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┃ ☆ 月 曜 版 ☆ ≪ WEB 熱線 第539号 ≫2005/04/04_Mon ++++ ☆
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┃ ☆ WEB 熱線 ☆ ―― アジアの街角から:亜洲街巷信息 ―― ++++ ☆
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◇―――――― 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿 ――――――◇
│
│1.週3回・月水金のお届けですが、月→水→金 という流れではなく、
│ 「月→月」「水→水」「金→金」というサイクルになっています。
│
│2.タイトルは同じですが、月曜日号・水曜日号・金曜日号は、それぞれ
│ 別々のマガジン、と理解してもらったほうが分かり易いと思います。
│ 更に頻繁不定期で「アジアビジネスの現場から」号が配信されます。
│
│3.ライター兼編集発行の私OJINと数人のライターさんで執筆しています。
│ ___________________
│4.バックナンバーは → http://chinachips.fc2web.com/aaa.html
│ 「アジアの街角から題字の右横」→「バックナンバー書庫」
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┃▼▽ 寄稿エッセイ ▽▼ by 東京の老上海さん
┃
☆ 夜な夜な上海ぃぃぃ♪(の第1回目) ――――――――― 2005/04/04
OJINさん、皆さんこんにちは、東京の老上海です。
"夜な夜な先生"のこの老上海、これまで上海と関わってきた12年間の思い出
をめくり、ささやかなエピソードなどを綴ってみようと思います。
今からちょうど12年前の1月、合弁会社設立を目論んで、一番苦手な飛行機
に乗って初めて上海に飛び、中国とはどのようなものなのか..小姐はドンナか
な〜..と、仕事と遊びを兼ねた視察行に赴おもむいたのでした。
泊まったところは錦江飯店(現在の新錦江大酒店はなかった)。
立派ではあったが古くさいホテル。ーー隣の花園飯店は超立派なのに・・・。
でも、通訳氏曰く、上海では一番有名なホテルよー。
この時泊まったのは最上階だったかな?、その数日後がちょうど春節で、かの
トウショウヘイさんもお泊まりだったらしい。ショウヘイさんが如何なる人物
であるのかは勿論知っていたが、まさか小姐なんか相手にはできないんだろう
し、私の幼馴染みのジゴロ昭平のほうがまだいいやと思った。
その春節の大晦日の夜、ちょうど除夜の鐘の時分に、横浜中華街とは違った味
の中華料理を堪能し..小姐のご案内も紹介もなくベットに入った直後、戦争が
始まった?!
パンパンパン!どっかーん!どっかーん!パンパン!バリバリバリバリー!!
!?何事?!
慌てて窓へ駆け寄って表を眺めてみても、ホテルの低層の部屋のベランダしか
見えず、延々と続く鉄砲(?)の音に訳が分からず、中国になんか来るんじゃな
かったな〜〜と一瞬後悔した。
〜〜まあその時はそうじゃなかったからよかったけど..もしもナニの最中で、
腹上ショック死でもしたら、正月早々笑いモンでしょう。(^^;
この銃声(?)が、爆竹と花火の音だと分かって安堵したのは、1時間ぐらい後
で、通訳氏から「新年好」の電話がかかってきてから。
ーーしかし新年のこのドンパチ、
聞いてはいたけど、何せ初めての異国の地での驚天動地の出来事に、心地よく
酔っぱらって、これから出会うであろう美麗な小姐の事など想像して胸膨らま
せ..胸と同じく膨らんでいた息玉も..ちぢかんじまった....。
その音もさすがに零時を過ぎる頃には止んで..何時しか寝込んでしまったが、
!?今度は朝っぱら早々からなた始まりやがる!?
―― 街中は、上海は、なんて汚ねえところ!!という印象が強烈だった。
タクシーは小さく「これで車検受かってるのかヨー!」てなオンボロ車だし、
運転手の身なりも、お上りさんがアルバイトしてるような具合だし、、。さら
に驚いたのは、車と歩行者の大戦争。
これではドンナ綺麗な姉ちゃんが一緒でも、お手々繋いでひょいひょいリード
してあげるのはとても無理だなあ〜、と、呆れながらオタオタ。
ちょっと下町のほうとか裏通りになると、夜になっても明かりが灯らず真っ暗
で、こんなところに誰か住んでるのか?青森の田舎のゴショガワラじゃあるま
いし、電気もネーのか!(五所川原の人スミマセン..歌の文句なもんで..)
そしてもう至るところゴミだらけ、、、おい..袋のまんまブン投げてるぜ..。
女はといえば、パジャマやネグリジェ姿で平気で外を歩いているし、座っても
大股開き!?・・・ミニスカートならまだ目の保養にもなるけど・・・。
「ガーガー、ペッペッ!」も、しょっちゅう。汚ッタネー。
「俺の耳元でやるなぁぁぁぁ、コンチクショー!」
小姐といえば、綺麗な姉ちゃん皆日本留学?ーー残ってる(見かける)上海小姐
はどれもこれもブスばかり!?
