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┃ 藤田健の"中国だけで驚いてちゃアカン!":by 藤田健さん

☆ モンゴルの大平原(1)

モンゴルの大平原が見たい。出来ることならそこで遊牧民のゲル(居住テント)
に泊まってみたい。そんな思いを持ち始めたのは、そろそろ日本の生活に息苦
しさを感じ始めていた頃だった。

そして1997年5月、北京からの列車でウランバートルの地に降り立った。

しかし、とりあえずウランバートルまでは来たものの、日本での生活に疲れ果
てていた私には、もうヒッチハイクをしたり、野宿のリスクを覚悟して奥地に
踏み入るような気力は残っていなかった。でも、大平原の(観光用ではない)
ゲルに泊まってみたいという望みも捨てきれなかった。大平原に暮らす遊牧民
の生活に触れてみたかった。

その頃のモンゴルは、まだ(ツアーではない)自由旅行が出来るようになって
間がなく、ほとんど観光客のいない場所だった。だからろくに情報を集めるこ
とも出来ず、どうすれば遊牧民のゲルに泊まることが出来るかなんて皆目見当
がつかなかった。

ただ、モンゴルの遊牧民社会では気軽に旅人を泊めてくれる習慣があると以前
友人から聞いていたので、その話だけが望みをつないでいた。

モンゴルの滞在期限は一ヶ月。その第3週あたりに草原ツアーが出来るように
しようと考えた。つまり、現地での準備期間は約2週間である。
今回の旅行には、心強い旅の道連れ金森氏が一緒だった。彼とはネパールで出
会って以来の仲で、今回は北京で待ち合わせての道行きだ。

ウランバートルでは二人して情報収集に歩いた。早速金森氏が地元大学の日本
語学科の授業を覗きに行って、日本人との交流を目的とした大学生のクラブを
見つけてきた。

彼らと話してみて驚いたことはその日本語の流暢さである。いまどきの高校生
よりずっと敬語も使いこなすほどのレベルである。なかには日本の高校に留学
経験を持つ者までいて、その彼に至っては挨拶の言葉が「こんちわッス、先輩
!」である。

彼らとの話は弾んだ。彼らと話していても、外国人と話すとき特有の違和感が
全くない。普通、いくら相手が達者な日本語を話せるとしても、相手が外国人
ではどうしても言葉では伝えきれないもどかしさが残るものだが、それが彼ら
との間には全くないのである。

話しているときの間の取り方、表情、何もかもが日本人とそっくりだった。
こんな経験は外国で初めてのことだった。彼らと話しているとなんだか不思議
な気分になってしまう。

彼らと親交が深まったところで、彼らのリーダー格であるアムラー君に草原行
きのガイドを頼むことにした。そして、一緒にジープとドライバーの手配も頼
んだ。

それらの動きと同時に、我々はオフロードバイクを貸してくれる先を捜してい
た。しかし、凍てつく長い冬を抱えるせいか、モンゴルはオートバイ自体ほと
んど走っていない。ましてや、ちゃんと整備された状態のオフロードバイクが
レンタル用として存在するのかさえも定かではなかった。
また、モンゴルは国際免許証の国際協定に加盟していない為、国際免許証が通
用しない国でもあった。

しかし、オフロードバイクでモンゴルの大平原を疾走するという案には、バイ
ク乗りの私としても捨てがたい魅力を感じていた。
とにかく、出会ったモンゴル人に聞いてまわり、数少ない旅行会社を手当たり
次第に回って、やっとヤマハ製オフロードバイクの存在を突き止めた。

バイクを所有している旅行会社に出向いてみたところ、どうもそのバイクは、
日本の旅行会社がオートバイツーリングのツアーの為に持ち込んだものらしか
った。その為か、どうも話が要領を得ない。

よくよく聞いてみると、バイクを個人に貸したことはないようだ。多分そんな
申し入れ自体がなかったのだろう。そのうえ、今年になってまだ一度も倉庫か
ら出していないので、まず整備しなければならないという。

