Mail-Magazine Back Number
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┃ ☆ 金 曜 版 ☆ ≪ WEB 熱線 第565号 ≫2005/06/03_Fri ++++ ☆
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┃ ☆ WEB 熱線 ☆ ―― アジアの街角から:亜洲街巷信息 ―― ++++ ☆
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◇―――――― 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿 ――――――◇
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│1.週3回・月水金のお届けですが、月→水→金 という流れではなく、
│ 「月→月」「水→水」「金→金」というサイクルになっています。
│
│2.タイトルは同じですが、月曜日号・水曜日号・金曜日号は、それぞれ
│ 別々のマガジン、と理解してもらったほうが分かり易いと思います。
│ 更に頻繁不定期で「アジアビジネスの現場から」号が配信されます。
│
│3.ライター兼編集発行の私OJINと数人のライターさんで執筆しています。
│
│4.内容の転載や引用は自由ですが、必ず「出典元の名称とURL」を併記
│ して下さい。一報頂ければこちらも案内リンクを架けさせて頂きます。
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┃▼▽ 祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ▽▼ by hideおじさん
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☆ 私の目の前の天安門事件(1) ―――――――――――― 2005/06/03
1989年4月の北京はまだ寒かった。学生時代に訪れて以来、2度目の北京
だったが、すっかり都会の雰囲気に変わっていて驚かされた。 首都とはいえ
どこか田舎臭さを隠せなかったあの頃と比べると、国も人も自信がついてきた
ように感じられた。
社命で北京へ長期出張中だった私が、あの、世界を揺るがし、その後日中問題
に発展するきっかけとなった事件を目の当たりすることになろうとは想像だに
していなかった。
―― 4月中旬、10年ぶりの中国に、心躍らせて向かった。
胡燿邦元総書記が亡くなった後だけに、不穏な動きがあるようだとは言われて
いたが、外務省からは特段の注意もなく、極々平穏に仕事が進むものと思って
いた。
上司の付添いということもあり、お上りさん気分の私は、天安門広場にほど近
いホテルをとり、ホッと一息つき、これからの約3ヶ月に渡る中国生活をどの
ように過ごそうかとワクワクしていた。ーーガイドブックをペラペラめくって
今日は何を食べようか、明日は何処へ行こうかなどと、極めてのんびりとした
気持ちでいたものだった。
まずは初日ということもあり、北京といえば「北京ダック」だろうということ
で、上司と、当時駐在していた同僚と3人で、有名レストランで夕食をとるこ
とになった。学生時代の貧乏旅行の時に、トウモロコシをくれた天安門広場の
屋台の親爺はいるだろうか?とか、当時も賑やかだった王府井はどうなってい
るだろうか、などとタクシーの窓を流れる景色を見ながら思い出していた。
しかし、どうも街の雰囲気が何か昔と違う、、、賑やかにもなったし、綺麗に
もなった。しかし、説明はしにくいが、何かピンと糸が張っているような微妙
な緊張感が流れているのである。そのことを同僚に問うと「最近学生のデモの
ようなものがあって、政府もちょっと緊張しているみたいだよ」と説明してく
れた。その時は「そんなものか」程度で、緊迫感とは程遠い気持ちであった。
とある有名レストランで、初めての本場北京ダックに舌鼓を打ち、大満足して
いたところ、「あれ!?」と声を掛けて来た日本人がいた。「おー!お前か」
と回りの中国人が振り返るほど大きな声を出してしまった私だったが、大学を
卒業して以来の友人とバッタリ会った事で、懐かしさが先に立ち、マナーなど
どこかへ飛んでしまっていた。
彼は大学を卒業後某有名新聞社に就職し、ゴルバチョフの訪中による中ソ首脳
会談の取材で一足先に中国に来ているということだった。彼は大学在学中から
中国にはまり、留学までして中国語をマスターした奴だったから、中国で仕事
をするというのは、まさに水を得た魚という感じで生き生きとしていた。
