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┃ 重慶熱線 (重慶で見た中国): by 重慶出稼ぎ人のちゅーさん
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1−家庭崩壊への道−「商務商談」その2.中国銀行
わたしの使い走りは、初めてのことにとまどいながら、なんとか無難に続いて
いました。
失敗をする余地が少なかったと言った方が、正しいかもしれません。
当時の中国は、ともかく制約が多く、自由行動の範囲が限られていました。
例えば両替をするとき、天安門広場にある中国銀行だけが、われわれに開かれ
た唯一の門戸でした。
地方の三つ星級のホテルでも、休日でも両替できる今の状況からは、想像も出
来ないことです。
日本から定期的に送金があるので、それを両替に行きます。
ある時海外業務部長と一緒に、友誼賓館から天安門の中国銀行へ行きました。
洋風の歴史を感じさせる建物でしたが、今の林立している銀行のビルに比べる
と、マッチ箱の様な小さな建物でした。
いまでも残っているでしょうか。 天安門から前門を見て右側の、すこし中に
入ったところに建っていたのですが。
銀行の手続きを待っている内に、トイレへ行きたくなりました。
男女共用のものがたった一つしかありません。
ドアを開けると、部長がしゃがんでいました!
彼はバツが悪そうに「えらいところを見られたな」と言いましたが、わたしは
もっと気まずい思いをしました。その便所は、鍵がなかったのでしょう。
部長はそんな便所でも用足しをしなければならなかった。
それからずっと後に知ったことですが、彼はそのころから癌におかされていた
のです。
会社として初めてのプラント商談で、メーカーのわがままな常務の世話をしな
がら、商務商談を進めていかなければならない。
おまけに社内にも、中国に理解を示さない人間が多かったので、これの説得に
もつとめなければならない。
中国貿易室が出来る時、名前でひと揉めあったそうです。
特殊貿易室という意見が結構多くの支持を得ていたが、この部長が猛烈に反対
して、結局は社長の同意の下、中国貿易室に決まったとのことでした。
当時は中国と貿易することが、往来することが、普通の日本人から見ると特殊
な事だったのです。
だからその時の部長はわたしのような駆け出しには、死んでも理解出来ないほ
どの、大きな心労を負っておられたのです。
それが癌の一番大きな原因であったと、わたしは思っています。
わたしも中国語を専攻した時は、随分好奇な目で見られました。
それが国交が回復し日中間の貿易が進むにつれて、世間の言い方は、わたしに
は見る目があるという様に変わりました。現金なものです。
しかし今でも、中国語を選択したのは、見る目があったのか、なかったのか結
論は出ません。中国語が出来る、ために中国に駐在することもなく、着実に出
世街道を走るもののために、便利に使われたという事情もあるからです。
この部長は50代の働き盛りに、永眠されたのですが、彼の死は、会社にとっ
て、とてつもなく大きな損失でした。
中国側からも、メーカー側からも、大きな信頼を勝ち得ていた人でした。
いわば、会社が中国貿易を進める上での中心人物だったのですが、彼が体調を
崩すと同時に、社内の中国貿易も方向を誤るようになりました。
部長の後をついで、実質的な中心になったのは、中国貿易室長ですが、中国語
の能力をのぞけば、何一つ部長にかなうところのない人物でした。
船頭が変わり、船は時代に流されていき、暗礁にのりあげることになってしま
いました。
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2−道で出会った仏と閻魔
個人的に中国人と話しも出来ない時代でした。
そんな中で、ホテルの服務員は唯一の例外でした。
一番最初に仲良くなったのは、怒という姓の青年でした。
お父さんが民族大学の教授という噂で、カザフ族でした。
エレベーターを運転していたのは白という女性で、たぶん朝鮮族だったと思い
ます。
彼女がわたしに言ったことがあります。
「怒に中国語を習うのはよくない。彼は少数民族だから、普通話を上手く話し
出来ない」と。
やはり民族間の偏見があるのだと、寂しい気持ちになりました。
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3−重慶短信
高速道路でひと揉めありました。
「交通調査執務中」というプレートをフロントウインドーにかかげた、警察の
車が、摘発した不審車を牽引して料金所を通ろうとしました。
料金所の職員は、高速道路では牽引車の走行は許可されていないことと、被牽
引車は料金を支払う必要があることを主張しました。
双方とも譲らず、怒った警察は加勢を頼んで、他のゲートも閉鎖してしまった
ため、その後ろには長蛇の渋滞が出来ました。
中国人は大人と子供が同居しているようです。物わかりのいいことを言ってい
るかと思うと、急に拗ねて子供に還ってしまいます。
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4−外大では教えない中国語
もう死語に近いですが、「鉄飯碗」(tie3 fan4 wan3)という言葉。
親方日の丸ならぬ、親方五星紅旗。
国営企業の「働かなくても飯の食いはぐれはない」という体質を批判した言葉
です。 同じ意味で、「大鍋飯」(da4 guo1 fan4)という言葉もありました。
それから時代が変わり、「下海」(xia4 hai3)する人が出て来ました。
自分から飛び出して、新たな事業を初める人です。
それも変わって、今は「下崗」(xia4 gang3)、リストラの時代です。
「今日不努力工作、明日努力找工作」
(jin1 ri4 bu4 nu3 li4 gong1 zuo4, ming2 ri4 nu3 li4 zhao3 gong1 zuo4)
今日一生懸命仕事をしないと、明日は一生懸命仕事を探す目にあうぞ、という
のは、いま時のスローガンです。
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5−おまけ
わたしの部下に、北京大学を卒業した優秀な者がいました。
国営企業の体質を問題視しており、特に会社の金で飲み食いする体質を憂慮し
ていました。
彼がある時、天津の大国営化学工場へ、商品の買い付け商談に行きました。
一応の商談が終わった後、国営企業の体質に関して、自説をぶちました。
あなたがた国営企業が生き残るには、体質改善が必要だ。
特に会社の金を飲み食いに使うのは、もっての他だと。
会議の参加者は一様に、彼の意見に賛同しました。
彼は引き続き話をしようとしたのですが、工場長が遮って言いました。
「お昼になりました。宴会場へ行きましょう。」
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それでは「下周一、見」(来週の月曜日にお会いしましょう)。
<(_ _)ちゅー>
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。

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