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┃ 草原をわたる風♪:[内モンゴルの若き息吹] ― by みやさん

☆ その8「ハンスムについて」――――――――――――― 2002/06/05

ボリド君のお父さんが「活仏」として奉られているお寺の名前は「ハンスム」
といいます。このお寺は清朝、康熙帝の勅命によって1674年に建立されま
した。ハンとはチンギスハンのハンと同じで「皇帝」という意味です。
スムとはモンゴル語でお寺のことをいいます。

内モンゴル自治区赤峰市アルコルチン旗にあります。
最盛期には500人以上のラマ僧を抱えていました。
お寺の敷地内に、学校や病院もあったそうです。

しかし、1966年〜76年の文化大革命で、お寺は壊滅的な破壊を受けまし
た。80年代になって、追放されていたラマ僧たちが戻ってきた時には倉庫と
して使用されていたお堂がひとつ残っているだけでした。
今、ひとりの青年僧“ムーラン”がお寺の再建に向け頑張っています。
ムーランはボリド君のお兄さんです。

文化大革命以前は内モンゴル中に100人ほどの活仏がいました。
現在、中国政府が内モンゴルでの活仏制度を認めていないので、十数人の活仏
が残っているだけです。

ムーランは、信者の間では活仏と認められています。正式の「活仏」ではない
けれど、信者さんたちは心から「活仏」として敬っています。
アルコルチン旗へ行くと、信者たちがうやうやしくムーランに頭を下げます。

トンリャオのお寺にお参りにいったとき、二人のおばさんたちが「あら、あの
人よ」と言い合い、うやうやしくお参りに近づいてきました。
ムーランは「じゃ、じゃ」と二人の頭に手をのせました。

「うれしい!触ってもらったわ♪」
「生ムーランを見れてよかったわね♪」・・・・と言ってた・・・みたい!?

頬をぽっと赤らめて、おばさんたちはとっても嬉しそうでした。
ーーーーーーーーーー
モンゴル旅行が終わってから、私は「ハンスム会」を作りました。
友人に声をかけ、献金してもらいハンスムへ送っています。
親しい人に声をかけるだけなので、少ししか集まっていませんが・・(^^:
集まったお金で冷蔵庫を購入しました。

私の両親にもしものことがあったとき、香典返しの代わりにハンスムに献金し
ようと考えているんですが、二人とも元気でねぇ・・・(^^;

もし、コレを読んでおられる方で「それなら,少し私も送ろうかな・・・」と
思って下さる方がいらっしゃいましたら・・・
Ojinさんにご一報ください。m(_ _)m

献金も嬉しいのでしょうが、それよりも、私が「ハンスム」について宣伝して
いるということをボリド君は喜んでくれているようです。
今回、Ojinさんのご好意により、皆様に「ハンスム」のことをお伝えする機会
を得ることができ大変嬉しく思っています。
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以下はモンゴルのムーレンよりのお礼状です。

献金のお礼と、ハンスムの様子が書かれています。
この手紙はモンゴル語で書かれているため、ボリド君の友人で、詩人でもある
オルトナストさんに翻訳していただきました。
ーーーーーーーーーー

皆様に、ハンスムのラマ僧を代表して心から感謝の気持ちを申し上げます。

皆様のご存知の通り、ハンスムは清朝時代に建立され、文化大革命の時破壊さ
れ、近年、再び修復されているモンゴル地方に影響が大きいアルホンチン地方
にある文化寺院のひとつであります。

かってのラマ僧のうち亡くなるのは亡くなり、年を取るのは年を取り、寺院を
全面的に修復する作業が若手僧である私の肩に重くのしかかっています。
皆様ご存知のように、文化遺産を新しく修復するさせるということは、並なら
ぬ文化的認識が要求され、他方では大きな経済的支援を必要とされます。

ちょうどこの時期に、貴国の方々に、世界の文化遺産を保護回復させるという
偉大な目的から着想した、ハンスムを修復するための経済的なご支援を頂いた
ことを、われわれは単なるハンスムだけの範囲内のことではなく、(日本人の)
世界的な文化民族としての誇り高き精神だと敬服しています。

今、ハンスムの5つの堂のうち4つが、すでに様々な形式で修復され、最後に
中堂である黄金堂の建立作業に追われています。
この堂を建立させるには、30万程度の人民元が必要であり、いろいろな形で
すでにその3分の1の資金を集めました。

我々の予想では、ハンスムの全面修復させる作業は、今年度の半ばから竣工の
メドがつくだろうと感じております。
もしよろしければ、今年の夏のいい季節の頃、皆様をハンスム及びハンスムに
ゆかりのある牧民の家庭にご案内させて戴きたいという歓迎の気持ちを表して
います。

モンゴルと日本の有識者のご声援、ご支援のもとでハンスムはいつのまにか、
かってのきらびやかな姿に戻り、聖なる雄姿で信者たちを迎えられることを私
そして我々は強く信じています。

皆様の末長いお幸せをお祈り申し上げます。

阿弥陀如来
                       ナムジライン・ムーラン
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今まで私が書いてきましたモンゴルの様子は、2年前の話です。
去年はタロー君が「ハンスム」を訪れました。
次回からタロー君の旅行記をお送りします。

なお、ボリド君は今年の夏にもまた、日本の友達を内モンゴルに連れて行く計
画を立てています。次回に旅行計画書をお知らせします。
皆さんもぜひご参加いただいて、内モンゴル・アルコルチン旗をお訪ねになっ
みてください。
                           = つづく =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┐

(注) 内モンゴル・アルコルチン旗(阿魯科尓沁旗)の場所について

内蒙古自治区はとても広いですから、物語の舞台となっているアルコルチン旗
を地図上で探すのはけっこう大変です。
みやさんの往路の道筋で辿ってみましょう。
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北京から寝台車に乗って約12時間のトンリャオ駅からタクシーで4時間ほど
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北京からほぼ45度の角度で北東へ走る鉄道、京通線。
北京を出てから、―承徳市―赤峰市―通遼市(トンリャオ駅)、この先は―四平
市に至り、大連・瀋陽・長春・ハルピンなどを結ぶ線と繋がります。

さて、通遼市(トンリャオ駅)で列車から降りたみやさん一行は、タクシーに乗
り込み、(たぶん)第303国道を通って、通遼市―開魯市―阿魯科尓沁旗まで
の201キロを、4時間かかって行ったことになります。
(上海―南通間とあんまり変わらない距離だなあ‥‥)

さてそのアルコルチン旗(阿魯科尓沁旗)の場所ですが、京通線の赤峰市と通遼
市を三角形の底辺とした正三角形を描いて、その、大体ど真ん中あたり、に、
見つかりましたか?(三角定規なら真ん中の穴のあたりです。)
日本の地図だと、地名はカタカナで表記されているのかな?
OJINの手元の中国の地図帳では、当然ながら漢字で表記されていて阿魯科尓沁
旗となっています。

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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

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