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桂林熱線(随感随筆)――――――― by nikoさん
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│花の色は うつりにけりな いたづらに
│わが身世にふる ながめせしまに (小野小町)
│
│花ちらす 風のやどりは たれか知る
│われに教えよ 行きてうらみぬ (素性法師)
│
│櫻花 ちらばちらなむ ちらずとて
│ふるさとびとの きても見なくに (惟喬親王)
│
│教養のないnikoさんにしては珍しく歌など書き連ねてみましたが、
│その真意は・・・・・・・・・。
│
│・・・・・・本文をお読みください。
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☆ 花が・学雷鋒の日・啓蟄・女の児も同じ人間、○すな! 2003/03/10
さて今日は、先週一週間の桂林ドタバタ日記..とでも申しましょうか。
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┃3┃月4日】私のお休みの日
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先週のまえがきで、今日は桃の節句、桂林も桃の花も盛りですよ!ーー云々、
というようなことを書いたのを、覚えておられると思いますが、
今日は週一回のお休みの日、我家も花見に行こう!としゃれ込んだのでござい
ます。
というのは、先週末のテレビニュースで、
『桂林では今桃の花が真っ盛り、大勢の花見客がここ“恭城”の桃園を訪れて
おります』
と流れたからでございます。
ところで、この“恭城”というところでございますが、
地理的には、桂林市中心から南方に向かうと例の“陽朔”という風光明媚な町
があり、
そこから左へドッグレッグして(って、まだ先週の余韻が残ってるなあ!)
東に向かうと“福利”という、やはり景色のきれいな小さな町があります。
そこを突き抜けて、さらに東へ東へと向かうと、目的地“恭城”にたどり着き
ます。
走行距離にして、100公里(km)くらいでしょうか。
桂林市中心から、タクシーをぶっ飛ばして約2時間、かなり気合いを入れない
と、なかなか行く気にならないような距離でございます。
ただ、そのテレビに映ってた風景が、なにしろ絶景だったんですよ!
全山ピンク一色、絶景かな!絶景かなー!
『こりゃ、ひと目見ておかんと遺恨を残す!』
って、仇討ちじゃないんだけどね。
で、その日は休みといえど、
家族全員、朝早くから起き出し、早速タクシーの手配にかかります。
ここ桂林では、流しのタクシーはメーターで精算しますが、チャーターすると
なると料金交渉と相成ります。
別にメーターで走っても良いんですが、交渉によりかなり安くなりますので。
で、知ってる運転手の携帯に、片っ端から電話を入れました。
『恭城まで行くけど、オマエ幾らで行く?』てな調子ですな。
満足のいく数字で手打ちとなったので、朝食にかかりました。
もちろん朝食は、桂林名物の“桂林米粉”。美味しいですよ。
その後、運転手君と合流。
目的地まで延々2時間、ガンガン飛ばしていきました。
途中の風景も、さすが桂林!
目の離しどころがないくらい、素晴らしい景観でございました。
あ〜あ!桂林に住んでて良かった!!
と、普段ならここですでに満足してしまうところでございますが、
今日は、ほれ!例のテレビの絶景が頭の中に残っておりますので、
この素晴らしい景色もただの前菜、プロローグとしか映りません。
『チミたち、いくら頑張っても“恭城”の桃山には負けるのよ!』
『今日はチミたちの相手をしてるヒマはないんじゃあ〜!まったねえー!!』
心はすでに“恭城”の桃山に飛んでおります。
『今日は“恭城”で花見三昧じゃあ!!・・・酒と肴は?・・無いけどね!』
さてさて、陽朔も無事通り抜け、福利も過ぎ、一路“恭城”へまっしぐらーと
いうところまでまいりました。
ところが、運転手君がみょーな事を言い出し始めましたのでございます。
『お客さ〜ん!あそこの山も全部桃の木の筈なんだけどー・・・・・・・・』
・・・・・ん?・・・・・んん?
『いつもは、この時期、この辺もものすごくキレイなんだけどー・・・・・』
・・・・・ん?・・・・・んん?
あそこって?ひょっとして?
ひと山全部緑色じゃん???
・・・・・悪い予感が???
とりあえず運転手君が、道路料金所のお兄さんに状況を聞いてくれました。
『ざーんねんでした!この辺の桃の花は全部散っちゃったよー!』
って、料金所のおにーさん、あんまり明るく言わないでよー!