それとも?----夜の姉ちゃんはカッワイーのかも..と自分なりに想像したり。
けれど、ホテルはそれなりに高級高層ホテルもあり、建設もあちこち始まって
いました。
前置きが(スンマセン、今までのは前置きなんです)大変長くなりましたが、
―― ここからが本番の我が[[夜な夜な上海]]12年の足跡の始まりザンス。
当時、日本ではキャバレー時代が終わり、スナックが全盛の頃。
中国一番の上海、にも当然あるものと大期待。??しかし..見あたらない??
日本料理屋も..あるにはあったが..居酒屋が1軒だけ。とりあえず入ってみた
ら..通訳が必要な(日本語が全然通じない)異国風居酒屋。お味のほうも..日本
とはナンカ違う旨さ(?)だったように記憶している。
バーはどこかにあるらしいけど、何処にあるのかが分からない、、、。
でも根性で見つけたーー。バーやスナックではないけどカラオケ店!
さすがは我が社の通訳、上海人!「おまえこそ真の老上海だ〜〜!」
ーー外灘を東へ、江蘇州河の外白渡橋を渡ったロシア大使館の隣。2階へ上が
ると服務員が2人だけしかいない?----(ガッカリ)
お客はロシア人で、隣の大使館員とか船員(?)のよう。
フロアーは結構広くてダンスも出来る。歌う時は一段高くなった場所がある。
さすがに日本発明のカラオケ、日本の歌はバリバリある。でも日本人の姿は影
も無し。ーーこんな服務員小姐2人だけのところに来たって、飲み物や果物を
運んでくるだけ。----話し相手になってくれるワケじゃないし、日本人には合
わないんだなーー。
と、諦めかけていたら..?..見っけたー!、何故か光の当たらないところに、
4人掛けのボックスが4列ぐらい並んでいるのを見つけたのだ!!暗くて良く
見えなかったが、恋人同士なのか?二人一緒に座って、なにやら蠢いていた。
〜〜私には当然イチャツイテいるように見えた。
そうか!、此処は逢い引きの場所にもなっているんだ!!
ロシア人と上海小姐かな??よ〜し!そうと分かれば相手を探さなくちゃ。
わが輩にも希望が湧いてきたが、当日では如何ともできない?..このホロ酔い
で気分のいい時にドーするのぉぉ!..そこでハタと思いつく頭の良い私。(^^)
〜〜通訳氏の奥さん(若くて美人)を借りてチークダンス〜〜。
柔らかなボディの膨らみに触れてたら....小弟弟=オ*ン*ン)もチョビッと
目覚めてしまい・・・・通訳氏に、
「小姐のイッパイいるとこないの〜、私行きた〜〜い!」とせがむと、彼曰く
「これまで馬鹿な日本人で30万円ボッタクラレタ奴、何人もいるんだよー、
それでもイイのッ!」と一喝された。彼のカミさんが、隣で大笑い、、、。
まあ、ナンボ何でもそれは困る..いくら1元25円が15円になったからって
高過ぎるよぉぉぉぉぉ お〜〜んん。
その後、1〜2年通ったら、その店は区画整理でなくなってしまった、、、。
ーー5〜6人で行っても、ビール飲んで長いこと居座っていても130元ぐら
いで、ほーんとに安かったのに..残念。
95年ぐらいから上海もドンドン変わってきて、日本帰りの兄ちゃんか?下手
くそな日本語で「あなた日本人ですかー?オンナ紹介ダイジョウブヨーー」。
ッて..「お前、何しに日本へ行ってきたか?ポン引きの勉強か?我不要不要」
あるとき通訳氏が「新しいホテルができたから行きましょう!そこにはそれら
しき小姐がいるんですよ」「へ〜、じゃ勉強しましょうかネー、イコイコ!」
・・・・・・・・・・ところがホテルのロビーに着いてみると、
「あら?!あそこいるのは公安!?・・・こりゃ今日はダメだね〜〜・・・」
ーーと、〜〜スゴスゴと戻る・・・。
この年頃から、こんなの、あんなのがあるようになって、我が夜のパトロール
は益々繁忙を極めていくのでありました〜〜。(^○^)
次の寄稿がいつになるか未定ですが、現在に少しずつ近づく"夜な夜な上海"に
ーーーー乞うご期待。(^^;
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
┌──────────
│(^^) OJIN です(^^)
ーー東京の老上海さんは、東西物流サービスという会社を経営されています。
なにをしている会社かといいますと、――日本国内での総合物流業務の経験を
活かして、上海を基地に、多くの現地工場と提携、主に日本の中小企業を対象
に、現地生産・中国産品の輸入などの情報を無料で提供、、と、
ーーまあ、それだけでは商売にならないわけで、物を運ぶ時には是非ウチで!
というのが本業でございます。もちろん日本国内の配送もします。ヨロシク!