そんな彼と、数十日後に、群集に紛れて逃げ惑うことになるとは、運命という
のは分らない、、、。
それからは、休日になるとその友人と遊び回る日々が続いたが、4月末頃にな
ると、学生を中心としたデモが大々的に行なわれるようになって、それまでの
旅行者気分が一気に冷めてきた。
友人に「何か雰囲気が違うように感じるんだが」と聞くと、「学生たちが民主
化を求めて天安門広場に集まっている」ということだった。 仕事先でも何か
落ち着きがないように感じたのはこのせいかと思ったが、友人は続けて「その
デモの人数が半端じゃないんだよ」と言ったことで、何となく雰囲気の違うこ
とが理解出来た。
友人が「ちょっと行って見るか?」という誘いで、夕方天安門広場へ向かうと
1ヶ所にこれだけの人間が集まっているのは生れて初めて見るというぐらいの
凄い人数が集まっていた。しかし、デモというぐらいだから威勢が良く、昔の
日本の学生運動のようなアジ演説が飛び交っているものとばかり想像していた
のだが、屋台が出ていたり、学生とおぼしき連中が談笑しているのが目に映っ
た程度だった。
外国メディアと見られた私と友人は、ほどなく学生・市民に囲まれた。
よく見ると、欧米のメディアとおぼしき連中も学生たちに囲まれていた。私は
中国語が分らないので、ただ側に立っていただけだったが、要は現政府の腐敗
や経済状態に対する不満をぶつけていたのである。
欧米のメディアにはTVカメラもあったせいであろう、学生たちは憑かれたよ
うにカメラに向かって何か叫んでいた。しかし友人は小首を傾げながら「なん
かまとまりがないように思わないか?」と話しかけてくる。
確かに、元気は良いのだが、それぞれ小集団に固まって同じようなことを言っ
ているだけなように見えるのだった。ただ、その場の勢いで暴走をし始めたら
怖いなとは感じられた。群集心理というか、自分たちの熱気が熱気を生んで、
取り返しのつかないことにならなければいいがと他人事ながら心配していた。
友人は「おい、革命ってのは案外こんなことから始まるのかもしれんぞ」と、
冗談とも本気ともつかないことを言っていたが、不謹慎ながら私も、少しそん
なことを考えていた。
それに、判官贔屓ではないが、学生・市民が盛り上がっているのを見ていると
その昔「安田講堂の攻防戦」をテレビで見ていたときと同じように、訳もなく
学生を応援したくなる気分になった。権力に立ち向かう学生・市民という構図
は、勧善懲悪の芝居のように日本人好みなのかもしれない。
現在のように比較的自由にニュースを得たり情報が早くなかった当時は、駐在
員同士の横の連絡や、在中メディアからの口コミニュースだけが頼りだった。
ホテルでテレビをつけても、決まりきったものしか放映していないし、だいた
い中国語が分らない私には、外で見る景色と、テレビに映し出される平和的な
映像は、全く別の世界のようでつまらない限りだった。
天安門広場の学生運動の輪が、だんだんと大きくなってきているようで、少々
ドキドキしていたのだが、結局一時的なもので、そのうち静かになるだろうと
も思っていた。中国のマスコミも、大騒ぎしているようには全然思えなかった
し、ホテルと仕事場を行き来しているだけの身には、他人事としか感じられな
かった。
◇ このとおりだと思う ----------------------------------
36人 (77%)
◇ そうではないと思う ---------------------------------- 1人 ( 2%)
◇ どちらともいえない ---------------------------------- 2人 ( 4%)
◇ 知らなかった。そうだったのか〜 ---------------------- 8人 (17%)
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│●│ コメントボードに頂きました感想。
└─┘
┌──────────「ミカの赤い服さん」
hideおじさん、こんにちは。「知らなかった。そうだったのか〜」に投票しま
した。
満州編の記事を執筆いただき、ありがとうございました。当時の様子を垣間見
ることが出来ました。次回からの『天安門事件』編も期待しています。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
祖父が語る満州は、余りに少なく苦労も多かったですが、少しでも当時の雰囲
気が伝わってくれたならば嬉しい限りです。―――満州にも温泉があったとか
スキー場があったとか、日本酒は「満州桜」が旨かったとか、そんなたわいの
な」い話もしていました。
ある意味..ノー天気な祖父でしたが、楽しい話しで悲しい思い出を忘れようと
