┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ :中国への熱い思線: ――――――――――― by けんさん                    (けんさんの日中友好コーナー)

☆ 大草原 ―――――――――――――――――――――― 2003/05/28
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│烏雲さんこと、日本名立花珠美さんに会うため、内蒙古に行って来た。
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│内蒙古のどのへん? → 地図です。
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今年の夏、松山で女史の講演を聞き、その生い立ちと現在の生き方に感動した
からである。女史はいわゆる「大地の子」。満蒙開拓団員だった父母は、ソ連
参戦のとき集団自決。ひとり残った彼女は、その後中国人、蒙古人と養い親は
かわるが、彼の地で成長。中学校の教師を勤める。

1981年残留孤児として、一旦徳島に帰国するが、再び養い親のいる中国へ
戻る。これが、1991年「大草原に帰る日」として全国に放映され、多くの
人の感動をよんだ。中国では確か「広島の夕陽」という題名で放映された。

「烏雲の森」は、この番組を見た、岩手県の菊地豊先生が最初の資金を出して
砂漠に植林活動を行った成果である。規模は300ヘクタールだというから、
3キロメートル×1キロメートル。かなりの広さだ。

そこにポプラ、柳、松、杏等が数万本植えられているそうだが、今回は時間が
無くてそこまで行けなかった。毎年日本から、砂漠植林ボランティアが行って
いる。
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┃沈┃陽の日本企業に勤めている富樫さんは私の囲碁友達で、よくお宅にお邪
┗━┛魔する。たまたま日本からお出でになっていた奥さんが「一度大草原を
見たい」と言っていたのでお誘いしたら、「是非」と言われる。
工業大学の音田君に、月曜日一日だけ授業を休んでもらって、三人で土日月の
三日間行くことにした。

ひと口に内蒙古といっても広い。日本の三倍ある。私達の行く通遼は、内蒙古
自治区の南東部、吉林省と境を接する遼河中流人口約40万人の軽工業都市。
北は遠くチチハル、南は錦洲、東は四平に通じる鉄道が交わる、交通の要衝で
もある。

沈陽から北へ約300キロ行って四平、更に西へ200キロの6時間半の旅は
それ程近くもない。然し大草原の民烏雲さんは、「瀋陽からなら非常に近い」
とおっしゃる。

四平を西に折れると、車窓の風景は平坦になる。ポプラと稲田が地平のかなた
まで広がり、約80キロで走る列車の展望は単調である。折しも収穫期、刈り
取られた稲と、刈り入れを待つ稲が半々に点在する。時折馬牛羊は見えるが、
人影は殆ど見えない。10キロおき位にある小駅の周りに集落がある以外は、
民家も見えない。
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┃通┃遼駅には、烏雲さんがホーム階段の出口まで迎えに来て下さっていた。
┗━┛女史は、全国政協委員(日本の参議院議員)、哲里木盟政協副主席、哲里
木盟教研室高級教師等、要職を兼任されて多忙だが、きさくなおばさんといっ
た感じで、ニコニコと笑顔を絶やさず案内して下さる。

この晩は「科尓沁賓館」(科尓沁=コアルチンはこの地方一帯を総称する地名)
で一緒に夕食をとりながら、明日の予定について説明を受ける。
ここは敷地40000平米、まさに大草原に相応しい賓館だ。
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┃翌┃朝7時半、ピカピカの新車TOYOTAランクル四輪駆動4000ccのお出迎
┗━┛えを受けた。砂漠を疾駆するのに相応しい車だ。運転は袁さん。
市の観光課長さん自らのサービスとは恐れ多い。

車は通遼郊外の遼河を越え、一路北へ向かう。二ヶ月前遼河は、例の大水害で
橋桁まで増水したという。所々一部破損している道路は、その時の爪痕だとも
いう。この大平原一帯が水浸しになったとは信じられないのだが、中国はなん
でもスケールが大きい。

この辺では「九干一水」、つまり十年のうち九年は乾燥していて、一年は水が
出るそうだ。それにしても、今回の水害は百年に一度の規模だったらしい。
まだ奥には水が残っている所があるそうで、時折牛馬を満載したトラックがす
れ違う。餌がなくて処分するために輸送しているとのこと。

