当時、私が小学校一年生として入学した「承徳国民小学校」は回教徒の人達の
学校になっていた。その裏手の小さな山を越えたところが昔のわが家だった。
既に家屋は残っていないが、遊牧民がラクダを引いて通った道、そしてまた母
と馬車で行った道など、懐かしい場所のほとんどを写真に撮ることが出来た。
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┃こ┃こでちょっと、曲さんの紹介をしておこう。
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曲愛軍。愛軍の名が示すように、お父さんは元解放軍の戦士。そうして曲さん
はこの愛軍という名前に誇りを持っている。29才。なかなかの名士で、一時
間ほど夜の承徳をも案内して貰ったのだが、その間に多くの人に声をかけられ
ていた。中国ではガイドの社会的地位はかなり高いらしい。
案内して貰ったのは自由市場。撫順でも北京の前門通りでもそれはあったが、
ここではゆっくり見せて貰った。まず目につくのは、食べ物屋。小は一人で全
てをまかなっているものから、大は呼び込み屋のいるものまで、大小取り混ぜ
て活気がある。白い帽子を被った人は回教徒だそうだが、結構大勢いる。
まだ子供みたいな娘さんが、懐から大事そうに瓜を取り出して道端に並べる。
ここがそのまま彼女の果物屋の店だ。赤十字のついている所は、診療所という
店だろうか、公共施設だろうか。
驚いたことに、曲さんの兄嫁さんも衣料雑貨の店を出していた。旦那さんは解
放軍の戦士とか。まさに、ここは自由市場なのだ。
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┃そ┃の曲さんが、古老に聞いたと前置きして「ここは50年前、貴方が承徳
┗━┛に住んでいた頃から残っている建物です」と、赤レンガの古い建物を紹
介してくれた。
説明がいまひとつ歯切れが悪い?判じるに、どうも女郎屋の跡らしい。10個
くらいある窓はいわゆる飾り窓か。その前の家もそのまま清代の時代劇に出し
てもおかしくないようなしろもの。「覚えていますか」と曲さんが聞く。
当時6才の私が女郎屋を覚えているはずもないが、私は頷いた。
当時キャバレーなるものが承徳にもあって、その女給とおぼしき人達が誕生を
迎えたばかりの弟を可愛がってくれたのを思いだしたのである。もちろん彼女
達はここの住人ではない。しかし何故か彼女達の面影が浮かぶ。
遠い中国の、そのまた草深い承徳まで流れてきた彼女達の身の上は何だったの
だろう。いまはどうしているのだろう。曲さんが写真を撮るように薦めてくれ
るが。どうしても撮る気にはならなかった。
全てが、このまま歴史の中に埋もれてくれることを祈る。
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┃翌┃朝、早起きしたのはある目的があった。土地の古老と、直接会って確か
┗━┛めたいことがあったのだ。70才くらいの、ご婦人の三人連れがいたの
で声を掛けてみる。
「私は日本人です。五〇年前承徳に一年住んでいました。お尋ねしますが、こ
んな字を見たことはありませんか。」とノートに書いた“一億一心”の字を見
せるのだが、一人が一寸覗いただけで、すっと立ち去ってしまったのである。
言葉が通じなかったのだろうか。そんなはずはない。昨夜あれほど厳しい小李
の指導とチェックを受けて、何度も練習した言葉なのだ。解放前のご婦人に字
のことを尋ねたのが悪かったのかもしれない。
“一億一心”という言葉は、戦時中のスローカンで、武烈河のほとりの山腹に
大きく掲げられていた。そこは家族で河遊びをした場所の目印なので、私は知
りたかったのだが、50年は長すぎる。歴史は既に風化しているのだ。仕方が
ない。
母と馬車でいった道。
父と遊んだ武烈河の川原。
私にとって承徳は、いつまでも甘い土地であって欲しい。
来年は山登りをしましょう。と、曲さんが言ってくれた。
= この稿おわり =
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┃★┃ 読後感アンケート結果。
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◇ 面白かった (^○^) -------------------------------- 16人 (67%)
◇ ふつう (゜.゜) -------------------------------- 5人 (21%)
◇ ツマラナかった(-_-) -------------------------------- 3人 (13%)
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┃★┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌--------「おーさんさん」
承徳は日支事変の時日本軍が占領し新聞に派手に出ておりました。
昭和10年前後かな?私が十歳ぐらいの時。私は現在79歳。
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┌--------「けんさんから」
承徳のことで、思いがけない人からメールを頂きました。
その方の母上様が、私の昔住んでいた近くに住んでいたということです。
昨年家族で承徳に行かれた由。 私も是非又行きたい所です。
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┃★┃ お便りで頂きました感想。
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┏━━━━━「承徳生まれの子さん」女性@六十代@主婦@福岡 2004/08/17
1935年、火神廟の洋品店で生まれる。
その後敗戦まで過す。
最後の無蓋貨車で、疎開といって彼の地を離れて以来故郷を失くし、日中国交
後すぐに訪れ、老朽化した当時の在満国民学校と対面し号泣する。
その後、何時までも私の心の中では昔の古い町並みが生きてます。
ーー承徳のサイトが気になる69歳です。
とても懐かしく、書き込みをさせて頂きました。
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┏━━━━━━━━━━「ライター:けんさんから」
承徳は私にとっても非常に懐かしい土地です。
昭和17年4月に承徳国民学校に入学しましたが、父の転勤で、6月には撫順
に移りました。我が家は、承徳国民学校の裏山を越えたところにありました。
同じ年ですから、子供のとき何処かでお会いしていたかもしれませんね。
この度、古稀を記念して、瀋陽〜北京自転車旅行をします。
予定では、9月5日瀋陽発、9月21日北京着です。
日本人5人、中国人9人。年寄りばかりの友好の旅です。
また「アジアの街角から」で道中記を掲載させて頂くかもしれません。
OJIN さん、宜しく!!
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。

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