☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
★ 遊 庵 散 人
★ ---------- China,20years ago ----------
★ 殆どの方が御存知無い「あの頃」の中国
★ 1970年代後半に於ける不可解な体験の記録
★
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
≪私のメルマガ発刊の趣旨≫
「現代の中国を知る」「これからの中国はどうなる」等、中国の現状レポート
や、未来を予測した専門書は、書店の棚に多く見られます。
しかし私が始めて中国の土を踏んだ1978年、この当時の中国は未だ混沌と
していました。丁度改革解放の夜明け前、正に暁暗の時代でした。
その頃の中国で、私の仕事を通し経験した不可解だった様々な中国での出来事
や当時の私たちの接した中国人の行動や思考について、雑文的に思いつくまま
書いていきたいと思います。
それは駄文にしてもその中から、現在中国に関心有る方や、事業として係わっ
ておられる人達に、何らかの参考になればとも念じ、ここに発刊に踏み切った
次第です。
----------------------------------------------------------------------
《創刊号の内容》
◆◆ 1970年代の中国は波瀾万丈
★ その年代一体あの国にどんな出来事があった?
◆◆ 私の初訪中は1978年9月
★そもそも突然訪中することになった経緯。
----------------------------------------------------------------------
◆◆ 1970年代の中国は波瀾万丈
★ その年代一体あの国にどんな出来事があった?
簡単にこの10年間の出来事を列挙してみよう。
ただその前に、中国国内は1966年から始まった文化大革命の狂奔的にすさ
まじい嵐のまっただ中にあり、職場も学校も殆ど休業、休学状態の異常社会で
あった状況の中で70年代を迎えたことを記憶しておこう。
1971年 10月 国連中国加盟を決議
1972年 2月 ニクソン米大統領訪中「上海コミュニケ」発表
9月 田中首相訪中、「日中国交正常化共同声明」発表
1976年 1月 周恩来総理逝去
9月 毛沢東主席逝去
10月 華国鋒主席就任
「四人組」逮捕 、約10年に亘る文革期の終焉
1977年 7月 追放中のトウ小平、副総理に復帰
1978年 8月 園田外相訪中、「日中平和友好条約」調印
10月 トウ小平副総理来日、同条約批准
12月 中国共産党第11期三中全会に於いて、過去の極左路線
文革路線の否定と、思想の改革解放を掲げたトウ小平路
線がスタート
この列挙を見ても70年代は、中国にとっても更に日中間にとっても、特筆す
べき大転換の10年であったことが判る。
特に、1941年の中華人民共和国建国以来、殆どの国際関係を絶ち、「竹の
カーテン」の異名の元にその内部はほとんど他国からは伺い知ることが出来ず
一種鎖国状態にあった大国中国が、大きく世界へその門戸を開こうとした10
年であるといえる。
しかし30年以上の、厳しい共産主義国家としての統制社会の中で、更に19
66年から10年に及ぶ、文革の嵐の中で荒廃した時代を引きずってきた過去
は、そう簡単に転換できるものではなく、正にその過渡期に初訪中した我々に
とっては、本当に予期せぬ出来事の連続であった。
***********************************
◆◆ 私の初訪中は1978年9月
★ そもそも突然訪中することになった経緯?
私は1946年以来繊維一筋に生きてきた人間である。
1970年代に入り丁度その勃興期であった台湾の繊維業に対する指導業務を
委任され、その仕事を通じ、たまたま某一流商社との関係が発生した。
1978年は前掲のように「日中平和友好条約」が締結され、それまでは日本
政府の方針もあり、大手商社は台湾との貿易業務を主体にし、中国とは人的交
流も含む表面的取引は一切出来ず、僅かダミー会社を設け細々と業務を行って
きたのが実情だった。
それがこの年の条約批准を機に、国内大手商社も一斉に北京、上海、広州等に
連絡事務所を設け、直接対中貿易業務に踏み切った。
その為今度は台湾業務で私と関係が発生した某商社より、直接委託を請け一応
中国の繊維状況を調査するという目的に於いて、その商社の一行に随行し突然
訪中することになった。
しかしそれが爾後20年に亘る、そうしてそれ以後述べ百回を越す中国ビジネ
スのスタートになろうとは、私自身も夢にも考えぬ事であった。
------------------
そうしてそれまで台湾以外も世界各地を訪問し、ある程度海外渡航慣れしてい
たはずの私も、今日まで完全に秘密のベールに包まれているような、そうして
その中で何が起きているのか想像も付かない、不透明な国を訪問するという、
全く不安に落ち着かぬ気持ちで出発したというのが本音である。
香港を経由し鉄道は九龍半島の国境の村「羅湖」に到着、今なら約半時間の旅
程も当時は3時間程度は要したと記憶している。
そこで下車しそこからは両手に手荷物だけを下げての徒歩による越境である。
国境である小川にかかる数十米の鉄橋上を歩いて渡る。
対岸中国側の深センは、今の高層ビル林立の風景からは想像もできない南国風
の植物の生い茂った農村だが、その鉄橋の正面には、殺風景だが威厳を示す様
な大きな中国側の国境検問所が見える。
そうしてそこには初めて見る五星紅旗が翻っていた。
私は改めて非常な緊張感を覚えた。
----------------------------------------------------------------------
《あとがき》
始めてメルマガの原稿を書きました。
文才もとより無く、お読みいただける文章になったかどうか心配です。
今後努力して隔週の予定で出して行くつもりです。
もし読者の皆様の中に同時代の中国を経験され、興味有る思いでをお持ちの方
は、ご投稿いただければ有り難いです。
御了解得られればそのまま掲載させていただきます。
遊 庵 散 人
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
|