道路は前方只直線、沈むと言うべきか、霞むと言うべきか、地平の彼方に消え
る。両側はポプラ並木。道路脇以外にも、至る所に防風林のようにポプラ、柳
が植林されている。これらは全て解放後のもので、それも殆どは文革以後のも
のだそうだ。樹齢が皆若い。柳の殆どは、厳しい自然の強風にさらされた所為
だろうか、風圧面積を小さくするため丸くうずくまったようになり、枝垂れ柳
の風情は無い。

過度の放牧と開墾から、荒れた土地ゴビ(礫質砂漠)を甦らす活動、緑化運動
は目覚しい。「烏雲の森」の提唱者菊地豊先生は、80才になられるそうだが
お元気で、毎年ご夫婦で来られているそうだ。

「誰かさんと違いますね」

と奥さんが、一人で中国に来ている私を冷やかすように言うから、

「だから、よその奥さんを連れて来ています!」

と中国語で返事をしたら、烏雲女史が身を捩らせて大笑いする。
中国語の勉強を始めたばかりの奥さんは、なんのことか分らないからキョトン
としている。
私達には感動的な風景で会話も弾むが、若い音田君にとっては単調で退屈なの
か、雄大な景色を前にして居眠りを始めた。

単調な車窓の前に、一つの事件が起こった。馬が一匹トラックにはねられて倒
れている。馬は砂漠の住民にとって、足であり、農機具であり、家族である。
「700元(日本円1万円)は要るでしょう」と、運転の袁さんが弁償額を試算
する。
昔「万里の長城で小便すれば、ゴビの砂漠に虹が立つ」という歌があった。
私もこの壮挙に一度あやかってみたいと思っていたので、車を止めて貰って目
標を地平線に置き実験したのだが、「チョロション」では虹どころか、砂埃も
立たなかった。
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┃珠┃日河草原旅遊区は、通遼から北へ約100キロ、更に西へ5キロ程入っ
┗━┛た大草原の中にあった。

毎年8月18日ここに遊牧の民が集まり、競馬、蒙古相撲、弓矢競技等が盛大
に行われる。これは、広大な草原の遊牧民にとって最大の娯楽であり、また交
易の場であり、若い男女の出会いの場でもある。そして今はこのこと自体が観
光資源となっており、観光客向けのレストラン、ホテル等が作られている。

ロビーに、岩国の錦帯橋の大写真(2メートル×3メートル)が掲げられている
のには驚いた。私達島国の民にとって大草原が一つの憧れであるように、砂漠
に暮らす人達にとって、豊かで清らかな水と、美しい桜の花は夢の世界なのだ
ろう。

民族衣装を着せて貰って馬に乗った。おとなしい馬で、ただトボトボと前へ行
く。「君、帰り方は知っているのだろうな」
と聞いても、馬の耳に念仏。今度は中国語で言ってみたが、やはり駄目。

「蒙古語は知らないよ」

と言っても、向こうも知らぬ顔の半兵衛。
前方も周囲も地平線。比較する物が無いと、地球が意外に小さく見える。地球
の果てまで行ってみるかと、のんびり構えていたら牧童が慌てて飛んできた。

「手綱を締めろ!」

と大声で怒鳴る。軽く左手綱を引いたら、馬も向きを変えた。「心配をかけや
がって」という顔で牧童君怒っている。彼が軽く私の馬の尻を叩いたら、馬君
トロットで元の場所に帰ってきた。
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┃昼┃食は「包」(遊牧民の住居)の中に準備されたテーブルで、手把肉(小羊
┗━┛の丸焼き)を食べる。食事の前に蒙古民族衣装を纏った娘さんたちによ
る「手棒哈達」という客人をもてなす儀式がある。

小羊の肉は、私達一行5人で食べて半分も食べきれない。これにスープ等テー
ブル一杯の料理と蒙古酒にビール、〆て400元(日本円6000円)は安い。

参考までに今回の旅行費用。汽車賃、ホテル二泊、食費、それに「烏雲の森」
に対する気持ちばかりの志を含めて、ちょうど1000元(日本円15000
円)だった。

最後の朝、明けやらぬ7時に烏雲さんのお見送りを受け通遼に別れを告げる。
近い将来、ふたたび大草原に帰ってくることを心に誓い、烏雲さんと別れの握
手を固く握った。

                           = つづく =
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