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┃ 重慶熱線 (重慶で見た中国): by 重慶出稼ぎ人のちゅーさん

1−家庭崩壊への道−「商務商談」その5.帰国

三ヶ月のタコ部屋生活から抜け出し、海外業務部長のお供をして北京から広州
まで飛びました。来たときと逆のコースをたどって日本へ帰るのです。
北京空港で中国貿易室長と握手をして別れた後、わたしの記憶は途切れます。

次に思い出す光景は、深センの通関を終えてから橋の向こうにひるがえってい
たユニオンジャックです。
来たときは五星紅旗に感動の涙を流し、帰途ではイギリスの旗に安堵の涙を流
しました。

初めて行ったあこがれの中国は、「中国語を専攻して失敗した」という感想を
抱かせました。
自由という空気が、いかに重要なものなのか、それを認識するには格好の出張
ではありましたが、24才のわたしにはあまりにも過酷な環境でした。

国境に架かる深セン川の橋を渡ったところで、また記憶が途切れます。
次の場面は香港のヒルトンホテルです。

いまでも香港島の同じ場所にあれば、前の坂道を登って行くと、夜景で有名な
山頂へのケーブルカー乗り場に出ます。
香港ヒルトンは、今のわたしでは泊まれない高級ホテルですが、その時は海外
業務部長と一緒だったため、恩恵にあずかることが出来ました。

感心したのは、トイレの水を流しても音がしないのです。
それから何十というホテルに泊まりましたが、ホテルの部屋に感心したのは、
この時以来ありません。

広州から深センまで列車、深センで中国の出国手続き。
‥パソコンは“しゅつごく”を“出獄”と変換しましたが、そちらのニュアン
スの方が近いと思います。‥‥

そして厳しい税関検査。
政治関係の資料を持ち出していないか、それをチェックしていたのでしょう。
四人組はまだ健在でしたから。

徒歩で橋の上に引かれた白線の国境をまたぎ羅湖へ。
そこで香港への入国手続きと通関。
こちらの通関はほぼフリーパスに近いものでした。

羅湖から列車に乗って終点の九龍へ。
この羅湖から九龍というコースは、その後交易会に参加するようになってから
何度も通った道です。

羅湖からの電車内で、当時は新聞や煙草、ウイスキーの水割りを販売していま
した。
数十日の軟禁生活から解放され、この列車で飲む水割りの美味かったこと。
それはまさしく自由の味でした。

余談ですが、当時の中国で飲める酒は、白酒、ビール、黄酒、、ワイン、ウイ
スキー、ブランデー、ウオッカなどがありました。
随分結構な話ですが、これ全てが国産です。
中国産のウイスキーやブランデーを飲んだことがありますか?
一度飲めば一生飲まなくてもいいというような味でした。

今では買うことができないので、もしあれば大変貴重なものになったかもしれ
ません。
しかし、昔の“紅旗”という車が骨董価値が出ずまったく売れないことを見る
と、当時の物で価値が増したものは少ないのかも知れません。
その少ない物のひとつに「毛沢東語録」があります。
皆さんご存知ですか?

深センの駅や空港など、外国人の集まる場所には、日本語や英語など、あらゆ
る外国語のものがおいてあり、全て無料でした。
これが今では価値が出ているようです。
嘘か本当か知りませんが、右向きの毛沢東バッジも、価値があるそうです。
なぜなら殆どのバッジは、左向きなんですから。

切手も価値のある物が出てきています。
日本でも東京オリンピックが、切手ブームに火を付けましたが、北京のオリン
ピック前も、同じ状況になる可能性があります。

わたしが1元で買った切手で、雑誌で見ると1万元と表示されている物もあり
ます。昔の中国へ行き、辛い目に遭ったご褒美だと思っています。

多少でも老後の生活に貢献してくれるといいのですが‥‥

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2−道で出会った仏と閻魔

中国銀行のトイレにしゃがんでいた、海外業務H部長。
当時から癌に冒されていたのでしょう。
友誼賓館のベッドで寝込んでいることが多かったのです。

中国貿易室長と、三国志を読む競争をされていました。
部長は日本語の、室長は中国語の本で。

部長はある時ガウンをあつらえました。表は黒、裏地は真っ赤なシルクです。
上背もありスリムで、なかなか見栄えがしました。
高校の野球部ではキャッチャーでならしたのですが、左利きなので話題を集め
たそうです。

商社に入社してからも、母校の監督をされ、甲子園にも出場されたようです。
サインを扇子の裏表で出すなど、かなりユニークな監督だったそうです。
(癌で)亡くなったとき、社葬が行われましたが、わたしは中国駐在中で葬儀に
参列出来ませんでした。
改めてご冥福をお祈りします。

わたしの結婚式で祝辞を読んでいただいたのですが、ずっと後で聞いた話では
亡くなる前に外出されたのは、それが最後だったそうです。

そんなことはおくびにも出さず、わたしも亡くなるまで全く病状に気が付きま
せんでした。
式が終わり皆さんを送り出すとき、テーブルの上に白手袋を置き忘れたのです
が、部長はそっと手渡してくれました。

彼が亡くなったことは、その後の会社の中国貿易に、言葉で表せない程の大き
な影響をもたらしました。社運を変えたと言っても過言ではないでしょう。
今は京都のお墓に眠っておられますが、わたしはまだ墓参をしたことがありま
せん。

もうあの時の部長と同じ年齢になってしまいましたが、足下にも及びません。
墓参はもうすこしまっとうな人間になり、報告出来るようになってからと思っ
ています。

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3−重慶短信

重慶は山城と別名の有るとおり、殆どが坂道で、おかげで自転車は皆無に近い
状態です。他の都市に出張すると、自転車がじつにうるさく目に付きます。

重慶は空気が悪いとか、嫌なところもありますが、自転車が少なくすっきりし
たいいところもあります。

嘉陵江と長江で、主に三つの区に分割されています。
往来には橋を渡らねばなりませんが、これがくせ者なんです。
橋の通行料が、片道10元。

わたしの会社は南にあるので、中区を通り北へ行って帰ると、往復で4つの橋
を渡ることになるので、40元もかかります。
貨物の配送は、コストがかかって大変でした。

これが7月1日から改善されました。
7つほどある橋の、共通通行券が発行されたのです。
年間2000元です。
月になおすと160元ほどです。
南から北へ、4往復するのと同じ価格です。

西部大開発の国是が、内陸部の発展を後押しているようです。
中国はますます楽しみな所になって来るでしょう。

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4−外大では教えない中国語

「全套」(quan2 tao4)、フルコースのことです。
当社の運転手から仕入れた最新情報ですが、160cm以上の小姐がお相手し
てくれて、80元だそうです。

ただし時間制限があるので、有る程度貯めて行かないと。
一個鐘といえば、普通は1時間ですが、この業界では45分です。
これで足らないなら、両個鐘つまり90分で160元になります。

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5−おまけ

中国では地名を一字で表すことがあります。車のプレートがそうです。
北京は京、重慶は渝などです。晋といえば山西省。

北京の前門ホテルの近くに、晋陽飯店というレストランがあります。
5年前までは確かにありました。今でもあるでしょう。
文字通り、山西料理の名店です。

昔のままの味なら、お勧めです。
機会があれば是非のぞいてください。
感想など聞かせていただければ、うれしいです。

それでは「下周一、見」(来週の月曜日にお会いしましょう)。

                           <(_ _)ちゅー>
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