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                            遊 庵 散 人
         ---------- China,20years ago ----------
           殆どの方が御存知無い「あの頃」の中国
         1970年代後半に於ける不可解な体験の記録
    
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<< まえがき >>

私のこのメルマガを当初よりお読み頂いている方は、何度かその文中において
お気づきになった事と存じますが、共産主義中国を標榜するあの国に於いて、
何と地位階層的に、平等性に欠ける矛盾に私自身その実体を見、驚くと共にそ
の現実を度々述べてきました。
それは私の初訪中の1970年代後半の、未だ経済活動の未成熟な、街中がイ
デオロギーのプロパガンダで埋められていた時代からそうでした。

先ず当時工場を訪問します。
工場長の我々に対する挨拶の冒頭の句は必ず、「幹部、工員を代表して歓迎の
言葉を述べる」と言いました。
これが中国式“Ladies & Gentlemen”の様な挨拶の冒頭句です。
我々から思えば「全社員を代表し」が妥当と思うのですが、わざわざ「幹部と
工員」と階級を分離し、述べる所に非共産主義的な矛盾を感ぜずにはおられま
せんでした。
換言すれば「経営者と社員」的表現です。

宴会での席次による着席場所の厳格な規定で、我々も随分苦しめられた事も詳
しく述べましたが、これら階級が問題で日本社会で考える階級とは大きな差異
がある事が、何年か中国社会に身を置けば判ってきます。

「等しからざるを憂える」共産主義の基本において、80年代の中頃迄未だ自
由経済的色彩もなく、等しく国営管理時代、表面的な給与や生活経費等は、平
等主義的色彩は濃かった様に思います。

人口の大半を占める農業専従者の超低所得層は別として、都市労働者の給与は
5〜60元と言う様に、十数年のベテランと新入社員の初任給も殆ど変わらず
よく年輩営業担当が我々に迄苦情をこぼしていました。
「働くのが馬鹿らしい」と明からさまに言う者もおりました。
しかし当時聞いた話では、当時の実質的な国家の指導者になったトウ小兵の給
料も150元であったとか。
共産主義的平等な配分だった様です。

服装も男は全員人民服、女は同じくグレーの上着にズボン姿、生地質には若干
の差異がありやはり幹部級はデザインは同じでも、やや高品質なものを着てい
ました。
昼食も我々を接待する以外は、総経理も基本的に皆と同じ、猫飯を食っていま
した。
これは共産主義の原則から言っても当然でしょう。

では幹部と一般との生活は全く同質か?とんでも無い大ありです。
それは何によって異なるか、彼等のステータスです。
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<< 本号の内容 >>

◆◆ 人民平等と職務権限

  悠々たる海水浴風景 

  階級外せば只の人
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  悠々たる海水浴風景

山東省青島の街は第一次世界大戦に敗れる迄は、ドイツが中国より租借してい
た街である。
いわば主要な都市部は、ドイツ人による都市計画により出来上がった街と言え
る。
海岸には美しいプロムナードが走り、その先端が丁度湘南海岸の江ノ島の様に
大桟橋と称する長い砂嘴があり、その先はとても江ノ島程はないにしても一堂
を囲む広場となっている。
そこに立って青島の海岸線を眺めると見事な景観だ。

並木の続く海岸道路の背後には、緑の小山が続きその中に赤い屋根の住宅が点
在し、海岸線に近い町並みの中を一際高く教会の尖塔が見える。
ここだけ遠望すれば南仏の海岸を思わせる光景だ。

その海岸線の右奥には更に緑に包まれた小丘があり、その一帯は特別優雅な住
宅地として開発されたらしい。
その界隈の道路には、それぞれ中国史上著名な関所の名が付けられ、為にその
一帯を八大関と称されている。

松林の所々に昔のままの瀟洒な洋風建築があり、それらは殆ど政府幹部の専用
別邸となっている。
その小山の先端、海に臨む場所に石造りの洋風プチシャトウ風の建物は嘗て蒋
介石が別邸としていたとか、その反対側の広大な一角に建つ豪華な邸宅は、殆
ど完成直前逮捕された四人組江青の別邸である由、許可を得て中へ入ったが、
大理石づくりの彼女専用の音楽ホールには元女優独裁者の面目躍如だ。

その松林に囲まれた閑静な小丘八大関一帯は、通常は一般人にとっては立入禁
止でないにしても、その松林の所々に警備兵が立ち、厳しい管理下にある。
しかしその中に政府高官が保養の為滞在する時は、警護は更に厳しくなる。
国賓級要人が内々で訪問する時など、完全なオフリミットになるだけでなく、
その中にあるプチホテルに在住する外人もその期間、他の地区のホテルに強制
移住させられる。

