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★ 遊 庵 散 人
★ ---------- China,20years ago ----------
★ 殆どの方が御存知無い「あの頃」の中国
★ 1970年代後半に於ける不可解な体験の記録
★
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<<まえがき>>
私にとり新世紀のスタートの年2001年は、このメルマガで明け、このメル
マガで暮れました。
隔週一年連載予定で意気込んで書き始めましたが、何分特に詳細な記録や資料
がある訳でなく、20余年前よりの思い出を思い出すままに書き始めたのです
が、始めの意気込みは何処へやら、執筆途中はやはり既に大きく古希を越えた
私の頭の中の記憶の散逸にその哀れさを再認識させられる結果となりました。
しかし、その自信喪失の私を奮い起こして頂いたのは、当初の私の予想を遙か
に上回る購読者数が、一月第一回の発表以来一度の下降もなく、それは現在に
至っても僅かづつでも上昇している事の嬉しさ、これは私にとっては何にも勝
る奮起剤となりました。
それに凡そ中国ビジネスに御無縁と察せられる見知らぬ方より頂いた、多くの
過分の御激励や御感想のメールも、私を元気づけてくれました。
ただ、やはりご覧頂いている方々の殆どは、現在ビジネスで何らかの中国との
関係を持つ方々と推察され、そういう方々より寄せられる私の記憶違いによる
間違った文に対する御指摘等も有り難く頂きました。
そうしてそう言うメールが増える程、私としてはこのメルマガを出している、
責任の様なものを感じる様になり出来る限りの正確さを期す為、久々の図書館
通いや、昔の友人仲間達の意見を求めました。
かくして今回で第27回の最終回となりましたが、このエンディングの前半は
私個人のビジネス以前の、中国との出会いを通しての中国感を書いておきたい
と思います。
後半は1978年より1997年迄の、丁度20年に亘る私の中国ビジネスに
ついての総括と、更に今後の中国に就いて僭越でおこがましいのですが、私の
肌で感じた予感と申す程度の事を述べて、1年間に亘る連載を締めくくりたい
と思います。
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<<本号の内容>>
◆◆ 一年の連載を終えて
★ 私の中国との出会い
★ 中国ビジネスの総括
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★ 私の中国との出会い
昭和22年(1947年)だから古い話である。
前年末戦後国家財政建て直しと、財政民主化策の一環として施行された財産税
は、旧皇族、旧華族階級を筆頭に、全国の財産家を対象に、そのあらゆる持て
る資産に対し、その資産額の最高90%の税金を課税した。
これにより旧資産家は持てる財産の殆どを、土地家屋等物納の形で納税する事
となり、ここに戦前よりの資産家は完全に瓦解する結果となった。
当時既に、大阪の繊維問屋に職を得ていた私は、通常の業務以外に特に命じら
れた仕事があった。
戦後の混乱時代に社長が如何にして蓄財したか、未だ子供に近い年齢の私には
判る訳がないが、その仕事は社長個人の美術品の収集だった。
戦前より裸一貫会社を設立し、戦中満州、華北に迄販路を伸ばした商才優れた
社長も美術品には無縁の筈で、今思えばその収集も財産隠匿の手段だった様に
思う。
目の利かない社長に代わり、全面的にその仕事を引き受けたのは、明治以降の
日本画壇の重鎮である某画伯のご子息だった。
氏は戦前作家芥川と大陸を放浪したり、ヨーロッパ生活も長く、すでに美術評
論家として著名であり、特に中国陶磁器の目利きとしては、名が通っていた。
既に初老の人だったが、私は何時も氏と共に、休日或いは通常業務終了後、美
