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┃ :中国への熱い思線: ――――――――――― by けんさん
┃ (けんさんの日中友好コーナー)
☆ 旧居訪問 ――――――――――――――――――――― 2003/06/11
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│瀋陽での日本語教師としての一年間の勤めを終え、帰国に先立ち、弟と一緒
│に昔住んだ家(十一才〜十三才迄を過ごした家)を回ることにした。
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私の中国の記憶は、三才の時母と始めて長春(元新京)に行った時に始まる。
長崎に実家帰りしていた母と共に長春の家に戻った時の思い出が、私の人生で
記憶といえるものの最初かもしれない。弟はここで生まれた。
その他幼稚園に四郎君という子がいたのも覚えている。竹下恵子ちゃんという
子が近くにいて、いつも一緒に幼稚園に通っていた。
白菊小学校が近くに在った。忠霊塔のある広場に何故か牛の銅像が在った。
断片的な記憶の一つ一つは、それぞれに鮮明である。だからこんど57年ぶり
に訪れるのだが、方角ぐらいはなんとかなるだろうと少し高をくくっていた。
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┃ま┃ず「春誼飯店」(旧大和ホテル)にチェックインする。
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ここを含め旧皇居、国務院等、旧満州国時代の建造物が、計画的に保存されて
いる。ここはそのまま歴史記念館であり、観光資源でもある。タクシーの運転
手にいわせると、昔日本が建てた建物は機能的にもしっかりしていて、新しい
建物よりずっと素晴らしいと言う。
旧三中井デパート、放送局等も、特に保存の対象となっている訳ではなかった
が、そのまま残っている。彼が「保存しなくても丈夫だから壊れない」と言っ
たのが面白かった。
私一人だと、こちらから名乗らない限り中国人に日本人と思われることはまず
無い。しかし弟はどこから見ても日本人である。汽車の中で年輩の男性に日本
語で語り掛けられたのを始め、今回は、先方はこちらが日本人と知って対応し
て来る。だからタクシー運転手の言う「日本が残して呉れた物は素晴らしい」
という言葉も、外交辞令として割り引いて考える必要がある。
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┃白┃菊小学校ぐらいすぐ分かるだろう、と思ったのは甘かった。
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やはり五才の時の記憶では、長春の街全体の印象からして違う。駅前の大通り
等も、名前はスターリン大街等と呼び方は変わったが、本質的に変わっていな
いと言う。しかしこちらの受け止め方が変わっている。
勝利公園は昔の児玉公園ではないだろうか。
印象はあるが、撫順程具体的でない。
そこで撫順旅行社の周景慧さんに電話して、長春の旅行社を紹介して貰った。
白菊小学校は今の第五中学だとすぐ教えて貰えた。
二日目タクシーでそこへ行った。昨日多分ここではなかろうか思った所の一つ
だ。学校は確か家の北側に在ったから、学校の南側をうろうろする。ちょうど
年輩のご夫婦が居たので、尋ねてみる。ご近所の人も交えて、親切に色々と教
えて呉れる。
今は高層アパートが建っているが、確かにここは昔日本人が住んでいた一角だ
と言う。路地一つを隔てて中国人居留区とはっきり分かれていた。ここに二階
建てのアパートがあったというのも、私の記憶と一致する。弟には「ここら辺
りが君の生まれた所のはずだ」とは言えるが、いま一つ断定出来ない。
「この辺は変化が激しく、ずっと住んでいる私達でもよく分かりません」
と教えてくれた人が慰めるように言って呉れる。
二日目は、北京に早く帰ってもどうせ半端になると飛行機の切符を午後六時に
している。午前中でめぼしい所は回ってしまった。吉林棋院が地図で見つかっ
たので行ってみたが、時間が半端なので折悪しく碁の相手が居ない。仕方がな
いから近くの映画展覧館に行ってみることにした。ここは大杉栄の暗殺で知ら
れる甘粕正彦が主宰した、満州映画協会のあったところだ。
二十万坪はあろうか。撮影所、明代清代のセット、資料館、児童向けの娯楽施
設等が広い構内にゆったりと配置されている。こちらは時間を潰すのが目的だ
から、構内の小さな食堂でまずゆっくりと食事を済ませ、それから見物をした
のだが広すぎる。シネマスコープ館の前にベンチがあったので、そこで休むこ
とにした。
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┃1┃時間程うとうとしただろうか。
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若い娘さんが私の肩をつついて、ベンチの荷物を横に寄せて呉れと言う。彼女
も横に座って大欠伸をするが眠るでもない。彼女シネマソコープ館のモギリ嬢
なのだ。国籍不明のお爺ちゃんが二人、ベンチで居眠りしているのに好奇心を
そそられたらしい。
どちらから声をかけたのだろうか。こちらもちょうど退屈していたところだっ
たので、たあいのない会話が果てしなく続く。彼女は芳紀二十三才。来月二十
日に結婚するそうだ。新夫は公安に勤めている由。日本のことを次々に聞く。
「一度日本に行って見たいな」と夢見るような表情で言う。
「君達は若いのだから、必ず機会はあるよ」と私。続いて
「機会が有れば是非遊びに来て下さい」と名刺を渡した。
この台詞は中国人が良く使う、一種のお愛想。
でも彼女は嬉しそうにニッコリと笑った。
二十三才といえば、私の母がここ長春に来た歳だ。そう思って見ると母に似て
横顔が整っている。一瞬、彼女が母の身代わりで語っているのではなかろうか
と錯覚した。
気丈な母が一度だけ、病床で私の膝を抱くようにして「あんたが私の白木の箱
を抱いて帰るのよ」と泣き崩れたことがある。母の日本への想いは、いかばか
りだったろうか。
シネマスコープ館に客が来た。彼女が屈託なくサッと立ち上がる。膝の痺れを
伸ばすように、ゆっくり歩く彼女の後ろ姿から
「よく来たね、もういいのだよ」という母の声が聞こえた。
私の中国への憑き物が、またひとつ落ちた。
= この稿おわり =
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