青島は海岸線に恵まれていて街の三方を取り囲む海辺には、幾つもの砂浜によ
る海水浴場となっている。
子供の頃から海に慣れ親しんだ青島人は海水浴が好きだ。
それぞれの公司もその砂浜に脱衣場の小さなコッテージを持っており、公司社
員は平日でも三時間の昼休みを利用し、一斉に海辺に出かける。その混雑風景
は、よく夏期新聞で”芋を洗う様な”と形容される湘南の海水浴場と変わらな
い大賑わいだ。

しかしその八大関の前面に広がる数百メートル続く弓なりの砂浜は、そこに滞
在する高級幹部数家族の専用海水浴場となっていて、ゴム製のボートを浮かべ
私が見渡した所その海岸に遊ぶ人達は二十名足らず、それに対し後背の松林の
中に垣間見られたは警備員の厳めしい姿の方が遙かに多かった。
これが中国人のステータスであり特権なのだ。
そうしてそれらの特権は階級と共に自然に無償で付与されるのだ。

政府高級幹部の保養地として最も有名なのは、河北省の海辺の町北戴河が著名
だが、私は勿論足を運んだこともないが、青島の状況からしてより警備は厳重
であり、住環境はより豪華なことは想像がつく。
高級幹部はそれを自由に使える権限をもつわけだ。
結局表面的所得はほぼ平等を保ちながら、その人間の地位、階級により無償で
豪邸をあてがわれ、保養地の別邸や運転手付の車も自由に使える仕組みになっ
ている。

それは秘書は当然の事、屋内の掃除人、庭師、賄い師等様々な使用人もつく。
それらを彼個人が雇用するのでなく、国家より彼の地位、階級に応じて付与さ
れる仕組みらしい。
その様な仕組みは何も政府高官に限られた事でなく、全てが国家企業である限
り管理社会の隅々まで大は大なり小は小なりに、身分に応じて其の権限はもっ
ており、其の権限をそれぞれフルに発揮して、当時の中国社会は成立していた
というべきだろう。

そうしてその権限はその地位を持つ個人だけでなく、一族一統に迄及ぶのは、
さすが昔より「閥」や「ばん」の同族意識の強い中国だけのことはある。
北京の駐在商社マンと車に同乗した。
彼曰く「この運転手の車に乗ると安心だ」理由はその運転手の奥さんの父親が
公安局交通担当の大幹部の由、前回の違反で摘発された際も、後で徴収された
罰金が返却されただけでなく摘発した担当者は大幹部より大目玉をくった由。

前号の中国民航の項でも書いたが、乗機した乗客を機内に一時間以上待たせる
事も平気な幹部。
急用と称して全席満席のフライトでも、チケットを持つ中国人の何人かを無理
に下ろし、乗りこむ位は朝飯前。
その為通常は2〜3席のシートは余裕を持たせ販売すると、懇意な民航担当者
は言っていた。
理屈も何もあった物ではない話だ。
この様な事が普通にまかり通る社会。これが社会主義の実体かと何度思ったか
判らない。

  階級外せば只の人 

超大物政治家の居住地で有名な、北京中南海は紫禁城(今の故宮)の一角に広
大な敷地を占めている。
高い塀を巡らしたその一画は完全なオフリミットで、内部はおよそ庶民が窺い
知る所ではない。

東京の首相官邸やワシントンのホワイトハウスも、特に昨今ガードが厳しいも
のの、北京中南海程秘密のベールに包まれている雰囲気はない。
このシークレットミステリーも、中国高級幹部のステータスであり特権である
訳だ。

それだけに彼らは自分の握っている地位、特権に執着し固執する。
それと共に他人の地位、階級の奪取にも懸命だ。
それが取りも直さず自己をより高く浮かび上がらせる結果に直結するからだ。

大きな中央の政治的権謀術策は、特に現在多く出版される実録本を読んで、後
で驚きその事実を知る事が多い。
そうしてやはりこの国は平等思想を旗印にしながらも、基本的には「三国志の
世界」である気が否定できないのである。

その様な中央政界の大掛かりな権謀術策は、我々一営業マンが知る由もなく、
関与する問題でもないのだが、しかし我々ビジネスの周囲でも小さな公司や工
場の中でも、小さいなりの策謀が絶えず行われている事をことを、多分にそれ
らは殆ど部外秘である為、後になって知る事が多い。