術品を見歩くのが仕事になった。
楽しい時だった。
この頃はそのタイミングが抜群の時期だった。
冒頭述べた財産税により、秘蔵されていた超一級品の旧資産家所有の宝物的古
美術が市場にどっと溢れ出た。
これは戦前戦後を通じ未曾有の出来事といえるタイミングだった。
氏の業界における信用は、父画伯の名と共に高かった。
続々集まる情報に氏は的確に動いた。
かくして信じられない数年の間に、信じられない美術品、特に中国古陶磁の逸
品が収集された。
私は常にそのコレクションに同行し多くのものを得た。先ず初老の大家である
氏が、子供に近い私を対等の協力者である如く接して頂いた感動を忘れない。
美術品を前に氏は、私に意見を求めた事すら有った。
私はこれにより人の接し方について重大な啓示を受けた。
それと共に当然ながら中国陶磁器に魅入られ、その美の素晴らしさを知った。
私の中国との最初の出会いは古陶磁を通しての憧憬だった。
中国史上実在が確認される最古の王朝殷(前十三世紀頃)の青銅器は、重厚に
して緻密な芸術性に加え、それに象形文字まで刻んだその先進性に、当時未だ
縄文後期であった我が国とは、凡そ比較にならぬ高度な先進国家であった事を
学び、下って陶芸美の極致の域に至る宋時代(十二世紀頃)の天目茶碗を以て
これこそ人間の作った最高の美術品との思いを強くした、当時の私の考えは今
も変わる事はない。
繊維業を通しての最初の関わりは、これも不思議な縁だった。
たまたま担当した靴下の工場は、現在もそうだが奈良県の中央部に集中してい
た。 度々業務で足を運ぶ内、僅かな時間を見て近くの古寺を探訪する楽しみ
を知った。
飛鳥、斑鳩、西の京、奈良とよく歩いた。
昭和30年前後、戦後の貧しい時代とは言え、心のゆとりは有った時代だ。
やがて仏像や天平の甍の憧れは長安、敦煌への夢に繋がった。
遙か後年中国業務出張の最中、余暇を求め景徳鎮へ足を運び、さらに友と共に
西安、西域を訪ね、長年の夢が叶えられた喜びは生涯の嬉しさだった。
鳴沙山を望む砂漠に立った時、私の口から思わず出た言葉は「遂に来た、沙州
敦煌莫高窟!」
人気無い西安小雁塔の階に一人座り、大和逍遙の若き日からの長くて短く通り
過ぎた自身の半生を回想した事も忘れられぬ思い出だ。
それからも既に20年近い。
その間その若い時代に体験した中国に対する興味の芽により、中国の歴史書、
小説、美術書と、片っ端からむさぼり読む様になっていた。
しかし当時の中国は、未だ厚い「竹のカーテン」の彼方にあり、世界との扉は
一切閉ざされたままだった。
時々漏れてくる情報は、革命のおどろおどろしたニュースばかりだった。
一旦繊維から足を洗った私が、直ぐ繊維に復帰したのも、某社の台湾事業担当
への誘いによるものだった。
その縁で一流総合商社との関係が発生し、その商社の台湾よりの繊維輸入をサ
ポートする目的で、会社を設立し業務を始めた。
それが1987年春。
その年日本経済界は大きく動いた。
8月「日中平和友好条約」調印、10月トウ小兵副総理来日、12月改革解放
路線スタート。
日本の大手企業は一斉に台湾を切り捨て、目を大陸に向けた。
当然私自身の新業務も商社の依頼により、台湾から大陸へ方向を変え9月初訪
中となる。
かくして私のライフワークとなった、中国とのビジネスが始まったのだが、私
自身中国への最初のアプローチは、本業の繊維からでなく美術、文化を通して
の中国、過去四千年とも五千年とも言われる、輝かしい歴史と文化を残し、そ
れが我が国にもあらゆる面で、多大の影響を及ぼしてきた超大国中国のイメー
ジが、若い頃から刻み付けられていた。
これは私と同世代或いは私以降の人々との、少し異なった中国へのアプローチ
であると思う。
それが私の中国業務に何かの影響を与えた事は否めない。
★ 中国ビジネスの総括
今まで幾度か申し上げたが、私の訪中は1978年9月中国広東省と香港の、
