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┃ 藤田健の"中国だけで驚いてちゃアカン!":by 藤田健さん

☆ 砂漠にて―後編―

一年で一番暑い時期、インド・パキスタンにまたがるタール砂漠、そのインド
側を旅していた。見渡す限り砂漠とも土漠ともつかない単調な風景の中、正直
自分が今どの辺りに居るのか、どこに向かっているのかさえ全く見当がつかな
くなっていた。

人影もなければ道さえも見あたらない視界の中を、ただ黙々とラクダに揺られ
て進んでいた。

ガイドのバグワーナ氏は、さすが砂漠の民だ。何を目印にして歩いているのか
判らないが、ふと気が付くと、井戸にたどり着いていた。。やっと、思う存分
水が飲める。
・・・・と思ったのも束の間、なんとその井戸の水は塩分が強すぎるので飲む
のに適さないと言われた。。しかし、体を洗うことは出来た。

気を取り直して出発する。灼熱の時間帯にさしかかる前に、日差しを避けられ
るところにたどり着かねば。

そのうえ今日は、その後にひとつ事件があった。バグワーナ氏が飲料水の入っ
ているポリタンを落として割ってしまった!のだ。今晩泊まる場所には井戸が
あるということなので、とにかくそれまで我慢するしかない。

午前中の11時前には、無人の小屋にたどり着く。遊牧民が昼間、体を休める
為だけにこの小屋を作ったのか、それとも誰か住んでいた時期があるのだろう
か。

しかし、そんな想像を続ける余裕もないほどに暑い。
日陰でも、40度は越えているようだ。

バグワーナ氏が入れてくれた紅茶を飲んで過ごす。けれど、水分を体に入れて
も5分としないうちに汗となって飛んでしまう。暑い、暑い、暑い。。しかし
逃げ場はない。酷暑の中を、ただじっとして耐え続ける以外にはない。

もう、紅茶も飲み干してしまい、井戸にたどり着くまで水はない。喉の渇きが
次第に激しくなってきた。。頭に浮かぶのは水の事ばかり。

バス・スタンドのジュース売り。
冷蔵庫にある冷たい麦茶。
水道の蛇口。
部活の後の、水のおいしかったこと。
水への妄想が止まらない。もう、気が狂わんばかりに水が欲しい。

以前、3日ほど断食をした事があるが、そんなものは比べ物にならない苦しさ
だ。。きっと麻薬の禁断症状とは、こんなものなのではないだろうか。
「もしもこの先、渇死が避けられないとしたら、きっと自分はその前に自殺を
 選ぶだろうな」
数時間後には水を飲めることがはっきりとしているのに、フトそんなことが頭
に浮かぶ。

自分がこれほど追い詰められるとは、自分がこんなにも弱い人間だったとは思
わなかった。そんな自分を認めたくはなくとも、認めざるをえないほどに追い
詰められていた。。理性を保つので精一杯だった。

そんな、体が打ち震えるような想いで陽が陰るまで耐え忍び、やっと夕方歩き
出す。。視界の果てに集落が見えてきた。今晩の宿泊先だ。

助かった!!心ゆくまで、水を飲む。

土を固めて作った、六畳ほどの円筒状の空家に荷を降ろす。するとバグワーナ
氏の所へあっという間に村の男達が集まってきて、賑やかに雑談を始めた。
女達はといえば、遠巻きにこちらを眺めながらの世間話だ。

そして子供たちの関心の的は、珍しい外国人の私である。一挙手一投足をじっ
と見詰めては、喚声をあげている。

そうこうしながら村の生活に馴染んできたら、ふと気が付いた。我々旅行者は
ここではメディアの役割を担っているんだ。特に、旅行ガイドのバグワーナ氏
は。

ここでの生活は単調だ。
男は昼間、家畜の放牧。女は、枯れ草などの燃料集めに水汲み、そして家事。
ラジオもテレビも新聞もない世界。そんな閉ざされた村社会の中で、人々はみ
な鼻突き合わせて暮らしている。