└──────────
◇ このとおりだと思う ----------------------------------
62人 (69%)
◇ そうではないと思う ---------------------------------- 8人 ( 9%)
◇ どちらともいえない ---------------------------------- 5人 ( 6%)
◇ 知らなかった。そうだったのか〜 ---------------------- 15人 (17%)
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ コメントボードに頂きました感想。
└─┘
┌──────────「おやじさん」
日清戦争以降の我が国の施策を、私はアジアに対する侵略史として教育されま
した。支那や朝鮮の視点からは、そのように映るかもしれません。それは彼ら
の視点です。
私たちは、曾祖父の時代に世界の有色人種に希望を与えたことは、未来の世代
に声を大きくして伝えるべき事と考えます。このことを評価してくれる国は、
現在でもたくさんあると思います。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
日本は1945年に、戦争で徹底的に敗れるという体験をしました。
それは痛烈な体験でした。忠勇なる陸海軍将士、約百六十万、その他の国民、
約百四十万が戦没したと言われます。しかも、日清、日露の将士が血を流した
ところをすべて失い、犯罪国家の汚名まで甘受しなければなりませんでした。
ーーその傷は未だ癒えていません。
しかし、日露戦争以来変り始めていた歴史の流れが、この敗戦によって「人種
差別の撤廃」という方向が決定的になってゆきます。―――戦前の白人社会で
は、「素朴進化論」的人種観が浸透していて、人種にも発達段階があり、白人
→黄色人→褐色人→黒人とい序列でランクが下がり、その下にオラウータンの
ような類人猿がいるというものでした。
アメリカという国に対するイメージは、昭和の前期と後期では百八十度違いま
す。ーー戦前の日本人にとってのアメリカとは、「日本人を侮蔑する人種差別
の国」であり、いってみれば、少し前の南アフリカ共和国のようなイメージで
した。詳細は後述しますが、日米開戦の前夜は、今の日米蜜月が全く嘘のよう
な雰囲気だったのです。
└──────────
┌──────────「大原敬一さん」
私共は、其の為日本は強い国である、と常に吹き込まれました。
それがアメリカとの無謀な戦争にまで突入させたと思ってます。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
第二次世界大戦に関しては、私たちは詳細な情報をもっています。
参戦国の、政策決定に関する内部文書、当時の政権担当者たちの詳細な日記、
新聞、雑誌の記事、さらには戦争で死んでいった兵士たちの遺書までが出版さ
れ、容易に入手することができます。そのような精密な記録の一部を読まれた
方も多いでしょう。
もちろん、そういった記録を読めば、あの戦争がいかに日本にとって勝ち目の
ないものであったかは誰の目にもよく分ります。また、その勝ち目のない戦争
を指導していた当時の軍部や政府が、いかに無能な集団であったかもよく分り
ます。ーー同じ日本人として、一種、歯がゆいぐらいの思いがするほど、よく
分るのです。
だが、記録を読めば読むほど、「なぜ日本人全体が、あのような勝ち目のない
戦争に平気で突入していったのか?」という疑問ばかり湧いてきます。
??どうしてでしょうか??そして、この疑問に答えてくれる専門家は、なぜ
少ないのでしょうか??
もりろん「あの当時の日本人はバカの寄せ集めだったから、無謀な戦争を始め
たのだ」と単純に決め付けて満足したいた人が多いのは、よく知っています。
また、そういう決め付けに終始するが如き“歴史書”もたくさんあります。
しかし、そのような単純な結論では、何の問題解決にもならないことは、誰に
も分ることです。第一、そんな「バカな日本人」なら、どうして戦後僅か数十
年で、経済や技術など重要な面で、世界のトップに立つような奇跡を成し遂げ
られるのか....それとも..終戦を境に..日本人はまったく別の民族になってし
まったのでしょうか?
ーーこの問題に関しては、少なくとも明治維新前後から現代に至るまでの日本
史と世界史を俯瞰し、全体像としての歴史を見てみる必要がありそうです。
└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」
gosakuさん、こんにちは。「このとおりだと思う」に投票しました。
◆日露戦争に日本が勝ったことについての歴史的な意義について、この通りだ
と思います。北欧のフィンランドは、ロシアの圧迫に長年悩まされ続けていた
ので、日露戦争の日本海海戦を指揮した東郷平八郎さんの肖像がラベルになっ
たビールを今でも愛飲しているそうです。
◆本題の日韓併合については、この原稿だけでは日露戦争とのつながりがよく
分からなかったです。
◆またgosakuさんの記事を楽しみにお待ちしています。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
ミカの赤い服さん、毎々コメントありがとう御座います!