境界を流れる深セン川に架かる鉄橋を、徒歩で越えた時から始まった。
その年は、本日のレポート前半にも述べたように、日中間の交流において一つ
のエポックをもたらした年だった。
それから私が中国業務より身を引いた1997年は、2月トウ小兵が死去し、
7月香港が中国に返還された、これも一つの時代を変えた年と言える。
その節目と節目の間の丁度20年、その間中国は目まぐるしく変化した。
この中国国内の劇的な変化は、世界史上においても希有な出来事と言えるので
はないだろうか。
私はその渦中に身を置き、時には私を戸惑わせ頭をパニック状態に陥らせた。
しかし反面その歴史的な転換を、常に目の当たりに出来た事は、人間の経験と
しては正にラッキーな機会を得られたものと、今にしてしみじみ感じている。
20年は夢中の内に流れた。その間私の訪中は優に百回を越えた。
最初の訪中で、
「この不可解で不透明な何も読めない国だが、ただ一つ“絶対”と言えるもの
があるとすれば、将来世界の労働集約産業の生産基地になるだろう」
と確信した私の見通しが、もし見誤っていたとすれば、それは労働集約産業と
限定した事であり、今や世界中から、ICの生産を含む全ての産業も、その生
産を中国に移行しつつある。
最初の頃、全て自力更正で建築した繊維工場は、建物の窓は狭く照明も足りず
その薄暗い内部に、お粗末でその上埃だらけの旧式設備、作業者の技術も幼稚
でさらに凡そ非能率、労働意欲は極めて低い、全てに取り柄のない工場ばかり
だった。
それが今や一変し、ピカピカの新築工場に一部手動機からコンピューター制御
の自動機へと転換し、そこで生産された製品は、日本を初め全世界に出荷され
ている。
その実態を示す数字を紹介しよう。
日本国内平成初年度と11年度のセーターに就いての対比である。
先ずこの11年で国内市場供給数が2.17倍増大している。
(これがそもそも市場混乱の因)
その初年度供給シェアーは、国内生産30%、中国輸入19%、
それが11年後は、国内生産5%、中国輸入84%と、国内生産が0に近く、
殆どを中国製品で占められた。
中国からのセーター輸入総数はこの11年間で11.27倍と激増している。
国内生産メーカーの悲鳴が聞こえる様な数字だ。
我々がこの雪崩現象の片棒を担ぎ国内市場混乱の因を、こつこつ苦労をしなが
らつくってきたのだと思うと、何か空しくも思えてくる。
せめて今後の事として、無理せず秩序ある輸入を期待したい思いが強い。
我々が些かでも寄与したものがあるとすれば、それは中国繊維生産の現代化へ
のささやかな貢献であったのかも知れない。
今や中国は世界一の繊維製品生産王国だ。
さて中国は今後も今迄通り、全てが順調に発展続けるのだろうか。
現在書店の新刊ベストセラー書売場コーナーに、2冊の本が並んでいる。
1冊は「やがて中国の崩壊が始まる」
もう1冊は「上海を制するものは世界を制す」
言う迄もなく学者の書かれた、中国を予見した書籍である事は判る。
私は不勉強で未読だが、タイトルを拝見しただけで、全く相反する結論の様に
推察させられる。
どちらが正しかは今後の歴史を待つ外無い。
私如きが未来を予測等出来る訳もないが、その激動の渦中に20年間身を置い
て、その底辺の転換を見て、それを一年間に亘り連載を続けてきた者として、
私なりの中国に対する微かな将来の予感を、厚顔ながら敢えて最後に申し上げ
て置きたいと思う。
解放路線の流れが街の中で、目に見えかけた80年代半ば、上海国際飯店最上
階にダンスホールが誕生した。
食堂が改装されただけの名ばかりの粗末なホールだった。
それでも我々は“中国に夜明けが来た”と喜んで出ていった。
しかし、入場は外人だけに限定され、パートナーは香港からの女性観光客だっ
た。
次に外人同伴という条件で中国人も入場を許された。
しかし又中国人は駄目になり、その後再度許可された。
