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硬派的題目 ―――――――――――――― by OJIN
☆ 靖国神社は宗教なのか? ――――――――――― 2006/09/29〜 靖国神社、というか日本における神社・神道は、所謂宗教なんだろうか??と ずーーっと疑問に思っていたのですが、我が意を得たり!と、その疑問が氷解 するような解説に巡り会うことができました。 矢沢永一・渡部昇一共著による「拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国 殿」(光文社刊)という本の145ページからの(少々長いですが) ┌────────「神道は宗教ではなく日本人の習俗に基づく感情である」 ところで、政教分離でいうところの宗教とは、ヨーロッパ語の概念における宗 教を指しています。しかも同じヨーロッパでも、イギリスやアメリカのように 宗教の伝統が切れていない国の宗教観ではなく、本当に根を絶ったことのある フランスの宗教観です。そうした宗教とはどういうものか。 まずはっきりしたイデオロギー、経典があって、主義主張があって、世界解釈 がある。そしてそれに従わなかったものは、このような罰を将来受けるという そういう脅迫条項が1ヶ所あります。 そして教団があって、その教団が何らかの方法で政治に介入してこようとする そういう能動的な、いつも衝動を持った存在というのが、ヨーロッパ的概念の 宗教であるということが暗黙の前提なのです。 ---- 一部省略 ---- さて、そうしますと日本の神道は、つまり靖国神社が拠って立っているところ の神道は、これは宗教かという大問題が出てくる。じつは、いまだかつて神道 を宗教だと論証できた学者はいないのです。ただたんに、論証なくして、宗教 法人法が認めている団体として登録されているから宗教だ、という形式論理で 宗教とみられているわけです。 ところが、ご承知のように日本の神道というのは正統的な経典がない。そして いちばん特徴的でユニークなのは、間違ったことをしても罰がないことです。 キリスト教、イスラム教、仏教にしても、いずれも教義に逆らえば、地獄に落 ちるわけです。 つまり、全部の宗教の共通点のひとつは、必ず経典があって、違反すると罰が あること。もうひとつは、どの宗教団体でも金が下から上へあがる。教団組織 の維持と拡大の為に、いわゆる上納金が要ることです。神道はその二つがない のです。 吉田神道、卜部[うらべ]神道とかに経典があるというが、室町の頃になんとか 仏教と張り合おうという神官たちが、その中の頭のいい、理論に長けた連中が 主として仏教経典を、じつは盗んで作り上げたものです。つまりもともと拠る べきものはないのですから、日本の歴史の伝統をどこまで遡っても、これが神 道の教義であるとは、どこの文献にもいっさい出てこない。 それでは困ると、仏教や、或いはキリシタンがそろそろ来かけていたし、儒教 も入ってくるので、それらと張り合うために、仏教経典の中から文句を盗んで でっち上げたのが、いわゆる神道理論です。しかし、知恵を絞って作ったこの 神道理論が一般民衆の段階に普及したという歴史は、まったくないのです。 蓮如[れんにょ]の浄土真宗は、村ごとに集会を催し酒食をもてなすなどの独特 の布教方法もあって、本当に津々浦々の民衆に浸透したわけです。そういう布 教精神、これがまた神道にはない。神道の神官は布教師ではない。ただ祭儀を 司るところの、儀式をやるところの祭司のようなものです。 つまり日本国民にとって神道とは何かというと、単純明快、祖先信仰の国民感 情なのです。感情であって理論ではないのです。そのままでずっと現在までき た。 └────────── 靖国神社は宗教なのか?という疑問の答は引用文の中で明らかですから改めて は述べませんけれど、「宗教法人法が認めている団体として登録されているか ら宗教」というのでは本末転倒も甚だしいわけで、それ即ち相手の論理の土俵 に上がってしまっていることになるわけで、 「神道は宗教じゃないんだ、宗教だというのならそれを証明してみせろ」とい うぐあいに、少なくとも先ず相手の土俵からは下りて、お互いが公平な立場か ら討論を始めなければ、落しどころにもって行くことなどできないんじゃない でしょうか。 実際、法人格の問題にしても、宗教法人ではなく、財団法人でも社団法人でも 福祉法人でも特殊法人(?)でも、靖国神社に最も相応しいものに変更するべき ではないのでしょうか。 しかし、「はっきりしたイデオロギー、主義主張があって、中華思想がある。 そしてそれに従わないと、将来このような罰を与えるという脅迫法規がある。 そして党があって、その党が様々な方法で政治も何もかもをも独裁している」 〜〜〜お粗末〜〜〜                         = この稿おわり = ┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ この記事に頂きましたご意見。 ┗━┛ ┌──────────「野太郎さん」男性@三十代@会社員@愛媛 拝見しました。取り急ぎ申し上げます。前掲の著書に関して未読の身ではあり ますが、ご無礼お許しください。 靖国神社は「宗教」ではなく、逆に中国共産党の支配のほうが「宗教」的であ るという主張に見えます。ですが、「宗教」を経典を持つものとして定義すれ ばそうなるだけです。私は、経典や文字や系統立てた情報の集積がなければ宗 教ではない、という定義はなし難いと聞いております。 と申しますのも、統一国家を構築した大規模な文化圏(民族)にとっては、それ は当然に必要なことだからです。