貴方のような方がおられるので、また書こうかという意欲が湧いてきます。
「そもそも、韓国のことなど放っておけばよかったのでは」という意見もある
でしょう。ーーだが、それは戦後の平和な状況に狎れた人の誤解でしょう。
当時、日本にとっては、朝鮮半島の安定こそが生命線であり、この半島に日本
に敵対する勢力が存在するようになることは、即ち「日本の危機」を意味して
いました。日清戦争も日露戦争も、正にその為に起ったのです。
マッカサーは、朝鮮戦争を体験して、そのことを骨身に染みて味わった人間で
す。―――1950年6月25日未明、38度戦を越えた北朝鮮軍はアメリカ
軍に対して圧倒的な勢いを示していました。それは、ソ連と中国の援助があっ
たからです。この結果アメリカ軍は、半島南端の釜山まで追い詰められるとい
う窮地に陥ることになりました。
マッカーサーはそれでも、仁川上陸作戦を決行してソウルを奪還し、とうとう
半島の付け根の鴨緑江まで共産軍を追い返すところまで持ち直しました。
しかし、ここまでやっても朝鮮戦争は終わりませんでした。なぜなら、共産軍
の勢力は依然として大陸にあり、しかも彼らはソ連や中国内陸部から、大量の
人員と兵器をいくらでも補充できたからです。
そこでマッカーサーはトルーマン大統領に、「昔の"満州"を空爆し、敵の本拠
地を完全に粉砕せねばならない。また、東シナ海の港湾を封鎖し、場合によっ
ては原爆も投下しなければならない」と進言したのです。
だが、彼の意見はトルーマンに反対され、マッカーサー自身も解任されること
になりました。その結果、共産軍の反攻が始まり、アメリカ軍は再び南へと押
し戻されて、とうとう38度戦で休戦、ということになったのはご存知の通り
です。
それはさておき、
朝鮮戦争を体験することで、マッカーサーは、戦前の日本がやったことの意味
が痛いほど分ったのです。―――北から、強大な勢力が朝鮮半島に下りてきた
場合、日本を守ろうと思えば、先ず朝鮮半島を守らねばならない。そしてもし
朝鮮半島から敵の勢力を完全に追い払おうと思ったら満州にまで出て行くしか
ないーーー日本にとって朝鮮半島がいかに重要な土地だったのかを、マッカー
サーは、朝鮮戦争を通じて完璧に理解したのです。
└──────────
┌──────────「hideおじさん」
gosakuさん 歴史の流れとしてはこの通りだと思います。
日露戦争から100年経ちますが、いろいろな意味で、この戦争がターニング
ポイントになったと思います。世界の列強に上っていったことは事実ですが、
反対に「驕り」も生れたのではないかと思います。
その後の流れを見ると「もっと他に方法はなかったのか」と思うこともありま
すが、だからといって当時の日本人を悪人にしてよいとは思いません。
日本では感じることは殆ど無いかもしれませんが、日露戦争が世界中に与えた
影響は非常に大きなものです。私が中東諸国とか、北欧・バルト諸国へ行った
際には、必ずといって良いほど「日露戦争」の話が出てきました。
ーーーー「ジェネラル東郷」は今でも有名人なのです。
ちなみに「日本海海戦の検証」は世界の海軍の必須科目になっています。
中近東諸国が比較的親日であるのは、この日露戦争の影響が大きいのです。
そのことを理解している日本人は少ないのではないでしょうか?ーーーなにも
日本製品が優秀だから親日なのではないのです。白人のケツをひっぱたいてく
れた日本だからこそ日本製品を信じてくれるのです。
ーー仕事を通じて強くそのことを感じました。マイナス面はあったとしても、
誇るべきことは胸を張って誇ることが、何故、批判されるのでしょう?
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
繰り返しますが、もし日露戦争がなかったり、日露戦争で日本が勝たなかった
なら、白人にとってこの世はすべて泰平だったことでしょう。
ーー争い事は、自分たち白人の間だけのことだったでしょう。
!!ところがあろうことか、日本が勝ってしまった!!
