我が人生三分の二故事
☆ 伊東オークラボール ―――――――――――――― 2008/01/25
                         by 老玩童 OJIN

さて「バルジ大作戦」も完動状態に修復できて、今まであちこちに設置させて
もらっていた機械を少しずつ引っこ抜いて揃えて、それでも少し足りないのは
セガからレンタルで入れてもらって・・・ゲームセンター開業の日を迎えるこ
とができました。

開業の日とはいっても、セガが花輪を出してくれたぐらいでヒッソリ静かなも
のでしたが、ともかく、さあ!一国一城のスタート!ーーー緊張しての第一日
目は、覗き込む人は結構いましたが入ってくる人は多くはなくチョボチョボ。

そして2、3日すると、

ヤクザ屋さんがやってきた!?

「こういう商売だとお客さんとトラブルもあるだろうから、そういうときのた
めに毎月いくらずつ払ってくれれば、ウチが話をつけてあげましょう。よろし
くね」
「い、いや、そりゃバクチの商売ならお世話にならなきゃならないようなトラ
ブルもあるかもしれませんが、ウチはご覧のように子供相手の10円玉商売で
すから、お願いしなきゃならないような問題なんて、起っこありませんよ〜」

小田原のヤクザ屋さんは、熱海に本部を置く稲川会の中でも、後にピストル抗
争事件などを起した武闘派の最右翼で、荒っぽいことで鳴り響いた組でした。

応じないと、それから毎日来て適当にゲームをやりながら店の中をウロウロ。
普通のお客さんは怖がって入ってきません・・・おいおい、これじゃアガッタ
リだよ〜〜〜

どうしよもないので、あの調子のいいセガの凄腕営業マンに相談しましたら、
「(熱海営業所の)所長がたぶん稲川会の大幹部を知ってるはずだから、話をつ
けてもらえると思うよ」

お願いして2、3日したら、チンピラ連中はピタリと来なくなりました。

はす向かいのお寿司屋の職人さんとか、ぼちぼち固定客もついてきて、軌道に
乗り始めたある日、「どうも〜〜、ウチのバルジ大作戦をお使い頂いているよ
うですが、何かご不自由なことはございませんか〜」と、

バルジ大作戦のメーカーの中村製作所=現在のナムコ)の営業マンが訪ねてき
ました。そして、ウチも最近はこういう新機種を作っていますので、よろしけ
れば使ってください、と、新しい機械のパンフレットを置いていきました。

この当時のナムコは、創業社長の中村雅哉氏が、どこかのデパートの屋上に、
2台の電動式木馬を設置してスタートして、徐々に規模を拡大して簡単な遊戯
機の製造も手掛けるようになっていて、しかしセがなんかからは「フン!あん
な木馬屋が!」と嘲られていた、まだまだ小規模な、純国産メーカーでした。

このゲームセンターは、それほど抜群というほどの成績は上げられませんでし
たけれど、着実な売上で安定していました、、が、しかしどちらにしてもここ
はいずれ両隣が立ち退いたら取り壊される運命、、次を考えておかなければな
らない・・・・

そんなことを思案していたある日、セガが、伊東オークラボールの設置機械を
ロケ付で買わないか、という提案をしてきました。ボウリング場か〜〜。

この頃はまだボーリング場の黎明期で、ただ、新橋のビアホールでアルバイト
をしていた頃、アルバイト仲間の大学生に連れられて、まだ東京にも何軒もな
かった上野スターレーンや東京スターレーンなどで、何回か遊んだことがあり
ましたので、ボーリング自体は知っていました。

思い出し余談ですが、何回か大学生連中と行った後で、名前はもう忘れました
けれど、新橋ビアホールで一番可愛いウエイトレスの娘を誘って、二人だけで
東京スターレーンへ行きました。 ----まあ、デートでございます----

その娘はなにしろボーリングをするのは初めてでしたから、それこそ手取り足
取り、ムフフのフ♪、で教えながらやっているうち、、彼女がボールを投げよ
うとしたら手が滑って、ゴトンと落としてしまいました。

落としたんですけれど、僅かに前方にチカラが加わっていたようで、ボールは
ゴロンゴロンゴロンと、停まりそうなペースながらゆっくりとレーンの中程ま
で転がっていきました。そしたら!?

彼女がトコトコとレーンの中程まで走っていって、そのボールを抱えて戻って
きた!!ーーーいくらボーリングの勃興期の、まだやる人が少ない頃とはいい
ながら、さすがに東京のど真ん中の東京スターレーンです。

レーンはほぼ埋まっていて、カッコよく決めてストライクを連発するような人
もたくさん遊んでいました――――。一瞬みんなの動きが止まったようで、い
や顔から火の出る思い、、今でも鮮明に覚えている出来事ですーーー。

さて、伊東オークラボール。

またYN旅館のような失敗は真っ平ゴメンですから、まずは現場の視察。

行ってみましたら、8レーンの小さなボーリング場で、----といっても当時は
小田原にも平塚にも、いや、湘南地区には、逗子にやっぱりオークラボールが
あるぐらいで、近郷近在どこにもありませんでしたから、小さいとはいえない
わけで----かなり古い6台のゲーム機が設置されていました。

こんな旧型を設置しているんじゃ、ここの売上はそれほどじゃないんだな‥‥

小田原のゲームセンターの店番は女房に任せて、それから何日か、朝から最終
電車の夜中まで張り付いて観察してみると、伊東市は有名な温泉場で、市内に
はホテル旅館が軒を連ねていて、夕方の宴会が終ったぐらいの時間からホテル
の浴衣姿のお客さんが詰めかけて、結構待ち時間ができている――――。

ははあ、セガは上がってくる数字だけで判断して、もっと売上を上げられる可
能性を見ていないんだな・・・ここも、勤めていたホテルと同じで、頑張れば
相当売上を伸ばすことが可能だ・・・・

さてしかし、小田原から伊東まで‥‥どうやって通うか?

売上を上げる為には、YN旅館のように他人任せにしていたんではダメだし、
小田原のゲームセンターは女房に店番をさせ、こっちはオレが毎日電車で通っ
て面倒をみて、、軌道に乗ってきたら車を買って人を雇って通うようにして、
ゆくゆくは伊東方面に手を伸ばすことも考えて・・・・

買取交渉では、ともかく今ある機種のまま買い取るという線で話をまとめよう
としましたが、セガも今までのこっちの手の内を熟知していますから、コイツ
は必ず売上を上げて鼻をあかされる・・・と考えたのでしょう、もっと新型の
新しい(高い)機種を入れてちょうだいよ〜〜と強硬です。

今より確実に2倍にはできるけれど、さて、

この頃の主要ロケーションは、元勤めていたホテルの娯楽室と小田原のゲーム
センターでしたから、機種の入れ替え、ローテーションを考えて、では機種は
値段の高目なこれとこれを買うけれど、設置するのはこれはここであれはあそ
こで、ここからはこれをあそこに移動して、あそこからはあれをここに移動し
て、、その移動を請け負ってくれるんならOK、という条件を出しました。

それでOKになって、小田原―伊東間を毎日電車で通う生活が始まりました。

                           = つづく =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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