していたのかもしれませんね、、、。
「天安門事件」は、私にとって非常に大きなインパクトがあった事件でした。
真面目に中国のことを勉強しなければと思ったのも、この事件がきっかけとい
えます。
上手く皆さんにお伝えできるかどうか不安もありますが、これからもお付合い
戴ければ幸いでございます。
└──────────
┌──────────「PACKMANさん」
この通りだと思うに入れました。以前に、藤原ていさん(新田次郎の奥さん)の
書いた「流れる星は生きている」という本を読み、残留孤児の問題にも関心を
持っていますが、ともかく大変なことであったと思います。
過去の現実と、歴史とその認識は一筋縄になれるものではないと思います。
エンドレスな歴史認識論争も否定するわけではありませんが、マイナスにはし
たくないですね。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
PACKMAN さん 私も歴史認識論争も必要なことだと思いますが、戦前の日本が
全て「悪い」とか「良い」とかいう認識は、お互いにマイナスだと思っていま
す。―――人間の行なったことですから、良いことも悪いこともあったでしょ
う。
一方的にお互いを責めてみたところで、感情論になってしまい、先人らが本当
に伝えたかったことを忘れてしまうのではないかと思います。
残留孤児については、まだまだ語られない部分も多いように思います。やっと
帰国された孤児の方々の生活もそうですが、彼らにも、気兼ねなく話が出来る
ような雰囲気になってもらいたいです。
└──────────
┌──────────「まさしさん」
私も台湾からの引き揚げですが、軍人家族が最優先でした。友との連絡も取れ
ず、小学校に集合、1週間後に乗船しました。
兄は将校でしたので、引率の為、我々家族とは本州に着くまで会えませんでし
たが、一般人を置いて帰国したことを引け目に思い、その後の生活は常に損な
役回りをすすんでしていました。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
まさしさん コメントありがとうございます。
きっとお兄様も、自分なりのケジメをつけていたのでしょうね。軍人家族が最
優先だったことは、当時けっしておかしなことではなかったと思います。
満州での場合でも、最後まで残った軍人さんもたくさんいらっしゃったでしょ
うし、残る人も去る人も心残りはあったのではないでしょうか。―--軍の命令
ですから軍人として当たり前のことだったと思いますが、終戦後の身の置き方
を拝見しますと、立派な軍人さんだったのではないかと思います。
楊素秋さんの「日本人はとても素敵だった(桜の花出版)」を読みますと、日本
軍人と台湾人との交流が描かれていますが、お兄様は、きっとこの本に書かれ
ているような方ではなかったかと思います。
└──────────
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│●│ お便りで頂きました感想。
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┌──────────「たろおじさん」
欧米各国の植民地では、宗主国の言葉が文化語として使用されました。なぜか
というと、植民地では言葉そのものの能力が文明内容を表現できない(単語、
文字、論理的な体系など)ことが普通だったからです。
中国では、民衆が話す言葉と文字の一体性が欠如していたそうです。理由は、
極端な方言性のために、発音や文法?までが地方ごとにまるで異なるため。
―――そのために、意味の部分でのみ漢字が機能していた。
意味の部分でのみの機能のために、中央政権の行政を機能させるための文書用
言語として、孔子の末裔が管理する文書係養成機関として、科挙の受検教育が
存在し、孔子の末裔がそのお家元として尊敬されてきた。
----中国山東省にある孔子廟を見ると、歴代の皇帝がお参りしたということの
意味がやっと解るようになります。
科挙で学ぶ漢字は、孔子の儒学の本から来ていますが、それを学んでいた子供
は、日常語と無関係なため、意味がさっぱり解らずにただ丸暗記していただけ
ということです。ーー意味が解るようになるのは大人になってから。
┌--------
ご指摘のように、「北京公官語」というものがありながら「何故日本語を」と
いうのは私も疑問を持ちました。それで祖父に尋ねたところその答えは「体系
化された言語である日本語を使用した」だったわけです。
└--------
ということで「祖父の回答」は、全く正当な理由だったと思います。日本人も
含めた当時の満州で、全員に理解でき、機能できる言語を探したら日本語しか