先ず我々として驚くのは人事異動の激しさである。
少し仕事に理解してくれたり、人間的にも親しみが出てきたと思えば、直ぐに
他部門に移る。

それら移動についても我々に対し一切の説明も勿論挨拶も無い。
それ所か顔、姿すらもみせ様としない。
当然どの部門に変わったかの説明も無い。
それが数年に亘りお互い商談を重ね、かなり親しくなった担当者でもそうであ
る。

日本人ならお義理にでも「お世話になりました」の一言くらいは言うだろう。
その結果又新担当者と商談の経緯問題点等一からの経過説明と、お互いの相手
人物の観察からスタートする事になる。

さる公司のミッションが商談の為アメリカへ行った。
総経理のリーダーは無類の賭け事好きだった。
内々で当初予定を変更しラスベガスへ飛んだ。
それを薦めたのは副リーダーである。

大損した一行は帰国時には既にその話は伝わっていた。
総経理は勿論解任されただけでなく監獄入りとなった。
副リーダーも責任は問われたものの、一旦降格されはしたがその内総経理に昇
格した。
これを仕組んだのは彼だとの噂も立った。

東京へ商談に来た公司一行を、土日を利用し東京の取引業者が、彼らを熱海へ
一泊招待した。
業者はサービスの意味でお酌用に芸者を呼んだ。
些か戸惑っていた一行だったが、宴が盛り上がりかけた頃、業者の一人がこれ
もサービスの積もりで、カメラを持ち芸者の酌を受ける総経理にスナップ写真
のフラッシュが光った。
彼は立ち上がり中国人全員を部屋に引き上げさせた。
そんな写真を中国で見せられれば致命的だ。

しかしそのナンセンスな場面は、直ぐどこからとも無く公司内部の話題になり
査問委員会の結果リーダーである総経理は解任された。
海外へ出るミッションには当時誰か商売に直接関係ないお目付け役がいた。

私もカラオケ所望の一行を案内した際、或日本人客が歌った曲のビディオ画像
が少しエロっぽかった。
ミッションの中に若い女性がいたが、お目付役は私に「どういう積もりでこん
な店へ連れて来た」と怒り出した。

ともかく彼らは帰国後非難される事を極端に回避したかった。
海外出張は彼らにとって、当時何物にも代え難い楽しみだったが、反面地位失
脚のミスを犯す危険と紙一重の業務だった。
来日した一行が帰り、次回我々が訪問した際、すでに担当が変わっていた事も
度々経験した。
我々としては彼らの来日中、接待だけでなく彼らに日本市場を案内し、或いは
工場も見せ、今後の業務にメリットがあろうと意図した事も全て無駄になる。

私が懸案の重要問題の解決の件で、公司Aに電話した。
Aは不在で同僚のBが電話を受けた。
「A不在だが何の用件か」としつこく聞いてくる。
私も同僚だからと気を許し「例の××のクレームの件で早急に話したい」と告
げる。
Bは判ったと電話を切る。

数日後Aは解任された。
Aはこの重要案件を上司に報告しておらず、上司はBの報告で知った。
その後のクレーム交渉は「前任者がやった事でよく判らない」Bは直ぐ昇格し
た。

社会主義国家では我々の商売相手、公司も国営でありそこに働く人も全てが公
務員なのだ。
彼らの生き様は巧く成果を上げる事より、ミスを犯し失敗する事を回避しよう
と懸命になる。
その為仕事は無気力となる。
公司ではこの派が全般の大半を占める。

一方野心派は他人の失敗を暴き出し、自分の身を浮かばせる策謀により、自己
の地位向上を図る。
そうしてその地位に相応の権力を得る、やはりこれも官吏気質だろう。

中国は日本より一足早く85年頃から、構造改革が叫ばれ出した様に思う。
それは国自体官僚主義の弊害により、新しい道が踏み出せない苛立ちを痛感し
た事に他ならない。
トップの老化、機構の膨張化、無気力の蔓延化、これらによる非能率は近代化
推進の足枷になってきた。
しかし革新派に対する旧守派の抵抗は当然ながら猛烈なものだ。
機構が縮小されれば、即自己の地位も消失するのだから、人ごとではないので
ある。

「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちると只の人」と言った政治
家が居た。
中国の場合の幹部達はその日常生活の殆どは、自己の階級、地位によって保持
されて居る。
それが構改によって地位を失うと、それまで維持していた特権の全てが一気に
消滅しかねない訳だ。

