| Mail-Magazine Back Number |
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┃ ┌─────┐ ┌──────────────────┐ + ☆
┃ ☆ 金 曜 版 ☆ ≪ WEB 熱線 第526号 ≫2005/03/04_Fri ++++ ☆
┃ │ (*^−^*) │ ├──────────────────┤ +☆
┃ ☆ WEB 熱線 ☆ ―― アジアの街角から:亜洲街巷信息 ―― ++++ ☆
┃ └─────┘ └──────────────────┘ + ☆
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┌―――――――――――☆☆ 今号の目次 ☆☆―――――――――――┐
│
│・ごあいさつ ------ 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿
│
│・祖父の懐旧談録 -- 朝鮮編(1) --------------------- by hideおじさん
│
│・マレーシアナウ -- ハイテク集積地に変貌する穀倉地帯クダ
│ └------------------------------ by 坪内隆彦さん
│
│・エッセイ -------- バリ島のビッグイベントがやってくる!
│ └-------------------------- by 美龍@バリ島さん
│
│・読者の広場 ------ HAJIMEさん・ヒデさん。
│
│・あとがき -------- ベトナムのThanh さぁぁぁぁぁぁぁんんん!!!
│
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
◇―――――― 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿 ――――――◇
│
│1.週3回・月水金のお届けですが、月→水→金 という流れではなく、
│ 「月→月」「水→水」「金→金」というサイクルになっています。
│
│2.タイトルは同じですが、月曜日号・水曜日号・金曜日号は、それぞれ
│ 別々のマガジン、と理解してもらったほうが分かり易いと思います。
│ 更に頻繁不定期で「アジアビジネスの現場から」号が配信されます。
│
│3.ライター兼編集発行の私OJINと数人のライターさんで執筆しています。
│ ___________________
│4.バックナンバーは → http://chinachips.fc2web.com/aaa.html
│ 「アジアの街角から題字の右横」→「バックナンバー書庫」
◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
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┃▼▽ 祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ▽▼ by hideおじさん
┃
☆ 祖父の懐旧談録:朝鮮編(1) ―――――――――――― 2005/03/04
以前にも述べましたが、感情的な反日・反華・反韓は私の意のするところでは
ありません。また、日本の過去の行いの全てを肯定するつもりもありませんし
中・韓の言い分をそのまま鵜呑みするつもりもありません。――私が幼い頃、
祖父より聞いたことを、そのままお話しさせて頂き、そこから、当時の日本人
がどう生きてきたのか、読者の皆様にご判断頂きたいと思います。
私達の祖父・祖母、父母、そして先輩らが経験したことを伺うことは、きっと
教科書や偉い先生が書かれた書物より重みがあるものと信じています。
私の話は、連載記事を出されている諸先輩のように、いろいろな書籍で確認し
た訳でもなく、勉強をした訳でもありません。 確実性には乏しいとか、史実
と違うとか、時間系列が違ういうご批判を頂くことは重々承知しておりますが
あくまで私の祖父から伝え聞いたことを、「思い出すままに書き溜めたもの」
とご理解ください。
文中「日本人」「朝鮮人」とありますが、祖父は半島人=朝鮮人)、内地人=
日本人)と言っていたものを私が勝手に変更したものです。
―― 私は、昭和32年、北海道のど田舎で生まれました。
家族は、父と母、そして母方の祖父母と一緒に暮らしておりました。所謂「じ
いちゃん子」だった私は、何時も祖父に手を繋がれて散歩をしていた記憶があ
ります。その頃の楽しみというと、夕方、公園でテレビを見ること。たくさん
の人が公園に集まってきて、食い入るようにテレビを見ていました。
そんな私が生まれた町には、当時、樺太や満州からの引揚者がたくさん住んで
いて、彼らは、一般の住民とは隔離されたような形で「引揚住宅」と呼ばれた
所に住んでいました。そこには、樺太や満州へ移住していた日本人、朝鮮人、
中国人などが混在していました。
その「住宅」とは名ばかりのバラックのような住居は、子供の私の目でも奇異
に映ったことを覚えています。近所の人から「あそこに行ってはいけません」
ときつく言われ、彼らに「赤痢」や「疫痢」の患者が出ると、それみたことか
と軽蔑の目が向けられていました。近所で盗難事件があったり、問題が起きる