『どうしましょー?』って、
もう半分帰る気になっている運転手君を蹴飛ばして、イヤ、励まして、
『もう諦めたら〜!』と言うウチのおかーさんの言葉も聞こえなかったふりを
して、
とにかく、例のテレビに映ってた西嶺にあるという“大嶺山桃花園”の桃花節
の会場へ行ってみよう!
と強引に車を進めさせたのでございます。
さて、道行く人に順路を尋ねながら、その桃花園に近づいてまいりますと、
徐々に、観光バスや大型チャーターバスの類が、続々と我々に合流して参りま
した。
かなりの台数でございました。
ちょっと安心。(^_^;)
しかも、桃花園直前で、向こうからパトカーを先導させた明らかにVIPと思
われる一行が走って参りました。
車のフロントガラスには、桂林市政府幹部御一行というような表示も見受けら
れ、市政府の幹部が花見に来るくらいだから、これはもう絶対だいじょーぶ。
ここには絶対、花がある。(^_^)b
ここで大いに安心いたしまして、車を先に進めました。
やっと着きました“大嶺山桃花園”
『さあー勝負じゃあー!!』
と意気込んでみたが・・・・・・。
『花が、花が、花が無いいいいいいいいい・・・・・・!!』
ここでさらに一首(って詩でもそう数えるのか??)
春眠不覺暁
處處聞啼鳥
夜来風雨聲
花落知多少
ということで、せっかく咲き誇った桃の花も、、
夕べの風雨で、ぜーーーんぶ散ってしまっておったのだよ〜。
おーふく 4時間の旅がああああ・・・・・/<_o_>\
・・・・・オワッタ。(チャン♪♪チャン♪♪)
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┃3┃月5日】学雷鋒の日。
┗━┛
先週から毎日、うちの部のO君が、珍しく電脳(コンピューター)の前でなに
やら書き物をしておりました。
そっと後ろから盗み見してみますと、なにやら論文調で、ながーい文章を書き
連ねております。
しかもその中にやたら“雷鋒”と言う文字が出て参ります。
「君々、君はいったい何をやっとるのかね?」と問うてみますと、
党の青年団の活動で雷鋒君に関する論文を書いておるところだと言うご返事で
ございました。
ご存じの通り、この国は共産主義であり、各単位(各企業と同意)にはそれぞれ
共産党の支部が設けられております。
このO君は、その支部の青年団の優秀な団員だったのでありますよ。
さて、ここで雷鋒君の事をご存じない方の為に、雷鋒君の事を簡単にご説明し
ておきましょう。
雷鋒(1940〜1962)湖南望城県(現長沙)の人
注:この湖南と言う地は、毛沢東や劉少奇も輩出したところで、それこそ共産
党の故郷のようなところ。
雷鋒君は1940年頃湖南省の貧農の家に生まれ、幼い頃に相次いで両親兄弟
を無くしております。
7歳の頃より養家に養われ、苦労を重ねて成人した苦労人だそうでございま
す。
その後、望城県の公務員を務めながら、中国共産主義青年団に参加、そのころ
から模範青年だったそうであります。
そして、1960年に人民解放軍に参加、その後中国共産党にも正式に参加、
その年から立派な党員でございます。
この雷鋒君は、毛沢東の事を心から尊敬し、毛沢東思想の学習に邁進いたしま
した。
そして、軍の任務もさぼらずに誠実に全うしたそうであります。
その間、自分自身が苦労して育ったため苦境にある人を見過ごせず、困った人
がいると無私の境地で人助けを行い、ありとあらゆる善行を重ねたそうでござ
います。
その頃のちゅうごくの若者は、本当に純粋だったんでしょうね。
えっ!今でも純粋だって!!
ほんとかよ〜??
残念ながら雷鋒君は、1962年、公務中に事故で殉死してしまいましたが、
翌年の3月5日に毛沢東が、雷鋒君の話をまとめ“向 雷鋒同志 学習”とい
うスローガンを発表いたしました。
内容は、雷鋒君の「楽于助人」「無私奉献」「艱苦朴素」「勤儉節約」「革命
闘志」の精神を学び、全心全意人民の服務に努めよ!