コロンブスの新大陸発見以降、世界の主流にのし上がった白人は、デカルトや
ニュートンといった思想家を生み、産業革命を起こし、フランス革命を起こし
ナポレオンやネルソンといった名将を生み、新天地アメリカを創り上げ、世界
中の非白人居住地域を植民地にしました。
特に、19世紀になってからの白人の力は正に圧倒的であって、これに対抗で
きる有色人種などはどこにもいなくなってしまったのです。誇張した言い方を
すれば、白人と有色人種との間には深淵があって、その深さは、類人猿と有色
人種とを分かつ深淵と同じような超え難きものがあると信じられていました。
この「白人」と有色人種との間の深淵は、越えられるものであるということを
示したのが日本人でした。「白人」の科学文明や近代的制度が、非白人へも拡
がり得るものであることを実証したのです。
―― 繰り返しになりますが、
ロシアに勝利したことによって、極東の島国の日本と、敢えて争おうと考える
ヨーロッパの国はなくなりました。ーーこれで日本もまた平穏、、なはずでし
た。
ところが、
太平洋の向こう側のアメリカだけは、そうした状況を容認しませんでした。
膨れ上がっていくアメリカの対日憎悪の芽は、確実に発芽成長していきます。
――日露戦争までは日本に対して好意的であったアメリカは、日露戦争以後、
日本を仮想敵国と想定して、着々と太平洋の海軍を増強していくのです。
シュペングラーの論理を適用すれば、アメリカこそ西欧のファウスト的精神、
無限空間に対する憧れと、その征服慾を最も明確な形で発揮した国家でした。
アメリカに移住したヨーロッパ人にとって幸いだったのは、アメリカの先住民
が、極めて人口密度が低く、しかも、多くの民族に分かれバラバラでまとまり
のないインディアン達であったということでしょう。こうした幸運によって、
無限の空間を征服するが如く、遮られることなくフロンティア・スピリットの
おもむくまま、西へ西へと驀進できたのです。
―― 19世紀の後半になって、
ヨーロッパからアメリカ大陸に、大量の白人が渡ってきました。その多くは、
ヨーロッパの中でも、最も貧困や迫害に苦しんだ人々でした。例えば東欧で、
ロシアのために住むところを奪われた人々、或いはイギリスに収奪し尽された
アイルランド人などです。
とくにアイルランド人の場合は、19世紀の中葉、人口900万の島で250
万人もの人口減になったといわれる大飢饉が発生しました。この250万人の
うち、約半数は餓死し、約半数は移民したのです。ほうほうの体で難民同然に
アメリカへ渡って来た者は100万を超えていたと推定されます。
もちろんこういった移民たちは、ようやく大西洋を渡っても東海岸に住むこと
は出来ません。東海岸には既に2百数十年前から、先に来た白人が居住してい
たからです。そこで彼らは、未開の地、西部へと、大平原を横切って拡がって
いきました。ーーところが西海岸の近くまで到達してみると、すでにシナ人た
ちが相当な生活を営んでいました。
彼らはシナ大陸から、チャイニーズ・クーリーズ(苦力)として、鉄道建設のた
めにアメリカへと渡ってきた奴隷的労働者たちでした。アフリカの黒人奴隷は
鉄道建設のような労働には適さず、アメリカインディアンも騎馬民族的気質の
ため奴隷的労働を拒否したので、大量かつ安価、勤勉なシナ人移民が使われて
いました。
ところがチャイニーズ・クーリーたちは、白人以上の知能と勤勉の習慣を身に
つけており、低賃金で働きながらも貯金をし、それによって土地を買ったり、
店を開いたり、ついには金鉱の採掘権まで買う成功者まで出るようになったの
です。それはもう、白人をも凌ぐ勢いでした。
こうした事態を目のあたりにした時の貧乏な白人移民たちの失望、落胆、怒り
はいかばかりであったか..現代の言葉でいうならばフラストレーションです。
こうして、シナ人殺しや、シナ人居住地区への襲撃が始まりました。そのリー
ダーの多くはアイルランド移民でした。―――その行動を動かしたていたのは
シナ人の一つの村を皆殺しにすれば、村全体の土地が自分のものになるという
簡単な理屈であり、かつてのインディアン虐殺とまったく同じ考え方です。
一例をあげれば、ワイオミング州のあるシナ人の村では、16人が撲殺され、
さらに50〜60人以上が焼け跡から見つかりましたが、その他にも発掘でき
ない死体が無数にあったといわれています。―――かくして、生き残ったシナ
人も、経済基盤をほとんど喪失し、白人のカンに触れないようにしてのみ生存
できるという哀れな立場に陥らされてしまいました。
このようなシナ人排斥運動は、ワシントンの連邦政府をも動かし、1902年
には、シナ人移民を完全に禁止する法律を生みだすところまでいったのです。
大西洋に向かってはニューヨークに自由の女神を建て、「悩める者よ来たれ」
とする一方で、太平洋の門戸は完全に閉ざすというアメリカの方針。ーー東か
ら入ってくる白人は歓迎するが、西からの有色人種は許さないという態度が、
この法律によって明確になったのです。
―― こうして壊滅状態になったシナ人に替わって、
太平洋を越えてやってきたのが日本人移民でした。しかもその多くは日清戦争
の後で、つまり、アメリカ人たちが開拓すべきフロンティアの消滅を認識した
1890年頃から移住したのですから、日本人に対する白人の敵意はより強烈
なものがありました。
日本人移民は、シナ人に劣らず勤勉であり、総体としては教育レベルも高く、
しかも「日露戦争に勝ったのだから白人に負けるわけなどない」といった自負
も持っていました。ーーこれらの要因から、西海岸の良好な農地の多くが日本