ないから日本語を教育したのだと。
ちなみに、現代の中国で、広州の人と、上海の人と、北京の人と、大連の人と
日本人が、大連で打ち合わせをしたとき、言葉が通じないので共通語を探した
ら英語しかなかったので、英語で(商売の話を)した・・・ということを聞いた
ことがあります。
今の中国ではアメリカ留学帰りの人も多いですから、そのような現象が起こる
ことは容易に想像できます。(国内取引だったらそうはいきませんね)
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
たろおじさん、詳しいご説明ありがとうございました。祖父もたろおじさんと
同じことを言いたかったのかもしれません。きっと話の前後にそのような説明
をしてくれていたのかもしれませんが、残念ながら記憶にありませんでした。
たろおじさんの説明で、日本語教育がけっして自分らの都合だけで行なわれて
いたわけではなかったと理解出来ました。
「言われてみれば」ですが、香港の人と上海の人が、電話で話しをしても通じ
ないので文字(FAX)でやりとりしていたという話を聞いたことがあります。
面白いジョークだなと思っていましたが、まんざら嘘でもなかったのかもしれ
ませんね。
今ソウルにいます。こちらは、日本領海侵犯違反の対応で熱く盛り上がってい
ます。なんでも、日帝時代に韓国の魚を奪ったから、今の韓国漁民が苦労して
いるんだそうです。ーーこれでまた「奪った」ものが増えたようです。(苦笑)
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
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┃▼▽ 中国ひと口話 ▽▼ by けんさん
┃
☆ 一衣帯水 ――――――――――――――――――――― 2005/06/03
日中友好を語るとき、対で使われる言葉です。
元々の意味は、「あたかも帯びのように狭い川の幅のように隔てが小さい」と
いう意味です。
「南史、陳后主紀」に隋の文帝が使った言葉として、残っています。
私が庶民を救う気持は、父母に尽くす気持と変わらないと、庶民に対する気持
と父母に対する気持との隔ての無さを形容しました。
皆さんも、中国人と親身で交わるほど、なんだ本質的に日本人と同じでないか
と共感を持てる面が多いのではないでしょうか。
違いを感じる。それは、同質な物の再発見でもあります。
異文化と交わる。異国語を学ぶ。異国で商売をする。異国の人と結婚する。
それはまた、再発見の喜びでもあります。
中国で仕事をしている人、留学で勉強をしている人、恋人夫婦として交わって
いる人達の共通の気持を代弁するのが、一衣帯水だと思います。
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ お便りで頂きました感想。
└─┘
┌──────────「小山さん」
以前「けんさんと同い年で、私も大連からの引揚者で懐かしい」などとメール
したことがある者です。
このサイトで出版を知り“けんさんの中国ぶらぶら”を早速取り寄せました。
一気に読了。楽しゅうございました。いや、妹さんの遺体を焼く場面には再び
涙しました。
私の友人に、満州の某地からコロ島(引揚船に乗る港)までの道中で、幼い兄弟
二人を亡くした人がいます。けんさんの妹さんの遺体処理に似た話を聞いてお
ります。また、死んだ赤子を河原の砂に埋めて来て、時に思い出して泣く母親
の話も聞いています。
私が通っていた小学校も避難民の収用所になりました。大勢の人が発疹チフス
で死にました。ーーある大雨の降った翌朝、以前学校の防空壕があった場所に
死んだ人の腕が地表に出ていました。
雨水が、死体の周囲の土を押し流したのでしょう。--怖い思い出であります。
この種の話、共感してくれる人が少なくなり、侘びしく思っております。
「けんさん」なら、私がメールを出したくなった気持ちが解ってもらえると思
います。 ―― 草々 ――
└──────────
▼
┌──────────「けんさんから」
懐かしいメール有難うございます。また拙著早速ご購読下さり感謝致します。
防空壕に捨てられた、裸の凍り付いた遺体が、春の雪融けを前に馬車に何台と
積まれ大通りを行きます。アンペラ(高粱殻で編んだ筵)の陰から手足を突き
出して・・・死んだ子を背負ったまま、無気力に歩く男装の母親・・・
ーー庶民が、腹の底から戦争はもう嫌だと思ったときです。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
↓
◆「けんさんの中国ぶらぶら」出版化!発売中です!
