┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
┃
┃ 草原をわたる風♪:タロー君の内モンゴル旅行記 by 藤井太郎さん
----------
私の文章では“ボリド”、タロー君のでは“ボルド”。
同じ人物ですが、ボリドは中国式発音、ボルドはモンゴル式の発音です。
───────────────────────────────────

タロー君の内モンゴル旅行記(2001年8月7日〜9月6日)―――― by 藤井太郎
--------------------
★ 内モンゴルの道路事情

ナーダム会場を後にすると、タクシーは新しく舗装されたという道を猛スピー
ドでひた走る。ここで中国(内モンゴル)の道路事情について少し触れておく。

車は日本と逆の右側通行で、市内以外はほとんど信号機がない。
道路には馬車やロバ車が通っていたり、市外に出れば家畜の群れが道路を横切
るなんてこともしばしば見受けられる。

また、市内では、歩行者がどこからでも道路を横断するのでとても危険だ。
それらをよける為に、対向車が来ているにも関わらずすれすれで交して行く。
何回もヒヤヒヤとさせられたが、運転手は平然としている。

草原に入ると道はあって無いようなもので、途中、道路の真ん中に砂山が堆く
積まれているところがあり、どうするのかなと思っていたら、タクシーのトラ
ンクにはスコップが積んであって難なく通り抜けることができた。

ここ2、3年、内モンゴルでは旱魃が酷く、今年もシリンゴル地方では大旱魃
に襲われていると聞いて心配していたが、幸いアルホルチン地方は比較的降水
量に恵まれていて、青々と草が茂っていた。
アルホルチン地方は内モンゴルの中でも山が多い地方で、草原はなだらかな丘
となり四方を蒼い山に囲まれている。

モンゴル語で馬群のことをアドーというが、窓からはそれを追うアドーチン、
すなわち馬飼いが手にウールガ(馬の首に引っ掛ける、縄の輪が先についた竿)
を持ち悠々と駆け抜けていく姿を望むことができた。

★ 親戚の家にて

ボルドさんの故郷に着くと、たくさんの親戚の方に出迎えられ、早速羊の解体
が始まった。
ボルドさんの故郷は牧畜民であるが、私たちがモンゴルと聞いて想像するよう
な、ゲルを使っての遊牧生活はしておらず、バイシンという固定式住居で牧畜
生活を営まれている。

男性二人で羊を仰向けにし、前脚後脚を抑え、腹部のオルといわれるみぞおち
のあたりをホタガという小刀で10cmばかり切開する。
オルは、切っても出血しないところで、その中にすばやく右手を入れ大動脈を
つまんで切断する。

切断された大動脈からは大量の出血があるが、すべて腹腔の中に流れ込んで、
大地には一滴もこぼさない。
ゴルを切られた羊は、痙攣してたちまち死んでしまう。
これは神聖な大地を血で汚さぬようにという配慮と、羊を安楽に死なせる為に
牧畜民に昔から伝わっている知恵であろう。
その後もホタガは休むことなく、30分もしないうちに皮と肉、内臓など見事
に解体された。

内蔵の処理は女性たちの仕事となり、おばあさんとおばさんが協力して腸の中
の糞尿を、水で何回も洗い出して綺麗にする。
その腸の中へ、先程採った羊の血と小麦粉、ニラなどを混ぜ合わせたペースト
状のものを詰めて蒸すと血のソーセージが出来上がる。
これがなかなかイケル。

切り分けられた肉は、庭先にある大きなトルガルという釜で塩茹でにされて、
アツアツのものが丸ごと食卓にだされる。
トルガルの燃料には、草原に落ちているアルガルと呼ばれる家畜の糞が使われ
る。糞といっても乾燥すると乾いた草の塊で臭いもほとんどしない。
草原にはあまり木が育たない為、牧畜民にとって家畜の糞は貴重な燃料資源で
ある。

食事の準備が整うと、親戚一同が食卓に集まって杯の儀式が始まった。
おじさんが献杯者となり、先ずはボルドさんのお父さんに黄色のハタグと共に
白酒がなみなみと注がれた銀の杯を献杯する。
ハタグというのは絹製でマフラー状の形をしており、通常はお寺で活仏と接見
する時にハタグに乗せて献上品を渡すのに用いる。

続いて私の番になったが、後でその模様をビデオで見るととても緊張している
のが良く分かった。
同じように青いハタグで献杯を受け、出発前夜にボルドさんから教わった杯の
作法を試してみた。
右手の薬指を酒に浸し、先ず父なる天へ、母なる大地へ、そして竈へと三回、
親指ではじく。この作法をモンゴル語でツァツァルという。
その動詞形ツァツァホは「液体をはじく」という意味だそうだ。

羊の塩茹では、胴体の部分といっしょに頭の部分も食卓にだされる。
その頭の上には紙幣が供えられ、羊への感謝の気持が込められている。
客がいるときは頭を食べずに、あとで、家族だけで食べるそうである。

肉の食べ方にも作法があって、先程献杯してくださったおじさんが、ホタガで
尻尾の先を切り取り、その後右脚と左脚を交差させるように切れ目を入れる。
これは、尻尾の先の一番おいしいとされる肉を先ず神に捧げ、
・・という意味があるということだ。
私のホタガ使いの下手さを見兼ねて、おじいさんがホタガを器用に使い、肉を
切り分けてくれた。