人移民により開拓され、そして所有するところとなっていったのは当然の成り
行きです。
しかし、これに対する白人の怒りや嫉妬は、真に凄まじいものがありました。
アイルランド人の「十字軍」の復活です。しかし、シナ人移民のように日本人
を殺すわけにはいきません。なぜならば、―――シナ人の場合は、清朝政府は
元来、鎖国時代の徳川幕府のように国民の海外渡航を規制しており、許可無く
して国を出た者は清国民に非ずという政策を採っており、また海外の移民には
関心を持っていませんでした。
なので、こうしたいわば“棄民”であるシナ人を、いくら殺しても清国政府か
ら文句がくるという心配はありませんでしたが、しかし、日本人の場合はそう
はいきません。日本人をシナ人のように虐殺すれば、日本政府から強い抗議が
きて、国際問題になるのは明らかです。
しかも日本は、太平洋に、日露戦争で大勝した連合艦隊という強大な艦隊を持
しており、殊に西海岸のアメリカ人は、心の底に日本の連合艦隊に対する恐怖
心を持っていました。
―― そこで彼らは、法律を変えることで日本人に対抗しようとしました。
つまり、各州毎に次から次へと排日移民法を成立させ、日本人移民を締め出す
という手段をとったのです。―――現代のアメリカをみていても分るように、
この国は、感情的ともいえる法律を平気で作ってしまう「民主的風土」を持っ
ています。もちろん日本政府は、事態を解決すべく外交努力を重ね続けます。
20世紀の最初の四半世紀の日本の対米交渉のほとんどは、日本人排斥問題に
費やされたといってもいいぐらいです。ところが、交渉は好転の兆しがなく、
一歩後退、二歩後退、三歩後退と、後退し続けるばかりでした。
ついには、1908年「日米紳士協定」が成立し、日本は移民をアメリカ合衆
国に出さない、というところまで日本は後退したのです。ーーそして日本政府
は協定を忠実に守りました。なぜなら、すでに移住している日本人移民が更な
る差別を受けることを心の底から恐れたからです。
ーーそして、日本からの移民は、実質的に完全に止まってしまいました。
しかし、そんな日本の態度も、アメリカ人の心を和らげる役にはたちませんで
した。すでに日本移民は美田を持ち、成功を収めていたからです。いくら日本
人移民が禁止されようとも、アメリカ人が日本人を憎み、日本人の土地を欲す
るという構造は変わりませんでした。
日本人移民の、特に立小便の習慣が嫌われたなどといいますけれども、それは
コジツケ的理由でしょう。当時の白人が、いかに土地を欲しがったかは、スタ
イベックの小説「怒りの葡萄」を読まれるか、その映画をご覧になれば実感で
きます。
この小説は、アメリカ中南部で食い詰めた主人公たちが、耕地を求めて西部に
向かうという内容です。日本人の土地を奪うシーンこそありませんが、どんな
苦難を受けようとも土地を求めてやまない彼らが、「約束の地」はすでに有色
人種のものになっている事を知ったとき、それを獲り上げたいという強い衝動
に駆られたであろうことは容易に推察できます。
―― 第一次世界大戦後の
1919年に国際連盟の結成が決まったのですが、この規約作成の場で、日本
の牧野伸顕全権大使が注目すべき提案を行いました。
「連盟に参加している国家は、人間の皮膚の色によって差別をしない」という
内容の条文を規約に盛りこうもうというものでした。
ーーつまり、国家による人種差別は廃止すべきだと訴えたものです。
これは、何十年も時代を先取りした優れた提案で、有識者の多くが日本の提案
に賛意を示しました。しかも日本の提案は、各国の事情を斟酌して、人種差別
の即時撤廃を要求したものではありませんでした。しかし、当時は人種差別に
よって経済が成り立っている先進国が多く、日本の主張は採択されませんでし
た。
つまり、世界で最初にできた国際的な国家連合機関は、「人種差別は今後も続
ける」という判決を下しも同然であり、また日本に対しては「日露戦争の勝利
者ではあっても、先進国の仲間に入ることは許されない」と宣言したものでし
た。
けれどこの連盟の決定は、日本にとってそれほど実害はありませんでした。
―― ところが、
3年後の1922年、アメリカの最高裁判所は「白人と、アフリカ土着人及び
アフリカ人の子孫」だけがアメリカに帰化できるという判定をし、すでに帰化
申請を許可され、アメリカ市民として過ごしている日本人すら帰化権を剥奪さ
れてしまいました。
この中には、第一次世界大戦でアメリカ兵として従軍し、アメリカ市民権を得
た日系人たちもいました。そして翌1923年には、移民に関する憲法修正案
が上院に提出され、内容は、日本移民の子供には絶対アメリカ国籍を与えない
というものでした。
それまでの憲法上の規定は、アメリカで生まれた者には無条件でアメリカ国籍
を与えるということになっていました。いわゆる国籍の属地主義ですが、今回
の修正条項はこれを覆し、しかも過去に遡ってまで適用するという空前絶後の
暴法でした。
既にカリフォルニアなどの州法によって、日本移民がアメリカの土地を取得す
る道は塞がれていましたので、移民たちはアメリカ市民である子供たちの名義
で土地を買っていました。その時の憲法修正案は、その抜け道すらも閉ざして
いまおうというものですから、アメリカ人の排日感情がいかに激しかったが分
ります。
これは例えば、現代の日本で、在日コリア人や、立派に日本国籍を持っている
その子孫たちに対して、土地の所有を禁じ、現在持っている土地も直ちに売っ
て手放すようにという憲法修正案が議会に上程されたのに等しいものです。
ーーそれと同じことが1923年のアメリカで起こったのです。
日本がアメリカに何をしたというのでしょうか?