と、「引揚者じゃないか」とか「やつらに間違いない」とかの風評が立ってい
ました。
学校に行っても「やぁーい!引揚者」とか「臭い、臭い!」と馬鹿にする言葉
を投げつけることも多々あったように記憶しています。冬、だるまストーブの
暖かさに誘われたのか、前の席にいる引揚者の子供の背中を虱[しらみ]が這っ
ているのを見て、授業も聞かず飽きもせずに眺めていたことを覚えています。
今から考えると、同じ日本人である彼ら、また日本人であった彼ら半島人や台
湾人が、何故このような差別を受けていたのか不思議でなりません。子供だっ
たとはいえ、自分でもずいぶん酷いことをしたものだと後悔しています。
当時は、引揚者の子供だけではなく、何日も風呂に入っていないような子供も
たくさんおり、先生が時々、T字型の噴霧器でDDTを頭に蒔いていました。
私もDDTの洗礼を受けましたが、あの何ともいえないDDTの臭いは、今で
も忘れられません。
そんな中に、引揚者であった先生がおられ、DDTの後、虱取りの櫛で児童の
ひとりひとりの頭を丁寧に梳いてくれたことを覚えています。その時の先生の
何かを噛み締めるような寂しげな表情が忘れられません。
子供の私達は、取れた虱を「プチッ、プチッ」と潰すのがまた楽しく、虱取り
の時間を待ち遠しく思ったものです。東京にお住まいの方は、到底信じられな
いとお思いでしょうが、北海道の田舎では、昭和30年代中頃までこのような
風景は珍しくはありませんでした。
当時、まだ木炭バスが走っていましたので、その田舎具合というのが想像出来
るかと思います。文化水準というか、時間というか、東京とは10年は違って
いたのではないでしょうか。
―― そんな引揚者の中に、
今でいうところの“強制連行”されたと思われる朝鮮人や中国人も多く住んで
いました。私の祖父は、周りの注意などに耳をかさず、私を連れては引揚者、
特に朝鮮人のところへ行っていました。何故かは分りませんが、祖父はそんな
彼らと親交をあたためていたように思い出されます。
周りからは「あそこの爺さんはアカ=共産主義者)だ」と言われながらも平然
としていた祖父を「カッコいいな!」と少し誇らしく感じたものでした。
祖父は、乏しい懐の中から、彼らの生活の面倒をみたり、一般住民との交流を
深められるようにと努力していました。子供の私は何も理解出来ず、ただ祖父
にくっついていただけですけれど、流暢な韓国語や中国語(だと思います)を話
す祖父は私の憧れでもありました。
今でも強烈に覚えているのは----所謂「帰国事業」がピークを迎えていた頃で
はなかったかと思うのですが----祖父は、引揚社宅に住んでいた朝鮮の人々が
北朝鮮に帰るのを必死で止めていたことです。
「北朝鮮に戻っても苦労するだけだ!」
「ソ連からどれだけ酷い目にあったかを忘れたのかッ!」
という祖父の、ーー怒りともつかない言葉が忘れられません。
帰国を勧める人がやってくると「帰れ!また同じ目に遭わせるというのか!」
と怒鳴り散らしていました。勿論私は、何の事を言っているのかさっぱり理解
出来ませんでしたが、その強い意思だけは伝わってきました。
――最後には役場の人間から、「国の決定だから」と言われ、悔しさを滲ませ
ておりましたが、変人・奇人と思われながらも何故そこまでするのか、
今思うと、祖父が満州から逃げ帰って来たときのソ連軍の残虐さを目の当たり
にしてきた体験から、社会主義を唱えている北朝鮮が、祖父からすれば「同じ
穴の狢[むじな]」と思っていたのではないかと想像しています。
「帰国事業」といっても、今ひとつピンと来ない方もいらっしゃるかと思いま
すが、これはまた別途にお話ししたいと思います。――ここでは簡単に、戦前
戦中から日本に居住している朝鮮半島出身者を、「人道的見地から故郷へ帰し
ましょう」とした政策、とご理解下さい。
それでも祖父のところには、祖父が亡くなるまで毎年のように、在日になった
人々や、韓国から訪ねてきた人が訪れいました。 みんなとても流暢な日本語
で話しをしていて、「あの頃は良かった」的な話題で盛り上がっていたことを
覚えています。――その時の祖父らの顔は生き生きとしており、一所懸命国造
りに携わった者の威厳というか輝きを感じたものです。
中国出身の人は彼らなりに、朝鮮の人も彼らなりに「(当時の日本)国」を愛し
て、日本(本土・内地)に負けないような「(朝鮮)半島・満州」を作っていこう
と努力していたことは、事実として記憶されなければならないと思います。
先にも述べましたが、その韓国人・中国人の人々から「無理矢理連れてこられ
た」とか「騙された」という言葉は、ついぞ聞いた覚えがありません。特に、
「金さん」という人は私を可愛がってくれましたが、引揚住宅の住民みんなに
遊んでもらったことが忘れられません。
一般の住民らとの軋轢はあったのでしょうが、貧しいながらもみんな明るく過
ごしていたように思えます。ですから、私としては今の韓国における反日感情
というものが、いまひとつピンと来ないのです。
それが今の彼らにすれば、「反省していない」ということになるのかもしれま
せんが、幼かった私には、今のような反日感情みたいなものを彼らから感じる
ことがなかったのは確かです。反日であれば、日本人の、ましてや朝鮮総督府
の役人だった祖父のところに、あれだけたくさんの韓国の人が来るはずがあり
ません。ーーやはり何かがあると考えるのが自然なのではないでしょうか?