やがて最後は、中国人も全面OKになったかと思うと、今度は何か不祥事が起
こり全面閉鎖になり、やがて全面再開された。
朝令暮改もよい所、行きつ戻りつの連続だった。
これからの中国も恐らくこの繰り返しであろうと思う。
今は改革解放路線をますます進めてWTO加盟で国際舞台にも躍り出た。
都会にも農村にも企業かがどんどん生まれ、国民12億が総金儲けに走ってい
る現在、しかしその結果日本人より遙かに優雅な生活をエンジョイしている者
もいる反面、首都北京を車で3時間走れば、未だ河北省内でも水道も電気もな
い貧農地帯が広がる、この格差の大きさは簡単に埋まりそうにない。
明るい中国を予測する人は、その恵まれない人達が、次の近代産業の予備軍で
あり、その為中国の生産力は無限に近く確保されているというが、如何であろ
うか。
現在この様な農村へ行けば、小学生の年頃なのに学校も行かず、荷車をひいて
いる姿もよく見かける。
この様に初等教育も受けていない子等が、果たして産業予備軍足り得るだろう
か。
国の発展の基礎はその国の教育にある事を、我々は中国ででも随分学んだ。
中国の教育はこれも大きな格差を持つ。
或る日本の音楽教育の専門家が、北京の音楽学校を視察し、日本の専門学校で
でも設置できない、高価な楽器を驚く程備えられているのに目を見張ったと聞
いた事がある。
コンピューター教育も進んでいるし、一般教育の水準は完全に先進国並だ。
しかし一歩内陸部に入ると如何ともし難い。
先ず先生不在だ。
給料の低い教師にはなり手がない。
更に奥地勤務は敬遠する。
やはり80年代「老師節…先生の日」と言う日が創られた。
先生という聖職を世間が再認識する日だそうだが、なり手のない先生という職
への宣伝が狙いなのだろう。
奥地では親も教育より仕事優先として、子供を登校させない。
かくて都会との教育格差はますます拡大する。
それにこのレポートが8月に記した「一人っ子政策」からくる脆弱体質の子供
達への危惧、私はこれらに中国の将来への一つの不安材料を見る。
次に民族問題と宗教問題、特異な仏教に生活の全てを委ねる様なチベットの民
や、凡そ漢民族とは丸で異なるイスラム信仰の西域の民。
彼らが国際的にそれらの紛争がさらに拡大する中で、現在の中国管理体制の中
で、このままの状況で維持存続させる事が出来るのだろうか。
突然だが、私は先般ネパールへ行った。
あの国の人は仏教を通じてチベットとの交流は深い。
彼らはチベットは中国ではないと言い切る。
中国人よりよく聞く事だが、彼らは戦後中国貧困の因は今迄の強固な社会主義
政策にある。
開放経済になってやっと儲かる様になったと。
その通りに違いないだろうが、何か自由経済なら全て儲かる、儲けの万能薬の
様に思っている節がある。彼らは自由経済下の不況の嵐の経験がないのだ。
その為何時も拡大拡大で進んでいる。
WTOに加盟し、世界経済の荒波に乗り出し、果たして上手く舵取りが出来る
のだろうか。
以上過去20年の中国ビジネスを振り返り、思いつくままに今後の不安材料を
並べてみた。
この他、殆どが膨大な赤字を抱える国営企業の清算問題や、更に先号ご紹介し
た法整備が着々と進む一方、バックリベートが常識化した様な、旧来の崩れな
い商習慣等、未だ問題山積の中国である。
私は取り敢えず2008年の北京オリンピック迄は現状で直進するとして、そ
の後にはかなりの大きな変化があるのではないかと思う。
中国は過去の歴史を振り返っても、誰か一人のカリスマ的人物が、強力なリー
ダーシップをもって、政治をリードする事により国は大きく動いてきた。
しかし今後社会主義による集団指導体制の中で、従来型の統制により国民を巧
みにリードしていけるのだろうか。
今までは強い政治力の下、「上に政策あれば、下に対策あり」と強かに生きて
きた国民が、自由を知り世界を見た今日、それに甘んじるとは到底思えない気
がする。