このような反日的雰囲気の下に、1924年5月「帰化に不適格なる外人」に
関する移民法にクーリッジ大統領が署名します。これが「帰化不能外国人移民
法」といわれるものです。これによって以前の日米紳士協定は一方的に破棄さ
れ、日本人移民は実質上禁止された事になりました。
―― こうして、
日系人の地位は、1882年以降のシナ人と似たものになってしまいました。
日露戦争に勝っても、黄色人種の日本人は、アイルランド人に比べても下等人
種と見なされたのです。日本は、アイルランドを支配しているイギリスと対等
の同盟国なのに、アメリカでは下等民族扱いされました。
それまでは、日本人の大部分は親米的でした。しかしこれ以後、日本における
対米感情は反米に変わっていきます。それは当然の成り行きであり、アメリカ
大使館の前で割腹する人さえ現れました。―――この法律が生まれたことは、
日本のみならず、アメリカにとっても不幸なことでした。
日本政府自体はアメリカとの協調外交を継続しようという意志を持ち続けてい
たにも関わらず、この法律以降は世論が許さなくなってしまったからです。
なぜアメリカの言うことを聞いて妥協ばかりするのか、と議会で言い出されれ
ば、いかなる政治家、どんな外交官でも答弁に窮するのです。
―― かくして、
もうこの時期、すでにアメリカ政府中枢部の腹の中には、十数年後の日本叩き
日米開戦のプランが出来上がっていたと思われる節があります。――アメリカ
国内ではマスコミを総動員し、「絶対的排日移民法」が成立しなければ、程も
なくアメリカ国土は日本人に乗っ取られるという恐怖心を煽り、これを連邦法
として成立させ、
また、シナ大陸に「抗日・侮日」を焚きつけて経済的封鎖を目論み始めます。
その後アメリカは、日英同盟を解消させ、さらに開戦前にはABCD包囲網を
作って日本を経済封鎖し、鉄鉱石の一塊、石油の一滴さえ入れないようにしま
した。いうまでもありませんが、国内に資源のない日本にとって、石油や鉄が
なければ、二十世紀の国家として存続し得ません。それを全く封じてしまおう
というのですから、これは日本に「死ね」と宣言しているに等しいことです。
実際、これによって日本は瀕死の状態に陥ります。
最初、海軍は対米戦争などやる気はありませんでした。が、禁輸によって石油
の備蓄を食い潰すしかないという昭和16年に至って、はじめて開戦を決断し
ます。ーー山本五十六ほどの人でさえこの頃には「海水から重油が採れる」と
いう詐欺師に騙されたほど追い込まれてしまっていたのです。
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── みんなで作ろう!日中友好・遊学の大っきな輪ッ!!──
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┃▼▽ さまよいたゆたう花心 ▽▼ by 李愛玲さん
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華やかにさんざめく麗美妖艶、嫋嫋たる中国(カラオケスナック)小姐の光と影
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☆。○ 〜〜〜 紅いチャイナドレス No.007 〜〜〜 O・。○
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。・_________________ 2005/04/04 2002/08/06・ ○・
わたしたちは女の子なんだから、その時の気分次第でどういうふうに流れても
いいのに....野暮天さんだと、せっかく燃えかかった花心も冷めちゃう‥
あの人とがいちばん気持ちよかったな‥‥遊ばれてることは判ってたけど‥‥
★。、∴。.::*・::。∴.::・'゜☆∴。‥.::・'゜★。、::。*∴.☆::・∴
オンナなんて、ホントにかわいいものです。、、、鬼にもなり、蛇にもなり、
はたまた菩薩ともなり、、仙女にも変わります、、、、。
けれども、オンナがどんなになるのも、、すべて、、男しだいでございます。
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あずみは、スラリとした肢体で脚が長く、尻が張ってよく発達していますが、
横に広がっているのではなく形良くうしろに張り出し、
歩く時など、その張りきった肉づきがムリムリと律動いたします....。
股の切れこみは、尻の盛り上がりを割り込むように切れ上がっていて、
それが、脚線の美しさをいっそう際立たせています....。
腰のくびれは、、、両の掌で強くおさえつけると、左右の手指の先が触れて
しまうぐらいに細くくびれ込んでいて、、やわらかな下腹でございます。
下腹に続く、、、
・'゜☆。.:*:・'゜★ 第一話 あずみのひとり言(7) ★゜'・:*:.。.:*:'
内腿をさすってた掌が、
すこ〜しずつだんだんと、奥のほ〜まで伸びてきた..、
ゆ〜っくり、ゆ〜っくり、
いったりきたりしながら、
少〜しずつ、少〜しずつ、
奥の方に手が動いてくる。。
そしたら、
なんだかアソコが変な感じになってきちゃった、、
なんていうかな、、
ちょっとだけこそばゆいような、、
ムズムズするような、、
誰かに触って欲しいような、、
かゆい?みたいな、、
腰が自然に、勝手に持ち上がって前のほうへ出てっちゃう
カラダはもっと震えてくる、、
それまでは息がおっきくならないように、
聞かれないようにガマンしてたんだけど、
もうガマンできなくて、口を開けてハアハアいっちゃった。
膝っていうか、太腿の肉はピクピクピクピクしてくるし、
アソコはすごい熱くなった感じ、
腰がもっともっと前のほうへ前のほうへ、、
なんか、、
触ってくれないとアタマが変になりそうな感じ。
だってもうヒクヒクって動いてるのが分かるんだもん。
どこが?