というものであったそうであります。
それ以降ここ中国では、毎年3月5日に『雷鋒君を見習って皆さん良い行いを
いたしましょう。』
という活動を、全土で実施するようになったそうでございます。
1963年からですから、かれこれ40年もこの活動を続けておる勘定になり
ます。
また、この時期になりますと、市内の大型書店の特設コーナーには“雷鋒君の
精神を学ぶ”類の本が山積みされております。
ただ、一つ疑問なのは、その本に雷鋒君本人が活動中の写真が、多数掲載され
ておるんですよ。
1963年の3月5日まで、全く無名の一兵卒だった雷鋒君の公式写真が何故
そんなに多数残っていたのか?
この雷鋒君も、中国の不思議のひとつであります。
ということで、3月6日に、件のO君にまたまた問うてみました。
『ところで、君は昨日、いったい何をやったのかね?』
お答えは・・・・・
『えーっと、伝票を何枚か書いて、各部門に配布して・・・・』
本人は、当日をすっかり忘れております。
『雷鋒君はどうしたのかね?』
『あ〜っ!それは3月1日に、もうやってしまいました。』
良く聞いてみると、3月1日に、市政府関係のお偉方から全市に一斉に号令が
かかり、各単位(団体・企業)から選抜者(我社ではO君外数名)を市中心広場に
集め、各種の善行を行ったそうであります。
で、その内容は、「無料の床屋」「電気製品の無料修理」等々、市民のお役に
立ったと自負しておりました。
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┃3┃月6日】啓蟄。
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当日は啓蟄だと言うのに、日中気温が最高5度くらいしか上がらず、さむ〜い
一日になりました。
おまけに温度を下げた原因が、北からの乾燥した空っ風だったものですから、
市内はまたまた、風邪引き者ばかりになってしまいました。
件の同学のママ情報ですと、ちょっとした風邪でも肺炎じゃないかとおそれる
市民が、病院に詰めかけておるそうです。
風邪引き者の集団が病院に集中するわけですから、またまた院内感染の確率が
高くなるわけで、
『なんだって!てめえ近頃風邪気味だって?、
じゃあ病院にはぜってえ近づくなよ!!』
・・・・・???
まるで与太郎落語の世界でございます。
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┃3┃月8日】婦女節。
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このあいだ、情人節が終わったと思えば今日は婦女節。
婦女節とは、文字通り“婦人の日”。
正式には「国際婦人デー」と申します。
女性は、この日は半日のお休みをいただけます。
そして、今年の婦女節は土曜日にあたったため、半ドンの単位(団体・企業)
にお勤めのご婦人は、土曜日が全日おやすみ。
土日連休の単位に勤めるご婦人は、だいたい前日の金曜日の午後からお休みに
入っております。
国際婦人デーの起源は、アメリカの女性が参政権を勝ち取ったのが1904年
の3月8日で、その後、世界的にこの日(3月8日)を正式に国際婦人デーと
することを決め、今日に至っておるそうです。
今年で国際婦人デー(3月8日)93周年だそうですので、正式に採用された
のは1910年ですな。
日本の女性に参政権が与えられたのが1946年ですから、アメリカに遅れる
こと40年。
ただし、人類の選挙、議会制度の長さを考えれば、ホントに最近のことなんで
すよね。不遇だった女性たち。
ただし、その反動で最近の女性は強くなりすぎているんではないかい?
あっ!悪気はないからセクハラ発言扱いしないでよ!
で、ここ中国桂林では婦女節に何をやるかというと、儀式らしき儀式は何もや
らん。
例によって、お休みをいただいた女性たちは、『今日は我々の日よ!』とばか
りに徒党をくんで、郊外に遊びに行く者、グループ、個人で市中心の商業地域
に買い物に出かけるもの。
こいつら、ホントに今日の婦人デーの起源を知っとるんかいな?
