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┃ 重慶熱線 (重慶で見た中国): by 重慶出稼ぎ人のちゅーさん

1−家庭崩壊への道−「商務商談」その4.手紙

中国から日本へ、今なら好きなときに電話も出来るし、E−mailの交信も
可能です。今から30年前の1972年当時でも、国際電話は可能でした。
しかし部屋の電話を取り上げて、ダイヤルをすればつながるというものではな
かったのです。

まず服務員に電話の申し込み用紙をもらいます。
必要項目を記入して服務員に渡す。
そしてひたすらつながるのを待ちます。
時には数時間かかりました。

しかし電話代は大変高かったので、主に業務連絡、それも緊急の時にしか使わ
なかったのです。
通常の業務連絡は、電報でした。

私用では手紙が唯一の通信手段だったのです。
おかげで生まれて初めて父親から手紙をもらったり、彼女とは随分多くの手紙
をやりとりしました。

そんな中で、一番うれしかったのは姪から来た手紙でした。
まだ3才でしたがわたしの似顔絵と、おっちゃんというひらがなが添えられて
いました。
姉の子でしたが大変可愛いくて、彼女とのデートにも連れて行きました。

彼女よりこの子の方が可愛かったのです。
しかし女性というのは年齢に関係なく、嫉妬するのでしょうか。
彼女の機嫌が悪くなったのを覚えています。

彼女とは今の家内です。姪は30才になりました。
二人は今でも、当時のことを今でも覚えているでしょうか。

非常に荒んでいた心が、姪の手紙で急速に癒されて行きました。
わたしは手紙を見つめながら、いつしか涙ぐんでいました。
笑いもジョークも皆無の世界でその手紙は大きな清涼剤でした。

そうこうしている内に、生まれて初めて自宅以外で正月を越すはめになりまし
た。
何か身内でお祝いをしたのかもしれませんが、記憶には全く残っていません。
何もしなかったのか、しても楽しくなかったからでしょう。


業務商談は順調に進んで行きましたが、工場がどこに建設されるのかは未だ知
らされていなかったと思います。
当時の資料、たとえば上に書いた電話の申し込み用紙などは手元に残っていま
せん。

とにかく「何かを集める」行為は、非常に危険でした。
スパイ行為と見なされれば大変な目に遭います。
写真も殆ど残っていません。
何かに興味を持つことはいけない、当時の中国はそういう規制を自分自身に課
さないといけない空気が充満していました。

そういう中で進めるプラント商談は、外部には明かすことの出来ない、色んな
密約や制約を含んでいたのではないかと思います。
もちろんわたしのような下っ端には詳細を知る術もありませんが、翻訳した中
に、そういうことを臭わす文章があったように思います。

数ヶ月の苦戦を経て、ついに当社が契約調印までこぎつけました。
中国貿易室長が残務処理のために残り、わたしは海外業務部長に随行して、先
に帰国することになりました。
来た時のコースを逆に、広州まで戻るのです。

空港まで見送りに来ていた中国貿易室長は、自ら手を差し出し、笑顔で握手し
てくれました。
しかし彼によって出来たトラウマは、そんな笑顔では癒されることのない、深
いものでした。
海外業務部長が買った唐三彩の土産をもって、彼に続いてタラップをのぼった
時、わたしはやっと帰国出来る感激に浸ることが出来ました。

振り返れば、凍死仕掛けた日から、三ヶ月が経っていました。

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2−道で出会った仏と閻魔

遡りますが、入社試験の一つに中国語の会話がありました。

当時の語学力は非常に拙かったので、試験官の言うことが殆ど聞き取れません
でした。
彼は捲舌音が出来なかったので、一層聞き取り出来なかったのです。

思わず身を乗り出して彼の目を見つめると、ポーッと顔が赤くなりました。
純情な人もいるものだと思ったのですが、入社して驚きました。
その試験官は学校の先輩で、空手部の出身だったのです。

その数年後毒舌がたたって、営業をはずれて中国貿易室へ移籍しました。
わたしは幸いその時は別の部門にいたのですが、退社前の数年間、中国貿易室
へ戻りました。
その時、まだおなじ部門にいた彼には、随分お世話になりました。
今でもリベンジの機会をうかがっています。

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3−重慶短信

重慶は空気が悪いことで有名ですが、これでも随分改善されたそうです。
国営企業不況のおかげだと、笑えないジョークがあります。

天候も不順です。
四月末には30度まで上がり、冬物をしまい込みました。
ところが五月になると気温は10度台まで下がりました。
また冬物を取り出す始末です。

先月は随分雨が多く、有史以来の洪水に見舞われたところも出ました。
ともかく重慶はとてつもなく広く、人口の多い直轄市なんです。
3000万人の市民がいますが、その90%は農民です。

今年で直轄市五周年です。
ハードとソフトが他の直轄市に追いつくのに、あと何年かかるでしょうか。

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4−外大では教えない中国語

商談の副代表は名前の一時に甫という字を持っていました。
正しい発音は(fu3)ですが、大抵の人は(pu3)と発音します。
彼はこれに困惑していました。

間違った読み方をするのを「念白字」(nian4 bai2 zi4)といいます。

わたしの姓の一字も草冠なのですが、はるかに馴染みのある竹冠で書く人が圧
倒的です。発音はまったく違います。

誤字を書くのは、「写白字」(xie3 bai2 zi4)です。

わたしもえらそうな事がいえません。
荻原さんと萩原さんの区別が、つい最近までわかりませんでした。
前者がおぎ−−、後者がはぎ−−です。

中国語でも発音が違います。
前者は(di2)、意味もオギおぎです。
後者は「秋」の同じく(qiu1)です。

畑や畠は、日本独特の国字で中国には文字がありません。
前者の読み方は(tian2)または(huo3 tian2)、
後者は(tian2)または(bai2 tian2)と言うしかありません。

昔は漢字を数字に直して電報を打ちましたが、文字が無いから、当然対応する
4桁の数字がありません。
これには随分悩まされたものです。

もし峠さんが当時中国へ行ったとしたら、「山字偏上面上下面下」というよう
な説明になったかも知れません。
電報は1字ごとに料金が加算されます。
峠さんはずいぶん経費のかかる名前です。

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5−おまけ

これも外大の先輩で、応援団出身の元気な先輩がいました。

外大の体育会系にいて商社に入っても、将来を約束されている管理部門に配属
されないので、よく考えてから就職した方がいいですよ。
この先輩も営業部にいました。

ある時お客さんに同行して(われわれは通常アテンドと言いますが)広州へ出張
しました。
お客さんは広州動物園にパンダがいると聞いており、彼に動物園へ連れていっ
てくれといいました。
が、動物園はやたら広くてパンダが見つかりません。

案内図も無いので、さがし回った挙げ句あきらめて、近くにいた従業員に聞き
ました。

「胖大在[口那]里?」(pang4 da4 zai4 na3 li0)。
従業員はキョトンとしています。

先輩は自分の四声が悪いのかと思い、(pang3 da2)とか(pang4 da3)とか変
えて言って見たのですが、さっぱり通じません。

客の手前やりたくなかったのですが、やむを得ずメモ帳を取り出し、パンダの
絵を描きました。従業員は笑いながら、方向を指さしてくれました。
やっと行き着いたそこには、いました、パンダが。
しかし彼は看板をみて、呆然とその場に立ちつくしました。

「大熊猫(英文Gaiant Panda)」。

彼はその時まで、パンダを中国語だと思っていたのです。

それでは「下周一、見」(来週の月曜日にお会いしましょう)。

                           <(_ _)ちゅー>
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