ある人は豪邸も車も使用人も失い、それこそ只に人のなってしまう。
それだからこそ彼らは握った権力は離せない道理で、構改に激しく抵抗する。

やがて時代は開放経済による発展期に入る。
青島で仲の良かったさる公司の運転手は大決心で公司を辞め一台の中古トラッ
クを買い運送業を始めた。
遮二無二働いた彼は、今や十余台のトラックを所有する大企業になり、更に他
に幾つかの企業も持つ様になった。その収入は元公司の総経理と比較しても数
十倍も上だろう。
こうなると公司の総経理も幾ら特権を持っていても、元運転手だった彼に比べ
れば只の人になる。
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<<あとがき>>

今回は青島に始まり青島で締めました。
元公司の一運転手が上手く時代の波に乗り、自身も奮励努力して大企業の経営
者になり、今や元勤務先国営公司の総経理より、豊かな生活を享受しているの
は、旧来の地位による共産主義特権社会を大きく変化させた一現象といえるで
しょう。
中国の構造改革はこの様に80年代の大きな転換期を経て90年代更に今日に
迄つながっており、更に今後も継続していくものと思います。

今回は社会主義国家において、それぞれが地位とともに握りうる権力を保持す
る為、政治的な大掛かりな策謀は我々と無関係としても、我々の周辺において
も感じ得た経験に基づき書いてみました。
しかし本編でも述べました様に我々周囲の大半の人達は野心も持たず、その代
わり期待も抱かず、事なかれで無難に只日常を過ごす事を考えていた気がしま
す。
それだけにそう言う人達と厳しい商談を交わす事は大変でした。

最後に本号をお読み頂いて、高級官僚が全て「悪」の印象を与えそうですが、
しかし中国風に申せば「両袖清風ー袖の下を取らず常に袖がひらめいている高
潔な人」と民衆から慕われ愛されている政治家二人、その一人は周恩来であり
もう一人は胡耀邦だと思います。

どちらも二人の死後、彼らを愛する民衆により第一次、第二次天安門事件が起
こったのを見ても理解できます。
決して革命建国の父毛沢東ではないのです。

私の長年関ってきた北京のセーター工場の元女性責任者(現在引退85歳)は
病中激務を続ける周恩来に、「私が編んだセーターを届けて着てもらった」そ
の事が彼女一生の誇りの記憶であり、それを嬉しそうに語る老女の目が輝いて
いるのを見て、民衆が心より周恩来を慕う気持ちが伝わった気がしました。
来日した中国ミッションに日本で最も見たい所は、の質問に「京都嵐山の周恩
来の碑」と答えた人もいました。

胡耀邦については「大地の子」の著者、山崎豊子の「大地の子と私」の文庫本
をご覧頂ければ全て理解頂けると思います。
著者が幾度目かの宝山製鉄所所材に上海に来られた頃、私もたまたま上海にお
りましたが、関係商社の宝山担当者が、連日著者の宿泊先「宝山貧館(著者の
表現)」に出向いて、著者より驚嘆する程細かい所材を受けた事を私は聞き、
敬意と共に私もその出版を心待ちにしていました。

ただ著者の日本側所材は苦労しながらも、進行したとしても、中国側に対する
所材の壁…それは官僚主義による極端な責任回避、或いは自己保身によるもの
で、半ば執筆中断を覚悟の上で、著者は時の総書記胡耀邦に所材の自由を直訴
します。
北京中南海の公邸で面接した著者に言った胡耀邦の回答は「中国の全てを何処
でも自由に見て下さい。悪い所、立ち遅れ、暗い陰も率直に書いて結構。嘘以
外は」

このお墨付きの一言で著者はより積極的に、よりエネルギッシュに所材を進め
ます。
中国の実体を些か知る我々が一読して、良くこんな場面を書けたと感嘆を漏ら
す多くの場面も、彼女の中国奥地の電気もない貧農でのホームスティや、刑務
所、労働改造所までの苦心の所材に基づき、あの作品の完成を見たのだと、今
更ながら著者に敬意を惜しみませんが、それも胡耀邦の明快な即断のお陰であ
る事は当然です。

ただあの時代の中国にあっては、彼のこの抜群の民主的開明さは、中央から見
れば余りにも突出した存在であり、やがて総書記を解任され失意の内にこの世
を去ります。
やがて彼を慕う若い力が決起し(政府側から見れば暴走し)あの第二次天安門
事件の悲劇を生みました。

中国は今迄もそうであった様に時には大きい振幅で、時には小さな振幅で、右
左に揺れ動きながら新世紀を進むのではないでしょうか。

                           遊 庵 散 人
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
紅い中国の時代の目次に戻ります







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