そんなところへ、外の世界の風を我々が運んで来れば、そりゃ〜みんな集って
来るだろう。特にガイドのバグワーナ氏は近隣の村の噂話を始めとして(何を
話しているのかはよく判らないが)とにかく外の世界の情報を運んでくる最高
のエンターテイナーだろう。

更に砂漠の民の生活ぶりが分かってきたら、またまた気が付いたことがある。
ここの生活には、一切の行政サービスが関係していない。電気・水道・ガスは
勿論、警察、消防、学校、役場、郵便局、一切何もない。店さえない。一番近
くの店まで、果たして何日歩かなければならないのか。

当然、税金だってない。何しろ貨幣を稼ぐ時も使う時も滅多にないのだから。
もしかしたら、ここは一応インドという国家の一部という事になってはいるけ
れど、インドの経済が落ち込もうが政権が変わろうが、極端なことを云えば、
ある日突然国境線が動いてここがパキスタンの領土になったとしても、彼らの
生活には何ら影響がないのかもしれない。

多分ここはインドの法律ではなく、宗教の教えに基づいた部族の慣習法によっ
て社会が動いているほぼ自給自足の生活を送っている地域ではないだろうか。

そこで私は大きな疑念を抱いた。。もしかしたら彼らには、自分達がインド人
だという自覚があまりないのではないか。
つまり、「自分達は砂漠の民、“ラジャスターニー”だ!」といった民族への
強烈な帰属意識はあったとしても、インド人だという国家意識はろくにないん
じゃなかろうか。

だって、ほとんど何も国家の世話にはなっていないし、多分インドという国が
できる前から生活の基本パターンはあまり変わっていないと思う。
それに、そもそもパキスタン独立(1947年)前は、国境線自体がなかった訳
だから。

とすると、もしかしたら、彼らは他のインド人への連帯感よりも、国境の向こ
う側で生活している同じ砂漠の民のパキスタン人にこそ連帯感を抱いているか
もしれない。

多分、言葉も文化も同じだろうし、親戚かもしれない。(今でも、国境を行き
来している可能性だって、否定はしきれない。)世界には、先祖伝来住んでい
る民族、特に遊牧民やジプシーなどに国境を自由に(パスポート・チェックも
なく)渡る権利を与えている国だってあるのだから。

そんな自分なりの想像をめぐらせながら、夜眠りに着いた。

砂漠の旅は、予想を遥かに越えた辛く厳しいものであったが、後々、実りの大
きさを実感した旅でもあった。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

外国を陸路で旅するときの醍醐味は、なんといっても国境越えの瞬間だ。
パキスタンからイラン、イランからトルコ、トルコからブルガリア、この辺の
アジアからヨーロッパへ向けての地域では特に、国境線の緩衝地帯を徒歩で越
えた瞬間、驚くほどの別世界が待っている。

かたや、ケニアからタンザニアへの国境越えなどは、 “ほんとに国が変わっ
たの?" というぐらい違いがよくわからない。
また、タイ北部(ゴールデン・トライアングル近辺)を旅した後に、(国境は
接していないけれども)雲南省南部の西双版名を旅してみると、こことあそこ
は何で違う国なの?と思っちゃうぐらい同じ民族の文化圏なのがよくわかる。

はたまた、インドのデリーからヒマラヤ山中のラダック(チベット文化圏)へ
向かうと、同じインドの国内なのにあまりの文化の違いに戸惑ってしまう。
日本は島国だから国境線ってほとんど意識したことがないけれど、歩いて渡っ
てみると、その不自然さを実感する。

よくよく考えてみたら、世界中の国境線が明確に決められたのは、それほど昔
のことではない。そして、国が分断されたドイツや朝鮮と同じ事が、国境線が
引かれるたびに世界中で起きてきたと思うと、民族紛争や国境紛争が絶えない
のもよくわかる。ほんとに国境線とは、厄介な代物だ。

宇宙から眺めれば、線なんて引かれてはいないのだが・・・。

                           藤田 健 
                           Fujita Ken
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