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┃ 重慶熱線 (重慶で見た中国): by 重慶出稼ぎ人のちゅーさん
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1−家庭崩壊への道−「代表団受け入れ」その1.受け入れ準備
上海での技術会議は、紆余曲折はあったものの、
どうにか無事に終了しました。
次はいよいよ中国側が代表を派遣して、日本で研修する番です。
中国側から派遣者の一覧表が来ました。
技術会議に出ていた、顔見知りの人もいましたが、
殆どは面識のない人でした。
総勢10名位だったと思います。
団長はMさん。初めて見る名前でした。
今だと中国から勝手に来て、勝手に行動して、勝手に帰国します。
しかし当時は決められた形通りに、制約を受けながら全てを進めなければなら
なかったのです。
まず行ったのは、警視庁の外事課です。
訪日者の一覧表を持って行き、何月何日に来日するので(右翼などにおそわれ
ないよう)よろしくお願いしますと申し出るのです。
桜田門の、立て替え前の古いビルでした。
初めて入った警視庁です。
わたしは今でも警察が嫌いで、この時もかなり緊張しました。
悪い事をしていたわけではないのですが、どうも肌に合わないというか。
しかし応対してくれた外事課の課長さんは、警察においておくのは惜しい程の
人当たりの柔らかい人でした。
人名一覧表と、日本での行動予定を提出しました。
いつ東京に着き、いつ東京を離れ、地方の何処そこへ行く。
それぞれの宿泊先はかくかくしかじか。
東京を離れる前は必ず一報するように、また地方へ到着したら、現地警察の外
事課と連絡するよう、強く釘をさされました。
中国人の訪日に際し、警察はわれわれ以上に緊張していたのかも知れません。
いよいよ代表団がやって来ました。
予想外だったのは、全員が人民服ではなく上質の背広を着ていたことです。
団長のM氏は、少し出っ歯で、鬚あとの濃い30才半ばに見える人でした。
風貌からはとても技術者には見えなかったので、共産党のお目付役だと思いま
した。
団員も皆背広姿でしたが、殆ど、生まれて初めて背広を着た人だったのでしょ
う。緊張した面もちをした人や、珍しそうに当たりを見回す人もいました。
彼らを案内して到着したのは、晴海のホテル浦島でした。
当時は、都内でも有数の部屋数を誇っており、予約も比較的取りやすかったの
です。
なぜ予約の取りやすいホテルでなければならなかったのかというと、中国から
代表団の名簿と日程が来たのは、来日間際のことだったからです。
わたしも浦島に泊まりました。
これから彼らの帰国まで、寝食を共にしなければなりません。
わたしは新婚ほやほやでした。
妻も関西の出身で、東京は初めてです。
その慣れない妻を一人、松戸市の賃貸マンションに残し、国内単身赴任をしな
ければなりません。
思えばこれが今に続く、単身出稼ぎ生活、引いては家庭崩壊への一里塚だった
のです。
東京での打ち合わせが終了して、工場で研修をすることになりました。
工場は川崎市にありました。
ホテル浦島から、川崎プラザホテルへ移動しました。
わたしはその後30年ほど経って、川崎に3年間滞在することになったのです
が、当時は汚い印象しかなかった駅前が、見違える様に整備されていたので、
大変驚きました。
プラザホテルは今も当時の場所にありますが、ホテル前の道路が拡張されたた
めか、全く異なる印象を受けました。
ロッテが千葉へ移転し、川崎球場で愛するバッファローズの試合が見られなく
なったのは、非常に残念でしたが。
しかし川崎は東京への通勤にはいいロケーションです。京浜急行は千葉方面を
走る電車に比べれば、時間を少しずらせば大変楽な電車です。
競輪、競馬、ソープランド、多摩川、東芝、韓国焼き肉。
川崎は何でもありの素晴らしい都市です。
JR駅前では、女子高生と野宿者が同じベンチに座ってる。
こんな面白い街は他にないでしょう。
閑話休題。
工場までは毎日メーカーが手配するマイクロバスで通勤しました。
日本での研修は、それまで順調に進んでいましたが、行く手にはとんでもない
事件がわれわれを待ち受けていたのです。
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2−道で出会った仏と閻魔
『「技術商談」その2.上海へ』編でご紹介した、メーカーのMさん。
早稲田出身でしたが、同校同学部の一年後輩でNさんがおられました。
偉大な先輩と一緒だと、大変苦労されたことでしょう。
わたしはMさんより、Nさんに親しみを感じました。
どうしてもMさんのように、トップの立場にいる人には、こちらが身構えてし
まうものです。
Nさんは合成調味料のA社に就職したかったそうです。
しかし同社は家柄のいい者しか取らないのでだめだった、とNさんは言いまし
た。二人ともT大を目指したが駄目だったと。
上を行く人は、われわれ凡人には計り知れない知性を秘めているようです。
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3−重慶短信
前々号でご紹介した、助けを求める人を無視して、食事を取り続けた警察官。
胸章の番号や、その後実名まで新聞報道されました。
ある監獄の看守だそうです。
当局の調査の結果、事件当時は職場にいたので、この事件には関係ないと結論
付けられました。
「制服は2着ある。盗まれたかも知れないし、本人の知らない内に無断で着用
した人間がいたかも知れない」という理由です。
新聞はこの当事者に、事実誤認ということで謝罪しました。
事件の目撃者には面通ししたかどうか報道されていません。
監獄が名誉の為に本人を庇っている、とわたしは想像しています。
(‥わたしもそう想像します。← OJIN )
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4−外大では教えない中国語
中国には豊富な洒落言葉があります。
同じような音や意味に引っかけて、婉曲に、または粋に表現するのです。
「飛機上放炮」(fei1 ji1 shang4 fang4 pao4)
飛行機の上で爆竹を鳴らす、というのが直訳の意味です。
しかしこの言葉は、お前は欲深すぎるとか、お前の考えは甘すぎるという意味
を含んでいます。
飛行機の上で爆竹を鳴らすと、音のなる場所が高すぎる、
つまり「響得太高」(Xing3 de0 tai4 gao1)。
響は想(xiang3:〜したい)と同音です。
「想得太高」(xiang3 de0 tai4 gao1)に通じます。
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5−おまけ
川崎球場の名勝負といえば、ロッテと近鉄のダブルヘッダー。
2試合目近鉄が引き分ければ優勝だった、あの試合です。
海外駐在や出張をしていると、こういう名勝負を見られないのが辛いです。
日本シリーズがある時、わたしは大抵秋季交易会に参加していました。
今でこそ広州でも日本のテレビ番組が見られますが、そういう恵まれた環境に
なったのはごく最近のことです。
それでは「下周一、見」(来週の月曜日にお会いしましょう)。
<(_ _)ちゅー>
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。

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