☆ 北海道の田舎の小学生の遊び ―――――――――― 2007/11/01
by 老玩童 OJIN
さて、この当時のこんな田舎の小学生はどんな遊びをしていたと思いますか?
ーーー都会っ子でなければ、全国の田舎の子はほとんど同じようなものかな?
夏ならば川遊び、、泳いだり魚を獲ったり、なんですが、この足寄川の源流の
活火山雌阿寒岳には硫黄鉱山があって、そこの廃水?ーーーが定期的に流され
ていて、そのときは川は真っ黄色にそまり、硫黄臭くなるので川遊びは厳禁。
この足寄川沿いの沢には、硫黄鉱山の産品や周辺の山林から伐り出された木材
を輸送するための、単線の軽便鉄道が通っていました。よくは覚えていません
が、レールの幅が国鉄の普通の線路と比べると狭かったような気がします。
先生からは線路を歩いてはいけないと言われていましたが、通学路はクネクネ
と曲っているのに線路は真っ直ぐだったのと、運搬汽車がほとんど通らなかっ
たので、近道にしてよく通ったものでした。
ウチの裏の畑の奥の川原が、川の蛇行の結果、とても広い河川敷状になってい
て、ところどころに潅木の繁みがあったり、柳の木の群生地があったり草地や
砂地のところがあったりと、当然端のところには川が流れているわけで子供の
遊び場としては理想的な環境で、よくここに近くの子供達が集まって戦争ゴッ
コなどを繰り広げたものでした。
小学校も少し高学年になってくると、この川原の柳の群生場所のどれかに大き
目の木を選んで樹の枝を足場に利用して、川を流れてきた木切れなどを集めて
きて、柳の皮をむいて作った紐で縛って組み上げて、畑からもってきた藁で壁
や天井を作り、ちょうど南洋の島の樹上の家の小型版を作り、秘密の隠れ家と
か称して、雨の日の遊び場にしたりしたものでした。
川原の砂洲では、粘土と砂と小石で、小さなミニチュアの城郭のようなものを
作ったり、かなり時間はかかりましたが、それらしい形に近い大き目の流木が
手に入ったときには、それを削って形を整えて、さらに砲塔その他諸々も加工
して取り付けて“戦艦大和!”と名付けて川に浮かべて遊んだりしました。
この戦艦大和は、なにしろ上が高いので、なかなかちゃんと浮かんでくれずす
ぐ横倒しになってしまうので、その改良に様々工夫を凝らさなければならず、
長い時間をかけてようやく倒れずに浮かぶようになったんですが――――、
ある強い雨の後の増水している時に、岸辺に浮かべて遊んでいたら、、アッ!
という間に本流の強い流れに攫われて流れ下っていってしまいました・・・・
でも、改良の甲斐があって、大きな波に揺られても横転せず、本物が出撃して
いく時のように雄々しく流されていったので、ちょっと得意な気分(?)で見送
ることができました。
女の子もいましたが、男の子の数のほうが多かったので、ママゴト遊びみたい
な軟弱な遊びは許されず、もっぱら男の子の遊びの中で同じように駆け回って
いました。
秋には近くの山へ入ってブドウやコクワの実をとって食べたりしましたが、あ
んまり奥のほうへは入ることができませんでした。どうしてか?冗談ではなく
ヒグマとかが、時々山沿いの畑にも出るぐらいでしたから、そんな奥のほうま
で入っていくなんて、鉄砲持った猟師でもない限り、大人だって危なかったん
ですよ〜。
冬になると学校で、運動場一面に積もった雪を、高学年生が総出で、◎←の
楕円形状に雪を盛り上げて堤を作り、校舎の水道からホースを伸ばして水を流
しっぱなしにしておくと、、数日経ったら大スケートリンクの出来上がり!!
ウチはあんまり余裕がなかったことと、自分でもスケートには興味がありませ
んでしたから、スケート靴は買ってもらえず、堤作りばかりでしたが、でも!
家に帰れば、親父が柳の木の板を削って、先端を火でアブってソリをつけ、靴
を通すベルトを打ち付けてくれたスキー!がありましたから、スキー場なんて
ものはありませんでしたけれど、家の周りのそこらじゅうに雪に覆われた斜面
がありましたから、どこでもスキー場〜〜〜♪♪
やる気だったら角度45度でも、60度、70度でも、不自由することはあり
ませんでした。----しませんでしたけどね、そんな無謀なことは----
新しい家が建って、電気がくるようになって、そんなに経たない頃?----考え
てみればウチの親父は、ペチカでも乳牛飼育でも、他人に先駆けて導入してい
ましたから相当先進的だった?----電気がくるようになったら、本家よりも先
に、部落中のどの家よりも先に、!テレビを買ってきた!
その頃はカラーテレビもなく、大画面もありませんから、14インチの白黒テ
レビでしたけれど、それにしても、それまでは雑音混じりのラジオしかありま
せんでしたから、電波が悪くて映りの悪いテレビでも、夕方から、11時だっ
たか?12時だったか? 放送終了の君が代が流れるまで、ひたすらかじりつ
いて見ていたものでした――――。
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北海道の海産物も農産物も、ほんとうにウマイ!これは掛け値なしでどなたも
肯かれるんじゃないかと思います。初めて東京に出て、食べ物でビックリした
のはラーメンと、トウモロコシ・カボチャ・ジャガイモの味の違い・・・・
東京で初めて(醤油)ラーメンを注文して、出てきたラーメンを見て、!??!
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ーーー北海道の、足寄町のラーメンは、タップリの麺に、さらにチャーシュー
・ワカメ・トウモロコシ粒・もやし・シナチクなどが山盛り(ホントに山盛)で
さらに、バターの大きな塊が落とし込まれて溶けた激旨スープがタップリ♪♪
ところが東京のラーメンは、
チョッピリの麺に、味付け海苔2切・チョボチョボのシナチク・チャーシュー
2切、、、これがラーメンなの??東京人はオレが田舎者だと見破って、バカ
にしてこういうものを出したんじゃないだろうか??ーーー東京へ行ったら、
都会の人はズルイから騙されないように気をつけなきゃダメだよ‥‥‥上京す
るときオフクロが言ってたっけ・・・・
ーーー冗談抜きで本気でそう思いました。
ところが、隣で頼んだ、どう見ても田舎者には見えない小父さんのラーメンも
‥‥‥ 同じだ ‥‥‥そこで足寄町しか知らなかった青年は悟るのでした、
東京では、これを、ラーメンというんだ・・・・
ーーーこんなウソのような勘違いも、今では笑い話でございますが、現在中国
に暮らしておりますと、なお一層北海道産の食材が恋しく思い出されます。
というところで「秋鮭」を紹介いたしましょう!−−− OJIN が子供の頃なん
て、近くの足寄川に薄氷が張って、でも薄いので下が透けて見えるその水中を
鮭が遡上していくのが眺められたものでしたが、今は下流に堰堤ができている
ので、もうああいう光景は見られないんでしょうね。 ▼
どんな内容なのか、どうぞ覗いてみて下さい ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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