と思うくらいのはしゃぎっぷりでございます。
全国婦女連合会の元締めのいる北京ではどうなっているのかしりませんが、
注:北京の長安街には婦女連合会の総本山、どでかい建物が有るんですが、
何かおっかなそうで私は近づいた事がございません。
ここ桂林では、三八婦女節=オンナがどうどうと遊べる日、どうどうと自分の
欲しい物を買う日、みたいな構図になっております。
ただね、婦女節、婦女節といっても、ここ中国桂林では、女性がやっぱり犠牲
になってる冷酷な現実があるんですよ。
件の“陽朔”に遊びに行ったときのことでございます。
一応“陽朔”は、桂林に付属する観光地みたいな格好になっておりますので、
観光客が結構出入りします。
当然、観光客目当てに土産物売りの者たちが闊歩するわけでございますが、
とある鄙びた農村の一画を訪ねたときのこと、
良い撮影スポットがあったので、家族の記念写真を撮っておりますと、
どこから嗅ぎつけたのか十人くらいの子供たちが、手に手に、絵はがきやら、
パチもんの工芸品の類をもって現れたのでございます。
やれ買ってくれの、なんたら、かんたら、もう五月蠅いことこのうえもござい
ません。
こっちは、はなっから何も買う気がないのでいい加減にあしらっておりました
が、
よく見るとその子たち全員が女の子なんですよ。
最初は特に不思議にも思わず、女の子は土産物売り、男の子は親の畑仕事でも
手伝っておるのかと勘違いしておったのですが、
会話の成り行きで、
『お前ら女の子ばっかりだけど、この村には男の子はおらんのか?』
と問うてみますと、返ってきた答えは
『弟、(お兄ちゃん)は、今学校に行ってる。』
『なんでお前らは学校に行かんのか?』
『お金がないから親が学校に行かしてくれない、これを売ったお金も弟(お兄
ちゃん)の学費の足しになる。』
『じゃあ男の子は親の畑仕事の手伝いをしてるんじゃないのか?』
『弟(お兄ちゃん)は学校だけ行ってれば後は何もしなくて良い。』
思わずホロリとしたnikoさんでございましたよ。
鬼の目にも涙、思わず、よれよれの絵はがきを何組か買ってしまいました。
もちろん、小娘の言い値の半額近くまでタタキましたけどね。
ところで、
この会話を聞いて(読んで)不審な点にお気づきの方は、かなり中国通。
『中国は一人っ子政策じゃないの?』
そのとおり、
そこで同じように不審に思ったnikoさんは、その撮影ポイントまで連れていっ
てくれたバイクタクシーのおばさんに聞いてみました。
帰ってきたお答えは、
『この辺じゃ大体三人くらいまではお上も目をつぶっていてくれてる、上に
女の子が続いた場合は特にそうだ、そして彼らは特に少数民族では無い。』
注:少数民族には一人っ子政策は厳格に適用されておりません。
この娘たちはホントに可哀想だよねえ!
この娘たちは、将来どうなるのかねえ!
たくましく、生きていくんだろうなあ!
いま思い出しても、目頭が熱くなるわ!
最近歳をとったせいか、やたら涙腺のゆるくなったnikoさんでございます。
ただね、この娘たちはまだ、この世に生を受けただけましかもしれない。
自分の目で実際に見聞きした訳じゃないけど、
いまだに、間引きが行われているんじゃないかというような怖い話も聞いたこ
とがある。
これも桂林の郊外に行ったときのお話。
道路脇の壁とか柱に、なにやらスローガンか標語らしきことを書いてあった。
書かれていた原文(中文)そのものはもう忘れてしまったが、
翻訳した文意は、今でも忘れていない・・・・・。
『女の児も同じ人間、○すな!』
・・・・・・・また来週お会いしましょう。
= この稿おわり =
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┃ ┃ 読後感アンケート結果。
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◇ 面白かった (^○^) -------------------------------- 14人 (67%)
◇ ふつう (゜.゜) -------------------------------- 5人 (24%)
◇ ツマラナかった(-_-) -------------------------------- 2人 (10%)
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┃ ┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「浮雲さん」
絶景の桃園、残念でしたね。
住まわれているNIKOさんが仰るんですから、相当なものなのでしょうね。
桂林、陽朔は、写真で観ますのである程度その良さは分りますが、その桃園は
見たことが無いので、残念です。
一人っ子政策、中国風に運用されているんでしょうね。
それにしても、最後の件は一寸恐ろしいですね・・・
半年程前、NHKのBSで、4日間桂林の絶景を生中継していた番組を観てい
たのですが、陽朔”が余りに素晴らしくて、多くの外国人が移り住んでいると
いう話をしておりましたが、そんなに簡単に居住できるのでしょうか?。
オネガイ教えて・・・(^_-)。
では、次のお話楽しみにしています。
└──────────
▼
┌──────────「nikoさんから」
まいどー
そうですね、桂林は自然より他に誇れるものがないんですけど、
特に時期もんちゅうか、季節もんはその機会を捉えたもんしか
見れんもんで、余計に燃えるんですわ!
