┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━┓
┃
┃ 重慶熱線 (重慶で見た中国): by 重慶出稼ぎ人のちゅーさん
┃
1−家庭崩壊への道−「国内勤務−1」その1.結婚
┌--------
│やっと半年の峠を越えたものの、投稿より投降したい気持ちです。
│あと半年、頑張らなければ。 昔神童、今あぁしんど。
└--------
――今週から11月の末までは、国内勤務で経験した出来事をお話します。
話は前後しますが.......
入社二年目の冬に、北京へ三ヶ月出張しました。
プラントの契約が出来て、国内で中国人の受け入れなどをするため、東京に関
連部門が出来ました。
わたしは北京から帰国して、引き続き大阪にいましたが、その新しい部門への
転勤を命じられました。
当時はまだ独身だったので、千葉県の五香にある独身寮へ引っ越しました。
初めての東京で、人間がおおいだけでも大変緊張しました。
おまけに新京成から常磐線というルートは、本当に息が詰まるほど苦しい通勤
となり、慣れるまで疲労が蓄積して行きました。
その時の思い出といえば、初めて大盤のレコードを買ったことです。
こういう書き方をすると、時代が知れてしまいますが、当時はアナログの大盤
これをLP(Long Play)と言い、小さいものはドーナツ盤と言っていました。
真ん中に穴が開いており、ドーナツに似ていたからです。
買ったのは、梶芽衣子のもので、「女サソリ」シリーズで歌われていた「恨み
節」が大ヒットして、その歌が入ったものがどうしても欲しかったのです。
一人東京で暮らす境遇を恨んでいたので、その歌はわたしの心に共鳴したので
しょう。
ただし、「恨み節」を除き、それ以外の歌は1曲も覚えていないし、多分聞い
ていないかも知れません。
そのレコードは、今も実家のどこかに眠っていると思います。
――通勤の目的地は小伝馬町です。
これは場所が悪い。
引かれ者という気持ちがどうしても抜け切れませんでした。
東京はどうしてもわたしの肌には合わない所でした。
――その翌年、結婚することになりました。
アパートの下見をするといって、家内が大阪から出て来ました。
社宅に入るのは、初めから考慮外でした。
会社で見る顔を自宅でまで見るなんて、耐え難いことです。
自分で捜すのですが、今のようにインターネットで検索出来るわけでなく、
住宅情報誌も無い時代だったので、適当な駅前で不動産屋のガラスに貼られた
物件を見ていくした手だてがなかったのです。
だからどうしても通い慣れた沿線を物色することになります。
価格もさることながら、三部屋は欲しかったので都心から離れていきました。
結局決めたのは松戸市の馬橋、それも駅からバスで20分というマンションで
した。
もし今選ぶとするなら、同じ価格で、狭くても近い所を選ぶに違いありません
が、当時は広い部屋に住まなければいけない、と思いこんでいたのです。
わたしは中国人のアテンドで、たまにしか自宅に戻れません。
家内は慣れないところで一人寂しく待っています。
わたしが帰ると、この時とばかりに色んな話をして来ます。
しかしわたしは疲労困憊。出来れば早く休みたい。
そういうことが何回があり、ついに家内が頭に来て自宅を飛び出してしまいま
した。
わたしはしばらく放っておいたものの、思い直してバスストップまで行ったと
ころ、家内はまだそこにいました。
もしあの時バスが来ていたら、わたしたちはどうなっていたことでしょう。
結局次のプラント商売は決まらず、その時は東京に2年ほどいただけでした。
わたしは大阪に帰ることになり、次に奈良に住むことになりました。
───────────────
2−道で出会った仏と閻魔
スタートレックに出てくる宇宙人で、耳の長いのがいるでしょう。
あれにそっくりなのが、同じ寮にいました。
1年後輩で、某超一流大学を出ていました。
この会社に入るなら大したことはないのですが、本人は至って傲慢で挨拶一つ
しません。
わたしは運動部出身なので、こういうつまらないことにうるさいのです。
運動をしてよかったのですが、この癖だけは無駄なものを身につけてしまった
と後悔しています。
彼の父親も同じ大学で山岳部出身、中国の山で遭難したそうです。
ヒマラヤか、四川省のミニアコンガだったと思います。
わたしは中国とは商売だけのつき合いですが、定年後は登山とか旅行とか、
そういう違った形で関わりたいと思っています。
OJIN さんはすでに毎日登山三昧のようで、うらやましい限りです。
----
ん....?( ← OJIN )
───────────────
3−重慶短信
いま重慶で、上海に有るギネスブック申請代理会社に騙されたといって騒いで
います。
世界一の火鍋とか、中国一のゲートを持つマンションとか。
中には砂漠を乗りきったといって、申請費を3万元(45万円)も払ったオート
バイメーカーまであります。
この上海の会社は「基尼斯」(Ji1 Ni2 Si1)という名前ですが、ギネスは本来
「吉尼斯」(Ji2 Ni2 Si1)と音訳されています。
新聞社の問い合わせについて、「基尼斯」は沈黙を守っています。
中国人の見栄というのは、大変なものです。
香港から始まった、車のナンバープレート争い。
香港では一桁のナンバーは富み(と阿呆....失礼)の証です。
広東語の音から、8が「発」財(金儲け)に通じ、人気ナンバーワン。
次は3で、「生」まれる。2が容「易」に金儲け出来ますように。
日本と違うのは、9も好まれて「久」しく長生き。
4はやはり「死」が臭うし、7も好まれません。
共通語で1と7の発音が似ているので、1を幺(Yao1)、7を拐(Guai3)と
別の言い方をして区別することがあります。
7は曲がっているので、嫌われるのでしょうか。
車のプレート以外にも、電話番号も8が並ぶほど高額で取引されています。
───────────────
4−外大では教えない中国語
小妹妹(Xiao3 Mei4 Mei0)が女性自身、というのはいつかお話しました。
その反対は.....
そうです小弟弟(Xiao3 Di4 Di0)です。
日本では親子なのに、中国に行くと兄弟になります。
国が広いと関係が希薄になるのでしょうか。
───────────────
5−おまけ
商社マンというものは、実に色んな環境に順応しなければいけません。
今日は北京駐在と思えば、明日には大阪勤務です。
貿易畑は割と分が悪いようです。
世間から見れば、外国へ出張したり、駐在出来る花形部門に映りますが、国内
専門の人間が出世街道を突っ走っているとき、海外で蚊帳の外に置かれること
が往々にしてあります。
国際畑から見ると、国内しか知らない、それも外国語をひとことも話さないの
が、どんどん出世して行くのは、なんとも歯がゆいものです。
我々は彼らを「マルドメ」と言って馬鹿にしていました。
マルドメとはまるでドメスチック、つまり国内しか知らないという意味です。
それでは「下周一、見」(来週の月曜日にお会いしましょう)。
<(_ _)ちゅー>
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。

|