中がッ!
それでも男の掌は、
ソバまできてはまた離れちゃう
ソバまできてはまた離れちゃうを繰り返してて、、
もうガマンができなくなって
男の腰にチカラ一杯しがみついちゃった。
顔? うーーんと、
こうやってしがみついたんだから、、
ちょうど男のおなかの前だったヨ。
男のアレ?
おっきくなってたのがハッキリ判ったヨ。
だって顔に当るんだもん。
んー、まだズボンから出してはなかったけど、、
ねえぇ〜、こんな話をさせるから〜、、
思い出してヘンな気持になってきちゃったよ〜
:~゜★。、この次にお逢いする刻まで、待っていて頂けますか? ~゜☆。.::
。.::・.゜☆∴。‥.::・.゜★。、::。*∴.☆::・.゜★。、∴。.::・.゜☆
☆ ☆
☆ ☆ これは..限りなくノンフィクションに近いフィクションです。☆ ☆
☆  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ☆
今日のひと言・・まず、ものほしそうにして慌てないこと! いくらこっち
○.::・.゜☆∴。‥.::・.゜★。、::。*∴.☆::・.゜★。、∴。.::・.゜☆
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┃▼▽ あとがき ▽▼
┃
当誌で何度か記事を転載させて頂きました「ロシア政治経済ジャーナル」が本
になり出版されたことはご紹介させて頂きましたが、その後どんな按配??と
売れ行きを気にしておりましたら、、
誌面トップに当誌が紹介されている3月28日の発行号が配信されてまいりま
して、、記事の前に「今回は重要なお知らせコーナーがあります。(号外じゃ
ないですよ)」という告知が書かれておりました。
??
なんじゃらホイな?と記事をすっ飛ばしてその「重要なお知らせコーナー」を
覗いてみましたら、、、おおお!!
出版された「ボロボロになった覇権国家(アメリカ)」が「週刊東洋経済」にて
紹介された!という朗報でした!ーーこれでまたまた売れ行きに弾みがついて
もしかするとベストセラーも夢じゃないかも!?
北野さん、加油!加油! 頑張ってくださいねー!!
┌─────────「ロシア政治経済ジャーナル:あとがき転載ここから」
★なんじゃこりゃ〜〜〜〜!!!!!!!
金曜日早朝(モスクワ時)、私はファックスの鳴り響く音で目を覚ましました。
ファックスは風雲舎さんから、そこには、
「お世話になっております。東洋経済に掲載された記事をお送りいたします」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
北野「東洋経済???」
もしや、
あの経営者・ビジネスマンの必読誌、日本一の経済誌「週刊東洋経済」では?
ああ、まさにそのとおり。なんと、
「週刊東洋経済」3月26日号145ページに「ボロボロになった覇権国家
(アメリカ)」が大々的に紹介されていたのです。
何が書かれていたのか?ーー長いので、一部を抜粋しておきます。
全文は「週刊東洋経済」3月26日号をご一読ください。
┌--------「引用ここから」
★意外に売れてるこの一冊
「なぜ米国は戦争をするのか、国際力学の霧が晴れる」
----中略----
「渡されたゲラを読んで《小難しいアメリカ本が多い中で、中学生でも読める
ぐらい分かりやすく書かれているうえ、内容が新鮮》と好印象を持った。
平台に積んで約2ヶ月、同店(RPE注:丸善丸の内本店)では一日一冊ペース
で売れている」
----中略----
「しかしそんな懸念(RPE注:うさんくささ)はすぐ吹き飛ぶ。それは、アメ
リカが大暴れする国際社会を、ロシアという今や絶妙なポジションから切り取
る著者の冷徹な分析力だ」
「外交官とKGBの養成所であるモスクワ国際関係大学を卒業。自治共和国で
大統領顧問を務めた後、国際情報解説の発信を開始、人気メルマガに育てた」
「プーチン大統領の側近に言われたという《特定のイデオロギーを盲信しない
ように気をつける》《真実は立場によって異なる。多角的な見方を》との姿勢
が、日本の上っ面の海外報道を覆す」
「分かったような分からないような、アバウトに理解したつもりでいた人は、
読んでスキッとすること請け合い。“目から鱗”と感嘆するファックスが多い
こと自体、平和ボケの日本人である証拠のよう」
└--------「引用ここまで」
└─────────「ロシア政治経済ジャーナル:あとがき転載ここまで」
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ではまた、ホントに面白い!水曜日号でお会いいたしましょう!(^o^)丿

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