私は、日本の「正しい歴史認識」を韓国・中国に押し付けるつもりはありませ
ん。我々が100点満点正しいと思うことでも、相手の受け取り方では零点に
なるなどということは、普段の生活の中でもよくあることです。
「良かれ」と思ってやったことが「ありがた迷惑」だったり「余計なお世話」
だったりすることもあります。ですから、私は単純にあの時代の日本の行動を
正当化して、それが「真実」だと無理強いしても仕方ないと思っています。
ーー勿論、韓国や中国が主張することも、無理強いされるものでもないと思っ
ています。
歴史は「事実」の積み重ねであり、そこから自然に導かれるものを直視するこ
とが大事だと思うのです。――まぁ現実は綺麗事ではいきませんけれども――
= この稿おわり =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
↓
祖父の朝鮮・満州懐旧談録「朝鮮編(1)」は、
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
◆尚、「HATさん」の疑問に対しましては:
┌──────────「gosakuさんから」
「HATさん」への答復は、これまでコメントを頂いた方々への答復と重複する
部分が多く、あらためて答復するまでもないような気がしますので割愛させて
いただきます。これまでの僕のコメントをすべて読んでいただければ、答えは
出ているのではないでしょうか。
◇ 面白愉快有益! (^○^) -------------------------------
49人 (64%)
◇ まあまあかな〜(゜.゜) ------------------------------- 13人 (17%)
◇ 知らなかった「謝謝!」 ------------------------------ 14人 (18%)
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ コメントボードに頂きました感想。
└─┘
┌──────────「ミカの赤い服さん」
hideおじさん、こんにちは。「面白愉快有益!」に投票しました。
◆まずはライターデビュー、おめでとうございます。面白い記事を期待してい
ます。
◆『ジニ係数』という言葉は初めて知りました。何となく今まで持っていた、
その国の社会のイメージとだいたい一致する面白い指標ですね。
データが無いかもしれませんが、北の某国の数値はどれくらいになるのでしょ
うか?おそらく、中国よりもずっと高いでしょうね。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
ミカの赤い服さん、コメントありがとうございました。 ライターデビューし
たものの、いかにみなんさんに楽しんで頂ける記事を書けるかどうか、責任も
感じております。 右側、左側ということではなく、1社会人が見たこと感じ
たことを、ありのままにお話ししたいと思っております。
ジニ係数というのは馴染みが薄いですが、その国の実態を表す指数として判り
やすい指数といわれております。 ただ、決してその国の「幸福度」を表して
いるものではありません。 貧乏でも「幸せ」と感じることもあるでしょうし
お金持ちでも「不幸」と感じる人もいるでしょう。
何がその人にとって「幸せ」かは、個人差がありますから、中国は不公平で多
くの人は不幸せだとはいえないでしょう。 ただ、行き過ぎた拝金主義は中国
本来の「良さ」を損なってしまうのではないかという危惧を抱いております。
北の国は、当たり前というか、ジニ係数に関しては詳しい資料はありません。
そういう統計すらないというのが実情です。 表向きには税金が無く、教育・
医療費は全てタダ、国民皆平等ってことになってますので、限りなく「ゼロ」
に近い数字がはじかれるでしょうけれど、だれも信じる人はいませんよね。
└──────────
┌──────────「うしさん」
日常的なビジネスの現場から見えてくる様々な事象は、売文や視聴率目当ての
マスコミとは異なり、地味ながら確実に社会の構成部分を表していると思いま
す。
そういう意味で、hideおじさんの感じた事柄を楽しみに拝見したいと思ってい
ます。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
うしさん、ありがとうございました。 これからもなるべく一人の会社員とい
う視点からアジアを見ていきたいと思っております。 日本のマスコミ(日経
新聞など)は、中国の良いことしか伝えませんけれど、失敗や撤退という憂き
目にあった事例も数多くあります。
「勝った」ことから学ぶより「負けた」ことからこそ学ぶべきことが多いとも
思っております。浮かれず、また悲観的にならず、これからお話ししていきた
いと思っています。
└──────────
┌──────────「PACKMANさん」
愉快というより有益でした。北京や上海を見る所得水準も高いと思うし、少し
横にそれると、日本の昭和20年代後期みたいだし、これがジニ係数に表れて
いるのですね、フムフム。続きをお願いします。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
記事にも書きましたが、日本でも年々このジニ係数が上がってきております。
勝ち組み、負け組みという言葉の意味のひとつには、収入格差の問題もあるか
と思います。 ある程度の差というのは「良い刺激」となるでしょうが、中国
のように、表と裏では大違いというのは国民に不満だけを与えるだけのものと
みられても仕方ないでしょう。
ちなみに、この係数は住んでいる場所、年齢層、家族構成などでも算出されて
おりますので、詳細を分析した上で中国政府も対策を取ろうとしておりますが
どうなることでしょう?