―――それぞれの土地で先住民族と呼ばれて いる集団には、それぞれの「群れ」ごとに特色のある慣行、慣習、支配体系、 所有関係が存在しています。 その「群れ」の連帯したものが部族となり、部族の連帯したものが民族となり 民族の連帯したものが国民国家となり、国民国家が連帯したものが連邦となり ます。 この場合、中華(大陸)連邦をまとめる手段として用いられている教義が「共産 党」によって頒布されているということになりましょう。 そして、日本は戦前は連邦を構成していて、敗戦によってそれが分断されたと 解釈することができます。靖国神社は、戦前の日本連邦が推進した、連邦を纏 [まと]めるための手段として活用されていた部分があります。 また、「人間の行動様式を決定する要素」としての宗教には、共産主義も無神 論も当然に含まれます。精霊崇拝、先祖崇拝という側面もあるのでしょうが、 そもそも神社は「障[さわ]りを封印する」という機能を期待されているもので はないか、と思います。 もし、靖国神社を潰してしまうと、日本国に殺された者は、日本のために死地 に赴いた者は、実際に障られるのではないかと思います。 まずその書の全文を読んでから申し上げるのが筋とも思いますが、靖国神社は その本来任務を全うできるよう財政的な補助を受けさせるべきだと考えます。 現在の法のもとでは、宗教法人に対する免税措置がとられていますので、その 措置を利用するのは平易です。財団法人や特殊法人にしてしまうと、あるいは 特別立法による特殊な法人にしてしまうと、より国内外の注目を浴び、政権が 変わるたびに運営の危機に陥るのではないかと思います。 また不幸中の幸いとして、公明党という、宗教団体と関連の深い政党が影響力 を行使しているため、「宗教法人に対する免税措置」を撤回する提案には、こ の政党が(靖国神社のためではなく、自分たちのために)反対し、成立させない ことが期待できます。 日本が、国民の知識と意識が変化して、より多くの人が議論と討論を構築でき るようになるまで、靖国神社に関しては慎重な運営と現状維持を求めます。 かつての日本連邦の総本山である「靖国神社」に対して、諸外国が持っている 「畏[おそ]れ」は、彼らの心の影を映し出しています。日本が目覚めてしまわ ないうちに、これを潰しておきたいと願う情念に対しては、泰然としているこ とが重要だと私は考えます。 └────────── ┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」 いや、最後の数行はちょっとふざけただけで「逆に中国共産党の支配のほうが 宗教的であるという主張」ではございません。ーーー誤解を与えるような紛ら わしいおふざけで、失礼いたしましたーーー。 で、さて、 「人間の行動様式を決定する要素としての宗教には、共産主義も無神論も、精 霊崇拝も先祖崇拝も当然に含まれる」ーーーと、さすがにここまでの括り方を してしまいますとどうでしょうか。 靖国神社=神道に関しての宗教云々は、政治における「政教分離」。もっとい うならば、日本の首相が靖国参拝をするのは政教分離の原則に反するだとか、 公人参拝だとか私人参拝だとか、わけの分からん枝葉の論議の根本がそもそも おかしいんじゃないの?―――ということで、「政教分離」と、法が区分けす るところの「教」とは一体なんぞや?という、根元(?)に迫ってみようという 疑問なんです。 アニミズムもシャーマニズムも精霊崇拝も先祖崇拝も、たしかに宗教といえば まあそうかもしれませんけれども、しかしこれは「政教分離」と法がいうとこ ろの「教」にはあたらないと、普通は理解されているんじゃないでしょうか。 宗教行為を無制限に拡大適用してしまいますと、政治家や公務員は結婚式や葬 式は勿論、先祖の墓参りもいけないことになる?!ーーーそんなバカなことは ありえないわけで、しかしでは実際的にどこまでを、、その基準、区分線引き はどこらあたりになるのが妥当なのか? 厳格な宗教の定義というよりも「政教分離」における「政」にたいする「教」 ―――何故「教」が「政」と分離しなければならないのか。分離せずに両者が 一致した場合の弊害とは何なのか。 宗教的かもしれないけれども、ここまでなら「教」と「政」などと目くじら立 てることもないが、ここを超えるなら「分離」されなければならない「宗教」 である、という違いの基準は、、、。 と、そんなことを考えていたところに巡り会ったのがあの本の記述でした。 まあ「国民の知識と意識が変化して、より多くの人が議論と討論を構築できる ようになるまで、靖国神社に関しては慎重な運営と現状維持を」には賛成でご ざいますが、 実際に浄財を拠出している遺族が年々少なくなってきて、運営費に差し障りが 出始めているとのことなので、近い将来には、「本来任務を全うできるよう財 政的な補助」の問題は避けられなくなるのではないでしょうか。 しかしねぇ、、立花隆大先生へ! 靖国神社が、ある時代軍国精神高揚に利用されたからイカンというのならば、 その同じある時代に軍国精神高揚を煽った新聞なんぞ、もっとイカンというこ とになりはしませんか?「利用された」と「煽った」では罪科百万倍でしょ? 僕たちは悔い改めて、当時とはまるっきり逆のことを書いているから大丈夫! ーーーッて、おいおい、 お前さんたちはそんな都合のいい理屈で口を拭って、同じ時代に軍国精神高揚 に協力し合ったお仲間(?)を悪し様に言いたい放題して良心が、、、痛むわけ なんぞないか・・・・ └────────── ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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