〔そんなに簡単に居住できるのでしょうか?。〕
はて?
NHKさんが、どういう内容で放映されたのか、
私は見ておりませんので良く解かりませんが、
ご存知のように、中国の入国ビザはなかなか取得しにくく、
『アラッ!ここ気に入っちゃった!!ず〜っとここに住んどこ!!!』
‥てなわけにはイカンのですが???
たしかに“陽朔”には西街という通りがあって、
そこは昔は欧米のバックパッカーの溜まり場。
今は、欧米の観光客の溜まり場になっておりますが、
その方たちは皆さん、観光ビザの有効期限内でチャント入れ替っております。
ただ、その観光客相手に、何人かの欧米人が自分でホテルを開いたり、
レストランを開いたりして、確かに長期滞在をしてはおります。
もちろんそのお方たちは、私と同じように就労ビザを取得しております。
・・ただ、私の知る限りは、ほんの数名なんですけどね。
ではそういうお方が、どうやって長期滞在(就労ビザ)を取得したか、
私の知識の範囲内でお話ししましょう。
一、先ずホテルなり、レストランなりを開業する物件の、賃貸契約等を
済ませる。
二、工商局に、経営ライセンスの申請と、資金登録の手続きをする。
三、税務局に、納税証明を申請する。
四、工商局より証明書を発行してもらい、労働局に就業証の発行を申請する。
五、手続き終了後、公安に就労ビザ及び外国人居留証の申請をする。
以上の全てが完了すれば、長期滞在可能。
(但し、正確な内容は、必ず在日の中国大使館にご確認ください。)
流れとしては、多分、
スタート」⇒「工商局」⇒「税務局」⇒「労働局」⇒「公安局」⇒「上がり。
てなことになると思いますが、そのほか健康診断等も必須です。
とりあえず、以上です。
浮雲さん、どうです、挑戦してみますか?
└──────────
┌──────────「gosakuさん」
柔軟艶麗な平安歌人、小野小町嬢を伏線に孟浩然の詩まで、、
nikoさんの教養は、隠すべくもありませんね(よいしょ!じゃない?)
桂林は憧れの地です。墨絵の世界に浸ってみたいです。
昆明は四季如春と言われていますが、桂林の春も素晴らしいでしょうね!
東北には2年位住んでましたが、この時期まだ氷に閉ざされています。
吉林のメル友から、今朝は十三度ですとありましたが、零下十三でした。
教養ゼロ、センスゼロの我は、(女児も同じ人間 ○すな)の
○に字が埋められません。
差し支えなかったら教えて?
愉快な桂林通信をお待ちしています
└──────────
▼
┌──────────「nikoさんから」
始めまして、こんにちわ!
ところで
〔桂林の春も素晴らしいでしょうね!〕
というお言葉ですが、
残念ながら桂林の春は雨が多く、うっとおしい日が続く雨季でございます。
この間の、桃の花を散らした恨みの雨がその代表でしょうか。
わたくし個人的には、暑気が去り、キンモクセイの花の匂いが漂う
9月末〜10月中ごろまでがイチオシなんですけど。
ところで、
〔○に字が埋められません。差し支えなかったら教えて?〕
ですが、
映倫のボカシが邪魔だから取ってちょうだい。って言われても、
ホラ、アレが、世論が、教育委員ママがアレじゃないですか!
おねがいしますよー、gosakuさん。
何とか想像してくださいよ〜!!
でもこの場合は、アッチ方面のボカシじゃありませんけどね!
ただ、ホラ!あまり表現が生々しいと読者の皆様の読後感が・・・・・。
・・・・・スミマセン
└──────────
┌──────────「匿名くんさん」
もう少し短く書いてね、飛ばし読みしちゃったーよ。
└──────────
▼
┌──────────「nikoさんから」
ははははは・・・・・・・・!
やっぱ、ちょっと長かったですか?んといっても三部作プラスでしたから
ねえ!しかもnikoさんの文は、玉石混交ではなくて、石石混交ですからね
え。ただ、ホラ!
石も磨けば玉になるといいますから、そのうち、珠玉の文章でも出てくるん
じゃあないですか??〜〜〜それまで懲りずに続けて読んでちょうだいね。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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