日本の場合は、60歳以上が国民の「富」の70%を抱えているという数字も
あります。 これも異常な数値であることは異論の無いところでしょう。この
ような統計もあるので、最近熟年層に対する負担増が叫ばれているのではない
かとも思っております。
住宅購入や教育などで一番お金が掛かる30代、40代が四苦八苦しているの
はなんとかして欲しいなぁというのも正直なところです。
└──────────
┌──────────「hiro@広州さん」
耳に優しい語り口でとても読みやすく有益でした。
ジニ係数は知っていましたが、美国との比較など思いもよりませんでした。
同じ年頃(S31生)ですので楽しみにしています。
追伸)クイズの答えですが
荒胆(肝)=あらぎも
雑閙=ざっとう
幌車=ほろしゃ・・でOKかな
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
hiroさん、同世代ということで、これからも宜しくお願いします。我々の世代
は、戦争を知らない世代ですけれど、ベテランだけに頼るのではなく、我々が
子供たちに伝えなければならないことも多いと思います。
戦争を知らないだけに、違った視点で中国や欧米を見ることも出来るのではな
いでしょうか? ジニ係数はひとつの切り口ですが、これからはなるべく具体
的な数字を元に中国というものを考えて記事にしていきたいと思っております
ので、応援よろしくお願い致します。
└──────────
┌──────────「田中次郎さん」
何かしら興味深いのが中国ですね。マレーシアに3年余り居りまして、その間
に、3回仕事絡みで、1回は遊びで訪れました。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
田中様、コメントありがとうございました。
マレーシアというとマハディール・モハマド前首相を思い出します。「ルック
・イースト政策」で有名ですね。日本に見習えということで大いに発展したマ
レーシアですが、今も「日本に見習え」と言ってもらえるかどうか自信はあり
ません。
東南アジア諸国に「やはり日本だ」と言われるぐらいの気概を持って仕事にも
力を入れたいです。
とはいえ、中国というのはいろんな意味で面白い国です。中国との政治・経済
交流を「楽しむ」という視点で見た場合、これほど「刺激的」な国はありませ
ん。日本を理解して欲しいと同時に、我々も中国を理解できるような形でこれ
からもお話ししていきたいと思っております。
└──────────
┌──────────「爺さん」
お話期待しています。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
爺さん様、ありがとうございました。ご期待に添えるよう努力致しますので、
今後ともこのメルマガをご愛読下さいませ。
└──────────
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┃▼▽ マレーシアナウ(現在) ▽▼ by 坪内隆彦さん
┃
☆ ハイテク集積地に変貌する穀倉地帯クダ ――――――― 2005/03/04
初代ラーマン首相とマハティール前首相という2人の首相の出身地であるタイ
国境沿いのクダ州は、有数の穀倉地帯として知られる。
クダもまた、ここ10年程の間に大きな変貌を遂げようとしている。その重要
拠点がクリム・ハイテク・パーク(KHTP)である。もともと、KHTP構想
は、東南アジア諸国の輸出産業育成を支援しようという日本の構想に端を発し
ている。
1987年はじめに、田村元通産大臣が東南アジア諸国を歴訪して「新アジア
工業化総合協力プラン(ニュー・エイド・プラン)」を提示、製品の組み立てだ
けでなく、付加価値の高い加工工程を持った工場の誘致を提案した。
そして1989年、マレーシア政府はハイテク工業団地をクダ州クリムに建設
すると決定、水田やヤシ畑に覆われた約1500ヘクタールの用地が用意され
た。
国連工業開発機関が基本的なコンセプトを作り、国際協力事業団(JICA)が
デザインや工業部分の基本設計を支援した。工業用地だけでなく、研究開発セ
ンター、住宅、研究機関やゴルフ場を備えた総合工業団地として構想された。
KHTPは1992年9月に正式に着工、1996年3月には、約380ヘク
タール分の第1区画がオープンした。翌1997年のアジア通貨危機を乗り越
え、ハイテク産業の誘致は順調に進み、1998年には第1期区画は全て企業
の入居が決まった。
KHTPは、首都圏一帯をハイテク産業集積地帯とする、「マルチメディア・
スーパー・コリドー(MSC)」との連動も視野に入れ、研究開発拠点の建設も