・出版社:文芸社
・書 名:けんさんの中国ぶらぶら=単行本237頁
・著 者:山崎 献
・定 価:1400円+消費税70円=1470円
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┃▼▽ 読者の広場 ▽▼
┃
┌──────────「zhaoさん」
はじめまして、zhaoと申します。今日、休みでずっとHAJIMEさんのおもしろい
記事を読みました。
私も日本に11年の生活経験がありました。ちょうどHAJIMEさんと正反対か、
似たような経験をもっています。
変な質問させてよろしいですか?
ーーHAJIMEさんは男性ですか、女性ですか?
これからも読者にさせてください。
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
お便りですけど、、、こら!!
いつまで休んでるつもりだ!!
└──────────
▼
┌──────────「HAJIMEさんから」
―― ハジメさんは“男らしく”仕事に忙殺されています....。
こんばんわ、zhaoさん.. OJIN さん..、
ハジメさんは、この2、3週間、仕事の山に忙殺されて、毎日帰りが9時10
時11時です。土曜日も会議なんかあったりして、日曜日は家事に追われてい
て....彼氏なんか探すヒマどころではありません....。
40を目前に控えて、いろいろ焦ってやらねばならないことがあるはずなので
すが、あまりに生活がめまぐるしく、そんなことにかまっておられません。
毎日、テレビで共産党が勝手なことをほざいているが、それにいちいち怒って
いるヒマさえなくなってきました。
近頃、自分が男なのか女なのか時々わからなくなり、軍服など着て空母に乗っ
てる夢など見てしまうのは..仕事で疲れているせいかしら?
ーーーこのままではホントに売れ残ってしまいます。いや、もう既にホントに
売れ残っているといったほうがいいのか、そうか。
〜〜〜う〜む、売れ残りだ売れ残りだ。とほほほ....。
中国の株が暴落とか、共産党が崩壊とかウワサはさまざまありますが、ハジメ
さんの女の幸せと、共産党と、どっちが先に崩壊するのでしょうか?
・・・目が離せませんね〜。(‥‥って、他人事じゃないんだ〜〜!)
とっても原稿を書く時間など見つけ出せません。
zhaoさん、温かいお便り心より感謝いたしますが、面白い記事が次回いつひね
り出せるのか、ハジメさんにもさっぱり分かりません。ーーー請原諒一下!!
それにしても、純ちゃん、靖国参拝、ありがとう!!
共産党に何を言われても、負けないでね!!
私も遠い深センから純ちゃんを毎日応援してるわよ!!
皇国の興廃この参拝にあり、だね!!
└──────────
┌──────────「Arui@天津さん」
OJIN さん、eーbank銀行の手続き始めました。
口座を開設して受け取るにしましたところ、口座開設までしばしお待ちくださ
い・・になりましたが、この しばしというのは、何時間?何日?なんでしょ
うか?
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
Arui@天津さん、ありがとうございます!
さてこの手続きなんですが、、結構時間がかかります。ーーーおおよそ1ヶ月
ぐらい?、、早く終った方もいらっしゃいますので一概には言えませんけれど
大部分の方の進み具合からするとそんな感じになります。
ネット上の銀行ということで、入念に慎重にやっているんだとは思いますが、
以下のような声も頂いています。
「貴サイトへの寄付、手続き終わりました。が、Eバンク担当者に言いたい!
手続方法を、70才の爺にも解る様に要領良く説明しなさい!難しかった..」
ーー皆様本当にご苦労頂いているようでございます。ありがとうございます。
└──────────
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┃▼▽ みつけよう面白・有益メルマガ ▽▼
┃
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┃▼▽ あとがき ▽▼
┃
「天然くておをげそこは」・・・・どうしても気になるヘンな日本語(?)。
干し椎茸の外袋に印刷されているんですが、??
これが最後のお願い!ーーどなたか謎解きしていただけませんか..。
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ではまた、ホントに愉快な月曜日号!で、お会いいたしましょう!(^o^)丿
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