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┃ 草原をわたる風♪:タロー君の内モンゴル旅行記 by 藤井太郎さん
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私の文章では“ボリド”、タロー君のでは“ボルド”。
同じ人物ですが、ボリドは中国式発音、ボルドはモンゴル式の発音です。
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タロー君の内モンゴル旅行記(2001年8月7日〜9月6日)―――― by 藤井太郎
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ここでハンスムのことについて少し触れておこう。
ハンスムとは皇帝のお寺という意味で、17世紀頃建てられたチベット仏教の
お寺である。
アルホルチン地方は昔からお寺の多い地方で、最盛期には25ものお寺があり
ハンスムには500人のラマ僧がいたという。
昔はお寺としての役割だけでなく、学校や病院としの役割も果たし、人々から
も深い信仰を集めていた。
しかし、文化大革命の影響を受けてお寺は破壊され、ラマ僧たちも酷い迫害を
うけた。
文革後、徐々に復権がなされるようになり、ハンスムも1995年と2000
年にお寺の一部が再建された。現在、ハンスムには20人ほどのラマ僧がいる
が、その多くは古老の僧である。
そんなハンスムであるが、明るい兆しも見えてきた。
この一年で3人の少年ラマ僧が誕生した。
これは真に望ましいことで、彼らの笑顔からは未来への希望を感じた。
また、この夏(日本の)ハンスム会より一台の冷蔵庫をハンスムに寄贈したが、
今後私達ハンスム会の活動を通じて、少しでも多くの方にハンスムやモンゴル
のことに関心を持っていただければ幸いである。
ハンスムから50メートルほど離れた小さな丘に、一本の大きな木がポツンと
ある。その大きな木は、ハンスムができるずっと前からこの地にあり、ずっと
ハンスムを見守ってきた木である。
樹齢500〜600年だそうだが、「老いてはますます壮んなるべし」とある
ように、幹が見えないほど青々とした葉をつけている。
昔から、大きな木を見ると登らずにはいられない性質で、この時も2人で木に
登った。樹上からは葉っぱ越しに、ハンスムも見える。
この木は何を思い、この丘からハンスムを見続けてきたのだろう。
ハンスムを後にした私達は、ジープでゲンピースムに向かった。
どこまでも続く草原に轍の跡が一筋の道路となり、緑一色の大地に我らが進む
べき道をしめす。
信号の代わりに、時折羊たちの群れが道をさえぎり、その後方からは短い棒を
手に一人の牧童が群れを追う。
★ モンゴルゲルに遭遇
この後私は、モンゴルゲルに遭遇した。
それは、観光地にあるような大きく立派なゲルではなく、小ぢんまりとして、
ゲルのフェルトは随分薄汚れ、生活のにおいが染みついているものだった。
ジープを止めてもらい、ゲルの中にお邪魔すると、おじいさんとおばあさんが
いた。彼らは、去年までシリンゴル地方で暮らしていたが、体調を崩した為、
今年になってから、もともと故郷であったアルホルチンに帰ってきたという。
ゲルの中は、中央にストーブがあり、手前が土間、奥が寝間となっており2人
が生活するのに必要最小限のやかんや鍋があるだけだった。
離れにレンガ造りの家があり、息子夫婦とその子供2人が住んでいた。
私はこのモンゴルゲルに住む家族との出会いにとても興奮した。
何故なら、これが今回の内モンゴルの旅で見た、生活の場としての唯一のモン
ゴルゲルであったためだ。
私達日本人がモンゴルと聞いて想像するような光景は、もうすでに内モンゴル
から姿を消そうとしていることを今回の旅で実感した。
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640×480
モンゴルゲルと遊牧民の一家
ただし、ここに住んでいるのは老夫婦だけ
若い人たちはすぐ近くにレンガ造りの家を建てて住んでいる
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アルホルチン地方にはハンスムとゲンピースムの2つのお寺が存在するのみだ
が、ゲンピースムは周りを険しい山に囲まれた厳しい立地条件のためだろう、
文革では比較的破壊の被害に遭わずに済んだという。
= おわり =
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お楽しみいただいております「タロー君の内モンゴル旅行記」は、ライターの
藤井太郎君のご都合により、今回をもちましていったん終了とさせていただき
ます。
太郎君の事情が、執筆可能な状態になりましたら、改めて掲載させていただき
ます。 ご愛読ありがとうございました。
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。

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