推進してきた。すでに2001年末には、KHTPを運営するクリム・テクノ
ロジーパーク社が、研究開発拠点の調査や研究の実施について、マレーシア科
学大学、マレーシア北大学、クリム・テクノロジー・マネジメント社などと契
約を締結している。
KHTPは、2004年6月末には、MSCの第2段階計画の対象地域となり
今後さらにハイテク産業誘致に拍車がかかると期待されている。
もともと、KHTPは半導体産業をターゲットとしてきた。米作地帯のクダ州
は水が豊富で、水を大量に使う半導体産業に適しているとも指摘されている。
KHTPは、特に、基板に微細回路の焼き付けなどをする半導体前工程工場の
誘致を目指してきた。従来、マレーシアでは、半導体の組み立て・検査などを
行う後工程工場が中心だった。
ちなみに、1998年1月にシャープの技術供与によって、半導体前工程を手
掛けるファースト・シリコンが設立され、2001年からサラワク州クチンの
サマジャヤ自由貿易区で生産を開始している。これと同時期に、KHTPで半
導体前工程の工場を稼動させたのが、アメリカ系半導体メーカーのシルテラで
ある。
さらに2004年末には、ドイツのインフィニオンテクノロジーズが、マラッ
カに次ぐ2カ所目の工場をKHTPに建設すると発表した。同社は、1999
年にシーメンスの半導体部門が分離独立する形で設立された半導体メーカーで
2004年世界半導体メーカー売上高ランキングでは第4位につけている。
同社は、KHTPに自動車・産業向けパワー半導体、ロジックICの前工程工
場を設ける。2006年にも操業を開始し、約2000人を雇用する計画だと
いう。一方、KHTPでは、成層圏まで到達できる無人飛行船の製造プロジェ
クトも進められている。
ストラトスフェリック・エアシップ・テクノロジーズ(Stratospheric Airship
Technologies=SAT)や、英アドバンスト・テクノロジーズ・グループなど
が参画するプロジェクトで、30億リンギを投じて2006年を目途に第1号
機を完成させ、2013年までに70機を生産する計画。
飛行船には、通信機器を搭載し、データ通信やテレビ・ラジオ放送、追跡シス
テムなどへの応用を目指している。宇宙船は、通信、国防関連企業等に販売す
る計画で、すでに東南アジア企業の需要が見込まれているという。
穀倉地帯クダは、今やハイテク産業の集積地帯として発展しようとしている。
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
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│坪内隆彦さんのプロフィール:
│
│ジャーナリスト。拓殖大学日本文化研究所附属近現代研究センター主任研究
│員兼創立百年史編纂室編纂委員・(社)日本マレーシア協会理事・マハティー
│ル研究会主宰。
│
│1965年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業後、日本経済新聞社に入社、貿易記
│者クラブ(日本貿易振興会記者クラブ)担当記者として通商問題などの取材に
│あたる。1989年退社後、フリーランスで取材・執筆活動に入る。
│
│1991年に「国連における大国協調の光と影」で佐藤栄作賞(国際連合大学協
│賛財団懸賞論文優秀賞)を授賞。
│1994年に『アジア復権の希望マハティール』を、1997年に『キリスト教原理
│主義のアメリカ』を、1998年に『岡倉天心の思想探訪』を上梓。
│
│『日馬プレス』で「マハティール十番勝負」を、
│『月刊マレーシア』で「明日のアジア望見」をそれぞれ連載中。
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│ う 丿 み 丿 せ 丿 ん 丿 や 丿 ま 丿 せ 丿 ん 丿
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┃▼▽ バリ島の市井に暮らして ▽▼ by 美龍@バリ島さん
┃
☆ バリ島のビッグイベントがやってくる! ――――――― 2005/03/04
皆さん、もう3月ですね。ーー3月といえば雛祭り、桃の節句。
ここバリでは、3月8日〜19日の間にバリ・ヒンズー教の祭礼行事(それも
全土をあげてのビッグイベント)が勢揃いしております。そりゃあもう、大半
のバリ人は仕事どころじゃございません。
----普段から労働意欲は欠如してますど・・・----
というわけで、今回はこのバリ・ヒンズー教のビッグイベントをご紹介いたし
ましょう!
