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┃ 重慶熱線 (重慶で見た中国): by 重慶出稼ぎ人のちゅーさん

1−家庭崩壊への道−「技術商談」その1.東京転勤

商務商談を無事終えて、中国貿易室長をあとに残し、わたしは海外業務部長の
お供をして帰国しました。北京から広州、そして香港へ。

香港から伊丹空港へ到着すると、数名の女性社員が部長を出迎えていました。
ついでにわたしも花束をもらいました。
当社初めてのプラント商談が成功したので、ねぎらいの出迎えでしたが、当時
はそういう気配りの出来る、いい会社でした。

この時わたしにその気があれば、この女性社員とお友達になれたでしょう。
しかしそうはいかなかった訳があります。
結婚を約束した彼女が出迎えに来ていたのですから。
わたしの友達の運転で、空港まで出迎えてくれた彼女は、他の女性社員に対抗
意識を燃やしたでしょうか。

わたしは唐三彩の置物を部長に渡し、彼女と友達の車の後部座席に乗って、手
を握りながら四方山話をしました。
高速道路を大阪市内でおりて、適当なところで彼女を帰しました。
わたしはそのまま車で京都の自宅まで送ってもらいました。

今時の若者なら、空港で落ち合ってそのままホテルへ直行でしょうか。
女性から慎みが消えて、露骨で卑猥な世の中になったものです。

商務商談のあとは、技術交流や、設備の導入時期、建設日程などを詰める技術
商談が残っています。
これに対応するため、東京に中国プラント部をつくることになりました。

この時も、名前を特殊プラント部にすべきだという意見が出たのですが、海外
業務部長が反対し、この名前に落ち着きました。
何もわからないのに口だけ挟んでくる社内抵抗勢力は、時に会社の方向をねじ
曲げてしまいます。

それを押さえることが出来るのは、社長の英明な判断ですが、これが出来ない
社長は失格です。
要するに、いかに優秀な社員がいても、社長が馬鹿な会社は、行く末が見えて
います。

入社して半年は独身寮にいたのですが、それをのぞくとずっと生家から通学し
通勤していました。
それが東京での単身生活を始めなくてはならなくなりました。
独身寮は新京成の五香にありました。この時は個室です。

入社時は大阪の梅田から本町まで、御堂筋線で通勤したのですが、その混雑ぶ
りに入社三日目にして辞めたくなったことがあります。

しかし東京の、それも千葉方面から都心へ通う通勤のすさまじさは、大阪の比
ではありませんでした。
回りには人の顔、顔、顔。息をする時は天井を向かないといけません。
そういう状態から、わたしの第一回東京勤務は始まりました。

部長は機械部長を兼任しており、鬼瓦の様な顔をしていました。
しかし人はみかけによらぬもので、部下にも気配りをしてくれる、やさしい人
でした。

課長は繊維部隊から来た、中国語の出来る人です。
当時はわたしより出来たことは確かですが、メキシコを
Hei1 Xi1 Ge1(ヘイシカ)と言っていたのを今でも覚えています。
ただしくは墨西哥Mo4 Xi1 Ge1(モシカ)ですが、墨と黒を取り違えていたの
です(黒は、Hei1)。

思い違いは避けられないものですが、人に指摘されない間違いは一生引きずっ
て行くかもしれません。
中国語でどこかおかしいとか、不都合、不似合いな時に、
「不対」(Bu2 Dui4)という表現をしますが、わたしの人生はどこか不対な
ようです。

その原因は、人に指摘されるまでわからないかも知れません。
もし指摘されなければ、わたしは不対のままで終わるのでしょう。
トホホ。

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2−道で出会った仏と閻魔

上に出てきた課長は、北京で一緒になった時、しみじみとこういうアドバイス
をしてくれました。
左手で右の尻をさわる、右手で左の尻を触る、そうすると自分の尻とは思えず
女性の尻を触っていると錯覚する。
いかに禁欲を強いられた当時の中国とはいえ、あまりにわびしいアドバイスで
した。

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3−重慶短信

タクシーの乗車拒否にあって、腹立たしい思いをしたことはありませんか。
重慶では1台の車を、二人が交代で運転していて、その引継時間が午後五時か
ら六時という、一番需要の多い時と重なっていたんです。交代時間には乗車を
拒否されることが多く、苦情の絶えることがなかったんです。

これを改善するため、連座制が導入されました。タクシーの運転手、会社、経
営者の三者が、乗車拒否をした場合の連帯責任を負うんです。
これが実施されてから、重慶の乗車拒否は随分少なくなりました。

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4−外大では教えない中国語

棒棒軍とは、天秤で荷物を運ぶ労働者のことです。
これは五月にご紹介しました。

これに似た言葉に、棒棒鶏があります。有名な四川料理です。
棒で骨を砕くから、こういう名前がついたそうです。
もうひとつ意味があります。

いつかご紹介した、鶏、つまりその手のお嬢さん。
これに引っかけて、重慶ではその手のお嬢さんの一軍を棒棒鶏といいます。

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5−おまけ

当社に労働組合が出来ました。主席になったのが、札付きの悪なんです。
副主席はその手下。会計も悪の仲間。

上級総工会が承認してしまったので、このメンツを翻すには、組合員が上級の
工会へ訴えるした方法がないようです。

皆さんは工会と、どういうつき合いをされていますか。
ワルが工会を牛耳っていませんか。
是非経験談、アドバイスなどをお願いします。

それでは「下周一、見」(来週の月曜日にお会いしましょう)。

                           <(_ _)ちゅー>
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

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