個人に貸した事がないので料金も決まっておらず、現地では高価な乗り物なの
で彼らもいろいろと心配している。事故の場合の会社に対する保証は?彼らに
してみれば、万が一バイクに乗ったまま逃げられでもしたら終わりである。

だから、レンタルするにしても、お目付け役として自分たちのジープを一緒に
付けたいと言ってきた。当然の要求である。しかし予算が全く折り合わない。

それに我々としては、気の合うアムラー君のガイドという案は、我々の思い通
りの旅行をするためにも、トラブルを避けるためにも譲れないものがあった。
そこで、アムラー君にも話し合いに加わってもらいやっと交渉成立に至った。

運転免許証も、オートバイのレンタル期間だけ有効の免許証を警察に発行して
もらえることになった。

レンタルの前日に、オートバイを見に行く。そこでは、当然バッチリ整備され
ているオートバイを期待していたのだが、甘かった。オートバイがほとんど走
っていない国モンゴルでは、オートバイの整備の仕方がわかっている整備士が
ろくにいないのかもしれない。

適正なタイヤの空気圧やチェーンの張り具合など、基本的なところから出来て
いない。一抹の不安がよぎったが、もう後戻りをする気にはなれなかった。

いよいよ出発。

まずは、金森氏がヤマハ・セローを駆り、私とアムラー君がドライバーと共に
ロシア製ジープに乗り込む。我々にはこれといった目的地はない。ただ、比較
的整備されているという国道を西へ向かうことだけが事前に決められていた。
こうして、勘だけが頼りの行き当たりばったりのツアーが始まった。

ウランバートルの市街地を抜けると、そこはもう大平原だった。見渡す限り、
家も人も家畜も見えない丘々々の原っぱだ。そして、時折広大な麦畑を目にす
る。いくら走っても都市と呼べるほどのところには行き当たらず、やっと一軒
ガソリンスタンドがあるという程度の村にたまに行き着くぐらい。しかも、時
にガソリンが売り切れのことがあるのには驚いた。地元の事情がわからないま
まにガイド無しで旅行を決行しなくてよかった。

国で一番の幹線道路ということでさすがに舗装はしてあるのだが、そこらじゅ
うに大きな穴ボコが空いているのには参った。ほとんど車は走っていないので
大体80キロぐらいで走っているのだが、しょっちゅう道の真ん中に穴が空い
ているので気が抜けない。皆、穴をよけながらの蛇行運転をしている。

午後の日も傾きかけてきたので、いよいよ今晩泊めてもらえるゲルを捜すこと
にする。頃合を見計らって国道を折れ、一番小高い丘の頂上へ向けてジープを
走らせる。当然、道は全くない。

ドライバーが四方を見渡して考える。このドライバーは、ヨーロッパから中古
車を自走で運んだり、モンゴル国内を薬草探しに歩いたりしていて、旅慣れて
いるのである。

その丘からは、東西に走る国道をはさんで南北の遥か彼方に、ほんの数ヶ所の
ゲルが見つけられた。そのなかから、観光地へ向かう方角のゲルは人擦れして
いるだろうからということでまず除外した。

次に、幾つもゲルが集まっている定住者の集落を除外した。遊牧民と出会いた
ければ、仮設のゲルが良いだろうという事のようだ。とにかく全てドライバー
氏の経験から来る勘に従ってみる事にした。

彼が目をつけたのは、国道から北へ十数キロ入ったところにある2軒だけ建っ
ているゲルだった。そして、見渡す限りその周囲には一軒もゲルは建っていな
かった。

もう夕方も近い。そのゲルを目指して、草原の中を進む。獣道とも、馬や人が
通って踏み固めた道ともつかないオフロードをジープとバイクで突き進む。
30分ほど走ったところで、目指すゲルが見えてきた。

ドライバーとアムラー君が我々の来訪の趣旨を告げて、今晩泊めてくれるよう
に頼み込む。一家の主の返答は、まずは家族で話し合ってからというものだっ
た。暫くは、家族会議の行方を見守った。

そしてそれほど待つこともなく「なんのもてなしも出来ないが、それでよけれ
ば…」という温かい返答を頂いた。
                           藤田 健 
                           Fujita Ken
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