バリヒンズー教の祭礼行事というのは、以前ご紹介した「バリ暦」、通称バリ
カレンダーと呼ばれるヒンズー教徒専用のカレンダーに基づいて設定されてい
て、二種類の暦(サカ暦とウク暦)が重なり合ってできているという代物でござ
います。
その暦に基づく大イベントがガルンガン&クニンガン(この二つでワンセット
になっています)、そしてニュピです。通常、この大イベントが全部重なると
いうことは滅多にないんですが、今年は当たり年らしくて、2週間弱の間に、
3つ全部揃ってしまいました。
――まず、最初にやってくるのがガルンガン。(3月8日〜10日)
ガルンガンは、1ヶ月が35日のウク歴に従い、6ヶ月(210日)に一度巡っ
てきます。善=ダルマ)が悪=アダルマ)に勝利することを記念しているわけ
ですが、その勝利を祝うために祖先の霊を迎えることから、一般的には、日本
で言うところの「迎え盆」行事としてガイドブックなどには紹介されているよ
うです。でも、ガルンガン当日を迎えるまでの準備が長いんだ、、これが..。
ーー近々の主なものだけでも、
┌──────────「ここからなんだけど、長いよッ!」
〜〜スギハン・ジャワ(SUGIHAN JAWA)―3月3日
バリでは、人が死ぬとその遺灰を海に撒きます。そうすることで、死者を神々
の元へ旅立たせるわけです。ですので、祖先の霊を迎えるにあたっては、各村
ごとに団体で遺灰を撒いた海まで出向き、そして各自の家に戻るわけです。
もちろん、その前後には寺院でのお祈りがあるわけですが、なんと、このお出
迎えは全行程徒歩です。車もバスも、ましてやタクシーなど使いません。自転
車も使いません。ーーーーただひたすら歩くわけです。
ブレガンジュールと呼ばれるガムラン演奏のBGM付きではありますが、とに
かく黙々と海を目指して各村から海に向かって歩き、そしてまた各村に戻って
いく。
そうやって迎えた先祖の霊と神様を、日本なら仏壇とも神棚ともいえるような
場所にお祀りするわけです。この神聖な場所である家の社(サンガンムラジャ
ン)を清め、神々と祖先の霊にガルンガンのために降りてきてもらう(=鎮座
していただく)儀式がこのスギハン・ジャワです。
〜〜スギハン・バリ(SUGIHAN BALI)―3月4日
ガルンガンを迎えるにあたって、自分自身を清める為の聖水をもらいます。
〜〜プニュケバン(PENYEKEBAN)―3月6日
果物(通常はバナナ)を収穫し、ガルンガンの日に熟すように保管します。語源
は、保存する=NYEKEB)という言葉ですが、別の意味では、この日から神様の
マイナスな面でありルードラと呼ばれる怒りの性質の神サン・カラ・ティガが
人間を惑わすと考えられています。
僧は瞑想や精神統一をこの日から始めますが、一般の人は供物にする為の果物
を保存し、祭礼の準備に没頭することで精神を集中(=精神統一)させるわけで
す。この日は、単に果物を保存する日というだけでなく、穏やかな生活のため
に感情を抑制するという内面的な意味があるといわれていて、怒りの神サン・
カラ・ティガが人間を滅ぼそうとしているのではなく、善の方向に導くために
人間の精神をテストしているのだそうです。
〜〜プニャジャアン(PENYAJAAN)―3月7日
語源は、支配するという意味の「JAJAH 」といわれ、これはサン・カラ・ティ
ガが人間を支配する事を意味していて、サン・カラ・ティガの支配を打ち破る
ために注意力を深め、神のご加護を祈るのだそうです。(それしか方法がない
んだそうです、バリ人いわく)
でも、その為には、怒って喧嘩をしたりせずに我慢をするという努力が必要と
いうことで、神に祈りつつ、あらためて忍耐を肝に銘じる日というわけです。
〜〜プナンパハン(PENAMPAHAN)―3月8日
動物を撲殺するという意味の「TAMPAH」が語源です。アヒル、鶏、豚などの家
畜を撲殺し、サテ(日本の焼き鳥のようなもの)や、ラワール(肉・内蔵・血液
などあらゆるものを香辛料で混ぜた料理)など、供物にする料理をします。
この日からは、家族全員が準備に加わり、料理(通常はラワール)は男性の仕事
で、それが済むとペンジョールと呼ばれる竹飾り(日本の門松みたいな感覚か
な?)を作ります。
女性は供物の準備や社の祠に布やお飾りを付けます。サン・カラ・ティガは神
のマイナス面ですから、その性格に合わせて行われる儀式はブータ・ヤドニャ
(悪霊への儀礼)と呼ばれますが、サン・カラ・ティガに供物を捧げ、本来の神
の姿に戻ってもらうための儀式でもあります。
御祓いのブータ・ヤドニャの儀礼の後は、門の前に悪に対する善の勝利を象徴