毛沢東による農民からのプロレタリア革命が、今度は都会からの民主化革命と
して、国際派の国民の中から発生してくる様に思う。
しかしそれは、経済力が今のまま進展し、それによってその経済や教育がボト
ムアップされる事が、前提条件として必要だろう。
私はその中国の新しい時代が、ソ連崩壊による様な改革でなく、中国得意のマ
ジックの様に、社会主義中国から民主主義中国へ、鮮やかに看板替えをやる様
な気がする。
思えば中国四千年は、この様に歴世革命を繰り返しながらも、今日まで存続し
てきた不朽の民族である事を改めて認識させられる。
世界四古代文明の内、エジプト文明、メソポタミヤ文明、インダス文明はその
何れもが衰退し、ただ一つ現在も世界大国の一つとしてその国力を誇る中国は
やはり強かな不滅の民族であり、私が若い時代より畏敬してきた思いを20年
に亘るビジネスを通して改めて認識し得たのが結論である。
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<<あとがき>>
冒頭に述べました様に、この一年このメルマガで過ぎました。
正直申し最初は私の殆どライフワークとなった、20年に亘る中国業務の体験
を、私自身の記録として、いわば私の記念アルバムに写真を張りながら保存す
るような積もりで書き出しました。
それが思いがけず多くの方達にお読み頂き、私自身驚きましたが、しかし書き
出した当初のスタイルは変える事無く、私が目で見、耳で聞いたことを中心に
文字通り見聞録で通しました。
その為、ご覧頂き、多分にもの足りなさやご興味を感じて頂けぬ点も多々あっ
た事と思いますが、これらは現在既に下降線上にある、私の能力としての限界
と理解頂き、容赦願いたいと思います。
ただ記載文中私の記憶ミスによる、間違いも幾度かご指摘頂き感謝の外ありま
せん。
その次の回に訂正お詫びをさせて頂いた事もございますが、その機を逸したこ
とも多く、それらの方々にはここで改めてお詫び申し上げる次第です。
一応書き終えてみると、今になって、あの時「こう書けばよかった」とか「こ
れも書けばよかった」とか多くの後悔、未練も残ります。
これらは私自身で今後一人楽しみながら、修正、加筆を行っていきたいと考え
ております。
それにつけてもこの連載執筆中過分の激励を頂戴したり、私の直接経験外のこ
とや記憶薄弱な問題に就き、ご多忙の中を様々なご助言を頂いた方々に対し、
改めてここに心より深くお礼申し上げます。
先日皇太子妃が女児ご出産され、その命名が孟子を出典として決定されたとの
事。 日本と中国の縁はまだまだ未来に向け深まりそうです。
私の記録もこの慶事を祝い、日本と中国両国の健全な共生と発展を期待し、
終わりと致します。
長い間拙文をお読み頂いた方々に、衷心より感謝致す次第です。
どうか程なく訪れる新しい年は、皆様にとり良き年であることを念じ、
この連載の終止符と致します。
謝々&再見。
遊 庵 散 人
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┃★┃ お便りで頂きました感想。
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┌───────「気分は情報無限さん」男性@三十代@大阪 2004/05/28
―― CHINA,20YEARS AGO を完読して
徹夜で読み通しましたが、全然眠くないです。やはり、先人方のご苦労のお陰
で今があるのだと実感しました。未だ日本から一歩も外に出た事のない若輩者
なのでこんな下らない感想しか書けませんーーー。
どうぞいつまでもお健やかであせられますよう。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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