羊の塩茹で以外にも、先ほどの血のソーセージやきゅうりのサラダ、トマトに
スイカといったメニューである。
おなかがいっぱいになってくると、肉の茹で汁がでてくる。
羊の肉のスープは脂っこそうだが、肉の旨味がだしに良く出ていて、慣れると
癖になる味だ。

夕方、日没とともに放牧されていた家畜がいっせいに帰ってくる。
羊が400頭、山羊が300頭、牛が数十頭。
家族にはそれぞれに役割があり、小さな子供達も棒を持って家畜達を柵の中に
追い込む手伝いをする。
このようにして、牧畜生活は脈々と受け継がれてきたのだろう。

牧畜民の朝は早い。
日の出前の4時から放牧が始まった。

羊と山羊は草地に追い出され、母牛は搾乳の為一箇所に集められる。
私は、以前北海道で酪農の仕事を手伝ったことがあり、乳絞りには自信があっ
たが、手伝わせてもらうと北海道の牛のように勢い良く大量の乳が出ない。
私の北海道での経験では、ミルカーという搾乳機を使っての搾乳で、最初だけ
手で絞っていたので感じがまるでつかめなかった。

そうこうするうちに、蒼黒の空が東の山のほうから明らみはじめて、一条の光
が草原を黄金色に染める。大気は澄みわたり、すべての生命を呼び覚ます。
馬を連れた牧民のシルエットが前を横切り、それを犬が追いかける。
静寂の中に鶏の朝を告げる鳴き声が響く。

朝の仕事が終わると、おじいさんとおばあさんの家で朝食をいただいた。
モンゴルの朝食は、ウグルーニーツァエというが、直訳すると“朝のお茶”と
いう意味で、モンゴル人は、朝に限らずスータェツァエと呼ばれるミルク茶を
よく飲む。

主食はホーライボダーと呼ばれる粟を炒った黄色く小さな粒状のものを茶碗に
半分位入れ、そこにスータェツァエを注ぐ。
数分もすれば、ボダーがふやけてきてお粥のようになる。
そこに、好みで砂糖やシャルトスという黄色いバターを入れ、ホロートという
硬いチーズをスプーンの代わりにして食べる。
ボダーは時間が経つにつれてふやけ、量が増えるので何回お茶を飲んでも一向
に減らず、逆に増えてくるくらいなので結構お腹がふくれる。

午前中にバイクで散歩に出かけた。
草原では、バイクは重要な交通機関のひとつで日本製のバイクは人気がある。
2台のバイクに5人が分かれて乗り、草原を疾走した。
雄大な草原を走っていると、自然と口笛がでてくる。

いくつか丘を越えると、大きな湖が見えてきた。
雲ひとつない青空で、湖面は鏡のように周りの山々を映していた。
バイクを降りて小さな岩山を駆け登ると眼下に湖が望め、小さな船が何隻か湖
面に浮かんでいるのが見えた。

余談になるが、モンゴル国では飛行機のことをオンゴツといい、船はオスンオ
ンゴツ、直訳すると水の飛行機という。
なるほど、水の飛行機とはよく言ったもので、岩山の上から見る船は水の空を
ゆったりと飛んでいるように見えた。

昼頃、家に戻って昼食をとる。
昼食は、トフリャイという小麦粉を練ったパスタ状の生地に牛乳で作った少し
酸味のあるホワイトクリームをかけたもので、これは今回食べたモンゴル料理
の中で一番のお気に入りとなった。

牧畜民の食生活は春・夏の乳製品、秋・冬の肉料理に大別される。
冬に向けて家畜を屠殺し、冷凍保存食とする。
夏季は、家畜が草をよく食べるため乳量が多い季節で、主にツァガーンイデー
(白い食べ物)といわれる乳製品が主食となり、クリーム、バター、チーズに相
当する名称は30種類ほどもあるという。

また、チゲー(馬乳酒)やアルヒ(馬乳酒の蒸留酒)のような、アルコール飲料類
も乳製品に数えられるようである。
                           = つづく =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┐

ボリド君と行く内モンゴルの旅”に参加したい方はご連絡ください。
--------------------
7月23日(火)〜30日(火)

23日 関空 → 北京(飛行機) 北京新橋ホテル泊
24日 北京 → 通遼市(飛行機) → アルコルチン旗(車) ホテル泊
25日 アルコルチン旗 → ハンスム(車) 民家泊
26日 牧民生活体験 ゲル泊
27日 ハンスム → フフホト(列車)
28日 フフホト市内見学 フフホトホテル泊
29日 フフホト → 北京 → 関空

旅行代金 180000円
お問い合わせは OJIN まで。

└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┐

(注) 再度、内モンゴル・アルコルチン旗(阿魯科尓沁旗)の場所について

北京からほぼ45度の角度で北東へ走る鉄道、京通線。
北京を出てから、―承徳市―赤峰市―通遼市(トンリャオ駅)、この先は―四平
市に至り、大連・瀋陽・長春・ハルピンなどを結ぶ線と繋がります。
さて、通遼市(トンリャオ駅)からは、車で第303国道を、通遼市―開魯市―
阿魯科尓沁旗まで201キロ。(約4時間)

アルコルチン旗(阿魯科尓沁旗)の地図上の場所ですが、京通線の赤峰市と通遼
市を三角形の底辺とした正三角形を描いて、その、大体ど真ん中あたり。
(三角定規なら真ん中の穴のあたりになります。)

┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

タロー君の―内モンゴル旅行記目次 アジアの街角から目次 CHINACHIPS 総合トップ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送