するペンジョールを立てます。
〜〜ガルンガン(GALUNGAN)―3月9日
以上のような行事が終わって、ようやく本番のガルンガン。ガルンガンという
言葉には、”戦い”という意味があるそうです。サン・カラ・ティガに惑わさ
れず善が勝利したことを喜び、森羅万象を創造してくださった神に感謝する日
でもあります。
神々は、祖先の霊と共に、敬謙な信仰心と清い心という恩恵を人間に与えてく
れる存在です。人々は供物を捧げて持成し、各家の社で神と祖先に祈ります。
ダルマ(善)とは、サンスクリット語で規則とか義務、真実という意味で、ダル
マの勝利とは真実の勝利でもあります。ヒンドゥー教徒の義務とは、ヤドニャ
を行うことであり、ガルンガンの祭日を祝うこと、これすなわちヤドニャを行
うことであり、これが最大の目的とされています。
供物の大小は問題ではなく、神と自然の霊力と祖先の霊に対して供物を捧げる
ことがヒンドゥー教徒としての義務です、、、、と、一応建前はそうなってま
すが、実際には村によっては取り決めがあって、値段はいくらぐらいのものと
か、何を使わなきゃいけないとか、もういい加減にしてくれっ!ていうような
決まりがクソ坊主、、おっと失礼!僧侶からなされているわけです。
また、竹飾りのペンジョールはバリヒンズーの総本山であるアグン山(日本人
にとっての富士山みたいな感じかな‥)をシンボル化したものといわれ、一本
の、先のしなった竹をヤシの葉で飾り、大地からの恵みの作物、果物、稲、砂
糖キビなどを吊るします。
この地上にある生活に必要ものなものは、全て神が創造した神からの授かり物
ですので、感謝の意を込め収穫の一部を供えるわけです。ペンジョールの先端
には、ポロサンとかサンピアン・ペンジョールと呼ばれる小飾り(通常は生花
を使います)を飾り、また供物の置き場所として、ペンジョールの足の部分に
サンガと呼ばれる台のようなものも取り付けます。
普通、ペンジョールは家の門に一本立てられますが、満月と重なる場合には、
呼び名も只のガルンガンではなくガルンガン・ナディと呼ばれ、ペンジョール
の竹の皮をナイフで削ぎ、先端にはカタツムリの殻で作った鈴を付けます。
〜〜ウマニス・ガルンガン(UMANIS GALUNGAN)―3月10日
この日は、無事にガルンガンを迎えられたことを家族、親戚、友人などと共に
喜び祝う日です。
ガルンガンを迎えるまでは、その準備で家族一同大忙し(らしい)で、誰かのと
ころに遊びに行く時間もなかったということで(本当はそんなことないけど)、
この日はあちらこちらでお宅訪問がされています。
└──────────「ここまでが"ガルンガン"だ!まいったかッ!」
―― クニンガン(KUNINGAN)―3月19日
この一連のガルンガンの行事のあと(ガルンガンの10日後)に控えているのが
「送り盆」ともいえるこのクニンガンです。
この日は、地上に降りてきていた神々と祖先の霊が再び天界へと戻っていく日
とされていて、出迎えた時と同じようにまた海まで送っていきます。
もちろん!ーーガルンガンの時と同様に全行程徒歩でございます。
また、各家庭では、社の祠と家の軒下に、タミアンという輪飾りを飾ります。
と、ここまでがバリヒンズー教徒版の「迎え盆・送り盆」行事ワンセットな訳
ですが、もっと詳しく言うならば、ガルンガンの35日後に最後の行事が控え
ております。――各家に飾られていたペンジョールなどのお飾りを外し、これ
にて目出度く一連の行事は終了となるわけです。
―― ここで皆さん、
バリカレンダーの説明を思い出してみてください。
そうです。1ヶ月が35日のウク歴に従い、6ヶ月(210日)に一度巡ってく
るんですよ、ガルンガンは。ーー1年365日じゃないんです。だから、この
ガルンガン&クニンガンの行事は、1年に2回ぐらいあるわけで、もうほとん
どエンドレス状態なわけです。
これまた以前バリ暦でお話したように、このガルンガンを中心にして冠婚葬祭
の行事が行われ、ガルンガンから35日後の最後の行事が済むまで、一切の冠
婚葬祭行事は行えません。――なので、ガルンガンが近くなってくると、結婚
式やら葬式やらが目白押しになるわけです。
―― が、しかし!
なんといっても、バリヒンズー教最大の宗教イベントはニュピ(NYEPI)!
誰がなんといおうと、これしかないッ!そして、今年のニュピはなんと前述の
ガルンガンとクニンガンの間にやってくる。もっと正確にいうならば、ガルン
ガンの翌々日(ウマニス・ガルンガンの翌日)、そう、3月11日がメインイベ
ントのニュピなのであります!
ニュピとは、バリ・カレンダーを構成するもう一つの暦であるサカ暦の新年に
あたる日で、3月11日の零時、に、バリはサカ暦1927年を迎えます。
ニュピには「静寂の日」という意味がありまして、この日はバリ島にいる悪霊
や悪いものを追い払い、良いものを招くという日であり、いくつかの決まりご
とがあります。
まず、
・「外出をしない」
・「仕事をしない」
・「火を使わない」
・「電気を使わない」
・「断食」
・「音の禁止(ラジオやテレビ)」
などがあり、交通機関も一切運行休止となります。もちろん、飛行機も止めら
れ空港の離発着は完璧にストップします。この日だけは観光客も外出禁止とな
り、ホテルの敷地内から出ることはできません。ホテルのエントランスには黒
い幕がかけられ、電気は朝から晩まで消されてしまいます。
観光客に禁止されているのは外出禁止だけで、断食を強いられたりなどはしま
せん。部屋の電気もつけば、テレビを見ることも可能です。ただし、ホテルに
よって多少の違いはあると思います。
ニュピの前日には、晦日行事として、各地域や地区ごとに、3〜4ヶ月かけて
作られたオゴオゴ(お化けとか悪霊というような意味)が町々村々を練り歩きま
す。――どんなものかといいますと、秋田のナマハゲと青森のネブタが一緒に
なったような感じです。
造りは、ネブタ祭りの山車の上に乗っている人形の飾りのように大きく(竹と
紙で作成)、顔はナマハゲといえばもっと想像しやすいかな?――時間をかけ
て作られたオゴオゴのコンテストも各地域ごとにあります。
このオゴオゴ、とにかくデカイ。高さも横幅も年々大きくなっていくんですが
なにせ、バリの道路は幅が狭いもんで、交通渋滞やら電話線の切断やら、必ず
何かしら面倒なことが起きます(外国人在住者にとっては..ですけど)。
渋滞ぐらいならいいですけど、もし自分の住んでいる地域で電話線が切断され
ても、ニュピが開けるのを待たなくてはなりません。うっかり病気にもなれな
いし、怪我もできないし、緊急の用事なんて絶対に作っちゃいけない。
ーー日本の家族親戚・友人知人にも、音信不通になっても慌てるな、と伝えて
おかなくてはなりません。
救急車も消防車も、出動するにあたっては村長や地元警察の許可が必要。外国
人であろうと、許可なしで外に出ると逮捕されます。各地域で自警団が組織さ
れ、その自警団のメンバーとして許可を受けた人だけが外に出られます。それ
以外の人間は不審人物ということで逮捕されるわけです。
まあ、外国人が昼間うっかり外に出た程度ならば注意勧告だけで済むでしょう
けど、夜にフラフラ外歩いてたら、逮捕される前にボコボコにされるかも..。
〜〜というわけで、まったくの暗闇と静寂につつまれるのがバリ・ヒンズーの
新年「ニュピ」なわけです。
―― さあ!
時間とお金のある方は、どうぞ今からバリ島への旅行を予約し、来週のビッグ
イベントを体験してみてください。特にニュピはおすすめ・・・と思います。
――日本にはない行事ですからね。
排気ガスも減るし、天気が良ければ夜は綺麗な星空が堪能できると思います。
南十字星を眺めながら愛を語り合うなんてことでき・・・ません。外には出ら
れないですからね。でも、電気を消してホテルの部屋のバルコニーで星灯りっ
ていうのは可能かも。----やったことないですけど、私は----
それでは皆さん、Selamat Tahun Baru!(インドネシア語のHappy New Year)
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┌──────────「HAJIMEさん」女性@三十代@会社員@中国
ニイハオ!!
ろんさんとTAKAさんの論争を読んでムズムズ・・・
不肖私の考えをずうずうしく発表させていただきますと、
短期間でネイティブみたいになりたいのなら、
1−語彙の増加学習
2−中国のテレビを見る
3−中国、香港の映画のDVDを見る
ーーが一番効くのではないでしょうか。
私は確かに、天津で(留学時代は)日本人と全然付き合わないで、2年間勉強ば
かりしていましたが、生の中国人とおしゃべりというのはほとんどやりません
でした。そんなことしてる時間があったら、辞書を引いて語彙と漢字の発音の
暗記をやったほうがいいと考えたからです。
「1」がある程度のレベルに達したら、「2」「3」だけでもどんどん語彙が
増え、聞き取り力(耳で聞いた音→脳の中で漢字に瞬間的に変換される+自分
がしゃべるときにその言葉が自動的に正確な発音で出てくる)になるのですが
やはりあまりにも「1」をおろそかにすると、「2」「3」の効果がいつまで
たっても上がってきません。
私は最近、中国の時代劇映画を見ることによって、文語というか、1文字単語
による伝統的中国語の語彙を憶えようと頑張っております。趣味と実益を兼ね
てますが、、、。
そういうわけですので、ろんさん、机上の学習も信念を持って貫けば、必ず後
で大輪の花が咲きます。くじけないで貫いてくださいね。
ーーさて映画DVD見るか、どれどれ・・・。
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┌──────――──「ヒデさん」男性@四十代@会社員@大阪
本文中、
「難易度の高い商品の受注を嫌い、生産の簡単な商品の発注を望み、
さらに、一品当たりの発注数の増加を要望してきた」
と記述されているのを見、現在、我々にふりかかっている事情と似ています。
これぞ中国ですかね。
ーーそのスワトウに今年、進出を考えています。
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┃▼▽ あとがき ▽▼
┃
アジア各国からの情報、レギュラーのマレーシア坪内隆彦さん、準レギュラー
のインドネシア美龍@バリ島さん、そしてラオスの桜ちゃんのパパさん、と皆
さん頑張って頂いております。ありがとうございます!!
けど、
ベトナムのThanh さぁぁぁぁぁぁぁんんん!!!
もうそろそろボチボチ1年にもなりますよッつ!
貯め込んでるネタを後悔..?ん?..公開して下さぁぁぁぁぁぁぁいいい!!!
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ーーしかし、、もっと別の国にも読者....ライター候補者はいないのかな〜?
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ではまた、ホントに愉快な月曜日号!で、お会いいたしましょう!(^o^)丿

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